GPS-GPF編 第9章 フランス大会 第1幕
朝の6時半ともなると周囲も忙しくなってくるようで、早く朝食を食べて飛行場へ急ぐ国もあれば、もう競技を終えて自国に戻る人々もいる。
俺は医務室から自室までの廊下を歩きながら、人とすれ違う度に不思議な感覚に襲われていた。
なんて表現すればいいんだろう。
カメラの流し撮り?
違うな、超速で走る新幹線?
すれ違う瞬間に、相手が超速で消える。
別にいなくなるわけでは無くて、後ろを振り向けばその人は歩いている。
その光景を見た眼は結構疲れるもので、プラス自分の部屋で忘れ物がないかどうか確認しようにも、吐き気は収まったものの眼の焦点が合わずモノが2重に見えたり3重に見えたりしているのだから作業が進むはずがない。
まだ目眩が完全に治っていないのか?
一晩以上続く目眩と耳鳴りなんて、あるのか?
数馬の部屋にいくこともできず、離話も難しく、結局連絡がつかなくて数馬から訪ねてもらう羽目になった。聖人さんの制服を汚した点は、昨日のうちに自己修復魔法を使って上衣は綺麗になったと聞いた。
ああ、そこだけは一安心。
だが、やはり目眩は治っておらず、空港への移動時間や空港内での待ち時間、全てがぐるぐる回る目眩と超速新幹線みたいな調子で、俺はまたしても吐き気にも見舞われるようになった。
そしてまた、激しい耳鳴りが俺を襲う。
眼の焦点も合わなくなり、自分自身がふらふらとしているかのような感覚。
飛行場の待合室では吐き気と戦う。
何か三段論法みたい。魔のトライアングルとでもいうべきか。
家族がいる面々はお土産を買いにいったが、俺はお土産を買うような家族もこの世界にはいないので、その辺は気楽に目眩や耳鳴りと一戦を交えていた。
数馬は何やらめぼしいものを探していたようだ。家族がいるのかな、教えてくれないけど。
逍遥は「家族はいることはいるが、要らない」といってお土産を探そうともしない。
聖人さんは「天涯孤独だ」と言いながら、お世話になった伯父さんに、とぶらぶらしていた。
サトルはお母さんではなく、普段会えないお父さんにとお土産を探していた。
みんなの買ったお土産を見てみると、ここはロシアだということで、選んでいるのはマトリョーシカの人形。
なるほど。これぞロシア!という王道のお土産だ。
運を天に任せた飛行機内では、吐き気プラス耳鳴りと戦う。ただでさえ、高度高く飛行するのだから(1万メートル?)三半規管は陸と同じにはならないだろうが、俺の場合は耳鳴りがキーンキーンザザザーっと雪崩の如く音を為し、息つく暇もない。
早く目的地の空港に着かないかと必死にこらえる俺の背中を、隣に座った数馬がさすってくれる。
本当に優しくて気が利く、最高のパートナーだと思う。
生徒会役員はかなり俺のことを心配していた。
というのも、当日の調子が悪ければ競技を辞退しなければいけないからだ。
いや、全員が全員、そのことだけを考えていたわけでは無くて、純粋に俺の身体を心配してくれた人もいると思う。
わかってる、譲司、サトル。
全体を見てこその生徒会なんだ、特段俺に気を遣うことは無い。
亜里沙や明はこの便に乗ってなかったし、そもそも昨日の祝勝会に顔を出していなかったから、俺のことは知らされてないだろう。知ってどうなるわけでもないし。
ようやく地獄の直行3時間半が過ぎ、俺はパリの空港、地上に降り立った。
降り立った途端、また目眩で眼の焦点が合わなくなる。
でも、慣れたのか症状が和らいだのか、ぐるぐる回って立っていられないような最悪の状況は避けられた。
フランスと言えば、俺が知る限りでは、日本人が旅行したがる国の上位にランク付けされている。パリはその中でも最上位に入るのではないかと思う。
フランス北部にあるフランスの首都、パリ。フランス最大の都市であり、政治、経済、文化などの中心でもある。行政上では、ルーヴル美術館を含む1区を中心に、時計回りに20の行政区が並び、エスカルゴと形容されるという。
観光地も他の世界都市に引けをとらない。
エッフェル塔や凱旋門、ルーブル美術館、ノートルダム大聖堂、ベルサイユ宮殿、北部のモンマルトルに位置する寺院、ちょっと離れるが世界遺産のモン・サン・ミシェル等々、見どころ満載だ。
でも、今の俺に観光など絶対に無理で、観光に行きたいと思う気持ちはほんの僅かに心の中にあるんだが、いかんせん身体がこうでは、行く意味がないし行く気力もこれっぽちも残ってやしない。
すると驚いたことに、空港に亜里沙と明が着ていた。
「大丈夫?耳でも悪くしたのかしら」
亜里沙が言えば、明も万が一吐いた時のために俺が準備していたビニール袋を見ながらふうっと息を吐きだし、俺の背をさする。
「こっちにいる間に大きな病院で見てもらったらどう?」
「うーん、明日から練習に入らないと」
「身体が資本なのは前にも言ったと思うけど」
・・・言われたっけ?・・・
まあ、ここで言った言わないの話をしても双方に良いことはない。俺は今、何の病気でどうすれば症状が無くなるか、それさえ教えてもらえればいい。
亜里沙と明は用があると言って空港で俺を置き去りにして消えていった。
嘘つきだな、亜里沙。
何が3人で行きましょう、だ。
どこの国でもずっと一緒にいた試しがない。
俺たち日本選手団はまず、パリ市内のホリディ・イン・パリ系列のホテルに向かった。
南園さんに言わせると、ここ、パリでは独立したお洒落なホテルが多く、系列店を持つホテルは珍しいのだとか。
この世界でそうなのか、リアル世界でも同じようなホテル事情なのかは、俺には知る由もない。
ここのホテルは、なんかこう、殺風景な感じがする。
いや、殺風景という言い方では悪いな。部屋の中はそれなりにシンプルで使いやすい。シンプルイズベスト、ってやつだ。
俺、フランス語は聞く方も喋る方もからきしダメ。
もし病院に行くとしても英語で話せるスタッフがいる病院でないと。1人で行くのも心細い。
大きな病院へ行けば、と提案してくれた明はどこかに消えた。
もう、プチパニック状態。
そんなときだった。
ホリディ・イン・パリのロビーで、アメリカ大会でルイと一緒にいたが途中から姿が見えなくなったリュカがホテル内を歩いているのを目撃した。
見間違いではない、俺は人の顔を覚えるのも早いし、忘れないという特技も持っている。
リュカの姿が、天から罪深きこの世界に遣わされた天使だとしか思えなかった。
俺は目眩も忘れ猛進してリュカを追いかけ、後ろから声をかけて相手が歩くスピードを緩めたところで前に回った。
「俺、カイト、タコ、覚えてる?」
リュカは少し思い出せないでいたようだが、俺が大きい凧のジェスチャーを交えて話しかけると、ようやく思い出してくれた。
「オウ、タコ」
そこに聖人さんが1人で顔を出した。
逍遥はいない。あいつ、また一人で最初にホテルのチェックイン済ませて透視してやがるな。
逍遥の悪趣味のひとつだ。
そこで初めて聞いたのか前に聞いたのか忘れたけど、聖人さんは英語の他に、片言程度なら5か国くらいの言葉がわかるのだそうだ。
なんでかって、演習で他国に行った時怪我をしたら現地の病院に行かなくてはならないから。この話は前にも言ったことがあるような気がするが、気にしないでスルーしてくれ。
俺が日本語以外話せないと知っている聖人さんは、リュカと、片言のフランス語と日本語、そして英語で意思の疎通を図っていた。
その場には本当を言えば数馬もいたんだが、数馬は英語が苦手らしかった。
「数馬、お前英語ダメなのか?放浪中困ったろうに」
聖人さんは何の気なしに言ったつもりだったようだが、聖人さんに見えないように数馬が舌打ちしたのが俺には聞こえた。
あれ、目の前に出ると緊張するんじゃなかったのか?
舌打ちと緊張は対極にあるような気がするんだけど。
その後数馬は生徒会に行くと言って姿を消した。
数馬、病院へ付き合ってくれないのか?
それでも俺のことを心配した聖人さんは、リュカに何やら頼み込んでいる。英語で話してる内容を聞くと、どうやら俺を病院に連れて行きたい、と言ってるようだった。
リュカは初め乗り気ではなかったようだが、何度も聖人さんが頭を下げることに日本らしさを感じ(聖人さん曰く、そういうことらしい)俺たちを助けてくれることにしたそうだ。
リュカの紹介で、俺はフランスの選手たちが御用達にしている病院を紹介してもらうことができた。ここは禁止薬物を徹底的に知らべていて、ここで診療している限りは、禁止薬物など処方されることがないという。
リュカと聖人さんが付いて来て通訳を務めてくれた。
綺麗な白髪頭のドクターは俺の話を丁寧に聞いてくれたが、病状については首を捻るばかりだった。
もしかして、原因不明?
俺は覚悟を決めた。
そうだよ、これからそういう症状が出なきゃいいんだ。
目眩さえ出なきゃ、それでいい。目眩止めの薬出してくれ。
俺の覚悟がドクターに伝わったのか、ドクターは俺の方を向いて座り直した。
「症状からするに当てはまる病気がわかりかねますが、一番近いのは“メニエール病”かもしれません」
リュカと聖人さんの通訳で俺は医師の言葉を知る。
「メニエール病?」
「やはり目眩や吐き気、耳鳴りなどが頻発する病気ですが、今お話を聞く限りではまだ確定診断は出来かねるのです」
「そうですか」
「また調子が悪くなったらきてください」
医師は目眩に効くくすりと吐き気止めを処方してくれた。院内処方の病院なので、日本のようにわざわざ薬局を探す必要もない。病院から出た俺は、リュカと聖人さんにお礼を言った。
「わざわざありがとう」
リュカは眉毛を八の字にしながら片言で
「タコ、シンパイ。デモ、ココノドクター、シンヨウデキル」
聖人さんも俺を励ましてくれた。
「確定診断は出せないらしいけど、何かあったらここに来ればいい。それだけでも安心だ。リュカにお礼だな」
俺はもう一度、リュカに頭を下げた。
「忙しいのに、ごめん」
するとリュカは、目に涙を溜めた。
「イソガシイ、ボク、ナイ。プレー、ダメ」
俺は慌ててリュカの肩を抱く。
「どうして?」
「キンシ、ヤクブツ、デタ」
俺も聖人さんも、一瞬言葉が出なかった。何と返答すればいいのか迷ったから。
ここは直球勝負で聞くしかない。
「禁止薬物、飲んだの?」
「ノンデナイ、ナノニ、デタ」
リュカは涙をハンカチで拭きながら必死に訴える。
「クロード、ボク、キライ」
聖人さんがリュカの真意を確認する。
「クロードがリュカを嫌いなのか?」
うんうんとリュカは頷き、またハンカチで涙を拭く。
聖人さんが何とも言葉を発しきれずに溜息をついた。
「おい、海斗。こりゃもしかしたらクロードがリュカを嵌めたんじゃないのか」
「そういえば、ルイもクロードとは一緒にいないな。怒ってる感じで」
「ルイ、シッテル。デモ、ナニモデキナイ」
「スポーツ調停委員会に申し立てしたらどうだ」
「ナニ、ソレ」
「冤罪を調べてくれるところだよ。パリにも支部があるはずだ」
リュカはしばらく身じろぎ一つしないで考え込んでいたが、決心が固まったのだろう。俺たちに対し作り笑いの笑顔を見せた。
「ヤッテミル」
「おう、冤罪は晴らさなきゃな」
「俺たちも陰ながら応援してるから」
「パリ、スリオオイ、キヲツケテ」
リュカと病院の前で別れ、俺と聖人さんは歩いてホテルに向かった。
どうやら、パリも安心安全な街ではないらしい。でも今は聖人さんが隣にいるから何かあったとしても俺は守ってもらえる。
俺の目眩は薬が効いたのかほとんど感じられなくなっていた。
2人だけで歩くのは本当に久しぶりで、“俺はもうお前と行動を共にしない”という走り書きのメモを見てからは初めてだった。
「聖人さん、逍遥の方はどう?」
「変わんねーよ」
「じゃ、フランス大会も1位狙いで行くんだね」
「山桜との約束だからな。絶対に1位でGPS通過させてみせる。近頃やっと真面に練習するようになった、サポーターも大変よ」
「そうだね」
俺は、ちょっと作り笑いになってしまった。こうやって2人で歩くと、聖人さんに指導してもらったときの、あの、何もかも包み込んでくれる安心感が俺の心に流れ込んでくる。
何か、他のことを話さなければ。
「リュカ、うまくいけばいいけど」
「実際には冤罪が晴れないことが多いけど、自分はやってないという意見を述べる機会にもなり得るからな」
「万が一冤罪が証明されたとして、今からだと、世界選手権に間に合うの?」
「今年度は無理だろうな。あいつ1年っぽいから来年のためにも、今動くべきだと思う」
「そうか・・・」
俺はすぐに五月七日さんのことを思い出した。
国分くんを陥れ、南園さんまで狙い、紅薔薇1年を壊す寸前までいった薬物投与。
自分ファーストの権化であり、サイコパスであった彼女。
みんな、殺人事件とかに当てはめてサイコパスっていうけど、俺は違うと思ってる。
サイコパスは情けなど持ち合わせない究極の自分ファースト人間。周りを巻き込み自分だけが輝けばいいという心の持ち主。もちろん、そういった人が殺人を犯せばそれがサイコパスの起こした殺人事件になるだけ。
確か、昔大阪の方で小学校襲撃した事件もあれば、東京の有名処の歩行者天国に車で突っ込み次々と歩行者を刃物で刺した事件。近頃じゃ、障害者はゴミだといいながら施設を襲撃し30名近くの死傷者を出した事件。自殺願望者の願いを叶えるとかほざいて9人殺した事件。
でも、なんかサイコパスから遠のいてるように思うのは俺だけなんだろうか。歩行者天国の事件は親との確執が生んだ痛ましい事件だと解釈しているんだけど・・・。
施設襲撃事件は・・・わからない。逮捕され起訴された今も持論を曲げず曲解しているといわれている。
9人殺した事件に至っては、あれはただの強盗殺人だ。
ああ、しまった、またやった。俺はサイコパスの話をしたいんじゃない。
俺の周りには普通の人間が少ないような気がする。一番普通なのが譲司じゃないかと思う。と言いたかったんだ。
これという会話もなく喧噪に包まれたパリの街を歩きながら、俺と聖人さんはホテルの前に着いた。
ここは俺の方から、離れる言葉を見つけなくては。
「聖人さん、今日はありがとう。もうよくなったから、明日からの練習はできると思う。逍遥にもよろしく伝えておいて」
「おう、無理すんなよ」
「じゃあね」
俺たちはホテルに入る前に別れ、最初に聖人さんがフロントで自室のカードをもらっていた。
その間俺はロビーに佇み、聖人さんがフロントを離れるのを待つ。
なんだろう、心に空いた穴?一種の無力感?
聖人さんの指導を仰ぎたいと願ったあの時にタイムスリップしていくような孤独感。
数馬は本当にいいやつで俺へのサポートも十分すぎるくらいだけど、どうしてか聖人さんへの思慕は変わることがなかったと、今あらためて気づかされたのだった。
逍遥が1人立ちしたとしても、聖人さんは一番に逍遥のことを心配するだろう。亜里沙や明が俺のことを心配してくれるように。
俺は永遠に、聖人さんの一番にはなり得ない。
聖人さんの影がどこからも見えなくなってから、俺もフロントに立ち寄り部屋のカードをもらい、聖人さんと俺の関係性を考えながらまた下を向いて歩く。
この場合、俺はまずフランス大会に出られるかを心配し、チームドクターの診断を仰がなければならぬと言うのに。
「海斗、海斗ったら」
突然誰かの声が聞こえ、声の主がどこにいるかわからず、俺はキョロキョロと周囲を見回す。
「前に僕もそういう時あったね。あの時は海斗が離話で励ましてくれた。今度は僕が励ます番だから」
離話だった。相手はサトル。
「おはよう、サトル。元気にしてた?」
「魔法大会がこんなに忙しいとは思っても見なかったよ。書記を増やさなくちゃダメだ」
「だから絢人が入って、他のサポーターも役員に準ずる扱いに変わったんだろ?」
「それでもサポーターの役割と生徒会の役割は全然違うからね。無くなったのはドローン飛ばす策戦会議くらい」
「疲れるか?」
「いや、僕は充実してるからさほど疲れは感じない。選手として出てる南園さんとか、すんごい大変に見える」
「無理しないように、南園さんに言ってくれよな」
「無理って言えば、君はどうなの。ここまでの移動中大変そうだった」
「こっちの医者に診てもらったんだ。メニエール病かもしれない、って言ってた」
「メニエール病?」
「目眩とか耳鳴りとか吐き気とか、そんな症状の病気らしいけど」
「今も症状あるの?」
「いや、もうないな」
「メニエール病って厄介な病気らしいから気を付けないと。繰り返すと慢性化するんじゃなかった?」
「そうなのか、でもなあ、これから症状出ます!って出てくるモンでもないし、俺の場合原因不明だし」
「ストレスとかも原因になり得るらしいよ。何か悩み事あるんじゃないの」
「いや、特には」
「嘘でしょ。逍遥と宮城先輩のことでだいぶ悩んだ風だった、って絢人が洩らしてた」
絢人め、余計なことを・・・。
「ほんとに、今は何も。試合で順位が上がらないのが目下の悩みさ」
「大前数馬だっけ。サポーター。どう?」
「すごくいいよ」
「順位上がってないのに?」
「それは俺が悪いんで。悩みも聞いてくれるし、ストレッチもマッサージも全部お任せ状態」
「何か変なことあったら逍遥や宮城先輩に相談しなよ、向こうに行きづらいなら僕のとこに来ればいい」
「ホントに大丈夫だから、心配要らないよ」
数馬を知らないからみんな渋ちんだけど、本当の数馬を知れば絶対に賞賛に値する人間だから!沢渡元会長が太鼓判押してたんだから!
実を言えばね、こないだのロシアでのプチ祝勝会で生徒会から皆に対し正式に紹介してもらおうと思っていたんだけど、順位も順位だったし、俺が具合悪くなったから生徒会に頼むことができなかったんだ。
フランス大会が終わったらまた祝勝会とかやるんだろうから、その時に生徒会に申し出て数馬をみんなに紹介しよう。そのためにも、今度の大会は攻めに行く!




