ソラ
新世界暦1年1月21日 ロシア連邦 極東ロシア ボストチヌイ宇宙基地
「なんか騒々しいな」
発射台に据えられたソユーズ2ロケットを眺めながらトランプをしていた男たちは、周囲が騒がしくしているのに気付いた。
「なんかあったのかね」
「中国が攻めてきたんじゃないか」
「それならもっと騒いでるよ。ここから国境まで100キロだぞ。そういう感じじゃねぇな」
呑気な男たちはグラスにウォッカを注ぎ足し、立ち上がった。
「適当に誰か捕まえて聞いてみるか」
ふらふらと立ち上がった3人は、そのまま人が集まっているほうに歩きだす。
そこではテレビがニュース番組を流しており、皆食い入るように見つめていた。
新世界暦1年1月21日 中華人民共和国 北京 中南海
「それで、どこかにロケット打ち上げの先を越されたと聞いたが?」
体が埋まってしまうようなソファにそれぞれ腰かけた、12億人の人民の頂点に君臨する指導部数名に囲まれ立っている人物が2人。
中国にロケットの打ち上げを管理する、国家航天局長と人民解放軍総装備部政治委員の2人の顔色は良くないが、それは叱責されていることによるものではなく、連日の激務のせいである。
「あれだけ我が国でこの謎の天体初の人工衛星と有人宇宙飛行を達成すると、予算と人員を湯水のように使っておきながら、先を越されたというのはどういうことかね?」
黙っている2人に苛立ったように、別の政治局員が口を開く。
「えー、どのようにご説明しようかと考えていたのですが、とりあえずまずはこちらをご覧ください」
そう言って国家航天局長は用意したタブレットで、動画を再生し始めた。
新世界暦1年1月21日 朝鮮中央放送
赤と青を基調にしたはためく国旗をバックに、一日千里を駆けると言われる千里馬像がフェードインする。
ソ連を思わせるやたらと壮大な音楽が流れ、いつものスローガンが読み上げられる。
そして始まる、やたらと修飾語の多いニュース朗読。
「朝鮮人民の最高代表者の指導の下、人民軍は総力を挙げ速度戦を戦った結果、本日未明、銀河4号ロケットの発射に成功し、この惑星において人類史上初めてとなる人工衛星、光明星4号の衛星軌道への投入に成功した!この偉大なる成果を称えるため、衛星からは最高代表者を称える歌が流されており、この偉業を世界人民に広く知らしめ、朝鮮の科学技術の勝利を世界に伝えるものである!」
そして、映像は打ち上げの様子や、衛星の模型などへと変わっていく。
要するに、いつものやつである。
新世界暦1年1月21日 中華人民共和国 北京 中南海
映像を見終わった政治局員たちの間で微妙な空気が流れる。
「つまり、何か?あのデブに先を越されたと?」
お前に他人のこと言えないだろ!と部屋の誰もが思ったが、皆大人なので黙っている。
「えー、人民解放軍では確かにその時間に、北朝鮮からのロケットの打ち上げを確認しています」
「それで?」
「打ち上げられたのち、2段目の分離には成功したものの、点火に失敗、全て海中に没した。というのがレーダー情報を解析した我が軍の結論です」
部屋の中に、えぇ・・・という空気が流れる。
「つまり、この放送は?」
「いつものウソですね」
その言葉で、部屋の空気は、もういいや、忘れよう、というものに変わった。
「それで、君たちを呼んだ理由だが、打ち上げの準備はどうなっているのかね」
まるで最初からそのことで呼んだかのように政治局員は話し出す。
「現在、酒泉においては長征2号で有人宇宙船神舟の打ち上げ準備を急ピッチで進めております。また太原においては遥感衛星を長征4号で打ち上げる準備を整えており、天候を加味すれば数日中には打ち上げられると確信しております」
数日中には打ち上げられるという報告に、政治局員達が安堵した様子が窺えた。
「ロシアも数日中には打ち上げを行うものと見られている。先んじられるようなことは」
「「は、心得ております!」」
力強く返事をした2人だったが、天候の問題もあるんだから知ったこっちゃないよね、という心境に達する程度には寝ていないので、実はロシアに先んじる根拠なんて何もないのだが、互いに「こいつに秘策があるんだろ」と思っている、知らないから幸せ、という状態であった。
新世界暦1年1月21日 アメリカ合衆国 フロリダ州 ジョン・F・ケネディ宇宙センター
隣接するケープカナベラル空軍基地と合わせて、6つの現役発射施設を有する世界最大の宇宙港といって差し支えない巨大な施設では、急ピッチ、かつ同時並行で打ち上げの準備が進められていた。
「けどロケットばっかこんなあってもねぇ」
2つの射場で同時に準備されているロケットを見つめた後、組立棟のほうを見遣る。
「衛星がおっついてないのに予定通り連続打ち上げなんてできんのかねぇ」
打ち上げます、はいそうですか、と用意できるのがロケットと衛星ではない。
ラインで大量生産するような性質のものではないので、時間もかかるし、ロケットの打ち上げ能力に合わせて衛星の大きさや形状を考える必要もあるので、数年単位で計画されるものである。
とはいえ、アメリカの場合は民間の打上会社が複数あり、ある程度の見越しでロケットを用意しているケースもある。ある程度までの衛星は必要な時に打ち上げることが可能である。
気象衛星や偵察衛星、通信衛星といった恒常的に使用されている衛星は、寿命が来れば新しいものを打ち上げるのはわかりきっているので、スケジュールは読めるというわけである。
特にアメリカはその他にもGPSなど寿命が来れば更新せねばならない衛星を多数保有しており、故障なども加味すれば、常に何らかの打上態勢を取っておく必要があるということである。
故にロケットには困らないのだが・・・
「GPS衛星30基、偵察衛星6基、通信衛星24基、早期警戒衛星12機・・・無茶だろ」
複数年、場合によっては十年単位で地球において構築してきた衛星網を一気に構築しようと言うのである。
おかげで特需を期待して宇宙・防衛関連銘柄の株価はお祭り状態になっているが、衛星の製造が間に合うとは思えないペースである。
さらにこの他に、気象観測衛星や資源探査衛星など、用途別の衛星も目白押しである。
「スペースシャトル全盛期は寝ずに作業を続けてたっていうけど、こんなんだったんかねぇ」
ははは、力なく笑う技術者を尻目に、着々と打上の準備は進められているのだった。
新世界暦1年1月21日 日本国 北海道 航空自衛隊千歳基地
突如としてアラートハンガーにけたたましいサイレンが響き渡り、赤い回転灯が点灯する。
待機所から駆け出してきたパイロットがコクピットに駆けあがり、装具の装着、機体の始動を開始する。
整備員たちは忙しく周囲を駆けまわり、ミサイルの安全ピン、車輪止めなど、飛行前点検を実施する。
やがて、サイレンをかき消すけたたましさで、F-15Jが2基搭載するF100ターボファンエンジンが始動する。
防爆シャッターの開けられたハンガーから、機体が滑り出し、滑走路へと向かう。
スクランブル発進機は、空路も含めた全てで最優先とされるため、基本的には邀撃管制に従って離陸し、飛行するだけである。
それでも、緊急度に応じた「配慮」はあるわけだが、一応戦時下の現状では、SOS宣言している機体を除いて、無条件でスクランブル機を優先することになっていた。
通常のアラート機は機関砲の他に短射程ミサイル2発というのが標準だが、国際関係の緊張度合いに応じて武装は増やされる。
今、アフターバーナー全開で大空へと飛び出した2機は、短射程ミサイル4発に中距離ミサイル4発という重武装である。
JADGEシステムからデータリンクで送られてくる情報を見ながら、最短ルートで不明機へと向かっていた2機に、突然音声通信が飛び込んでくる。
『中止、中止、中止、千歳203はそのまま空中待機せよ』
「了解」
いつもならこのまま旧オホーツク海まで進出して、偵察か連絡かで北海道に侵入しようとする敵機を叩き落すはずなのだが、どういうわけだか防空指揮所からの中止命令である。
ちなみに、最初のころは枝幸町上空での空中待機も行われていたのだが、相手がステルス性も何もないレシプロ機なので、稚内レーダーサイトが捉えてから発進しても余裕をもって間に合うから、燃料の無駄だと言う話になって行われなくなった。
「中SAMがやんのかね?」
『あのミサイルよりAAM-5のほうが安いだろ』
「いや、値段でいいだしたらバルカンを一斉射で当てればいいのでは」
相手が完全に能力的に劣っているとわかってからは、日本領空への侵入を試みる敵機は、ただの実弾標的のような扱いを受けていた。
滅多に実射のできないAAM-4や中SAMといった国産長射程対空ミサイルの試験場のような状態になっており、防衛装備庁やメーカーから技術者まで来ている始末だった。
やがて、データーリンクに中止になった理由が見えてくる。
「おいおい、いよいよ演習場にする気かよ」
『14戦闘飛行隊、たしかサムライだったか』
「アメリカは日米安保の約束通りに日本を守ってますよってアピールのためじゃねぇのか」
やがて、同じところをぐるぐる旋回する2機のF-15Jに接近してくる機影が現れる。
バンクを振ってすれ違うが、互いに時速800キロ以上で飛行しているので一瞬である。
この日、三沢基地に所属するアメリカ空軍のF-16Cによる初のアズガルド神聖帝国機撃墜が記録された。
新世界暦1年1月22日 ニカラグア上空 宇宙に最も近い場所
高度25000m
生身の人類の生存が許されない高空を真っ黒な1機の飛行機が舞っている。
U-2S。冷戦時代から飛び続ける、高高度偵察機である。
地球の丸みを見ることができる高度を飛ぶ数少ない飛行機であったが、惑星が大きくなったせいで丸みを感じにくくなってしまったことを残念に思っているパイロットは多かった。
宇宙服に近い専用の飛行服に身を包んだ彼らは、世界が転移して以降、偵察衛星の代わりを務める必要もあって飛行回数が激増していた。
半ば宇宙に片足突っ込んだ領域を飛行することを楽しみ、誇りに思っているパイロットがほとんどとはいえ、連日の激務にさすがに皆疲れの色が見えていた。
実際、今U-2Sを飛行させている彼も、連日の激務に嫌気が差し始めていたのが本当のところであった。
しかし、その彼は、今コクピットのディスプレイに映し出されている偵察カメラの映像を食い入るように見つめていた。
「これは・・・あれだよな」
航空写真で何がどのように見えるのかは叩き込まれている。
「ユーゴラスビアの民族浄化・・・」
過去の事例の画像と酷似している。そして、なにより
「ブラックキャットよりオーバーロード、ニカラグアにおいて民族浄化が行われている模様。現在も事態は進行中の模様」
次々とまるでゴミの埋め立て処分場のように死体が捨てられていく。
そして、それが運ばれてくる先では、まるでプレスでもするかのように、生きたままの人間を多脚戦車が踏み潰していた。
「狂ってやがる!」
実際、近代史において一般に連想されるような大虐殺なんていうのが行われた例は実は少ない。
わざわざ剣、弾や毒といった大虐殺で連想されるものを使わなくても、何も与えずに一つの場所に閉じ込めておけば人は勝手に死ぬのである。
実際、ホロコーストにしても、ポル・ポトにしても、飢餓や栄養失調と強制労働による過労でほとんど殺していたという説もあるほどである。
ソ連だって大粛清でシベリアに送っていたのは、労働力として使い潰してしまおうという意図である。
要するに、単純に効率を考えるなら地上兵力による虐殺はやる価値がないのである。
そんなことはお構いなしに、多脚戦車は人を踏み続け、工兵車両のような多脚戦車が死体を穴にどんどん落としている。
「これでもまだ我が国は静観するのか!」
パイロットの叫びは誰も聞くことなく虚空へと消えた。
新世界暦1年1月22日 日本国 種子島 種子島宇宙センター
新世界暦1年1月22日 アメリカ合衆国 フロリダ州 ジョン・F・ケネディ宇宙センター
新世界暦1年1月22日 ロシア連邦 極東ロシア ボストチヌイ宇宙基地
「5、4、3、2「メインエンジン点火」、1、0「離床」」
轟音とともに炎と煙を引いて、ロケットが宇宙に昇っていく。
この日、3ヶ国が同時に打ち上げたロケットは、その全てが搭載した衛星を周回軌道に投入することに成功し、この惑星初の人工衛星となった。
その全てが偵察衛星だったあたり、この世界における宇宙利用は内向きで始まったと言えた。
新世界暦1年1月22日 アメリカ合衆国 フロリダ州 ケープ・カナベラル空軍基地
最初の衛星打ち上げからわずか4時間後。
隣接するジョン・F・ケネディ宇宙センターでのロケット打ち上げ成功の余韻が残る中、別の発射場において、あらたなカウントダウンがスタートした。
この日だけで3基のロケットを打ち上げようと言うのだから、化け物染みた能力だと言わざるを得ない。
それはともかく、この世界においても、アメリカは宇宙大国を目指すのだった。
新世界暦1年1月23日 宇宙空間 新神舟1号
3ヶ国から遅れること1日、中華人民共和国は2ヶ所の射場から2基のロケットを打ち上げ、搭載した衛星を衛星軌道に投入することに成功したが、そのうちの1つは他の3ヶ国とは根本的な違いがあった。
「北京航天飛行制御センター、こちら神舟1号、順調に飛行中。この惑星は陸地の形を除けば、地球と同じように見える」
この惑星初の有人宇宙飛行。
もっとも、その事実は彼が無事に帰還した28日まで一般には伏せられることになるのだが。