新世界秩序の胎動
新世界暦1年2月6日 ベリーズ メキシコ国境まで20キロの地点
道なき道を行く四輪駆動車が一台。
運転しているのは記者のエドワード。
後席には10歳前後の少年が3人。4人はそれぞれ他人である。
歩く程度の速度でゆっくりと生い茂った草木をかき分けながら進む四輪駆動車を運転しながら、エドワードは数時間前のことを思い出していた。
写真を撮るのに夢中で、背後への警戒が疎かになっていた時、突如背後の茂みから物音がしたのである。
それに気づくのが遅れた時は、ここまできて写真の一枚も転送できずに終わりかと思ったが、茂みから顔を覗かせたのは怯えた6つの瞳だった。
話を聞けば、親と離されて子供だけ集められたのだが、そこで3人は知り合い隙を見て逃げてきたのだと言う。
子供が殺されるところも見ていたエドワードはなんとも言えない気持ちになったが、あえてそれを口に出すことはしなかった。
彼らは幸運だったのだ。そのことを喜ぶべきだろう。
3人が逃げ出したのは、親に別れ際に隙を見てメキシコに逃げろと言われていたからだと言う。
1人は母親を捜したいと言ったが、危険なうえに奇跡的に見つけたとしても碌な結果にならない気がしたエドワードは、それとなく親の言いつけ通りにメキシコに逃げるよう説得し、他の2人もそれに同調したので、渋々といった感じではあるが逃げることに同意した。
そして市街地は避けつつ、ハイウェイと熱帯雨林を行ったり来たり、ようやくメキシコ国境が望める場所まで来たのである。
とはいえ、直に日が暮れる。
ここまで隠れて進んできたのにヘッドライトを点けてしまっては本末転倒である。
一晩はこの車内で過ごさねばならないだろう。
何らかの理由でハイウェイに乗り捨てられていたこの車は、元の持ち主が逃げ出すために積み込んだのだろう水や食料がそのまま積まれていた。
元の持ち主がどうなったのかは、気が滅入るので考えないようにしていた。
「今日はここで休む。明日は日が昇ると同時に行動開始だ」
太陽は赤い夕陽を引きずりながら、完全に沈もうとしている。
周囲を木々に囲まれた車の中は、最早真っ暗に近づいている。
水などと一緒に積んであった毛布やシートを使って、外に明かりが漏れないようにガラスを塞ぐ。
完全に光が漏れない、ということはないので、助手席足元においたLEDランタンも光量は控えめである。
いくつか後席の子供達に注意をして、食事にする。
とはいえ、車の中では火も起こせないし、外で火を起こすのは論外なので、積んであった保存食と水という簡素なものである。
車に乗ってからは子供達の目から少し恐怖の色が遠のいていたが、周囲が暗くなるにつれて再び不安や恐れの色が濃くなってきたようである。
こういう時、自分にも子供がいれば何か気を紛らわしてやる方法でも思いつくのかもしれないが、残念ながら天下無双の独り者である。
不安そうにスナックバーを齧る子供達を眺めていると、ふとハイスクール時代のガールフレンドは今頃何をしているのだろうか、なんてどうでもいいことを考えた。
別に別れたことに何か理由があったわけではない、ただなんとなくという理由で大学に進むときにお互い別れてそれっきりの相手である。
今頃、彼女は俺の知らない誰かと結婚して、こんな風に子供の面倒を見ているのだろうか。
そんなどうでもいいことが頭の中に浮かんだのだった。
新世界暦1年2月7日 日本国北海道枝幸町 枝幸地区 枝幸町総合体育館
枝幸で最大の箱物である体育館内に設けられた会場は参加者で埋め尽くされていた。
様式としては全国戦没者追悼式に則ったものの、箱の大きさが全く異なるので、国費で参列している人たちが同数出席すると、それだけで席が埋まってしまうので、かなり規模は縮小されている。
日本側は、皇嗣、内閣総理大臣、衆参両院議長、各国政政党代表、北海道知事、枝幸町長職務代理者(町長、副町長が最初の砲撃で死亡したため)、北海道第12区選出衆議院議員、比例北海道ブロック選出衆議院議員、北海道選挙区選出参議院議員となっている。
これだけでも30人近くなるので、参列者を絞らねばならなかった総務省担当者の苦労が偲ばれる。
アズガルド側が、外務大臣主席補佐官(事務次官相当)以下、和平合意事前折衝団。それに加えて帰国していないランヴァルト少将。
あと、一般参列者という形で随行したマスコミ日本訪問団が参列している。
無宗教で、枝幸に関わる戦闘で死亡した全ての者を追悼する、という名目で開かれたため、死者数はアズガルドのほうが圧倒的に多くなっているという双方が複雑な思いを抱く式典になっていた。
バランスを取りすぎると悪弊が出る典型である。
内閣総理大臣の式辞、黙とう、皇嗣殿下のおことば、衆参両院議長の追悼の辞、アズガルド神聖帝国外務大臣の追悼の辞(主席補佐官の代読)、献花と式次第まで全国戦没者追悼式典に則っている。
とはいえ、短い準備期間でここまで式の形を整え切った担当者たちの奮闘を誉めるべきであろう。
献花時に、家族を砲撃で亡くした男性がアズガルド側参列者に罵声を浴びせるトラブルは発生したものの、滞りなく式は終了した。
「突然罵声を浴びせられたのは驚きましたね」
主席補佐官に同行している交渉担当官が、式典終了後の控室で水を飲みながら言った。
「政府関係者が友好的だから忘れがちだが、我が国が一般市民を虐殺したのは紛れもない事実だ。国家がどう考えていようと、家族を殺された者の本音はあの罵声だろうよ」
主席補佐官はぐびりと水を飲んだ。
「そして、それは我が軍の遺族も同じだろう。彼らにとっては家族が殺された、ということが重要なんであって、国家のやり取りなんて関係ないだろうさ」
半ば諦めたような、自嘲のような、なんともとれない口調で首席補佐官は続けた。
「もっとも、その怒りが政府に向いて和平がおじゃんになることを恐れたからこその、内閣総辞職と議会解散、新党の立ち上げだろ」
「新党の立ち上げは攻撃続行に反対しながら日本と直接戦ったアルノルド中将が、国の未来を憂いて軍を辞めて作ったと聞きましたが」
「まだまだ青いな。そんなもん世論向けの作文だよ」
マスコミに聞かれるとまずい話ではあるが、そのマスコミは皆戦場跡の取材に出払っている。
ちなみに、ランヴァルト少将は案内役としてそちらに同行させられていた。
「とはいえ、この日本での取材を終えてマスコミが記事を書けば、間違いなく我が国が無謀な相手に戦いを挑んだことは広まるだろう。そうなれば今は日本に向いている遺族の怒りは間違いなく政府に向く」
「だが、戦争を始めた内閣はすでになく、戦闘を止めるよう訴えながら現場指揮官として日本と戦ったアルノルド中将が国と軍の再建に奔走している、と」
そういうこと、と首席補佐官は言って再び水を飲む。
「なら日本に関する報道を規制してしまえば良かったのでは?」
「短期的にはそれでいいかもしれんが、軍から徐々に話は漏れるだろし、長期的にはマスコミが不満を貯めこんで敵対的になる恐れがある。それに、後付けだが日本やその同盟国は報道の自由を重んじているようだ。日本の我が国に対する心証が悪くなった可能性が高い」
アズガルド神聖帝国は一院制の議会民主主義であり、軍事機密など制限されて当たり前のものを除いて報道の自由を皇帝の名で保障している。
余談だが、元々は貴族院と皇民院の二院制だったのが、貴族たちの横暴にキレた時の皇帝が貴族階級と貴族院を廃止して以降、選挙で議員を選ぶ皇民院のみとなっている。
「とにかく、明日から日本の首都での和平交渉をまとめるのが我々の仕事だが、平和条約の後のことも考えて動かねばならない」
「後、ですか?」
「日本との敵対路線はあり得ない。昨日の映像を覚えているだろう」
「今でもとても事実だと思えません」
交渉担当官は映像を思い出し、震える声で応えた。
日本についてすぐに、日本の歴史をまとめた映像を見せられた。
その一幕を思い出す。
鎖国を解いた日本が、世界史の中に入っていったあと。
1914年~1918年 1800万人
1937年~1945年 6200万人
国家の持てる全てを投入した戦争。
それを二度にわたり経験した世界。
特に二度目。
日本においても300万人の死者を出した戦争。
それだけの死者を出しながらも、最早何事もなかったかのように続いているという世界に寒気を覚えた。
そして、映像の後にホスト役の外交官、毛利が語った言葉。
「貴方方が立っている場所を我々は80年前に通過した。貴方方は岐路に立っている。我々の後を追うのか、人類は利口であると示すのか」
彼は世界大戦は我々の世界でも起こり得たし、実際にその引き金を引くところだったのではないか、と言った。
実際、転移が起こらなければ今頃、ホリアセ共和国本国に大規模な上陸作戦を行い、熾烈な地上戦が行われているはずである。
本土への空襲はすでにホリアセがこちらに行っていた。
それが互いにエスカレートしていくのは火を見るより明らかだっただろう。
「この新しい世界で我々の国を残すには、日本と同盟国の力を借りるしかない。我々の仕事は重いぞ」
主席補佐官の言葉に、アズガルド神聖帝国日本派遣交渉団は決意を新たにするのだった。
新世界暦1年2月7日 日本国東京都 外務省
駐日英大使と駐日米大使を交えて、アズガルド神聖帝国の今後の取り扱いについて協議する。はずだったのだが何故か面子が変更になった会議で、進行役の外務省職員は困っていた。
日本側はアジア大洋州局長、北米局長、欧州局長。(三部局とも組織改編中)
アメリカ側は国務次官補(東アジア・太平洋担当)、駐日大使。
そして何故か英国は外務大臣が来日していた。
明らかに日本と米国の出席者が不釣り合いなのだが、そもそも突然来たのだから外務省は上から下まで大騒ぎになった。
「それで、日本政府はアズガルド神聖帝国をどのように処置しようと考えているのかね?」
英国外務相が偉そうに(実際参加者の中では一番偉いが)言った。
「油田とレアアース、レアメタルの埋蔵の可能性がある地域の採掘権でとりあえず手打ちになります。向こうもその程度なら、と言う感じなので」
「それは聞いているが、その後だよ。実際、日本よりうちのほうが距離としては近いんだから、割と心配なんだよ」
「国交開設交渉と向こうの意思次第ですが、国連に入れようかと」
ほう、とアメリカ側から声が上がる。
「勝手に暴れられても面倒ですし、こちらの秩序に放り込んでしまう方が今後楽かと」
「その他の国のモデルケースにもなり得るし、アメリカ政府としては賛成するだろう」
国務次官補はしれっとそれに賛成だと肯定する。
「今はなぜか無くなったようだが、80~90年前の技術水準とはいえ、それなりの軍隊を持っていたようだし多島海条約機構にも入れたらどうだ」
お前のとこ、それが無くなったのの片棒担いでただろと他の二国は思ったが、別にどうでもいいので突っ込まない。
「そうそう、そのAPTOですよ。今んとこ参加表明は、発起人の我が国とシンガポールだけで、検討中がアメリカ、日本、ニュージーランド、フィリピン、ブルネイ、マルタ、アイスランド、バーレーン。意外と広がらないのは何故だ」
「いや、僅か1ヶ月にも満たない期間で何を決めろと」
思わずアジア・大洋州局長が突っ込む。
「しかし、集団安全保障といっても、欧州とは違って全て島ですからねぇ」
「海軍は金がかかる。相応の負担が可能な国となると・・・」
「NATO AWACSのように単独では整備できない国が予算を拠出して共同部隊を整備するという方法も検討に値するかと」
アズガルド神聖帝国の処遇を話し合うはずだったのに、APTOについての話し合いと化した室内で、進行役の外務省職員はマジでこれどうしよう、と思考放棄するのだった。