世界選手権-世界選手権新人戦 第17章
10分のインターバルしか取れない俺にとって、このバングルの刺激だけが頼りとなる。2秒の間はほとんど覚えているが、正確な時を刻むこのバングルは外せない。
世界選手権新人戦決勝ラウンドが、いよいよ始まろうとしていた。
名前がコールされ、俺は前に一歩出てギャラリーに頭を下げた。
あ、ギャラリーに数馬と聖人さん、亜里沙と明がいるのがはっきりとわかる。
緊張しながらも周囲を認識できるのはいいことだと自分に言い聞かせる。
ブザーが鳴り、俺は所定の円に入って姿勢を決め、微調整する。するすると最初の的が出てきた。
「On your mark.」
「Get it – Set」
号砲が場内に鳴り響き、俺は的めがけて、軽く握った右手人さし指デバイスで第1の矢を放った。2秒おきに感じるバングルのピリッとする刺激を受け、その瞬間に第2の矢、第3の矢と撃ち、続けざまにど真ん中へと矢は突き刺さる。
何も問題はない。
序盤から、もう少し時間を短くできないかと思案していたが、バングルの刺激で2秒という時間の流れというか、間を感覚的に理解できていたので、刺激がする直前に矢を放つ方法に切り替えるかの判断に迫られた。これはかなりの冒険だった。もしテンポが少しでもずれたら、的へ当たるかどうかも含めて総崩れになる恐れだってある。
でも、今のままでは「てっぺん」はとれない。
俺は思い切ってテンポを速める策戦に出た。自分の判断を信じる、それが策戦替えの根拠。
速くすると言っても、2秒弱で撃つだけだからそんなに記録を狙えないかもしれない。でも、ズシンと右腕にかかる圧でも時間は計れる。
俺が射的するテンポは次第に速くなり、確実に2秒を切っていた。
それでも的に正確に突き刺さる矢。
よし、このまま最後まで突っ走る。
姿勢に変化はない。右腕の疲れも感じない。気力は充実している。走ることで下半身を鍛えたのが功を奏したのか、上半身のブレもない。体力的にも限界値には至っていない。
『バルトガンショット』で経験した「ゾーン」とはまた違った感覚で、時間を正確に読み取りテンポよく発射することが一番大切な気がして、俺の感覚は忠実に従った。
矢が的に当たり直ぐ別の的が出てきてまた矢が当たるというルーティンの中で、俺の心の中では只管速さと正確性に拘り、GPFの順位よりも絶対に順位を上げてメダルを取りホームズに見せるんだと言う強い意志が貫かれていた。
射的終了の号砲が鳴り響く。
思ったよりも早く演武が終わった。
これがどういうことを意味するのか、理解するまでに相当の時間を要した。
俺は大きく肩で息をしなければならない程、疲れ切っていた。射的中は疲れていないと思っていたが、なんのなんの、アドレナリンが出まくって疲れを感じなかっただけだ。
電光掲示板とアナウンスによる結果の発表まで、かなり時間を要しているように思われる。
果たして、演武そのものが無効ではないだろうな。
そんな心配も頭の中を駆け巡り、ちょっと不安になる。
俺は疲れて上がらなくなった右腕の上腕二頭筋や、立ち位置を変えずに攣りそうになった両足のふくらはぎをさすりながら結果が出るのを待ち続けた。
「ただいまの結果」
アナウンスが始まった。
0か100か。
白か黒か。
「ただいまの記録 3分5秒25 100枚 3分5秒25 100枚」
よっしゃーーーーーーっ!!!
自己新記録達成!!
思わずガッツポーズしたくなったが、数馬の言葉を思い出し踏みとどまった。
でも惜っしいなー。3分の壁を切るところまであと少しだった。ま、その5秒余りがなかなか埋まらない時間ではあるんだけど。
でも、自分では最高の演武だったと思うし、これでメダル圏外だったとしても悔いはない。ホームズに直ぐにメダルを見せたかったけど、俺がどの位置にいるのか、まだまだわからないから。
この大記録にギャラリーは総立ちになり歓声がアリーナ場内に響き、木霊する。
一度前に進み出て、手を振ってそれに答えた俺にもう一度大きな声援と拍手が送られた。
俺にとっては大満足の演武だった。
次の選手はギャラリーの興奮冷めやらない様子に調子を崩してしまったのか、6分台という平凡な記録で終わってしまった。
こう、物足りなさのする感じをギャラリーも嗅ぎ取っているのか、3番手、4番手の選手に送られる拍手の大きさが違うような気がする。どちらも5分台半ばで推移してるんだが。
さて、次は俺の目当て、5番のワンの演武が始まろうとしていた。
一度廊下に出てストレッチをしていた俺だったが、名前のコールとともに、もう一度試合場に入り空いているギャラリー席を探してやっと座った。ギャラリーの人数も相当なものだ。
ワンの演武は、俺とは違ってパワー型の戦法。どちらかと言えば逍遥のそれに近い。
どんな姿勢だろうが的に的確に当てていく技術は相当な練習量を感じさせたが、それよりも才能に通じる部分がかなりのウェイトを占めているような気がする。
次々と的に的中させていくと、ギャラリーも盛り上がってくる。野次、声援、様々なものがアリーナ中央へと寄せられる。
自分の時もそうだったのかと俺は少し驚いた。俺にはまったく聞こえていなかったのだ。やっぱり、緊張してたんだなと笑ってしまった。
瞬く間に、とでもいうべきか。
演武が終了した。
ワンは冷静沈着な男だと常々思っていたが、その際もにこりともせずガッツポーズなどするわけもなく、俺は苦笑するしかなかった。
記録がアナウンスされる。
「ただいまの記録 3分10秒00 100枚 3分10秒00 100枚」
またしてもどよめきがギャラリー席から沸き起こる。
そのどよめきは、自然と大きな拍手に変わった。
やはり、この男はただモノじゃない。
7番手として南園さんの名前がコールされた。
所定の円の中に入り準備をする南園さんに対して、ギャラリー席は演武前から大盛り上がりだった。
老若男女問わず人気があるなあ、南園さんは。
上品な佇まいの中から生まれる力強い演武に対し、あちこちから応援の声が上がる。
女子としてはかなり魔法力のある南園さんの演武は、応援の声に呼応するように鋭いものとなっていった。
演武が終了した。
記録は、4分50秒55 100枚。男子顔負けの数字にまた歓声が上がり、南園さんはギャラリー席にの四方に手を振りながら、眩しい笑顔でそれに答えた。
中3人を挟んで、逍遥の演武が始まった。
ワンと同じパワー型の魔法力。
ただし、実力では逍遥の方が勝っていると言わなければならないだろう。どんな姿勢でも的がどこにあろうとも、パンチを効かせた人さし指デバイスは逃すことなく滑らかに動いていく。
もしかしたら、俺の記録は破られるかもしれない。
でも、逍遥に破られるならそれはそれで仕方あるまい。
こんなに素晴らしい魔法力の持ち主は、早々お目にかかれない。俺にとっての目標でもあるのだから。
爆発的なテンポで的を射抜き続ける逍遥。
まったく、惚れ惚れしてしまう。
もっと長く見ていたい気もするが、3分もかからないで演武は終わってしまうかもしれない。
そう思っている間に、号砲が鳴った。
思っていた通り、逍遥の演武はさして時間もかけずして終わってしまった。
アナウンスを待つ会場では、ひそひそと話す声だけがあちらこちらで聴こえる。
あまりにも速く終了した演武に、皆が驚きを隠せないでいるらしい。
俺もその一人であることは確かだった。
女性の声でアナウンスが始まった。
「ただいまの記録 3分5秒25 100枚 3分5秒25 100枚」
なんと、俺と同じ記録が出た!
俺が早かったのか、逍遥が記録を出し損ねたのかは知らない。
でも、俺の記録が逍遥のそれと並ぶ日が来るなんて、思いもしなかった。
またもや場内はどよめきに包まれたが、すぐに歓声が上がった。俺と同じ記録であることを褒める人もいれば、ダントツで1位になって欲しかった人もいるようで、拍手と野次が入り混じったギャラリー席。
逍遥自身はそんなこと全然考えて無いようで、一度皆の前に顔を出しさっと手を振ると、すぐに引っ込み廊下へと消えていった。
場内はまだ熱狂の渦が満ちていて、11番から13番までの選手は皆5分台後半に沈んだ。
おおっ、と歓声が上がり名前がコールされたのはスペインのホセ、GPFの優勝者だ。
ホセもどちらかと言えばパワー型の魔法師。
予選ラウンドを1位で通過している強敵だ。
だが、決勝ラウンドでのホセは少し元気がなかった。午前中に飛ばし過ぎたのかもしれない。結局4分30秒00の記録で演武を終えた。
次、15番目に登場したのがサトルだ。
他人の演武はほとんどみていなかったらしく、名前がコールされると慌てて所定の位置に走っていく。
大丈夫か、少し緊張してるな、サトル。
でも、目を瞑り集中していたサトルは、号砲とともに目を開いた。
綺麗な姿勢から放たれる矢は一定の方向に進み的を射る。スピードも速い。
俺としてはサトルの演武が大好きで、サトルを真似して数馬に怒られたこともあるが、そんなの右耳から入って左耳に抜けていくほど、サトルの姿勢には憧れている。
最後まで姿勢を崩すことなく的を射抜いたサトル。
周囲が騒ぐ中、アナウンスの声を俺は待っていた。
「ただいまの記録 3分40秒15 100枚 3分40秒15 100枚」
すげえ、国際大会はこれが初めてなはずなのに、何という鍛練。
もう、蚤の心臓なんて言わせない何かがサトルを導いているように感じられた。
アメリカのサラは、いい線いってたのに途中で的を外してからガタガタになり、途中棄権という不名誉な記録が残ってしまった。
GPF2位のカナダ、アルベール。
やはり底力の持ち主であり、3分50秒40でホセを追い抜いた。
イングランドのアンドリューは4分50秒35、ドイツのアーデルベルトは4分40秒10で演武を終えた。
その後、イングランドのアンドリューとドイツのアーデルベルトが渋い顔をしながら英語で話しているのが聴こえてきた。
要約すると、日本人チームは地の利があるから3人とも3分台で演武を終えたのだと。
自分達だって、欧州で大会が開かれれば3分台を出すことが十分可能だと。
自分の演武を終えて俺の近くにきたサトルは恥ずかしそうに「そうかもしれない」なんて自信なさげに言ってるけど、逍遥は顔を歪めて苛立ちを隠さない。
「負け惜しみしか言えないやつに未来はないね」
「まあまあ、そんなこというなよ、逍遥」
「だってさ、海斗。僕たちだって欧米回ってああいう成績出したんだから、何も言われる筋合いはないじゃないか」
仰る通りで・・・。
俺は前向きな言葉を用いるようにしてサトルを慰めた。
「彼らが自分の思うような記録が出せなかったのは彼ら自身の問題で、地の利が多少あったとしても、それは順位に影響するモノではないだろ?事実、ワン・チャンホは凄い記録を出してるわけだし、君は普段通りの演武を行ってもあの記録が出ていた。決してまぐれなんかじゃないんだよ」
少し顔色に赤みが戻ってきたサトル。さっきまでは顔色が真っ青と言うか、土気色に変化していたから。
「ありがとう、海斗」
「来年は世界選手権のチームに選ばれて、自分の力を見せつけると良いよ」
そこには、どこか他人事な俺がいた。
試合が全て終わりを迎え、小雨がぱらつく外ではなく、アリーナの中でメダル授与式が行われた。
俺と逍遥はメダリストだったので壇上にあがる。
両名同時金メダルということで、周囲には3位のワン・チャンホ、4位のサトル、5位のアルベール、6位のホセ、7位の南園さんまでが入賞者として記念品を授与されることになった。