世界選手権-世界選手権新人戦 第6章
予選会東日本大会が終わった翌日。
俺は朝6時に起きてヒーターで室内を暖めた。
ホームズが猫ベッドに後ろ足を残したままニャーンと鳴きながら起きた。
「ホームズ、おはよう」
ニャーンと鳴いたまま、俺の顔をじっと見つめるホームズ。
ふーん、今日は魔法使わないのか?
頭を撫で回してもニャーンとしか言わない。
数馬との待ち合わせ、というか、数馬が朝7時にこっちの寮に自転車で来ることになっている。
俺は部屋の中でストレッチ運動でじんわり身体を温めながら、ホームズのご飯と水、トイレを掃除し終えて数馬が到着するのを待っていた。
7時5分前。
俺はホームズに「いってくる」と声を掛けヒーターを消した。
ホームズは見送りのニャーだけで、直接言葉を話さない。変だな、部屋を出るときはいつもオッドアイに変わっていたのに。
「行ってこーい」
いつもならそう言ってから猫ベッドに帰って丸くなっていたのに。
はて。
昨日伸びていたことといい、もしかしたら具合が悪いのだろうか。
そしたらホームズが離話で話しかけてくる。
「別に」
「大丈夫?調子悪いなら病院に行くから、言ってくれ」
「わかった」
言葉少ないホームズを心配はしたものの、もし具合が悪くなれば連絡をくれるだろう、そう思って俺は部屋のドアを閉め寮を出た。
外に出ると、まだ数馬は待ち合わせ場所の寮の前に着いていなかった。
ふぅ。よかった。
数馬はホント、時間にうるさいから。
1分遅れただけで嫌味が飛んでくるし、万が一30分も遅れようものなら心にぐさりとくるような言葉のオンパレードが俺を待ち受けている。
それなら、10分待とうが寒かろうが、数馬の来る前に、待ち合わせ時間の前に待ち合わせ場所へ着くほうが遥かに楽だし、俺が気分を害することもない。
延々と小言いわれたら、誰だって面倒に思うだろ?
その日、数馬は7時ちょい過ぎに寮の前まで自転車で走ってきて、急ブレーキをかける。
「ごめんごめん、遅くなって」
「いや、俺も今着たばかりだから」
明らかに分かる嘘。
寒さの中待っていたので、鼻の頭がトナカイさんのように赤くなってる。今どきこんな社交辞令必要なのかなと思いながら、走り出した数馬の後を追って俺も走り出した。
息が白い。
いつものことなのに、初めて見たかのような錯覚に捉われている。周囲はなんだか空気が澄んでいるようで、息がキラキラして見える。
吐き出す息が白いのが妙に嬉しくて、走りながら息を吸ったり吐いたりして遊んでいる俺を数馬が見つけてしまった。
ゴン!!
またメガホン?
数馬はすっかりおかんむりだ。
「真面目に集中して走ってくれ」
「へーい」
でも走っているときは、本当のことを言えば結構いろいろ考える。
リアル世界のことや、もちろん、この世界でしたいこと、この世界の疑惑の解明、嬉しいこと、悔しいこと。周りの人々に対する感謝の念・・・。
俺が今ここにこうして走っているのは全て誰かの助けを得ているモノであり、俺はとても感謝している。亜里沙や明の助けだけではとてもじゃないがこの世界で生きていくことはできなかったと思う。
俺の魔法力が低い時からずっと見守ってくれている沢渡元会長、数馬はだいぶ嫌ってるようだけど・・・沢渡元会長に目を掛けられなければ俺はすぐつまはじきにされ、リアル世界に帰りたいと毎晩泣いて過ごしたことだろう。
そうなんだよ、リアル世界は不自由だけど人のせいに出来る世界だったから。
泉沢学院に行かないのはマウンティングが激しい生徒のせい。他の高校を再受験できないのは両親のせい。
って、毎回思い出す際に同じことを繰り返したり全く違った意見を持っていたりと、これという核がないんだけどさ。
でも、予選会本戦は2日後。
今はリアル世界のこととか、こちらに来たばかりの頃の思い出なんて必要ない。
2日後には、国分くんやサトルと『デュークアーチェリー』で激突するんだから。
俺は珍しく、走りながらイメージで的に矢が当たるところを想像していた。たまに蛇行することがあったものの、数馬は俺の心理を読んでいたので怒られることもなく目を瞑るなと指示があっただけで、ジョギングはそのまま進んだ。
ジョギングの後、俺と数馬は一旦紅薔薇に寄り、数馬が自転車に乗っけてた俺と数馬の分の制服を各々の教室に置き、俺の胴衣だけを持って中庭で待ち合わせた。
中庭で落ち合った俺たちは、そのまま市立アリーナまで歩いていく。数馬は自転車をアリーナに停めるのは余程敬遠してると見ていい。
昨日は凄い数の車や自転車、バイクまであったからだけど、数馬の場合、どうやら盗まれるのが嫌なんだな。
早めのウォーキングで約20分。アリーナに着き、早速俺は胴衣に着替えて中に入った。するともう幾人かの人たちが試合場に来ていて、俺は30分の予約待ちとなった。
予約待ちの間にストレッチを済ませようと数馬が近寄ってきた。予約を待つ間は何もすることがないし、このまま身体が冷えるのも危ない。風邪ひいてしまう。
そこで俺は数馬に頼んで久しぶりに肩甲骨界隈やどちらかと言えば骨盤?辺りのコリを解してもらうことにした。
あー、広瀬が俺に同化魔法掛けたときと寸分違わぬ、この気持ちの良さ。それとも、久しぶりにマッサージしてもらうからかな。今日は数馬が毛布を持参していたので、その上でマッサージは格別の味だった。
そうなんだよ、近頃の数馬はマッサージもしないし勝負事に勝てるパートナーを作りだしているように思う。俺ではその辺、上手くマッチングしないんじゃないか?
少なくとも、逍遥や、来シーズンプレーヤーとして試合に出れるかもしれない聖人さんなら上手くマッチングできるような気がするんだけど。
俺って、究極のボンボン(金持ちじゃない)で我儘だし、かといって直ぐ諦めるし。
数馬は生徒会に言われてるから俺の面倒いやいや見てるんじゃないのかな。
それでも、数馬がいなかったら俺はこの胴衣を着ることは無かったと思うし。
人間、がむしゃらに生きていけばきっと神様が見てて助けてくれるんだよ。日本の神か外国の神かは知らんけど。
「いや海斗。そういう気持ちで君に付いてるわけじゃない。逍遥みたいな魔法師は僕にはサポートできないし、聖人は元々がサポーターではなくプレーヤーだから100%サポーターの気持ちになってるわけじゃない。あいつは器用だからどっちも熟してるだけ。サトルくらい素直ならようやく僕でもサポートできると思わないでもないかな。光里はハチャメチャな魔法で、それでいてサポーターと上手くやってるから大したもんだよ」
「そんなもんなの?」
「そう。マッチするパートナーなんてすぐに見つかるわけじゃない。魔法を使用する側から見ても、それをサポートする側から見ても」
「難しいんだな」
「そ。難しいの、この世界は。神様関係ないから」
「あ、聞こえてた?」
「神様に拝んで結果が出るなら、今混みあうのはここじゃなくて神社になる」
俺は思わず吹き出した。数馬は本気で言ってるんだろうけど俺には冗談に聞えてしまう。
「でもさ、あんまりにも結果が出ないと神様仏様の世界に身を投じたくなるよ」
「残念ながら、僕の辞書に努力以外の文字はない。さ、もうすぐ予約時間がくる。起きて」
数馬の手を借りて立ち上がった俺の前に、白薔薇高校の校章をつけた制服姿の男子生徒と女子生徒が連れだってやってきた。
誰?白薔薇に知り合いなんて国分くんくらいしかいない。
国分くんは?
「国分から聞いています、八朔海斗さんですよね」
「あ、はい」
「国分から伝言です。“僕の分まで頑張ってくれ”と」
ん?どういうことだ?
昨日ホームズが見た時はかなりいい成績で演武終えたって言うじゃないか。なんでこういう台詞が出てくる。
「あの・・・失礼ですが、国分くんに何かあったんですか?」
2人は最初もごもごと口が動かず話そうとはしなかったが、男子生徒の方が、意を決したように口を開いた。
「昨日の夜、何者かに襲われたんです。実家付近で」
「え?」
俺は言われてる意味が分からずに訊き返した。
「襲われた?」
「はい、大阪での試合の後ひとりでこちらに向かったんですが、実家に行く途中事件に巻き込まれて右手を負傷してしまって」
「えっ!」
ついつい俺は声が大きくなってしまった。周囲がこっちを振り向くのも一向に構わずに。
「大丈夫なんですか?」
「明後日の予選会には出られそうにありません。全治3週間の怪我を負ってしまったものですから。もし仮にエントリーされたとしても、リハビリが間に合うかどうか」
「どうして国分くんが・・・」
「その辺を調べることも踏まえて、我々白薔薇生徒会は動いています。予選会後にお時間頂戴できますか」
数馬が答えようとする俺を制止した。
「あなた方が聞きたいのは、事件の時間の海斗のアリバイですか?」
「え?俺?」
余りに直球すぎて、俺はちょっと目が点になってしまい数馬を見上げた。でも白薔薇高校の2人には大当たりだったようで、2人は反対に下を向いてしまった。
数馬が少しムキになったような態度で相手を半ば攻撃している。
「過去透視が使える魔法師がいれば、海斗のアリバイはすぐわかるでしょう。問題となさるなら、国分選手の動きを事細かに再現されてはいかがかと」
相手もこれまた数馬の挑発に乗って最初こそ落ち着いた声で話していたが、段々とその声が大きくなってきた。
「西日本組が狙った形跡はありませんでした。そして、東日本組の成績を見たところ、国分より若干低い成績だったのが八朔さんです。八朔さんは何度か国分の実家にも顔を出していたようですから、ここ横浜の地理にも詳しい」
数馬も負けていない。
「だから何だっていうんです。こいつは元々横浜の人間じゃないからここの地理には疎い。国分選手の家に行ったのだって、何名かで連れられていったことしかありません。事実、国分選手は何と言ってるんです?」
「それは・・・」
それは、と言ったまま、白薔薇生徒会の2人は言葉を濁してしまった。
そんなこと、どうだっていい。
俺のアリバイなんぞ、どうだっていい。
なんで国分くんがまたターゲットにならなきゃいけない。彼はアンフェタミン事件の時も、何もしてないのに結局退学しなくちゃいけなくなって、白薔薇に拾われた。
やっと心の傷が癒えたところだと思ったのに。
「国分くんに伝えてください。俺は絶対に負けないから、君も負けないで、と」
「あくまでご自分は関係ないと仰るのですね」
「俺は昨日の試合後は紅薔薇の寮に帰って、そこからはどこにも出かけていません。夕飯も寮の食堂で食べましたから、俺の顔を見た生徒も多いでしょう」
だが、相手の反応は冷淡なものだった。
「それはアリバイにはなっていませんよね」
数馬が理性のやかんを沸騰させている。あ、もう少しで数馬がキレる。
まずい、キレさせたくはない。
これから『デュークアーチェリー』の練習だってのに、何なんだよ、この展開。
数馬はまた俺と白薔薇生徒会の間に入ってきて、キレ気味になっている。
「僕らは明後日に向けて練習するためにここにいます。お分かりでしょう?お話は試合が終わってからにしてください。これで失礼します」
練習って・・・いや、こういう状態でも集中する練習だっていうんならわかるけど、普通あれ言われて通常ベースで練習できねーだろ。
ただでさえ集中できない方なのに、無理だよ、数馬。
「海斗、君何もしてないだろ」
「してない」
「なら、胸張って練習しよう。ここでヘンに動いたらまた疑われる」
「うへえ・・・了解」
「それと」
「何?」
「防御魔法は知ってるか」
「知ってる」
「朝晩掛けろ」
白薔薇生徒会の2人は、俺の『デュークアーチェリー』をまじまじと見ていた。見られているのがわかるので、余計集中できない。
ああ、宮城海音の親衛隊がギャーギャー騒いでる時でも、俺、集中できたっけ。ああいう風に一心不乱に的だけを見ればいいんだな。
周りに誰がいようが、そんなことは考えずに姿勢を整え的だけを見続ける俺。成功率は決して芳しくなかったが、集中の仕方がなんとなく理解できたような気がする。明後日も、一心不乱に的を見よう。そして、矢を放とう。
30分の練習時間が過ぎ、(白薔薇さんのちょっかいのせいで10分程使えなかったけど)俺は演武を終えて廊下に出た。廊下では、まだ白薔薇生徒会の2人が俺を待っていた。
「もし、うちの国分が怪我をして得をするのは誰ですか」
「あなた方からすれば、一番得をするのは俺なんでしょうね。でも、俺は何もしてませんよ。ホームズと遊んでただけですから」
「ホームズ?あの猫があなたの部屋に?」
「ええ、国分くんから預かり託されました」
2人は途端に後ろを向いて何やら秘密の相談を始めたようだった。ホームズ、使ってと話しているところをみると、ホームズ頼みで寮にくる気かもしれない。
ホームズは長崎界隈では有名な猫だったようだし魔法力もあるから、ホームズさえ協力してくれれば、紛れもない真実が浮かび上がることだろう。
待てよ、もしかして、ホームズが昨日の夜から元気なかったのって、このことだったのか?
ホームズは魔法使いの猫として自分を見る人間をとても嫌う。ただの猫として見る人間を好む傾向にある。
ホームズ、嫌なことはしなくていいよ。
お前は猫のように生きればいい。
そこに、ニャーンと声が聞こえた。
白黒のハチワレ、ホームズだった。数馬の前に出るのも、白薔薇生徒会の人間たちの前に出るのも嫌だったろうに、俺のために出て来てくれたのか。
ホームズは目を黄色にしたまま、俺たちの心に話しかける。
「昨日の夕方から夜にかけて、俺様は本当にこの八朔海斗と一緒にいた。しかし俺様の過去透視より、大会事務局日本支部から過去透視魔法の使い手に願い出るのが本筋だろう。俺様が嘘を吐かないとも限らないからな、公平な手段で事件の真相を追うべきだ」
俺はホームズを庇う。
「ホームズ、もういいから好きなところに帰ってろ」
ホームズはまたニャーンと一声鳴くと、スッとどこかに姿を消した。数馬の目がギラついている。まずい、拉致るつもりだ。今何処にいるか過去透視してやがる。
俺は右手を拳にして何の気なく左胸に置いた。
ビシバシと断片的な過去に遡る。
すると黒っぽい壁と紅薔薇の制服みたいな色味の洋服をきた人間たちが悠々と歩いているのを見ただけ。人物の顔は見えず、証拠にも何もなりゃしない。
なんだよ、これ。
これが過去透視かよ。
俺の想像する過去透視は、今回の場合なら、国分くんが襲われる前まで過去を遡り国分くんがどういった謂れなき行為を受けたのか、犯人像も含めてはっきりさせるような、もう行ったものだと思ってた。
俺の魔法が下手くそなのか、過去透視が一般的に断片的な物しか映さないか、どっちなのかは分からない。
白薔薇生徒会の2人は、ホームズの言葉を聞いて考えを改めたようにも見えた。
だが、どう考えているのかはわからない。
またホームズを長崎に連れて帰ってしまうかも。
でも、ホームズは元々は横浜で軍にいた猫だから、長崎市民にあーだこーだと言われる筋合いはこれっぽちもないし。
何を言われても、ホームズだけは手放さないと俺は決めていた。
「ホームズの言うとおり、大会事務局日本支部に行って過去透視魔法を使い犯人を取り押さえたいと思います。では、また明後日」
そう告げると、白薔薇高校生徒会の2人はすぐに姿を消した。
なんだ、瞬間移動魔法できるんじゃん。過去透視しろよ。あの2人には過去透視は無理なのかな。
数馬は数馬で、明後日が本戦だということを忘れて、ホームズの行方を捜している。
「君、ホームズがどこにいったか心当たりないの」
「あいつ色んなとこに出没するからね、わかんない」
「残念だな」
「数馬、試合までに集中途切れないようにするんじゃなかったの」
俺の言葉を聞いてもなお諦めきれない様子だったが、さすがにホームズが見つからないとなると、数馬は諦めざるをえないといった表情になり、最後には、試合のことに頭が向いたようだった。
「まったく、人騒がせな。ねえ、海斗。僕たちは何もしてないし、国分くんが怪我をして一番得をするのが君とは限らないじゃないか」
「というと?」
「例えば君に罪をなすり付けたい者たち。あるいは長崎でいつも国分選手の近くにいる者が長崎を離れた土地で襲う。色んなことが考えられるだろ?君に直に接触してくるなんて、ある意味嫌がらせだよ」
「俺に罪をなすり付けたいのなら、宮城海音の親衛隊じゃないの」
「有り得なくもない。あとは、やっぱり白薔薇で国分選手の魔法力を快く思っていない者たちという線も捨てきれない」
過去透視かければすぐわかりそうなもんなのに、なんで横浜の実家付近で襲ったりしたんだろう。やはり俺が横浜の人間で地理に詳しいと思わせる為か。
はたまた、それすら計画上の想定内として過去透視をマヒさせる、というか、テレビの砂嵐のように映らなくなったりしないのだろうか。
そうなれば、アリバイがなく東日本大会の成績的に国分くんに肉薄しつつも負けている俺に捜査の目が向くのは間違いのないところだ。
やってないから余裕で突っぱねられるけど、試合前に俺のところに事情を聞きにきたというのがいただけない。
俺、明後日マジに試合、それもエントリーされるかどうかの大事な試合なんすけど。
でも、国分くんもそれは同じだったはずで、どうして自分ばかりこんな目に遭うんだと意気消沈していることだろう。
試合が終わったら、逍遥と一緒にお見舞いにでも行こうか。
実のところ、俺は国分くんの家がどこにあるか覚えていない。逍遥の後をついて行っただけだから。
数馬の言った「海斗が地理に疎い」というのは本当のことなんだよ。
でも、俺がここら辺の地理に疎いように、長崎や西日本の人間が横浜の地理に詳しいとは思えない。
単独犯なのか複数犯なのか白薔薇生徒会の連中は何もいってなかったけど、複数犯なら地理に詳しい者が手引きして、襲う場所もあらかじめ人通りの少ない場所に決めておくことも可能とは思うが、どこで、何人くらいの暴漢に襲われたんだろう。
あれ?右手を怪我したといったが、魔法で治すことできなかったっけ?自己修復魔法とか他者修復魔法とか。
そういう魔法が使えないくらいの大怪我をしたということか。
んー、なんか俺の中では長崎方面、あるいは西日本方面複数犯人説は次第に現実味のない空虚なものとなっていった。
そんな都合よく、国分くんに恨みを持つ横浜在住の者が手引きして、国分くんに何らかの悪しき感情を持つ長崎や西日本の者が襲うなんて、統計学的数字から見ても有り得ないでしょ。
そもそも、どうやって知り合う。
国分くんは9月に白薔薇高校に入ったばかりで今期の全日本や薔薇6など国内の試合には出ていないから、選手としてはまだ名が知れておらず、恨まれることはどちらかといえば考えにくい。
リアル世界なら、SNSを通じていくらでも遠くの人と知り合うことができるし、俺がちょっとだけ考えた長崎方面や西日本方面複数犯人説も大いにあり得るけど、こっちはそういった電波を使った便利生活がなされていない。
魔法を使えば遜色ない生活を送れるからだが、知らない人と繋がるような魔法は今のところないのではないか。
誰もそういった魔法を行使しているのを見たことがないし聞いたこともない。
魔法の行使か・・・。
仮に、俺に恨みを持つ人間が行った犯行だとして、恨みの原因は、何だ?
魔法力もないのに依怙贔屓されてるのが超おもしろくなーい。とかそんなところか?
なぜ俺を狙わずに国分くんを狙った?
ここが弱い部分だな。俺と国分くん2人を一気に潰すためとか。特に俺には責任を擦り付けて魔法界から追放したかった、といえば理由にもなるか。
犯人は単独でも複数でも、俺に恨みを持つのは横浜在住者がほとんどだろう。そいつらは紅薔薇に登校しているとみてまず間違いないのだろうが、その矛先が国分くんに行くのがちょっと解せないんだよなあ、これが。
これが数馬とかなら解る。俺は痛手を受けるわけだから。
なのに、国分くん?ああ、そうか。少し上の魔法力をもつ同級生に怪我をさせた酷い奴、のレッテルを張るつもりか。
なーんかまだ証拠的に弱いんだよなあ。
夜も寝ないで悶々と悩み続ける俺。ホームズは夜中に夢を見たらしく、「ニャッ、ニャニャッ」と寝言を言ってる。ああ、良かった。人間の言葉で寝言言われたら、俺、しばらく立ち直れそうにない、怖すぎて。
一晩目の夜は、寝不足に陥った。
明日が本戦だというのに、俺は脳と身体がバラバラで、アドレナリンさえも出てくる気配なく、練習でも散々だった。『デュークアーチェリー』は肩が落ちまくりで12分80枚と外す矢が多く、『バルトガンショット』も過去透視が上手くできず14分100個という為体で、今までのワーストを更新してしまい、メガホンを片手に持った数馬に追い掛け回された。
数馬は白薔薇生徒会の役員たちが俺を犯人扱いしたからだと憤慨し、大会事務局に訴える、と言って素早く姿を消してしまった。
アリーナのグラウンドに残された俺はと言えば、焦りとも何ともつかない心情が心を支配し、前に進む1歩を見つけ兼ねていた。
そこに、譲司とサトル、逍遥がグラウンドに顔を出した。
相変わらず喧嘩してんのか隠密で動いてんのか知らないけど、聖人さんの姿はない。
逍遥に理由を聞いても答えるわけがないので、聖人さんのことは一旦考えるのを止めた。
すると、逍遥とサトルが同時に俺の前に立った。サトルが声を小さくして俺の耳元で話をした。
「国分くんの噂、聞いた?」
「あ、ああ」
自分が犯人扱いされているとは言えず、まごついた俺。
「なんか、本戦に出て海斗に負けるのに恐れをなして怪我したんじゃないか、って」
「え?」
「自作自演の怪我じゃないかって噂が立ってるんだよ」
「それは無い!!」
夢中で俺は国分くんを庇いだてしている。
「どうしたの、すごい剣幕」
「実は・・・」
俺は東日本大会の翌日、白薔薇生徒会の役員らしき人物が俺のアリバイを聞きに来たと2人に告げた。
サトルが髪を振り乱して怒る。
「何それ。まるで海斗が怪我させたかのような言いぶりじゃない」
逍遥も眉間に皺を寄せる。
「聖人が飛び出していったのはそれか」
?聖人さんが飛び出した?
「逍遥、何それ」
「東日本大会の当日だったかな、夕方は別行動だったんだよ」
「なんで?」
「知らない」
俺は肩を落とした。
「情報は入ってこないしさ、色々考え過ぎて散々だよ」
逍遥は相変わらずドライなもので、自分には関係ないんだから考えるのよしたら、と平気で言う。
「そうできればいいんだけど」
サトルも俺の考え過ぎを嗜める。
「海斗は昔から考え過ぎのところがあるよね、一度フラットにならないと。見えるモノも見えてこないよ」
「そんなもんかなあ」
逍遥は俺の背中を2度、バンバン叩いてグラウンドから出て帰っていった。
「サトル、逍遥来たばかりじゃないの?」
「忘れ物でもしたんじゃない?海斗はもう終わり?」
「終わり。数馬が大会事務局にクレーム入れに行ってる」
「犯人扱いは酷いよ、ましてやまだ本戦終わってないのにそういうこというなんて」
「国分くん、可哀想だよな、アンフェタミンで全日本逃してさ、今度は新人戦だろ」
「運が良くないのは確かだけど」
「確かだけど・・・?」
「今回に限って言えば、防御魔法を自分に掛けてさえいれば、そんな大した怪我にはならないはずなんだ。かけていなかったのかもしれないし、自己管理の問題も指摘されてくるのは致し方ないと思う。海斗、防御魔法習った?」
「習った。って、サトル。そんなに冷たい世界なのか?ここは」
「君からみれば冷たい世界なのかもしれないね」
そんなやり取りを続けている間に数馬が帰って来たようで、譲司と何やら話をしていた。
数馬は俺とサトルに向かって手を振り、近づいてくる。
「海斗、前にも言ったが、防御魔法は朝夕掛けとけよ。サトルもだ」
「はい、数馬さん」
素直に頷くサトルを尻目に、俺はまだ事件に拘っていた。
「数馬。国分くんの事件、動く気配あるの」
「今事務局に怒鳴り込んだんだが、防御魔法かけてたおかげで精密検査受けたら全治1週間の打撲だそうだ。ただ右腕狙われたからリハビリもあるし、今回の予選会には出られない」
「予選会無理なら新人戦にも出られないよな?」
「いや、それは総合的に判断するそうだ。新人戦前にもう一度エントリー者と一緒にタイム計るとかで、それで3位以内に入れば予選会の順位をひっくり返すことも検討してるらしい」
「あー、よかったー」
「お前が脱落するか否かの総合的判断だよ、海斗」
「でもさ、ガチでぶつかれるでしょーよ」
「そりゃそうだな、さ、またジョギングして、一旦学校に戻ろう」
俺は数馬とジョギングするため、サトルたちと別れた。
総合的判断という言葉を聞いて、テンションが上がった(ホントは張る、というらしいが俺的には上がってるから)俺は、夕方の中学校で行う『バルトガンショット』の練習も5分で100個撃破と、良いタイムを取り戻していた。
心情が如実にタイムに反映されるとは。
やっぱ俺って、メンタル強くなんかないよ。
すると数馬が寄ってきた。
「いや、君くらいメンタルが強いのも珍しいよ」
「でもこんな事件でメタメタじゃん」
「こんなのに巻き込まれたら、普通はもう浮き上がれない。君だからこそこうして標準タイムに戻せてる」
「そうかなあ」
ヘンに持ち上げられてる気もするが、まあいい。
国分くんも思ったより重症では無かったし、あとは犯人を捜すだけ。でもそれは俺の仕事じゃなくて、俺の仕事はベストタイムを出すだけ。
俺の仕事はあくまでタイムを稼ぎ出すことであり、新人戦ではいいところに付けたい。優勝なんて簡単には言えないけど、逍遥よりいいタイムが出たら、この世も良きかな、満足できる。
トレーニングを終えた俺と数馬は各々の寮に帰り、俺はホームズの具合を見るためヒーターも点けずに猫ベッドへ行く。
頭を触ると、ホームズは「ニャーン」と力なく鳴いた。
やっぱり、どこか調子が悪いんだ。今までこんなことはなかった。
どこに動物病院があるのかも知らないし、だいたい、魔法猫を診る病院なんてあるのか?
少しばかりパニックになりかけた俺は、学校に併設された動物病院があることを忘れていた。
何度も深呼吸しながら廊下に出てサトルの部屋を目指した俺。
サトルなら病院とか知っていそうだし、あまり大きな声では言えないが、診察代を借りることもできそうだったから。逍遥はケチっぽいし。
サトルの部屋の前に立つ。
中がおぼろげに見えてくる。別に透視してるわけじゃないんだけど。机に座って勉強しているサトル。
よし。
コンコンコン。
声がするまでドアの前で大人しく待つ俺。逍遥はこの段階からうるさい。
「はい」
中からサトルの声がした。3秒後、ドアが開く。
「海斗、どうしたの」
「猫病院知らないか。ホームズが調子悪そうなんだ。ぐったりして魔法も使えない」
「学校の病院はドクターがいなくて閉めてるんだよね、待って、今知り合いに聞いてみる」
どっかに離話してるサトル。
一刻も早く連れて行きたいのだが、今の時間では無理だろうか。
「ここから自転車で10分のとこに動物病院があるそうだ。もう診察時間過ぎてるけど診てくれるって。そこは魔法動物たちも診てくれるみたいだから、ホームズでも大丈夫」
「ありがとう、サトル」
「で・・・ほら。診察代の足しにして」
茶封筒にお札を何枚か入れて俺の胸に押し付けたサトル。
すると、どこで聞き付けたのか、逍遥や聖人さん、他の寮生も出てきてカンパをくれた。
ありがたい。
俺、これからは自分のことは少し節約するよ、みんな、ホントにありがとう。
ホームズと一緒にいるって、こういうことなんだよね、猫は必ず俺たちよりも早く年を取る。
おまけに、ホームズは今何歳なのか聞いたこともなかった。4歳くらいかなとは判断してたけど、それは素人の判断なのかもしれない。それくらいホームズはとても元気で俺に悪態ばかり吐いてたから。
部屋に戻って、何も話さないホームズを毛布にくるんだ。誰かが小さな猫入れバッグを貸してくれた。それは昔、猫を飼っていたという先輩だった。
猫バッグのファスナーを締め、小窓のついた場所からホームズの様子を見る。
いつもなら閉所恐怖症気味に狭いところは嫌だ嫌だと猫らしからぬことを言って騒ぐホームズだったが、今日は何も言わない。
大丈夫なんだろうか。
俺は瞬間移動で病院まで行くつもりだったが、サトルに止められた。
瞬間移動魔法は人間でも身体にかかる負担が大きいという。
歩いて30分。
仕方ない、俺は自転車を持っていない。歩くしかない。
すると、寮の先輩が自転車を貸してくれるという。
有難い申し出に、俺はボロボロと涙が目から溢れてしまい、泣くのはまだ早いと皆から笑われた。
自転車の前カゴに毛布にくるんで猫バッグにいれたホームズを載せると、俺は一気にペダルを踏み込んだ。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
時々赤信号を無視しながら自転車を飛ばして10分。
サトルに教えてもらった動物病院に着いた。
俺は慌てて自転車の前かごからバッグを取り出す。
薄暗くなった病院のドアに手をかけると、ゆっくりとドアを押すことができた。
サトルの話どおり、動物看護師さんが出てきて受付を済ませる。
すぐにホームズは処置室に連れて行かれた。
5分ほど経った頃、いや、俺には10分20分と長く感じられたのだが、実際は5分しか経ってなかったらしい。
俺は処置室に呼ばれた。
先生はすごくがっしりした人だったが優しそうな目をしていて、ホームズを一緒に心配してくれた。
先生の話は、結論から言えば、もうホームズは永くない、というショッキングな事実の告知だった。
ある程度腎臓などの病気はあるようだが、それよりも老衰に近いという。
魔法を使用する動物たちは自分の命を削り取って魔法使役しているのだそうで、ホームズはまだ5歳程度だが、外猫として長く暮したこととパワーのある魔法を使い過ぎたこと、それが命を削り取った理由でしょうと・・・。
このまま猫として暮せばもう少し寿命は延びるでしょうが、魔法を使い続けた場合、早ければ3ケ月くらいしか持たないかもしれません、そう言われたのだった。
パワーのある魔法とは、きっと、過去透視と未来予知。
数馬はそれを知っていたはずだ。過去透視だけを知っていたわけではあるまい。これまでの言動を見る限り、ホームズの命など数馬は気にしていないはず。きっとホームズにパワーのある魔法を使わせるはずだ。
ホームズを数馬に渡してはいけない、とあらためて俺は覚悟を持った。
動物病院の先生や看護師さんにお礼をいって診察代を払おうとしたところ、丁寧な言葉で遠慮された。何も治療していませんから、と。
俺が高校生だと分って、やっとこさ金の工面をしたのがわかっていたのかもしれない。
でも、このお金はこのあともホームズのために使おう、そう決めた。
みんな、ありがとう。
帰りもホームズを毛布にくるんで猫バッグに入れ、自転車の前かごにバッグをそっと置いてゆっくりと寮を目指す。
解り易い道だったので、寮までなんとか帰ることができた。
俺の自転車のブレーキ音がしたのだろう。
続々と寮生が迎えに出てきた。
その中で、サトルが控えめに俺に尋ねた。
「どうだった、診察」
「魔法使い続けたら3か月くらいしか持たないって」
「え・・・ホントに?」
「うん、老衰に近いみたい、魔法力使い過ぎて。まだ5歳くらいらしいのに・・・」
俺は人前ではあったんだが、もう涙腺が崩壊しボロボロと涙をこぼしてしまった。
「これから猫として生きて、魔法力使わなければもう少し一緒に居られるって」
みんな、シーンと黙ったままだった。
ホームズのことを知っている先輩の方が多かったが、魔法力ゆえに死期が近いと聞き、何かしら後悔した先輩もいたようだった。皆がホームズの頭をそっと撫でてくれる。
「俺は、これからただの猫としてホームズを育てたいんです、皆さん、ご協力よろしくお願いします」
どこからともなく拍手が巻き起こり、それは寮全体に響いた。
俺はホームズの最期を看取るつもりで、看病する。皆が協力してくれれば、ホームズもきっと嬉しいと思うし。
俺はまた、目から涙をこぼしながらも、皆に一礼すると自分の部屋に戻った。
ホームズを毛布にくるんだまま、ヒーターを付けて猫ベッドを少しだけヒーターに近づけた。あまり近づけすぎると火事になる。
毛布は俺が被ってたやつだけど、それだけは明日買ってこよう。
と思っていたら、サトルが自分の部屋にあった古い毛布を譲ってくれた。逍遥も部屋に来てくれて、ホームズの猫ベッド周りの交換を手伝ってくれている。
ありがとう、サトル。ありがとう、逍遥。
明日は予選会本戦。
小さな声で「ニャニャ」と鳴くホームズに対し、俺は「頑張りすぎるな、もうこれからは猫のままでいいから」と言い含め、傍らで頷くサトルと逍遥は、ホームズの無事を見届けると部屋に戻っていった。
俺はその夜、自分のベッドから布団と毛布を下に降ろし、ホームズの隣で寝た。
しん、とした中にホームズの寝息が聞こえてくる。そしてまた「ニャニャニャ」と寝言を口にするホームズの頭を撫でて、浅い眠りに就いた。
翌日朝、6時。
俺はウトウトとした浅い眠りから目覚め、即座にホームズを見た。
良かった、寝ている。身体も温かい。
試合場となっている市立アリーナへ向かうため、数馬とは8時に寮の前で落ち合う約束にしていた。
ホームズが起きればご飯を食べさせたかったんだが、ホームズはまだぐっすりと寝ていた。猫トイレを掃除し、ご飯の用意と水を準備して、少しバランスボールに乗って体幹を正常に保ったあと、ストレッチで腕や足を伸ばし、シャワーを浴びてからまたホームズを見る。
昨日からずっと寝ているホームズ。
今まで魔法を使い過ぎてオーバーアクションとなっていたなんて、俺、ちっとも気付かなかった。
いつでもホームズに頼ってばかりで、何て不甲斐ない。
今日はホームズのためにも、集中して良い演武と良い射撃をするから。
いい報告を待っててくれ。
8時前に、ヒーターの電源を抜きホームズに温かい毛布をかけて、俺は制服に着替え、試合用胴衣と紅薔薇ユニフォームをキャリーバッグに詰め込んで外に出た。
まだ数馬の姿は見えない。
来るまで、イメージトレーニングで『デュークアーチェリー』の的に矢が当たる瞬間、また、『バルトガンショット』のクレーが飛び出し発射する瞬間、また3D画像取り込みと過去透視魔法のコラボなど3種類くらいを交互にイメージを重ねながら数馬を待つ。
数馬は10分くらい遅れて来た。俺が遅れると嫌な顔して嫌味をいうのに、大方の場合、自分が遅れてもゴメンの一言もない。
数馬、その性格、天秤にかけてでも直した方がいいと思う。
俺としては寒い中ではあったがイメージトレーニングをしていて寒さを何とかしのいでいたので然程気にはならなかったが。
とにかく、ホームズのためにも今日はいい成績を出したい。
「ホームズがどうしたって」
数馬が歩き出した俺に向かって唐突に聞いてきた。あ、読心術使われたか。
「調子が悪いんだ」
「病気か」
「まだ特定できてない」
俺は心に壁を作り、ホームズは元気がないというニュースだけを前面にインプットした。
ごめん数馬。君に本当のことは伝えられない。
「そうなんだ、お見舞いに行けるかな」
「遠慮してもらってる。人の出入りが多いとホームズが疲れてしまうらしくて。撫でられたりするのも結構負担になるみたいだから」
「病院には行ったの」
「昨日の晩に連れて行った。全部先生からの指示」
「そうか、早く元気になるといいね」
これ以降、数馬はホームズのことを話題にしようとはしなかった。俺としても、正直ほっとした。数馬の要求に答えたら、必ずホームズは命を削られてしまう。それだけは俺が許さないし、させない。
2人とも何も会話の無いまま、市立アリーナに着いた。
俺は直ぐ胴衣に着替えて、試合前の練習に入った。
何も考える暇はない。ホームズの無事を祈るだけ。
円陣の中に入って肩幅サイズまで足を広げ、右腕を約60度ほどに設定し、イメージトレーニング。実際に矢を放つ人もいたが、俺の場合は体力を温存しなければ。
実際に撃つのは5本程度。
数馬が近づいてきて、OKが出た。
俺は次に紅薔薇のユニフォームに着替えてグラウンドまで出る。
ここでも10分の練習時間のうち、5分はイメージトレーニングに費やした。
あと5分はクレーへの射撃。
調子も上向いてて、ちょうど5分で射撃を終えることができたので数馬も喜んでいた。
そうそう、世界選手権もここ、横浜で開催されるという情報がどこからか耳に届いた。
それは俺の心を数倍にも楽にさせてくれる。
試合の最中に、というわけにはいかないが、ホームズの様子を見る時間が長くなるし、夜も一緒に居られるからだ。
今度ばかりはホテル暮らしではなく自宅=寮で寝泊まりさせてもらうつもりだ。でなければ、ホームズをホテルに連れていく。でも環境が変わるとホームズには負担がかかる。だから我儘と言われようがなんだろうが、寮から試合場へ行く。
練習時間も終わり、本戦が近づいてきた。
緊張しないといえば嘘になる、といったらいいだろうか。ホントに緊張はしてるけど、心臓の鼓動は波打つほどではないし、俺にはやらねばならないことがある。余計なことに気を取られないで、今日は目の前の的だけを見ていきたい。
最初の種目は、『デュークアーチェリー』。
20人のうち、俺は最初から数えて3番目に演武を行うことになった。
逍遥やサトルのパーフェクトな演武を見ないで俺の100%を出せるから、俺の順番としては都合がいいかもしれない。
円陣の中に入り、姿勢を整えてその時を待つ。
「On your mark.」
「Get it – Set」
号砲が辺り一帯に轟き渡る。
俺は力一杯腕を伸ばした。
その時ばかりは、ホームズのことも何もかも忘れて。
目の前にある的だけが、俺の脳を支配する。
結果、9分で100枚という自己ベストを叩きだし、俺は演武を終えた。
本戦ではメダルの授与は無い。
全競技が終わってから、新人戦にエントリーされるものの名が読み上げられるだけだ。
俺は『バルトガンショット』の試合が始まるまで数馬に全権委任することにして、胴衣を雑に脱ぎ捨て市立アリーナから寮までの3キロほどを、全力で走るつもりでアリーナを出た。
そこに聖人さんが立ちはだかった。
「全力で走ったら『バルトガンショット』で息切れするぞ」
「でも。自転車で来たわけでもないし」
「ほら」
5千円札を1枚俺の右手に握らせた聖人さんは、何も言わずアリーナ入口の方へと歩き出した。
「聖人さん、ありがとう」
俺は近くにいたタクシーを拾い寮まで急いでくれとお願いし、ホームズの様子を見に帰った。
寮の前でタクシーを止めお金を払い、バタバタと廊下を走る。
そして自分の部屋の前につくと、深呼吸してそっとドアを開けた。
ホームズは、毛布にくるまったままだった。
傍に行くことが少し怖くて、息をしてなかったらどうしようと半信半疑で近くによって息を確かめる。
良かった、微々たるものとはいえ、まだ息をしてる。
「ホームズ」
俺の囁きでホームズは目を覚ました。
「今日はいい出来だったな、このまま『バルトガンショット』も自己記録出してエントリーにこぎつけろ」
ホームズの声が聞こえた。ああ、失敗した。戻って来なけりゃホームズはこうして魔法使うことも無かったのに。
「ホームズ、もう魔法は使わなくていい。猫のままでいいんだ。ごめんな、俺が戻ったばっかりに」
もうホームズは何も話さず、小さな声で「ニャー」と鳴いてまた毛布にくるまった。
俺はご飯の入れ物や猫トイレを見てホームズが動いたのかを確認したら、全然動いてる様子は無かった。
一度だけ、ホームズの頭を撫でで俺はそっと部屋を出て寮を後にした。寮の近くを走っているタクシーが全然見つからなくてちょっと焦ったが、5分ほど粘ったらタクシーがやってきて、無事に市立アリーナに行くことができた。
ホームズ、何も食べないようだから、帰りにペースト状の猫ご飯を買わなくちゃ。
ホームズを喜ばせるためにも、そして俺自身のためにも、午後の『バルトガンショット』でもいい記録を出したい。
俺の試合なんて透視するまでもないぞ、ホームズ。みんなこっちから話してやるから。
だから、ゆっくりとしててくれ・・・。
タクシーに乗って10分、市立アリーナが見えてきた。
運転手さんは今日何が行われているかわかってるようで、お客さんはギャラリーかい、と聞かれた。選手です、と答えると運転手さんはとても驚いて、何で今タクシーに乗ってるのか!と怒られてしまった。
でも最後には、悔いのないような試合をしなよと応援して、俺を降ろしてくれた。
そう、悔いの残らない試合。
俺の目指すべきはそこに尽きる。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
「どこに行ってた」
アリーナの廊下で、数馬が俺を睨んでる。
俺も負けじと数馬の目をじっと見つめる。
「全権委任したぞ」
「問題はそこじゃない。『バルトガンショット』の練習時間まで帰ってくるのか心配したよ」
「間に合ってよかったあ」
「海斗」
「大丈夫。自己ベスト目指していくから」
数馬は俺の目を見て本気度を図っていたようだが、俺は寮に行ってたことは心の壁にして隠してしまったし、俺が心から自己ベストを望んでるということが伝わったんだろう、それ以上のお咎めは無しということにしてくれて、説教もほとんどされなかった。
俺は早速『デュークアーチェリー』の結果を数馬に聞いた。
1位はやはり逍遥。7分で100枚。
パワー重視型の圧巻の演武だったという。ちょっとくらい姿勢が崩れても真ん中へ撃ちこむ技術は本物だと言ってた。
2位はサトル、こちらは8分で100枚。
どちらもパーフェクトなのだが、サトルの演武は非常に綺麗で見る者の心を洗うというか、清々しい気持ちになるのだそうだ。
逍遥が後手だったので、サトルを大きく突き放す演武はしなかったのだろうと数馬が持論を述べていた。それ、ほんとだから。
全日本のときも逍遥は『マジックガンショット』で1位になれるように自分の射撃時間を調整してた。今回だって、本気にさせたら何分で100枚射抜くかわかりゃしない。
願わくば、逍遥を本気にさせてみたいものだ。
で、俺の結果はというと、9分100枚。無事3位で予選会を通過した。エントリーされるための第一関門を突破したことになる。
あとは『バルトガンショット』だけ。
更衣室で紅薔薇のユニフォームに着替えた俺は、簡単にストレッチ運動を済ませるとグラウンドへ乗り込んだ。
練習に参加していたのは、逍遥、サトル。その他はあまり面識がなく顔と名前も一致しない。挨拶された場合のみ会釈で返し、自分の練習場所へと急ぐ。
グラウンドの隅で、数馬が号令をかけてくれて俺は練習を開始した。3D画像と過去透視。二つを組み合わせ強力になった俺の布陣は他を圧倒するかのように正確な射撃術を生んだ。
最初の練習で100個上限で5分ジャスト。
2回目の練習では5分を切り、4分45秒で試射を終えた。
片や逍遥も4分台前半、サトルは苦手なはずの射撃系で6分台前半という目を疑うような記録を出し、ギャラリーは大騒ぎしている。
どうやら、20名いる予選会出場者の中でも俺たち3人だけが頭一つ飛び越えていたようで、紅薔薇のユニフォームは目立っていた。
本番前の練習が終わった。
俺は一旦アリーナ脇の壁で数馬と休憩し、持ってきたドリンクで喉を潤すと数馬が立ったまま肩甲骨をマッサージしてくれた。
ああ、肩のコロコロが取れてきて気持ちいい。
今の調子を脳内3D画像に焼き付けた俺は、試合が始まる午後1時まで数馬とお昼を食べたりしてリラックスしながら過ごした。
逍遥やサトルを除いた他の連中は記録を少しでも伸ばそうと必死になって練習していたが、俺は体力を温存し本戦に臨むつもりでいたし数馬も同じ考えだったので、その練習風景を横目で見ながらイメージトレーニングを行い準備していた。
午後1時。
射撃順を決める抽選会が行われた。俺はケツから2番目の19番目。
ちょっと遅い感じもしたが、グラウンドを離れてアリーナ脇の壁に寄りかかりグラウンドを遠目に見ながらイメージトレーニングとストレッチを続けていた。
早い順番の生徒たちは、もうグラウンドで今か今かと自分の順を待っている。
同じグラウンドでは、『エリミネイトオーラ』の最終選考が始まっていた。沢渡元会長と光里会長は東日本大会に勝ち残り、この本戦へと駒を進めていた。紅薔薇のユニフォームを着た2人の後ろ姿が俺のところからもはっきり見えた。
午前中の『プレースリジット』の結果は聞きそびれたが、2人ともエントリーされるような出来でここにいると思う。
事実、午前中で競技最下位となり早々に試合を放棄しアリーナを去った生徒もいる。
俺ならどうするだろうか。
推薦された限りは力の限り壁に立ち向かうと思う。自分のせいで推薦を受けられなかった生徒の分まで精一杯競技を行うのが礼儀だと。
『エリミネイトオーラ』を眺めようかなとも思ったが、今は自分の競技に腰を据えてかかることが俺のためにもなるし、きっとホームズも喜ぶだろう。
俺は『バルトガンショット』の行われているグラウンド右側へと移動し、空いている椅子に座ると徐に目を閉じた。
競技中の射撃の音が聴こえる。
クレーを外した音、クレーに命中させた音。
リズミカルな射撃、落ち着きのない射撃。
音が一定の射撃、不協和音のような汚い音のする射撃。
目を閉じてみるとわかる。
リズミカルで音が一定の場合、ご他聞に洩れずクレーに命中していて、落ち着きのない音や不協和音のような汚い音はクレーを撃ち損じている。
ここまで聞いてみて、約半数は音がリズミカル、あとの半数は落ち着きがない。
と、リズミカルかつ物凄いスピードで正確にクレーに命中させている生徒がいるようだ。眼を開けてみると、やはり逍遥だった。
なるほどな、しかし今日は逍遥の射撃に引っ張られて自分を見失うことの無いように、再び目を閉じた。たぶん、この分だと5分を切るのは間違いないだろう。
俺はまた目を閉じて、イメージトレーニングに入る。
ひと息入れようと目を開けると、今度はサトルの射撃が目に入った。逍遥と同じように正確無比なリズムを取り、次々とクレーが破裂する。たぶん、逍遥と遜色ないタイムで終わったはずだ。
彼らは10~15番辺りの順番だった。
俺は椅子から立ち上がり、ユニフォームの上に着ていたベンチコートを脱ぐと右腕をくるくると回してもう一度ストレッチで伸ばし、肩から足にかけて筋肉が固まらないようにバンバンと叩く。太ももなどは特に冷えやすく、叩いて筋萎縮しないように心掛けた。
自分の順番が近づいてくる。
数馬は一言「リラックス」といってサポーターが集まっているサポーター席に下がった。
俺はもう一度目を閉じイメージトレーニングを済ませ、ゆっくりと目を開け一度だけ深呼吸した。
よし。でき得る限りの準備はした。
あとは、クレーを正確に打ち砕くだけ。
18番目の生徒は11分で80個という成績だった。
少しむすっと唇を尖らせ、俺の方を向いて睨む。おいおい、俺に怒ったって仕方あるまい。
俺は射撃を始める位置に立ち、一番奥を見る。
手前から出てくるクレーは皆3D記憶に蓄えてある。どこから出ても、俺の動体視力と3D構築された画像がある限り、撃ちっぱぐることは無い。
「On your mark.」
「Get it – Set」
号令が鳴り、俺は遠くを見たままクレーが出てくるのを待つ。
イメージトレーニングの成果か、クレーが出てくるのが遅く感じた。
左右から飛び出してくるクレーの端部を目掛けてリズミカルに撃ち落していく。音も一定で不協和音になっていない。
よし。出だしは上々だ。
すると3D画像からすり抜けたクレーを撃ち落とせず、クレーは真ん中に近づいた。俺は過去透視を使いクレーがどこから飛び出したかあたりを付けて目を動かさないでそこを撃つ。そして無事にクレーを撃ち落とすことができた。
少し時間はかかるが、この方法で目を動かさないようにしておくと、後々出てくるクレーに惑わされなくて済む。
動体視力だけでクレーを全て撃ち落とすことは上級魔法を使えない今の俺には難しいが、過去透視を使いクレーの位置を動体視力の端に確定させたところに撃つなら大丈夫だ。
魔法競技なんだから、ただクレーを撃つのではなく、皆デバイスを工夫したりクレーに対する魔法を考えたりして競技に臨んでいるはずで。
事実、俺のデバイスも明がプログラミングしたモノだし。明は小さな頃から俺の動体視力の速さを知っている。それに合わせたデバイスを考案してくれたのだろう。ありがとう、明。
考えごとはあとに。そしてリズムを壊さないように射撃を続ける俺。
うちっぱぐったクレーは無かった。
終わりの汽笛が鳴り、俺は射撃を止めてベンチに下がった。
どのくらい時間が経ったのだろう。俺にはとても長く感じられ、自己ベストの更新は難しいのではと思えるほどで、ちょっと自己嫌悪に陥ってしまった。
「ただいまの記録・・・」
放送が鳴っている。今までも鳴ってたっけ。覚えていないということは、いつも相当の緊張感が俺を包んでいたのだろう。
「4分35秒 100個。 |八朔《ほずみ》海斗さん 自己記録更新 自己記録更新」
俺は耳を疑った。
え、あの出来でも自己記録更新できたの?
よっしゃー。
俺は後ろのサポーター席に数馬の姿を探した。
拍手をしながら待っている数馬。
嬉しくて、数馬と握手しながら踊りだす。
あ、いや。
でも自己記録を出したからとて何位になるかはわからない。エントリーされるかもわからない。
今射撃してる人が終わってから、世界選手権と新人戦のエントリー男女各3名が発表されるはずだ。
逍遥とサトルが遠くに見えた。俺がそっちに小走りで向かうと、2人とも俺に気付いたようで、明るく笑った。
サトルがパチパチと拍手をしてくれた。
「このぶんだと、ここにいる3人がエントリーされそうだね」
逍遥もまんざらではない、といった表情でまたもや三日月目になっている。
「それにしても海斗、見事な策を弄したもんだね。過去透視魔法をコラボさせるなんて僕には思いつかなかったよ」
サトルも勢い余って俺の背中をバンバンと叩きながら同調する。
「ホントに!予選会はデバイス1個しか持てないからどこに射撃パターンを決めようか悩んでたけど、あの方法なら出たとこに1発当てればいいんだもんね!」
俺は「?」と首を傾げた。
「デバイス1個持ち?」
サトルがテンション駄々上がりで説明してくれた。
「世界選手権はデバイス2個持ちが許されてるから、たぶん新人戦も2個持ちが許されると思うよ。僕や逍遥はもう2個持って両手撃ちも可能にしてる。海斗は持ってないの?」
「ああ、俺両手撃ちしたこと無いから今からデバイスもう1個手に入れて、そっから練習になるわな」
「あのコラボ作戦にデバイス2個持ちしたらすごい記録が出そうだね」
「でも、2人とも俺より成績良いんだろ」
「どんぐりの背比べ。僕は5分だったし、逍遥は4分20秒」
逍遥が冷静に戻った。
「新人戦は凄い戦いになりそうだ。外国から来るやつらも、一筋縄じゃいかない奴等ばかりだ」
「もう出揃ってるのか?」
「いや。でも考えてみろよ、『デュークアーチェリー』のGPF優勝者のホセとか、『バルトガンショット』のGPF優勝者、ドイツのエンゲルベルトもともに1年だろ。強敵でないわけがない」
俺としては全部数馬に任せて寮に帰りたかったのだが、そうもいかないらしい。
形だけの表彰式、つか、名前呼びイベントなら早いとこ終わらせてくれ。
エントリー者の氏名が公表される頃で、大会事務局の人間がぞろぞろと大挙して出てきた。
「世界選手権日本代表男子:紅薔薇高校3年沢渡剛、同じく紅薔薇高校2年光里陽太、白薔薇高校2年白鳥優大」
沢渡元会長と光里会長は鉄板だな。
「世界選手権日本代表女子:紅薔薇高校2年三枝美優、白薔薇高校2年七尾陽菜、同じく白薔薇高校2年弥皇葵」
へー、弥皇先輩と同じ苗字なんて珍しい。
サトルが小さな声で俺たちに教えてくれた。
「弥皇先輩の妹さんだよ」
「妹?長崎と横浜に分れて魔法勉強してんのか」
「そうみたい」
「俺たちの番、次か?」
「そう、成績順らしいよ」
「続いて、世界選手権新人戦日本代表男子:紅薔薇高校1年四月一日逍遥、紅薔薇高校1年岩泉聡、紅薔薇高校1年八朔海斗」
良かったー、これでホームズにいい報告ができる。
「最後に、世界選手権新人戦日本代表女子:紅薔薇高校1年南園遥、黄薔薇高校1年惠愛、黄薔薇高校1年設楽小百合」
「以上12名が3月に行われる世界選手権及び新人戦に出場します」
アナウンスが終わった。東日本大会を勝ち抜いてこの地に立っていた瀬戸さんは、ここで破れてしまった。南園さんが困った顔をしていたので、俺が先頭に立ち慰めに行った。瀬戸さんはサトルを嫌っているから、サトルは南園さんと一緒に置いてきた。
「瀬戸さん、残念だった」
「ううん、これがあたしの実力だから」
「実に残念だったよ」
「ところで、国分くん襲われたって本当なの?」
俺は思わず前につんのめりそうになった。
「どうしてそれを?」
「自作自演とか、どっかの1年が襲ったとか、色々噂流れてるよ」
「そうなんだ」
「八朔くんが襲ったって言ってる人もいるくらい」
「あはは・・・」
「でも八朔くんは横浜の地理詳しくないから国分くんの実家周辺なんて行けっこないでしょう?」
「白薔薇の生徒会にいわせりゃアリバイは無いらしいけど」
「いずれ、紅薔薇にも捜査くるかもね」
「そんときは、証言よろしく」
誰が流したんだ、そんな噂。
自作自演とか、ますます国分くんが追いつめられるじゃないか。俺としては何もしてないし、過去透視してもらって一向に構わないけど。
それでもホームズは貸し出さない。
ホームズはこれから猫として生きるんだから。魔法なんて使わせない。