Lemon
米津玄師の『Lemon』から得た私的イメージ。こんな見方もあるということで。
公園でおかしな子に会った。
いつもの公園、いつもの愛犬の散歩。柴犬のワンタはわたしが撫でる手も気にせずに、またその子どもを見つめている。
六歳くらいの綺麗な子。
緑のペンキを塗った古い木造のベンチに座って、ただただ正面を見ている子。
『やっと赤ちゃん卒業』くらいの年にも似合わず、思いつめた深い瞳。
その子の存在に気がついたのは、いつだったろう。雨の日も風の日も雪の日も、その子はいつもそこにいた。正直気味が悪かった。なまじ整った顔立ちで、ほっそりした美しい体つきなのも手伝って、なんだかよけいに不気味だった。
幽霊なのだろうか? もしかしたらわたしにしか見えていないんじゃないか?
そう思ってまわりを見ると、周囲の人たちもわたしと同じようなけげんな顔でその子を眺めているのだった。
誰も声をかけられない。誰にも見えるということは幽霊じゃないんだろうけど、その子には何だか犯すべからざる威厳があった。その気高さが怖かった。
でも、ある日わたしは思いきって声をかけた。あんまりにも日が暑くて、その子が死んじゃうんじゃないかなんて……雪の日には無視したくせに……いまさら考えて声をかけた。
その子の答えは、ひどく意外なものだった。
「ひとをまっているんです」。
人を。誰を? こんな猛暑日に、汗のひとつもかかないで。透き通るほど白い肌を日に焼いて、いったい誰をそんなに待って?
「ぼくはぼくをうらぎったひとをまっているんです。いいえ、うらぎったふりをして、ぼくのためにくびをつってしんだひとをずっとまっているんです」
どうしよう。怖い。何だろうこの女の子は? 気味が悪い。声をかけなきゃ良かった。
心底後悔するわたしをよそに、女の子は語り続ける。
「ぼくはあのひとをうらんでなんかいないんです。ぼくがあのこをころしたんです。ぼくはいっときのしょけいでえいゆうになり、あのこはたいざいにんになった。ほんとはあのこがぶたいのしゅじんこうなのに、うらぎりもののおめいをかぶって」
「だからぼくはまってるんです。ほんとうのしゅじんこうのあのこが、げんだいにうまれかわってくれるのを」
どうしよう、言ってることが全然分からない。関わらなきゃ良かった。この子はなまじな幽霊よりたちが悪い。
ぎくしゃくと立ち去ろうとしたわたしの背中に、すがるようなか細い声がぶつかった。
「はやくうまれかわってきて。ユダ」
のどからずうっと氷の棒で突かれたみたいに寒くなり、わたしは転がるように駆け出した。
その後、女の子はいなくなった。熱中症で死んだ子どものニュースも聞いた。
でもわたしは思うのだ。死んだのがあの女の子だったとしても、きっとあの子は生まれ変わってどこかで突っ立っているんじゃないかと。
生まれ変わった裏切り者にちゃんと赦してもらうのを、待ち続けているんじゃないかと。
こんな体がとろけそうに暑い日には、ことのほかそう思うのだ。(了)