世界選手権-世界選手権新人戦 第9章
次の日の朝、数馬が用意してきたのは黒の手拭いだった。
「色々考えたけど、これが一番シンプルなんだよ。眼に魔法をかけることも考えたけどさ、万が一角逐起こして目が見えなくなったら大変だし」
角逐。数馬はその昔、角逐を起こした魔法の中で父親を失くしたと聞かされていたはず。その言葉を使うことすら身の毛がよだつ思いをするだろうに。
何事も無かったかのようにいられる精神力は誰よりも強いかもしれない。
「考え事はあと。ほら、自分で結んで」
「えー、俺不器用だからこういうの苦手なのに」
「僕が手伝ってあげたら、幼稚園児に負けるぞ、いいの?」
「いや、自分でやる。幼稚園児に負けるのだけは勘弁して」
手拭いは綺麗に4つに折られていて、アイロンがけでもされたかのようにパリッとしていて、清々しさを感じた。
しかし、だ。武器っちょな俺としては何とも心許無いのだが、まず目を隠して後頭部に手拭いを回し結ぶ。
案の定、数馬からダメ出しが入った。
「海斗、縦結びになってる」
「だから不器用って言ったっしょ」
「仕方ないなあ」
数馬が俺の後ろに回り結び目を一度解いてから、ふふふと笑いながら再度結んでくれた。なんで笑ってんだ?よほど俺の結び目がカッコ悪かったのか?
数馬の手伝いで、今度はきちんと結べた、と思う。
「ほら、できあがり」
俺は何でも縦結びにしてしまう。靴とか、袋を閉じるときとか。縄を閉じるときもそうだ。そういう風に身体が覚えてしまったんだろうな。
なんとも情けない話だ。
幼稚園児と一緒だってさ。
ああ、情けない。
一度俺は手拭いを外した。
何もかもが明かるく目の前に光る景色が現れたようだった。
日差しが眩しく感じられ、目を開けていられないほどだった。
そういえばこの手拭いの代用、飛行機で寝る時に使うアイマスクではダメなのか?
「数馬、アイマスクでは代わりにならない?」
「それも考えたんだけどね、あれは規格が統一されてて、大人用なんだ。君は特に頭周りが狭いというか小さいから途中で落っこちる可能性がある。そしたら気が散るだろう?」
「確かに」
「だから融通の利く手拭いが一番じゃないかという結論に至った」
俺は話を最後まで聞かずして諦めの境地に立つ。
「了解。夜に結ぶ練習するから」
そして円陣の中に入り的の方向を確認してからもう一度目を手拭いで覆う。今は練習だから縦結びでも俺としては構わないんだが、数馬は世界中旅してるわりにはゲンを担ぐというか、日本人らしい部分があるようで、的の方向に足を向けた俺に近づいてきて手拭いを結び直す。数馬曰く、世界中にそのようなゲンを担ぐ思想は多いらしく、何も日本ばかりではないと言う。
ただ目を閉じただけの方がいいのか、この手拭いを使うべきか俺は迷ったが、とにかく何でも試してみないと始まらない。
数馬に渡していたソフトを起動してもらう。
汽笛の音が聴こえると、まず俺は第一の矢を放った。すぐに鍵盤の音が鳴る。第二の矢、第三の矢と、テンポよく矢を放っていけた。
うん、これなら大丈夫だ。いける。
そう確信した時だった。
一本の矢が的から外れる音がして、俺の頭の中に失敗の二文字が浮かぶと、俺はパニックになり鍵盤の音が聴こえなくなってしまい、どちらにいつ撃てばいいのかわからなくなってきた。
結局そこから立て直すことができずに、100本中55本、時間は最終の15分という稀に見る惨敗状態の記録となってしまった。
最終まで時間がかかったのは初めてのことで、俺は悔しがると言うよりも、この戦法が上手く機能していないことを身を持って思い知らされた。
「なんでかな」
俺は凹み、口数も少なくなった。
数馬はしばらく今までメモしてきたノートに目を落とし、考え込んでいた。
5分くらいの沈黙が流れただろうか。
「目を閉じるのは止めよう」
数馬の口から出たのは、練習を重ねる、ではなく戦法を変える、という選択だった。
「バングルで音を感じることができるからそれに従い前を向いて矢を放つ。目を開けた状態でもう一度挑戦しよう」
俺はすぐに円陣に入り姿勢を正し、汽笛の音を待った。
第一の矢を放った。すぐに鍵盤の音が鳴る。第二の矢、第三の矢と、今度も途中まではテンポよく矢を放っていけた。
だが、中盤の50枚あたりから疲れからくるのかメンタルの問題なのか、アリーナ内が暗く見えてきて鍵盤の音も聴こえなくなってきた。テンポが崩れると身体に力が入ってしまい、鍵盤に頼り切った射撃をしていたことが仇となり射的の回数が減ってしまった。
自己ベストどころか80枚を割り込む状況となってしまい、最後にはもう涙で的が見えない状態になってしまった。
「うーん、タイミングがずれてきたね」
俺の足がカタカタと音を出して震えてきた。自分で足を抑えようにも、震えが止まらない。
「もうダメだ、試合まであと少ししかないのに」
「落ち着いて、海斗」
「もうダメだ、こんなんで落ち着いていられないよ」
と、後頭部に立て続けに3発、平手打ちが飛んできた。
「いでっ」
「落ち着けっ」
数馬の目が、悪魔に近づいてる。
俺はどーっと流れる涙を腕で抑えながら、数馬の顔を見た。
「まず、3D画像の構築からやり直そう。バングルを外してフラットな状態に戻す。最低でも5位につけるように」
それでも、俺の涙が収まるまで、数馬は何かできないか考えているようだった。
10分程たち、ようやく涙を出しきった俺はソフトを使った練習を再開した。
“基本からやり直す”
俺に告げた数馬の言葉を念頭に置き、良いイメージを考えながら円陣に入り足を肩幅に開く。サトルの姿勢を真似て背骨を真っ直ぐに伸ばし、振りかぶった右腕を徐々に下げながら、60度ほどのところで留める。
これで準備OK。
汽笛とともに、第一の矢を放ち、ドン!と的に当たった音とともに第ニの矢を放つ。その繰り返しで11分で98枚。
やり直しの第1試射としては充分だった。
ここで、3D画像を頭の中に落とし込む作業を加えていく。
まず、準備段階の姿勢。
これは大切。
俺の頭の中にはサトルの姿勢が浮かぶ。ここは真似させてもらって背筋をピンと伸ばしていこう。
次に、右腕の位置。
これは60度に固定。それより上になっても下を向いても俺の場合は的に当てられなくなってくる。
これも、3D画像化して頭に叩き込んだ。
あとは、汽笛の音とともに発射する第一の矢。少し宙を舞うかのように上向きに飛ぶが100m先の的にドンピシャリで刺さる。
以降、その繰り返し。
姿勢が崩れないように気を付けて、テンポを一定にするよう、的に当たった音が確認できてから人さし指デバイスで矢を発射する。
時間ではなく精度を上げていくことを目標にし、98枚からアップしなかった射的を3時間くらいかけて99枚まで到達することに成功した。
ただし、時間は11分かかっていて、そこから早くも遅くもならない。
焦りが頭をもたげる俺だったが、数馬は今のところは11分でいいという。
数馬の言葉を信じ、射的枚数100を目指して何度も練習を重ねる。
夕方になりアリーナ内の照明が付くころには的が見えづらくなってきたが、ようやく目指す100枚まで到達した。時間は11分のまま。こればかりは仕方がない。
右腕がパンパンになっているようで、ちょっとヒクヒク。
数馬はその場で俺の右腕を掴むと揉み解し、右肩もついでにマッサージしてもらった。
ああ、なんとか射るタイミングが復活してきた。
やはり目を瞑るなどという芸当は『デュークアーチェリー』には向かないのか。
俺としては、目を閉じ神経を集中させれば、記録更新できるような気がしてたんだが。集中の仕方が悪かったというか、集中しないまま目だけ閉じたからあんな失態晒す羽目になったのか。
とにかく、朝から晩まで走り込みと午前中2セットから3セットを『バルトガンショット』の練習にあてて、それ以後は夕方になるまで『デュークアーチェリー』の基礎練習で100枚射的できるようにしていくことが何セットもかけて続けられた。
頭の中に3D画像を叩き込んだことで、練習時も身体に力を入れることなく射的することができるようになっていった俺。
やっと気が楽になってきた。あとは、射的時間を短縮していくだけ。
でもこれが厄介で、1度タイミングがずれればまた同じことの繰り返しになるのではと恐れる俺がいた。なら、11分のままでもいいかな、なんて。
しかし、そこは鬼のサポーター数馬が許す範囲ではない。
段々と射的時間を短くしていくには、的に当たったことを確認してから次の矢を発射していては前に進めない。
数馬はまた、別のバングルを俺に持ってきた。
それは時間調整が可能なモノで、最初はドン!と音がしてから発射するまでのだいたい5秒くらいに時間を合わせ、鍵盤とかの音ではなく腕にピリッと電気が走る、まるでスタンガンのような仕組みのバングルだった。これなら周囲の音に惑わされず、的を射た音と干渉することもなく俺の右手だけに時間を知らせてくれる。
早速そのバングルを嵌めて、最初の射的をしてから5秒後に次の射的を始めることで数馬との折り合いがついた。
時間は短縮されることは無かったが、枚数は100枚。
しばらく射的時間を5秒に合わせて練習を重ね時間を調整してみる。的を見ながら第一の矢が的が当たった直後に第ニの矢を放つことになる。
少し時間的に反応が遅れることはあっても、射的枚数に変化がなければそれでいい、というアドバイスが数馬からなされていた。
俺は的を見たまま、ピリッとくる合図とともに射的を始める。
4セットほど練習したときか、時間が3分も短縮され、その後の練習では8分をキープすることができた。
あと少し、8分を切れば自己ベストを大きく更新だ。
だが、8分の壁を破るのは容易ではなかった。何度挑戦しても8分台にしか乗らない。
姿勢が悪いわけじゃない、腕の位置が悪いわけでもない。足の幅もちょうどいい。
なのになんで。
俺には8分の壁は破れないというのか。
はは・・・これが俺の実力ということか。
俺はアリーナ内の床ににペタン、と膝をついた。
躓いたまま、もう動けなくなるのではないか、そんな思いが身体全体に広がっていき、今は立つことすらままならない。実際には立てるんだろうけど、心の中はもう、ボロボロになっていた。
誰か、誰か助けて。
精神的にも肉体的にも、俺にはこれが限界だった。
でもその時、なぜかサトルの言葉を思い出した。
『海斗は昔から考え過ぎのところがあるよね、一度フラットにならないと。見えるモノも見えてこないよ』
考え過ぎることを止める。
一度フラットになる。
外野から俺自身を見つめるということか。
そうすれば、見えるモノがあると。
限界に挑戦して、もう俺の中では終わったと思っていたが、これが限界なんて誰が決めたんだろう。
そうだよな、おれはまだ中間点にいるのかもしれない。いや、まだまだ始まったばかりかもしれない。
限界を決めるのは俺の心じゃない。
俺は立ち上がって膝付近の埃を払い落した。夕暮れが迫っている。次の1回が、アリーナでのラストの練習。
もう一度、3D画像をイメージ化し、頭に叩き込んで円陣の真ん中に立つ。
そして背筋を伸ばして右腕を振りかぶる。
目指すべきは、7分台で100枚を射抜くこと。
目を瞑りすべての神経を右手に集中させ、汽笛を待つ。
汽笛と同時に目を開け矢を放ち、的に当たる寸前でバングルがピリッと鳴り、また矢を放っていくのだが、段々その感覚が掴めてきて、バングルが動くと同時に矢を放てるようになってきた。もちろん、的から外さないことが絶対条件だが。
ラストの成績を確認すると、驚いたことに若干ではあるが7分台を割っていた。
7分55秒。0.05秒でもいい。俺の限界点がまだ先にあることがわかっただけでも今日の練習には意味がある。
「明日からバングルの感覚を3秒にシフトするから」
数馬の言葉に大きく頷いた俺は、アリーナを出ると遠くに広がる夕焼け雲を見ながら帰り支度を始めた。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
気を良くした俺が寮に戻ると、聖人さんが濡れたタオルを持って廊下を忙しなく歩いていた。
「どうしたの、聖人さん」
「ホームズが何回も吐いて。今日の朝晩の飯はほとんど吐いた」
「えっ!」
ドドドと廊下を走って自分の部屋のドアを開けると、暖かな空気が外に漏れた。聖人さんがガスヒーターを俺の部屋に持ち込みホームズが寒くないようにしてくれてたのがわかった。
どこから持ってきたんだ??
「宮城の家。向こう畳むことにしたから。色々な物があってな、ヒーターもそのひとつだ。だから遠慮することは無い」
「ホント?」
「ああ、他にも片付けないといけない荷物がたくさんあるんだけど、新人戦が終わってからにするわ」
「ホームズ、大丈夫かな」
「水は飲んでる。飯は袋入りのペースト状のモノなら大丈夫かもな。ついつい、缶詰めのエサ食わせちまった」
「食べたそうにしてた?」
「ああ、その辺は大丈夫」
俺は聖人さんに何回も礼を言い、タオルを受け取って部屋に入った。ホームズのベッドが汚れていて、ホームズ自身も聖人さんにシャワーで洗われタオルで拭かれたのか濡れていて、必死に自分で毛繕いしてる。
ホームズはもう綺麗にしてもらったので、俺は猫ベッドの汚れを濡れタオルで拭きながら、あと何枚かタオルを準備しないといけないな、と部屋の中を探し回った。
ない。
タオル、買ってこないと。
でも、俺の練習が終わって寮に戻る頃には、もう安売りのスーパーは店を閉めている。生憎知り合いは皆、新人戦に出場するから、聖人さんにしか頼めない。
聖人さんだって本来は逍遥のサポートに就いてるはずで、こうして面倒をみてもらっているのが申し訳ないくらいだ。
俺は自己嫌悪に陥る。
なんで聖人さんにお願いしてんだろう。
絢人あたりに面倒見てもらうことはできないだろうか。
「心配要らねーよ」
聖人さんが部屋の入口に立っていた。
「逍遥のサポートはしてる。透視と離話できりゃサポートしたも同然だろ。あいつは近くにいてガミガミ言われるのが嫌いだからな。離話はしたくなきゃ放置すればいいだけだから、あいつの性格に合ってんだよ。とにかく、大会始まったら動物病院のペットホテルに預けることも決まってるし、新人戦終わるまで安心して練習に励め。もっと記録更新しなきゃ上には行けないぞ」
聖人さん・・・。正直すぎるのも、たまに自分で自分の首絞めるときあるよ・・・。
「なんで知ってんの?」
「う・・・」
聖人さんが黙り込む。やっぱり。こりゃ、なんかある。
「実はな、たまーにホームズがお前を透視してんだ」
聖人さん、そういうときは自分が透視してた、って嘘吐くのが得策ではないのかい?もっとも、俺の怒りは、聖人さんではなくホームズに向いた。
「ホームズ!魔法使うなって言っただろ!なんで透視してんだよ!」
すると、今まで息も立てず眠っていたホームズがむくっと起き上がり、俺の方を見る。
みるみるうちに目の色が変わり、聖人さんの前だと言うのにホームズの目はオッドアイになった。
「新人戦に浮かれるな。近い未来に嵐が巻き起こる。今まで経験したこともない嵐だ。皆で協力し合わなければ、近代魔法は滅ぶ」
それだけ言うと、ホームズは目を閉じ倒れるようにベッドに崩れ落ちた。俺は慌ててホームズの身体を触る。よかった、まだ息してる。
「何言ってんだよ、ホームズ」
聖人さんが手を出して俺を制した。
「ホームズの予知だ、海斗。なんかマズイ事態が起きる」
前にも思ったけど、聖人さん、最初からホームズの力、解ってたんだ。それでも俺には言わなかったんだね、何も。
いいよ、そう決めたのなら、俺は何もかも受け入れるだけ。
「ねえ、聖人さん、“新人戦に浮かれるな、近い未来に嵐が巻き起こる”って新人戦の前後ってことかな」
「かもな。コイツの言ったことは外れたことがないと聞く」
「一緒にいたの?」
「会ったことは無い。ちょうど3年前くらいじゃないか、逃げ出したの。いや、もっと前か」
「数馬のお父さんが殺された直後に逃げ出したんでしょ」
「その辺は詳しく知らないけどな、俺もああいう出来事あって部隊の中じゃめちゃくちゃだったし」
そうだった、聖人さんは義母殺人犯として疑われた過去がある。
俺はホームズの予知が最大級の危険だと知り、震えが全身を覆った。手も足も、歯もガタガタ震えていた。
「大丈夫だ、海斗。このことは魔法部隊に知らせておく。ホームズの予知となれば、魔法部隊はガセネタだとは思わないだろう」
「そうなの?」
「海斗、このことは絶対に他の連中には話すな。心の壁を2重3重にしろ。ホームズが予知したとわかったら、日本中が大パニックになる」
聖人さんはそこで離話していて、どうやら魔法部隊に今しがたホームズがおこなった予知を報告していたようだった。一方、もじもじしながら聖人さんを引き留める俺。
「お願いがあるんだけど・・・今晩、一緒にいてくれる?」
「お前、弱カスだなあ」
「怖いものは仕方ない」
「まあ、いいさ。ホームズの世話の延長線上と言うことで特別に」
その夜、聖人さんには床のマットレスの上で寝てもらい、俺は久しぶりに自分のベッドに疲れた身体を横たえた。
数馬が言ってた。ホームズは夢を渡る、って。
まだ俺の夢に出てきたことは無い。
いつか俺の夢にも出て来てくれるんだろうか。
夢に出てきたら、いっぱい、いっぱい話そうな、ホームズ。
翌朝。
暖かい部屋で目覚めた俺はいつものように横にいるはずのホームズのベッドを見ようとして、床に転がってしまった。
「いでっ」
その声で聖人さんは目が覚めた様子だった。
眠らないまま夜を明かし、ホームズが発した予知を多岐にわたって検証しながらどんな嵐が巻き起こるのか魔法部隊との調整を進めていて、ほとんど睡眠をとっていないのだと言ってた。
やはり、魔法部隊にとって聖人さんは必要な人間なのだ。今春からの部隊復帰に向け着々と準備は進んでいるように思われた。
「ごめん、起こして」
「いいって、お前が出掛けたらまた寝るから」
「ホームズのこと、よろしくね。魔法つかわないように釘さしておいて」
「了解」
俺は数馬とのトレーニングに出掛けるため、ジャージに着替えて大会事務局から配布された中綿入りジャンパーを羽織った。
日本という国を背負って試合に臨めという暗黙のプレッシャー。
俺のメンタルがどこまでついていけるか。
その前に、記録更新するためにあの2種目を完成形に導かなければ。
ジョギングとストレッチ、そして朝のコーヒーを飲んだ後は紅薔薇のグラウンドで『バルトガンショット』の練習で汗をかく。100個のクレーを撃ち落とすのに要した時間は4分を切り、3分50秒ほど。記録は順調に更新されている。
問題は、午後から始める『デュークアーチェリー』だ。8分台はなんとか脱したが、もっと早く射的しなければ、記録を更新しなければ上位には食い込めない。
数馬が昨日言ったバングルの秒数を3秒に短縮する練習がどうでるか。
鬼が出るか蛇が出るかと言った心境で、右手が急に冷えてくる。
市立アリーナに着くと、数馬はバングルを調整して俺の右腕に装着した。
ここでも、一義的に大事なのは100枚の的を正確に射抜くこと。秒数はその後の問題だと数馬は俺の肩を叩く。
よし。心の準備はできた。
円陣の中に入ってソフトのスイッチを入れてもらう。
汽笛の音とともに、第一の矢を放つ。矢が的に届く前にピリッ、と手首に刺激が走った。そこで第二の矢、第三の矢、次々と矢を放つよう手首で催促するバングル。
約2秒違うだけで随分と速さが違うようにも感じたが、とにかく遅れてもいいから的に当たるようにと試射していく俺。
姿勢の方は3D記憶でサトルの綺麗な立ち姿を模写しているので大丈夫。
あとは、3秒ごとの試射に早く慣れることだ。
最初の試射は、3秒の速さについていけず、7分で99枚。
時間こそ短縮できたが肝心の射的枚数が1枚欠けた。
次からは正確な射的に終始しながら、3秒ごとの試射を繰り返す。
何セット行ったただろう、ゆうに10セットは練習を行ったと思うのだが、ようやく射的枚数が100枚で、所要時間が6分を切り5分40秒まで記録を更新することができた。
ほっとする俺。
数馬も同様にほっとしているようだった。
「3時のコーヒータイムが終わったら、あと5セット練習しよう」
1日に10セット以上続く『デュークアーチェリー』の射的。
このところはタイミングを崩すことなく順調に記録更新できている状態で、俺の精神面もようやく安定してきた。
下手に目を閉じたりせず、リズミカルに試射していく方向に舵を切ったことでここまで変わるものかと、俺は内心驚きを隠せないでいた。
その日の最後の試射では、5分で100枚の射的に成功し、俺はプチガッツポーズ。
数馬もその成績には満足したようだった。
「海斗、今日のは良かった。明日から2秒で試射してみよう」
どんぐり眼で数馬を見る俺。
「そんなに速く撃てるってか、的に当たらないんじゃないか」
「実験だよ、どこまで短縮できるか」
「実験行ってる場合じゃないと思うけど」
「射的枚数が減る様なら実験は止める」
翌日の午後、市立アリーナに向かった俺たちは早速バングルの調整をおこなって練習に入った。
2秒ごとに発射する矢。は、速い、速すぎる。
ちょっと射的の枚数に乱れが出たが、5セットも練習しているうちに、試射そのものはリズミカルに撃てるようになってきた。あとは、射的の枚数を100枚に近づけるだけ。
驚いたことに、俺の右手人さし指は、速ければ速いほどリズムを巧く刻んでいくらしい。いつの間にか射的の所要時間は4分を割り込み3分台後半にまで短縮されていた。
「よし。この速さでいこう」
数馬の言葉にただただ頷く俺。
こういった戦略もあるんだな、と。
新人戦が始まる3月下旬まで練習すれば、もっと射的の確率はあがるはずで、一体何分まで記録を更新できるのか俺自身も楽しみになってきた。
本番補正でいくらか記録が落ち込むことを考えたとしても、まずまずの結果を残せるような気がした。