世界選手権-世界選手権新人戦 第12章
明日から俺は新人戦のために市内のホテルに缶詰めになる。
だから今日中にホームズを動物病院内のペットホテルにホームズを預ける必要があった。
自転車で移動しなければならない距離なのだが、先輩に自転車貸してくださいとなかなか言い出せず、ちょっと困っていた俺。
そこに、珍しく数馬が顔を出した。自転車に乗りながら。
「数馬!自転車貸して!」
その言葉を遮り数馬は自転車を寮の玄関脇に止めたまま俺の部屋に上がり込み、ホームズに声を掛けた。
「ホームズ。今の今まで済まなかった。もう君を追いかけたり消そうとしたりしない。これからも海斗と一緒にいられるように、もう互いに魔法は終いにしよう。そして、何より食べることが大切だよ。栄養摂って少しでも元気になってくれ」
ホームズはむっくりと猫ベッドから起き上がり、高めの声で数馬に向かって「ニャーン」と2回鳴いた。
まるで、「許してやる」「ありがとな」といったような気がして、俺は優しくホームズの背中を撫でて数馬に礼を言った。
「ありがとう、数馬。前にも言ったけど、ホームズはもう許してると思う。猫の宿命なんだって、これも」
「宿命、か」
「でも、俺はそんなの関係ないしもっともっと一緒に居たいから。な、ホームズ。これからお前もホテル住まいだ。狭くて嫌だろうけど、新人戦終わるまで我慢してくれ」
ホームズはさっきより大きな声で「ニャーン」と鳴く。
「仕方ねえな、お前も許してやるよ」とでも思ってるに違いない。
俺は先輩から借りていた猫バッグにタオルと小さな猫用の毛布を敷き、その上にホームズを寝かせて上から別の猫用毛布をかけてあげると、バッグのファスナーを閉めた。横にあるメッシュの窓からホームズがこちらを覗く。
「ニャ、ニャニャ」
まるで「じゃあな」と数馬に別れを告げているかのようなか細い声。
俺は外に出て深呼吸した。
ホームズ、病院に着くまでしばらく我慢してくれ・
寮の食堂で待っているという数馬に感謝の意を伝えると、俺は数馬の自転車の前カゴにバッグを載せ勢いをやや抑えめにしながらペダルをこぎ始めた。
動物病院兼ペットホテルに着くと、動物の看護師さんが出てきてホームズを抱っこして最初に健康診断をしてからペットホテルに移動すると言われ、俺は健康診断の結果を聞くために病院の待合室で手持無沙汰ながらも待っていた。
「ホームズ君の飼い主の方、こちらへどうぞ」
診察室に呼ばれた俺。
室内は犬や猫に関する本と高めのテーブルが一つ。体重を計ったり注射を施すために設置されている。
ホームズは畏まった顔をしていたが、どうやら注射されるのが怖かったらしい。プルプルと小刻みに足が震え、尻尾は真ん丸に太くなっている。
「怖くないからねー、ちょっとチクッとするだけ」
先生はそういうとホームズには手も触れずに俺の方を見た。
「栄養状態が良くないようですので、これから局部麻酔をかけて点滴します。麻酔は飼い主様のご了解を得ないとできませんので・・・」
栄養状態、やっぱり悪かったんだ。
俺は自分が情けなくなった。
でも、ホームズの前で取り乱しちゃいけない。
「わかりました。これから預かっていただく間、どうぞよろしくお願いします」
ホームズがすっかり固まっているのを見た俺は少しだけ笑って、ホームズを撫でた。
「ほら、怖くないってさ。頑張れよ」
先生と看護師さんに深く頭を下げ、俺は動物病院を出た。
ホームズ、新人戦終わったらすぐに病院行くから待ってて。
数馬の自転車、早く返さなきゃ。
帰りは猛スピードで寮を目指しペダルを漕いだ。
寮に着き玄関先に自転車を置きタイヤをロックすると、俺は走って食堂に入った。
ん?数馬がいない。
どこ行ったんだ、数馬。
廊下にも、外にも数馬の陰は見当たらない。
帰ったのか?
いや、自転車置いて帰るようなやつじゃない。
寮だって自転車ドロのリスクはあるんだから。
俺が辺りを探した限りでは寮にいないように思われたが、一応透視してみることにした。数馬がいるところまで追いかけて自転車を返せばいい。
目を閉じ、数馬の顔を思い浮かべる。
10秒もしないうちに、数馬の顔がぼんやりと浮かんできた。こんなに早く見通せるのだから、やはり近くにいる。
やがて数馬の顔の輪郭がはっきりとわかるまでになった。
あ、数馬の後ろにあるのは魔法科の制服。腕の部分に紅色で花束タイプの薔薇の刺繍が施されているから間違いない。
てことは、まだ寮の中にいるんだ。
はて、誰の部屋にいるんだろう。
俺は数馬の目線を追って透視を続けた。
数馬と向かい合って話している人物がいる。顔は見えないが、後姿はサラサラの髪の人物。
聖人さんじゃん!!
2人で一体何を話してるのか。
たぶん、敵襲に関するトップシークレット。
俺は関わらないと数馬に宣言したし、今聖人さんの部屋に入っても邪魔なだけ。気にならないといえば嘘になるけど、聞くべきでもないと思った。聞けば何らかの事件に巻き込まれそうな気がするから。
この頃、こういう方面の俺の勘は案外当たってたりするんだよ。
数馬がいる場所はわかったし、このまま帰ることもないだろう。聖人さんの部屋から出たら俺のところにくるのはわかってるから、俺は1人で荷造りをしていた。
出発は明日朝9時。
今度の宿は市内国立競技場からほど近い由緒あるホテルだそうで、数多くの魔法大会のサポートをしている関係上、俺たちのような小童にも丁寧に接してくれるという噂だった。
サトルが話してくれたから間違いはないと思う。
その話をしてからはサトルとも顔を合わせていなかった。
世界選手権の応援に行ってたのかどうか、それさえもわからない。
ま、生徒会は部屋に居ながら特別モニターで試合の状況見られるし、わざわざ会場まで足を運ぶ手間をかけなくともいいはずだから会場では見かけなかったのかもしれない。
それにしても、数馬と聖人さんの会話は終わる気配がない。
スマホ時計を見ていないから断言はできないが、少なくともあれから1時間以上は経っていると思う。
それだけ緊迫してる状況なんだろう。
世界選手権決勝ラウンド、『プレースリジット』と『エリミネイトオーラ』の2試合におけるキムの行動も目に余るものだったし。
いつ攻めてくるのか、どのくらいの人数が攻めてくるのか、ターゲットとなる人や場所はどこなのか。
考えただけでも話は止まりそうにないもんな。
サトルや譲司はまだこの話を知らないようだしスパイのことも分かっていないはずだから、俺が下手にサトルたちの前に出て、読心術を使われては困る。
誰かに言いたい気持ちが心の中に渦巻いていたが俺は必死に我慢し、その夜はホームズがいなかったので久しぶりに自分のベッドで大の字になった。
翌朝は7時に目覚めた。
数馬、徹夜して聖人さんと話してたのかな。
隣の部屋を透視すると、聖人さんはベッドで静かに眠っているのが見えた。
あれ?
自転車は?
俺は素早く外出用のジャージに着替えて廊下に出て玄関まで走った。
玄関先に置いたはずの自転車・・・よかったー、まだある。
数馬、たぶん昨夜は遅くまで聖人さんと話し合っていたのだろう、瞬間移動魔法使って魔法技術科寮に帰ったのか。
それなら最初から移動魔法使えばいいのに、と思いながらも昨日は数馬が自転車できてくれたおかげでホームズを病院まで連れて行くことができたので、感謝したかった。
もしかしたら数馬は、ホームズを連れていくことがわかっていたからわざわざ自転車を俺のところに持ってきてくれたのかもしれない。
それにしても、数馬のお父さんの件で宮城家にて聖人さんと対立した時は俺が思わず心配するほど2人とも真剣そのものの戦いをしていたのに、急に仲良くなってないか?
“昔の人は良く言ったもんだ、男は喧嘩して、一戦交えて仲良くなる”
そう、父さんが言ってたのを思い出した。
俺が寮の中に入って廊下を歩いてると、ホント久しぶりにサトルの顔を見た。
心の壁は充分に機能しているはずだが、右手拳を左胸にコンコンと2回当てるとばれてしまうので、「フォース」と念じ魔法を重ね掛けしてから、壁を厚くしてサトルに挨拶した。
「おはよう、サトル。久しぶりだな」
「海斗、おはよう。ほんと、全然会って無かったね。今日は何時にこっち出るの?」
「9時」
「僕は生徒会の仕事あるから8時出発なんだ。まったく、僕は選手でもあるのに人使い荒いよね」
そういって、アハハと周囲に聴こえるような声をたてサトルは笑った。
「サトルは選手なのに、仕事外してもらえなかったの?絢人だっているだろうに」
「ん、まあ、そうなんだけど・・・」
「何、どうかしたの」
「近頃沢渡元会長が絢人に仕事を割り当てないんだ」
「どうしてまた」
「わかんない。嫌ってるようにしか見えなくて」
「沢渡元会長、好き嫌いをはっきりさせる人には見えないけどな。それに今の会長は光里先輩だろ。沢渡元会長が口出したらそれこそ越権行為じゃないか」
「光里会長は沢渡元会長に逆らわない。まるで上意下達が残ってるみたいに」
「なーんだ、やっと少し進んだ学校生活になるかなと思ったのに」
「しっ、海斗。先輩方に聞かれたら厄介なことこの上ない」
それもそうか。
絢人のことは少し心配だったけど生徒会の役員でもない俺が口を挟むことはできない。
でも、それなら生徒会役員から外せば済む話だよな。
入間川先輩や六月一日先輩がそうされたように。
なんで宙ぶらりんにしてるんだろう。
よくわかんない。
正直、あまりいい気持ちはしなかった。
サトルと別れて自分の部屋に戻ると、コンコン、と荒目にドアをノックする音が聴こえた。この荒さは逍遥しかいない。
「はーい」
といいながらドアを開けると、逍遥が「ぬっ」と顔を出した。いや、身体ごと部屋に突進したと言ってもいい。
さすがのことに驚いて、俺は一歩後ずさりして部屋の中に押し戻された。
「おはよう、逍遥。どうしたんだよ、朝から」
「今日は一緒に行こう」
「聖人さんは?一緒に行かないの?」
「聖人は自由行動するってさ。そっちのサポーター殿も同じだろ」
「数馬も・・・だな。自由行動みたいなもんだ。今日の朝もジョギングしてないし」
「今晩からは宿が一緒な分、君は楽できるんじゃない。一々魔法使わなくて済むし」
「そうとも言える」
「海斗、知ってる?魔法使い過ぎると体力消耗するよ。だからみんな瞬間移動しないで地道な移動方法採ってんだから」
え。そうなの。
俺、誰からかそんなの教えてもらってたっけ。
ホームズが魔法の使い過ぎで身体に疲労が蓄積して今の状態になったのはドクターから聞いたけど。
逍遥は下を向きながら「はあ」と大きなため息を吐く。
なんだなんだ。
どうした。
「海斗、君相変わらず間抜けてる。ホームズの話聞いた時に人間も同じだと理解しなくちゃ」
「そうなの?」
「決まってるでしょうが。君がこっちに来て飛行魔法覚えたばかりの頃国分くんの家に行ったことがあるよね」
「あった。1回目は飛行魔法使ったけど、2回目は電車で行った。瀬戸さんがいたからだとばかり思ってたけど」
「まさか。彼女が飛行魔法苦手なのもあるけど、君の身体に疲労が蓄積して魔法使えないと困るから、ってのが第一の理由だったんだ」
「そうだったんだ」
「ほんと、相変わらずアホだ、君は」
「そりゃそうだけど・・・」
いや、そりゃそうなんていう問題じゃない。
何で誰もそれを口で俺に教えない。ホームズはホームズ、猫と人間は違うと俺が思ったってそれは仕方のないことだと俺は思うぞ、逍遥。
「今更感ありありだね」
段々と言葉がボディブローのように身体に溜まっていくような気がして、俺はその話から話題を逸らした。
「昨日数馬がこっちきてたの知ってる?」
「ああ、君に自転車貸しに来たんだろ」
「うん、そのあと夜中まで聖人さんと話し込んでたみたい」
「それも知ってる。その話題はここではNG。ホテルに着いてからにしよう」
逍遥は俺の部屋の荷物を見ると、無言で行くぞという風に顎で行く方向を指し、俺の部屋から出ようとしていた。
はあ、その俺様気質さえなきゃ、頼れる良い奴だよ、君は。
俺は部屋からキャリーバッグをゴロゴロ転がし廊下を歩く。
出会う先輩方が、「頑張れよ!」と声を掛けてくれたり、たまにいじけた目で遠くの食堂からこっちを見ている同級生もいた。
魔法科は実に様々な生徒が多いなとあらためて思う。
俺はいつまで経っても第3Gのままなんだろう。
いいけどさ。
そんなこと微塵も感じてない逍遥は、自分の部屋に戻りキャリーバッグをとってくると、玄関で待っていた俺に声もかけず歩き出した。
おいおい。
待っててやったのに「ありがとう」や「ごめん」の一言もないのか。
逍遥らしすぎて涙が出るわ、まったく。
逍遥は大通りまで歩くと、俺が後ろにいるのを確認してから空車で走ってきたタクシーを停めた。
「帝国プラザホテルまで」
おーい、ここはきちんとドライバーさんに敬意を払って「お願いします」まで言えー。
何だかんだといいつつも、逍遥はツッコミどころ満載でちょっと笑える部分もある。
そう思いながら口元をムズムズさせていたが、本人にいうとまたツンデレ傾向が強まるので敢えて俺は何も言わず逍遥の言動を見ていた。
朝のラッシュに巻き込まれ、20分ほどでタクシーは帝国プラザホテルに到着した。
「ありがとうございました」
ドライバーさんに頭を下げてタクシーを降りる。その必要もないのかもしれないが、言われて嫌だと思うドライバーさんは少ないと思うわけ。
「ありがとう」という魔法の言葉に酔いしれない人はいないんだから。
ホテルに足を踏み入れ2階のフロントまでエスカレーターで上がり、フロントのお姉さんに話しかけてチェックインした俺たちは、紅薔薇専用として借り上げてある部屋のある7階までそのままエレベーターで向かった。
逍遥はもっと上階借りろよとぶつぶつ文句を言ってる。
だが、高いところが苦手な俺としては、7階でも十分だった。
えーと、今大会は男子3名女子3名に各サポーター、そして出場選手が在籍する高校の生徒会が宿泊するはずだ。
男子選手は全員紅薔薇で、女子は紅薔薇が1名、黄薔薇が2名。
黄薔薇高校から新人戦に選出された2名は少し男の子っぽい風貌の女子で、なんだかチェックインの時からファン?おっかけ?の女子がわんさとホテルに押しかけていた。
女子は5階、6階は2校の生徒会が専用で貸切っているため、南園さんの部屋は6階にもあるので被害はそうないかもしれないが。
715と716、717が俺と逍遥とサトルの部屋。
ただ、サトルは生徒会の任務も熟すため6階にも部屋がある。
試合当日こそ任務はないだろうが、あまりにもこき使い過ぎじゃないのかな。そんなんでサトルが全力を出し切れるのか、俺にはちょっと心配が残る。
「忙しいくらいの方が変な緊張せずに済むよ」
715に荷物を入れた逍遥が716の俺の部屋に遊びに来てサトルを気遣った。
「サトルは1人でポイッとされたら緊張が緊張を呼ぶタイプだから。君みたいに1人でも気にしないメンタルの強さがあればいいのに。ねえ、海斗」
「いや、俺メンタル強くないし」
「海斗は今も自分のことそう思ってるの?」
「うん。君と違って、メンタル弱いと思う」
「おやおや。でもそこが君のメンタルの強さを物語ってるんだよね」
ふふふ、と笑った逍遥が、サトルも一緒に3人で練習に行こうという。
生徒会役員室のある6階に顔を出したら仕事は一段落したようで、先輩方からもお許しがでたサトルは、いそいそウキウキの表情で俺たちについてきた。
練習場所は市立アリーナ。
帝国プラザホテルからは2キロ余り。走り込みを兼ねてジョギングでアリーナまで向かう。
逍遥は数馬並の脚力で、俺とサトルを引き離し前方にあるその姿はどんどんと小さくなっていく。体力馬鹿がここにもいた。やはり逍遥は体力だけの塊ではないかと思うほど。
俺とサトルは逍遥にペースを乱されること無く、程々の速さで足並みを揃え走っていた。
10分ほどで市立アリーナの前に着いた俺とサトルは、一番初めに逍遥の姿を探した。
グラウンドにいるのか、屋内にいるのかわからない。だが、その姿はどちらにも見えなかった。
「海斗、一緒じゃないといけない理由もないし、今日は逍遥とは別に自分なりに練習メニュー熟していいんじゃないかな」
サトルの言葉に俺も頷き、俺たちも常々行っているように別れて練習を行うことにした。俺はいつも最初にストレッチで身体を解してから『バルトガンショット』を行い、次に『デュークアーチェリー』の練習に入るので、『デュークアーチェリー』の練習から入るサトルとは別れてグラウンドに向かった。
そうだよ、午前中俺が紅薔薇のグラウンドにいるときはサトルが体育館の中にいたから会う機会がほとんどなかったんだ。
なんで会わないかなと思ってたけど、当たり前だよね、違う競技の練習してんだから。
果たして逍遥はどこにいったのか、ついに俺やサトルの練習が終わるまでアリーナには姿が無かった。
ところで、俺たち3人、なんでサポーターが周囲に居ないんだ?
数馬と聖人さんは何となくわかるとして、譲司は生徒会でこき使われ方が激しいとサトルは心配している。
それでサポートできないんじゃ、何のためのサポーターだよ!と生徒会に物申したいのは山々なんだが、俺はヘタレでもある。超ビビリでもある。
とてもじゃないが、俺は誰かが近くにいないと生徒会の中で真面な意見を言えるようなタマじゃない。
ところが練習が終わった時間帯、俺とサトルがストレッチとマッサージをお互いにしていた時、逍遥がジャージ姿でひょっこり現れた。
「どこで練習してたんだよ、まるっきりいないから心配したぞ」
俺が詰め寄ると、逍遥はあっけらかんとした態度で種明かしをしてくれた。
「魔法部隊の練習場に行ってた。練習もそれなりの環境で行えるし、情報収集もできるからね」
魔法部隊練習場。
そうか、そうだよな。逍遥は魔法部隊の隊員なのだから魔法部隊に行ってもおかしくない。色々な情報も手に入るだろう。紅薔薇のスパイ嫌疑なども情報の中に入っているかもしれない。
スパイの情報や北京共和国の日本併合に係る情報を耳に入れているのは、沢渡元会長、光里会長、聖人さん、数馬、逍遥、俺、亜里沙、明の8人だけのはず。
だから、この中にスパイはいない。
いや待て。
疑うわけではないが、併合の危機を知ってるからと言ってスパイから外れるのとはイコールにならない。
スパイの件もホームズが元気なら予知してくれたかもしれないが、今は病床にあると言っても過言ではない。もう、ホームズには頼れない。絶対に頼らない。
こうして、関わらない関わらないと言いながらも俺の中ではスパイ疑惑にスポットを当てた犯人捜しが始まろうとしていた。
ある程度、実情を知る立場にいる者の中にスパイが紛れ込んでいるというのは常套手段だ。
今回の場合、生徒会役員は他の生徒よりもいち早くその情報を受け取ることができるだろう。
あとは、新しくメンバーになった人物。例えば鷹司さんのように。
何もかも知らん顔して聞くことができるから、スパイとしてはとても動きやすいように思う。疑ったことが南園さんの耳に入ったらまたあの魔法で凍らされそうだが。
待てよ、沢渡元会長が絢人を避け始めたとサトルは言っていた。
あの人は一般的に卑怯なヤツを嫌うけど、別に絢人が卑怯な真似で生徒会の中に巣食ってるとは思えない。もし絢人の態度が悪かったら、サトルか譲司経由で俺の耳にも情報が入るはずだ。
なぜ絢人を遠ざける。
自分たちの言行を知られたくないから?
もしかしたら、疑ってるのか、絢人を。
まさか。絢人に限ってそんなことはないはず。いいやつだもん。逍遥とは反りが合わないだけで。
俺自身、八雲がスパイだと決めつけていたこともあったのだが、今、八雲は生徒会とも関わりが無いはずだし日本にいるのかどうかさえ俺にはわからない。
それよりも俺の知らない中で将来的なことを見据えて紅薔薇に遣わされた生徒がいてもおかしくない。
こうして色々と考えを巡らせてしまうのが俺の悪い癖。
俺にはかかわりのないことだと自分自身に言い聞かせ、スパイの話から遠ざかろうとしていた。
一生懸命考え込んだ俺を、サトルが心配する。逍遥はといえば、ちゃっかり姿を消していた。
「海斗、急に考え込んでどうしたの」
やべっ。サトルは何も知らないんだ。心の壁、ちゃんと仕事してるか?
「あ、いや、何でもないよ、サトル。新人戦に出る外国勢のこと考えてて」
「注目選手とか?」
「そう。『デュークアーチェリー』GPF優勝のスペインのホセとか、『バルトガンショット』GPF制覇のドイツのエンゲルベルトもそうだし」
「あと一人、北京共和国からエントリーしてるワン・チャンホ。今までどの大会にも出てないんだけど、世界選手権出場のキム・ボーファンに勝るとも劣らない実力の持ち主らしい」
「えっ?北京共和国からエントリー?」
俺は何に驚いたかって、北京共和国に優秀な1年がいると聞いて、耳を疑ったのだ。今まで俺の情報網には引っ掛かっていなかったから。俺以外の「北京共和国日本併合案件」を知ってる7人の間では情報共有されていたかもしれないけど。
サトルは屈託のない顔で続けた。
「そうだよ、今までそんなこと1回もなかったのに、今年はエースを世界選手権と新人戦に1人ずつ投入してきたって聞いた」
サトルの言葉を引き取り、さも驚いてないよとばかりに振舞おうとする俺だったが、どうやらサトルにはその部分だけはお見通しだったようだ。
「海斗、挙動不審だよ」
「そ、そうか?」
「隠してもだめ。僕がワン・チャンホの名前出したらすごく驚いたよね」
隠しようがない。もう、嘘は吐かないことにしよう。
「いやあ、サトル。キム・ボーファンの試合観たか?」
「うん、仕事しながらモニター観てたからだけど」
「あのせこい攻撃ったらなかったよな。『プレースリジット』では沢渡元会長に「マージ」撃ちこんだし、『エリミネイトオーラ』では本物のオーラ撃つつもりに見えた。競技場内でもブーイングの嵐だったんだ」
「そうだったの、って海斗、驚いた理由にはならないよ」
俺は額に汗してサトルの追及をかわそうと必死だった。
「そういう国なんだろ?北京共和国って国は。そして新人戦にもエントリーしたってことは、何かそういうズルする人間が出てくるってことだなあって思ったわけよ」
「そうだね、世界選手権と違って相対する競技じゃないことはラッキーかも。ズルしてどこまで成績伸ばすか見ものだね」
やっとサトルの興味は別な方に移ってくれたように思う。
ほっとするのもつかの間。
ワン・チャンホか。
こいつもキム・ボーファン同様、北京共和国が日本に上陸するための手引き役に違いない。
日本にいるスパイは何名なんだ?どうやって連絡を取り合っている?
あ、連絡は離話で済むか。いやいや、離話は聞かれる可能性もなくはない。
スマホとかでメールもないから、手紙、電話、うーん、そんなんじゃないな。やはり魔法だろう。
瞬間移動魔法で落ち合い必要事項の報告後、スパイ役の人間は可及的速やかに自分の本来いるべき場所に戻る。それならアリじゃないか。
あー、だめだ。
考えれば考えるほどスパイのあては無くなるし、なんで首突っこんでんだろうって思う。俺は試合に照準を合わせてタイトルを獲るためにここにいるんだから、雑多なことで自分を惑わせちゃいけない。
この考えを切り替えなくちゃ。
でも、練習をひと通り終えてホテルに戻るばかりの俺にとって、ホームズもいない長い夜の時間は余りに退屈で、考えなくてもいいことまで考えてしまうような、そんな気がするのだった。
俺はサトルに声を掛け、ホテルまでゆっくりと走ろうと提案した。
汗かいて己の置かれた立場を弁えるのが俺に課された仕事かもしれない・・・。
ホテルの夕食はバイキング形式で。
最上クラスのホテルなのに、高校生相手のお決まりのパターンを設けてくれるなんて、とても粋な計らいだと思う。
俺とサトルは逍遥を誘って夕食を食べようとしたが、部屋にも生徒会役員室にもいなかったので諦め、夕食は2人で摂った。
数馬や聖人さんも今日中にホテルにチェックインしているはずだが、どこの部屋かもわからない。とほほ。
生徒会役員に聞けばいいのだろうが、理由を聞かれたら嫌だし、もうこうなったら数馬から俺に接触してくるまで待つしかない。
明日明後日は丸1日練習に費やせる。
逍遥は魔法部隊にいくので、俺はサトルと組んで市立アリーナで練習を積んでいた。
『バルトガンショット』は数馬の準備したショットガンが途轍もないいい仕事をしてくれているし、バングルのお蔭で『デュークアーチェリー』もいい感触がある。
練習では時間を気にするよりも撃ち損じの無いように心掛け、大体両方とも4分台前半でフィニッシュできるよう調整していた。
集中すれば3分台前半に到達するのだが、数馬が練習で時間を短くすることよりも、パーフェクトな射的、パーフェクトな射撃、所謂ところのパーフェクト・パッケージを目指せと言ってたし、その方が雑に時間を使うよりも効率的だと俺も考えた。
あとは、3日後に迫った公式練習で外国勢がどんなタイムを出してくるかによる。
3分台やまさかの2分台など驚異的なタイムで競技を終える選手がいたとすれば、俺も3分台の壁を破る練習が必要になるだろう。
逍遥のいうとおり、魔法の使い過ぎは体力気力を奪う。
俺としては、魔法の余力を残し新人戦本戦に臨む覚悟で練習を続けていた。