魔法W杯 全日本編 第18章
翌朝。
俺はいつもより2時間も早く目が覚めた。
やはり、緊張感が身体を支配し、寝こそねたか。
今日は午前中に宿舎に移動し会場を見学することになっている。
ああ、ついにここまで来たか。
とても不思議な感覚に包まれていた。
誰よりも緊張していることに変わりはないのだが、それ以上に、何かがこの大会で起こるような、そんな強烈なインスピレーション。
会場の場所は地図を見てある程度わかっているのだが、1人でいくのもつまらん。迷子になったら恥ずかしいし。
それというのも、俺はここの世界に来てから寮と学校の往復のみで、それ以外の場所には行ったことがない。
あーあ、亜里沙か明でも迎えにきてくれればいいのに。
そしたら、緊張の度も少しは抑えられるかもしれないともじもじしてくる。
宿舎で皆と落ち合うのが午前9時。
今は、まだ6時。
え?いつも8時に起きて学校間に合うのかって?
大丈夫だよ、歩いて5分、走れば3分だから。
いや、今は3分の話をしているんじゃない。
俺が緊張していて早起きをしたという話がしたいんだ。
とにかく、今から二度寝したら遅刻は免れないと思う。仕方なく、もう起きることにした。
魔法W杯に出場する関係者には、紅薔薇高校とわかるユニフォームが配られる。
ごく薄い藍色をベースにした水浅葱の若干丈の短いノーカラーのジャケットの胸と両腕に、紅い薔薇の花束が模された上着と白のパンツ形式のユニフォームは、一目で紅薔薇高校とわかる。女子も同じく膝が絞られたパンツ形式のユニフォームだ。
俺は普段泉沢学院の制服を着ていたから、ものすごく周囲から浮いていた。泉沢学院は今どき珍しい濃紺の学ラン。
それに対し、紅薔薇高校の制服は、男子はユニフォームと同じ水浅葱のブレザータイプで、テーラードカラーには1本、生成り色のラインが入っている。
そして腕に紅色で薔薇の刺繍がしてある。刺繍は科によって薔薇の数が違う。普通科は一輪、魔法技術科は二輪、魔法科は花束タイプの刺繍というふうに。パンツは生成り色でちょっと細身、膝を絞っているのだと思う。
女子の制服はショールカラーのボレロタイプで、腕の刺繍は男子と同じ。生成り色の半袖ワンピースの上にボレロを羽織っている。とても可愛い制服だ。
皆と違う制服で通っているときは、なんかこう、違和感バリバリで、すぐにジャージに着替えていたくらいだ。
だから、皆と同じ格好で集まれると思うと、少し安心感があった。
ないかな、そういうこと。
皆と同じ格好なら安心、違う格好なら不安。
全員同じ方向を向いていれば安心、1人だけ違うと不安。
個性を大事にしない日本人ならではの悩みだと思うんだが、かなりの確率で、そういった悩みを持っている人は多いと思う。俺だってそうだもん。
それはさておき、真新しいユニフォームに袖を通した俺は、思わず洗面所に行って自分が似合っているかどうか鏡を眺める。
初めてだからね、水浅葱の洋服を着るのは。
うん、自分で言うのも何だが、似合ってる。
寮の部屋の前には寮生の名前が貼られているんだが、亜里沙や明の名前を探しても見つからなかった。もしかしたら、別の寮があるんだろうか。今日もゆっくり各部屋の前を通り過ぎながら探したが、やはり名前は無かった。
そうそう。
こちらの世界にはスマホが無い。携帯電話そのものがない。
スマホに慣れた俺にとって、これは痛手だった。スマホがあれば、すぐに亜里沙たちに連絡ができるのに。
2時間もの間、そんな競技とは全然関係のないことばかり考えていて、いくらか動揺は収まったかに思われた。
そこに、ひょっこりと顔を見せたのが私服姿の四月一日くんだった。
「おはよう、早いね」
俺はこんな朝早くからユニフォームを着ていることが恥ずかしくて、正直に眠れなかったことを話した。
「昨日何となく眠れなくて。今日はいつもより早起きしちゃったんだ」
「それ、わかる。何を隠そう、僕も何回も目が覚めたから、もう起きちゃった」
ちょっと驚き。あんなに冷静な四月一日くんでも、緊張することがあるんだ。
二人でくすくすと笑いあう。
「たぶん皆、緊張していると思うよ。じゃあ、僕もユニフォームに着替えるから少し待ってて。談話室で会おう、あ、自分用のドリンクだけは持ってね」
「わかった」
一旦自分の部屋に戻り、ドリンクを準備する。岩泉くんからもらったドリンクは全部処分した。
薬物検査で、何もないと良いけど・・・。
そんなことを考えながら、寮の中ほどにある談話室に向かう俺。
寮の中は、ひっそりと静まり返っていた。
談話室でぼーっとしていた俺の前に、四月一日くんと絢人が顔を出した。
「お疲れ、八朔くん。今日は3人で会場まで行こうか。と、その前に、ショットガン、できたよ」
「おはよう、絢人。ショットガンありがとう。昨夜もデバイス調整やらで忙しかったんじゃないの?」
「まあね、日が変わるくらいまでやってた。やっと終わって戻って来たけど、なかなか寝付けなくて」
「亜里沙や明は?」
「あの二人はもう少し頑張ってた」
「亜里沙たちの部屋はここにないの?」
絢人は少し考えているようだった。
なぜ?
「2人は別の寮に移ったんだ。こちらは魔法科の人が多いから」
「ここ以外にも寮があるんだ」
「うん、魔法技術科の人が多いところもあるし、普通科の生徒が多い寮もあるよ」
俺は絢人の答えに、妙に納得していた。
「それで近頃会ってないんだ」
「たぶんね」
俺たちの会話を聞きながら、四月一日くんが自分の時計を見ている。
「そろそろ出かけよう。速い分に損はしないだろうから」
国分くんのことを思い出す。
「国分くんは寮生なの?」
四月一日くんがさささと手を振る。
「彼は自宅組。9時に宿舎で待ち合わせだ。行こうか」
俺たち3人は、連れ立って寮を出た。
寮と学校往復の道しか知らないので、前を歩く2人についていく。
会場までどのくらい歩くかも聞いていない。
ま、歩くというなら、1時間も2時間も歩きはしないだろう。
寮から宿舎と会場までだし。
きょろきょろ周りを見ながら歩く俺。おっと、あまり周りばかり見すぎていると、二人に置いて行かれてしまう。
周りの観察もほどほどに、俺は速力を早めたのだった。
20分、いや、30分くらい歩いただろうか。
魔法W杯紅薔薇高校関係者用宿舎が見えてきた。
宿舎は、横浜市内のホテルを借り切って各高校に与えられている。他にも、観光客が魔法W杯を見に来るので、この時期の横浜市内は、ホテルが足りなくなる。魔法W杯関係者が優先されるので、観光客は東京辺りに宿を取り、電車を使い会場まで足を運ぶのだという。
とあるホテルの前で、四月一日くんと絢人は足を止めた。
【魔法W杯全日本高校選手権 紅薔薇高校様用宿舎】と掲示がある。20階建てほどのホテル。
エントランスに入ると、小奇麗なインテリアが目を惹く、上品そうなホテルだ。
四月一日くんが俺の方を振り向いた。
「入ろうか。少し早いけど、ロビーで待たせてもらおう」
ホテルに足を踏み入れた途端、緊張感が増す。
「あ、うん」
そういったきり、何も言葉が見つからない。
その様子を見た絢人は、俺が緊張しているのを見て取ったらしい。
「大丈夫、1年生は皆、緊張してるから。君だけじゃない」
フォローになってないよ、絢人。
四月一日くんはさっさとフロントに行き、待っていられる場所を確認してきた。やはりロビーの椅子で待たせてもらうことになった。
まだ時計の針は7時半を回ったところ。
時間的には、かなり余裕がある。
俺の心もこのくらい余裕があったらいいのに。
絢人のいうとおり、各学校の1年生16チームの代表及び補欠、サポーターは総勢200人ほど。3学年で600人、大会関係者が100~200人としても、1,000人近い人間が横浜に集結することになる。
そのうちの1年生200人全員が俺のように緊張するわけではないだろうが、やはり初めての試合というのは大きい。
俺は自分の持ってきたドリンクを少しずつ口にして、心の逸りを抑えようと必死だった。