表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

第八章その二 早朝、八尾・若江にて(パイロット版)

ご無沙汰しております。

今回は八尾・若江の戦い編です。

 道明寺の戦が始まったその頃。

 道明寺戦の銃撃を耳にしていた八尾方面の藤堂(とうどう)高虎(たかとら)隊は、道明寺へと急いでいた。

 だが

「殿! 我が軍の側面を突いて、敵軍が攻めてきております!」

「何!?」

敵軍が、行軍の側面を突いて攻めてきたとの報せが届いた。更には、別の二隊もが間近に迫っているという。

「殿、恐らく奴等の目的は、徳川殿の陣営で御座います。勝手な戦だと徳川殿に叱られるやもしれませんが、その際はこの良勝(よしかつ)がやったと仰せになればよろしい」

 従弟でもある古くからの重臣の提案に、高虎は笑いながら首を振った。

「ははは。んな水臭ぇ事言うなよ。餓鬼の頃から叱られる時は一緒だったろうが。徳川殿に叱られんのはワシも覚悟してら。一緒に叱られようぜ。ーーよし、応戦すんぞ。で、各隊の総大将は?」

「はっ。付近にいる敵部隊は木村(きむら)増田(ましだ)、攻め込んできた部隊は、地黄に黒餅……長宗我部、にございます」

「長宗我部……!」

 傍らの弥次兵衛(やじべえ)を見下ろすと、静かに首を振っていた。

「……いや、戦場で情けは無用」

 しかし高虎の(げき)は震えていた。

「じゃ、新七郎(藤堂良勝)は木村隊、(せん)(藤堂高吉(たかよし))と式部(藤堂家信(いえのぶ))は増田隊を頼んだ。ワシの本隊は長宗我部隊を攻めるぜ」

「「「「はっ!」」」」

 藤堂隊は三手に分かれて、各個撃破する作戦に出た。

 こうして道明寺に遅れて、八尾・若江の戦いが勃発した。

 

***

 

「完全に後手に回ってますね、兄上」

「ああ、いくら相手が若武者といえ、芳しくないな」

 若江方面の木村隊の相手を任された良勝と良重(よししげ)の兄弟は、渋い顔をしていた。

 霧に隠されてはっきりとは見えないが、木村隊は相当な大軍のようだ。

「よし、俺が一発突撃してやりますよ! 相手は若武者なんですから、不意を突かれたらすぐ混乱するでしょう」

 どんと胸を叩く良重を、良勝が肩を掴んで制する。

「やめよ。いくら相手が若く戦に慣れていないとはいえ、大軍は大軍だ。単騎で突撃するなど正気の沙汰ではないぞ」

「ですが、どちらにせよ正面から挑んでも勝ち目はありません。一か八かでやってやりますよ!」

「こら待て! ……皆の者、追うぞ!」

 良勝が慌てて後を追う一方、木村隊はというと

「藤堂が攻めてきたか!」

既に弾込めを済ませ臨戦態勢だった。

「ん? 単騎、だと? 正気か?」

「慌てなさるな殿。おおよそ斥候が目的でしょう。早々と倒してしまいましょう」

「そ、そうだな。先鋒隊、突撃!」

「先鋒隊、突撃!」

 木村軍の先鋒が、良重をぐるりと囲んだ。

「くっそ! 見誤った!」

 良重も負けじと槍を振るって対抗するが、脇から、腰から、首筋から、槍の穂先が具足の隙間を突いて肉体を貫く。

「ぐっ……退却、だ」

 震える手で穂先を無理矢理引き抜き、がむしゃらに槍を振り回す。

「抜けた、か」

 朦朧とした意識で手綱を握り締め、己の血に塗れた馬を走らせて引き返す。

「格好付けるとろくな事にならないな……」

 これじゃあまた兄上に叱られるな……と自嘲した良重の体が、ぐらりと馬の首にもたれた。

 

 良勝隊が単騎で戻ってきた良重を見つけた時、良重は既に事切れていた。

「無茶をしおって……」

 馬から力なく崩れ落ちた良重の亡骸を、良勝が抱き止める。

「皆の者、良重の討死を無駄にするな! 若造にものを見せてやれ!」

 鉄砲を携えて駆けてくる良勝隊を、重成もすぐさまに見つけた。

「相手が鉄砲なら、我等も鉄砲だ。撃ち方、始め!」

 先頭が斃れる様を見た良勝隊も、負けじと鉄砲を放ち、前線に鉄砲玉が入り乱れる。

 しかしいくら重成がまだ若いとはいえ、数では木村隊が遥かに有利。加えて鉄砲は、鉄砲そのものの重量と反動に耐えうる腕力さえあれば、経験が少ない兵でも熟練とさほど変わらない威力を出せる代物だ。むしろ経験は浅いものの視力が良く機敏な若者で構成された木村隊は、視力が衰え鉄砲の細かい部品がよく見られない老兵の多い良勝隊より鉄砲隊向きですらあった。

 逆に言えば、良勝隊は銃撃戦に持ち込まれた時点で不利だった訳で、熟練の将兵が次々と討ち取られていくのも致し方ない事だった。

「くっそ、若造が……」

 そう舌打ちする良勝も、先程右肩を打たれて以来、当たり所が悪かったのか右腕はぶらりと垂れ下がるばかりで言う事を聞かない。

 こんな様では鉄砲など持てない。

(だが、槍は片手でも持てる)

 良勝は槍を地面に叩き付けて半分に折った。

(殿の御首は、与吉の首は絶対にくれてやらんぞ!)

 ずらりと並ぶ銃口と対峙するのに、躊躇いなど無かった。

 若者の軍は視力は良く機敏だが、鉄砲の扱いには慣れていないようだ。明らかにてこずっている。今こそ好機だ。

「皆の者、突撃!」

 片手で手綱をいつもより強く打つと、愛馬は意を汲んで全速力で走り出してくれた。

「我こそは藤堂家が一門、藤堂良勝なり! 我の首を手柄とするが良い!」

 生き残った兵を従え自ら先陣を切る良勝に、木村隊の若い兵達は鉄砲を取り落とさんばかりに動揺した。

「狼狽えるな! 槍部隊、前進!」

 重成の号令を受けて、最早弾込めどころではない鉄砲部隊の前に槍部隊が壁を作った。

 この判断は迂闊だった。

「槍仕合で我等に勝てると思うてか!」

 水を得た魚とはこの事か。槍を上段から振り下ろすかしか使い方を知らない若い兵相手に、突くわ殴るわ斬るわ、あるいは服に絡めて動きを封じ首を獲ったり、脚を引っかけて転ばせたりと、最早独壇場だ。いくら訓練は受けても、人は実践を積み重ねねば身に付かないもの。その経験値の違いを、まざまざと見せつけられる。

 ーーしかし、精鋭の寡兵で数の不利は覆し難いのも、また戦の習い。良勝隊も例に漏れず、手練れの将兵が数人がかりで囲まれ、次々と首を獲られてしまっていた。

 そして良勝自身も、十数人に囲まれていた。

 既に良勝の左手は、敵の攻撃を幾度となく片手で受けた代償で、痺れてほとんど感覚が無い。

(これまでか? ーーいや)

 思い出したのは、従兄であり主君でもある、高虎の古傷。

『また傷が増えたな。痛まないのか?』

 何時(いつ)の頃だっただろうか、全身に残った古傷の仲間入りをしそうな深手を手当てされている高虎の背中に、そう呟いた事があった。

『なに、心配すんな。痛ぇがな、痛みなんざ気にならねぇよ。此奴(こいつ)は武勲の証だからな。俺にとっちゃ、殿がこの傷を受けなかっただけで大金星だよ』

 高虎はそう言って、誇らしげに笑っていたっけ。

(与吉の傷を思えば、左手の痺れなんぞ!)

 尚も痙攣する左手に活を入れる。重い槍を捨てて打刀に変えてやると、少し腕が楽になった。これならいける。

「でやぁっ!」

 景気付けに思い切り横に薙いでやると、敵兵二、三人の首がすぱっと取れた。

 これが火事場の馬鹿力だろうか、かつては叶わなかった重い一撃が、片手で振るえる。残りの寿命の前借りだろうが関係無い。

(私と与吉は小さい頃から一緒だった。離れた事なんざ無かった。……だからこそ、彼奴に命を懸けられる)

 次々と来る新手、これをかいくぐって逃れるのは不可能だろう。現に全身はすっかり血塗れとなっている。きっとここが己の墓場だ。

(だが与吉の首を、此奴等なんぞにくれてやるか!)

 そして十人かそこらを屠った頃は、ついにその時が来た。

「ぐっ!」

 良勝の左前腕を、敵の槍が打ち据える。気力だけで痺れを誤魔化していた腕は、激痛に耐えかねて打刀を取り落とした。

 すかさず突かれた敵兵の槍が、具足の繋ぎ目を掻い潜って良勝の腹部を刺し貫いた。

「覚悟!」

 ひやりとした物体が首の皮に食い込んだと思ったら、猛烈な灼熱感に変わる。

 首を斬られたのだ、そう確信した。

(与吉、俺はもう駄目みたいだ。先に逝くぞ)

 残された力で敵陣をきっと睨み付けた首がこぼれ落ち、良勝の胴体はどうと斃れた。

 

「やりましたな!」

 一角の重臣であろう豪華な装備の敵将がどうと倒れ伏す様に、木村隊は喜びを隠せなかった。

「このまま追撃しましょう!」

「いや、やめておこう。次の手柄を狙いに行く」

 だが重成は、さほど満足していないようだ。

「しかし殿、兵達は深夜からの行軍で疲労しております。藤堂隊の重臣を討ち取ったとなれば、豊臣様もお喜びになるでしょう。そろそろ引き上げた方がよろしいかと」

 そう進言する飯島(いいじま)三郎右衛門(さぶろうえもん)なる家臣は、慣れぬ鉄砲の反動で手が痙攣している兵を見下ろしていた。

 重成もちらりと兵達は見やるも、「いいや、退けない」と首を振った。

「私はまだ両将軍の首を獲っていない。大名ですらない将の首なんて、功には含まれない」

「しかし、殿はまだ年若く戦にも慣れておられない。両将軍の首を獲るのは、五人衆の皆様方にお任せした方がよろしいのでは?」

「それなら尚退けない。五人衆の皆様に両将軍を討ち取っていただくため、私達も尽力しなければ。牢人に粉骨砕身して働いて戴いているというのに、豊臣家臣がおめおめと退く訳にはいかない。さ、朝食にしよう」

「……はっ」

 木村隊は、既に棒のように張った脚でよろめきながら腰を下ろし、眼精疲労を起こしてしょぼしょぼした目を必死で見開きながら、早めの朝食を摂った。

 

「な? 俺の耳は確かだろ?」

「殿、静かにせねば、見つかりますぞ」

 そんな木村隊に接近する、一隊がいた。

 霧の中でもうっすらと見える鮮やかな赤備え、総大将の兜に輝く大天衝(おおてんつき)脇立(わきだて)ーー井伊直孝隊だ。

「やっと会えたな。その首、俺の手柄にしてやる」

 兜の奥で、紅を塗ったように赤い口が舌舐めずりした。

 

***

 

 一方の八尾。

 

 長宗我部本隊から離れて先鋒を務めていた吉田(よしだ)重親(しげちか)は焦っていた。

「何だあの大軍!」

 長宗我部の作戦は時代遅れだった。本隊の規模を計られないようにとの意図もあってか、先鋒は武装も薄く少数だった。

『私が先鋒を務めますとも!』

 そう勇んで先鋒を買って出たは良いが、この大軍相手だとどう考えても撃破は絶望的だ。

「しかも藤堂かよ……。嫌な相手が来たな」

 旧友がいるから、というだけではない。藤堂が歴戦の名将である事は、彼も重々承知していた。

 はぁ、と重く嘆息する。彼の手には槍しかない。ただの斥候(せっこう)だと思っていたから、鉄砲は一丁も持っていない。

「……ま、でもやるしかねぇよなぁ」

 伝令を呼び付け

「殿に、藤堂隊と遭遇したと伝えろ。あと、援軍も頼んでくれ」

と命じると、

「皆の者、俺は今からあの大軍に突撃する。殿のため、土佐吉田の名を汚さぬため死ぬって奴だけ俺について来い!」

そう檄を飛ばした。

「「おー!」」

 吉田隊は一人として去る事無く、死線へと駆ける大将と歩みを共にした。

 その吉田隊と遭遇していたのは、増田隊を任されていたはずの高吉・家信隊だった。

「……ん? ありゃ、長宗我部か?」

「いやいや、あの小勢が長宗我部の訳……」

 だがどう見ても、鉄砲すら持たない小勢の旗印は間違い無く長宗我部隊のそれだ。

「恐らく本隊とはぐれたのだろうな」

「だが、本隊を呼ばれては厄介だ。蹴散らすぞ」

「言われなくとも」

 高吉・家信軍は、小勢に容赦無く発砲した。

 小勢な上に鉄砲を持たないとなれば、吉田隊もはや的も同然。それでも槍を構え果敢に突進するが、重親の周囲に控える兵は次々と胸に風穴を空けて倒れ伏す。

「はは。そりゃそうなるか」

 重親が悔し紛れに己の槍を見ても、鉄砲には変わってくれない。俺にはこれしか無い。

 なら、行くしかない。

「私が敵に突っ込んで撹乱する。その隙にお前達は、頃合いを見計らって突撃しろ」

 残った仲間にそう告げると、

「皆の槍、借りるぞ!」

自前の槍を右手に、隣で斃れていた兵の槍を左手に持ち、馬を駆った。

「何だありゃ!?」

 驚く敵兵に構いもせず、倒れた仲間の槍を拝借して飛んでくる鉄砲玉を弾き返し、槍が折れたら別の槍をまた拾う。

 敵の銃撃を掻い潜って敵軍の渦中にはたどり着けた。だが敵は隙間無く布陣し、大将の姿すら見えない。

「ああもうまどろっこしい!」

 重親は何を思ったか(あぶみ)を踏んで鞍の上に乗っかる。

「は?」

 槍を捨てて打刀を抜ち放ち、呆気に取られる敵兵の面前でぐっと腰を低く下ろすと、

「土佐国が長宗我部の旧臣、吉田重親、参る!」

押し曲げられた脚をばねに、力強く鞍を蹴った。

「はぁ!?」

 重親の跳躍は目を見張る敵兵の頭上を通り過ぎた。

 視界が広くなるとーー見えた! 居並ぶ兵士の中に、一際装備が良い将が!

「覚悟ぉ!」

 大将らしき男目掛けて、渾身の一太刀を振り下ろす。

 だが、

「させるか!」

腹を穿つ灼熱感。同時に、重親の全身から力が抜ける。

 腹を焼かれたが如き激痛、それでも何とか振るった剣は、ただ空を切っただけだった。

「家信殿! 大事無いか!」

「大事はござらん」

 運悪く、もう一隊と合流されてしまった。

「くそっ! まだ……」

 気を取り直して、増援された敵軍を見据え打刀を構え直した重親の体が、ぐらりと崩れ落ちた。

「……は?」

 立ち上がろうにも、脚に力が入らない。

 ふと腹を見ると、十数年出番が無く少し劣化していた具足を貫通して、重親の腹に風穴が空いていた。

「今だ!」

 好機と見た藤堂兵が、一斉に重親に襲いかかる。だが彼もただ膝をついているわけではない。だんだんと頭が白んでいく中でも、まだ打刀を振り回して牽制する。

「殿を死なせるな! 突っ込め!」

 頃合い良く、味方が敵に突撃してくれた。混戦になる中重親は、何度も襲いかかる敵兵をいなし、忘れてたようにぼたぼたと鮮血を垂れ流す腹を押さえながら、何やら石碑のような物の陰に逃げ込んだ。

 すっかりぼんやりした目を凝らすと、石碑と思っていた物体は、微かな笑みを湛えた地蔵尊だった。

「ありがてぇ……」

 手を合わせようとすると眩暈が襲い、地蔵尊に寄り掛かる形になってしまう。

(くそ、もう頭が働かねぇ。俺もここで終いかな)

 虚ろな目を閉じると、脳裏に馴染みの顔が浮かぶ。

『あまり無理はするなよ。無事に帰って来てくれ』

(殿!)

 盛親の顔が浮かんだ瞬間、体の痛みも無視して跳ね起きた。

 自分が何をしに来たか。皆で土佐を取り戻すためじゃないか。決死の覚悟で先鋒を買ってでた自分を本気で心配する優しい殿に、もう一度土佐の地を踏んでいただくためじゃないか。

(地蔵様、俺は今から死にます。ですが俺は地獄に落ちようがどうしようが良いんです。ただーー殿を地獄行きから救って下さらねぇですか。若い頃はやんちゃをやらかしてましたけど、良い殿様なんですよ)

 地蔵尊は、今際の際の願いを聞き届けたのか否か、ただ微かに笑んでいる。それでも、重親は満足げだった。

 重親は脳内麻薬の存在など知らないが、痛覚が次第に麻痺してきたのには気付いていた。頭も冴えてきた。

 地蔵尊の陰に隠れて辺りを見回しているとーーいた! 確か家信とか呼ばれていた大将だ。

 家信は影に敵が隠れているとは知らず、無警戒に地蔵尊の方へと退避してきた。傍には藤堂兵が付いているが、自分はどうせ長くないんだ。知ったことか。

「皆の者、ここら辺りで休息をーー」

「隙あり!」

 手応えはあった。しかしたとえ気力で覚醒しても、大量出血のせいで体力を消耗していたんだろうか。

「殿!」

「心配するな。脚を刺されただけだ」

 重親の槍は、確かに家信の太股に深々とした刺し傷を作った。討ち取るまではいかないが、及第点だと割り切った。この傷では暫くは満足に歩けないだろうし、馬で移動するのも苦痛だろう。少なくともこの戦では、ここいらで戦線離脱せざるを得ないはずだ。主君の敵は、一人減らせた。

 だからこれから訪れるであろう破滅に、不安も不満も無かった。

「この死に損ないが!」

 鋭く研がれた槍先が、重親の脇を貫いた。

 重親の両足から力が抜け、地に膝を着く。

 ただでさえ大量に出血していた重親の体にとって、脇の傷は致命的だった。

(欲を言えば、殿の武勇を間近で見届けたかったな……)

 微笑みを浮かべた重親の首を、敵兵の打刀が刎ね飛ばした。

 

「やれやれ、しぶとい敵でしたな」

 高吉と家信は、壊滅した吉田隊の折り重なった骸を見下ろしていた。

「うむ、腕の立つ勇士達でしたな。……しかし、先鋒としては些か寡兵では?」

「いくら手練れがおるとはいえ、あまりに寡兵ですな。長宗我部は千騎程いると聞き及んでおりましたが」

「なに、たとえ千騎おろうが、その全てが出撃するとは限りませぬ。ひょっとすると、半数程城に置いているのかもしれませんぞ」

 まさか敵が大軍だとは露とも思わず、二人は本隊へと引き返していった。

 

「は? 鉄砲も持たぬ寡兵が、先鋒?」

 藤堂隊の先鋒を務める藤堂高刑(たかのり)は、高吉隊からの報告に耳を疑っていた。

 改易されたとはいえ、元は土佐一国を統べていた大大名だ。現に大坂入城の際は、千人あまりの大軍を引き連れていたはずだが。

「おい待て。長宗我部隊の先鋒が鉄砲すら持ってない小勢なんて、あり得るか?」

 高刑が先鋒から呼び寄せた弥次兵衛に問うても、ただ首を緩く振るのみ。

「某には分かりかねます。しかし某が長宗我部にいた頃から、四国の戦は中央より一歩、二歩遅れておりました。寡兵に先鋒を託す旧式の戦法を取った可能性は十分にあります」

 ううむ、と高刑は腕を組む。

「弥次兵衛にも一理ある。確かに四国の戦法は、多少遅れていると言わざるを得ない。が、かの元親公ならともかく、その子息だろう? そのような遅れた戦法を取るものか? 我々が大坂まで進軍した際に備えて、半分程城に温存していると考えた方が自然なのではないか?」

 結果的に、弥次兵衛の推測こそが当たっていた。

 これが同じく中央から離れている、例えば島津との戦であれば通用しなかったかもしれない。だが中央の当時最先端の戦に慣れた藤堂には、先鋒を偵察程度の寡兵に抑えるという古臭い戦法を取ってくるだなんて、想定出来なかった。

 四国の時代遅れの戦が、偶然にも藤堂隊の裏をかく事態になった。

 

 その長宗我部隊を率いる盛親は、旧臣の死に静かに黙祷していた。

「皆の者、我々は一世一代の賭けに出る。この霧に紛れて身を潜め、敵が我々に気付かず進軍してきた所を急襲する。それには、其方達の協力が必要だ」

 長宗我部隊は今、長瀬川の付近にいる。元々この辺りが湿地である上に、目の前に川岸があるためかさらに泥濘(ぬかる)んでいる。ここでの行軍は、例え霧中でなくとも難儀するだろう。

「私が良いと言うまで、堤防に身を隠し待機せよ。不用意に立てば叩っ切ると思え」

 長宗我部隊は将も兵も、松の上で目を凝らす盛親以外は皆川の堤防に隠れて敵を待った。

 やがて盛親の視界に、薄らと藤堂隊らしき旗印が見えてきた。規模を見るに、本隊ではなさそうだが大軍だ。

 既に敵兵が潜んでいるとは知らずか、藤堂隊はこちらに向かってくる。

(まだだ……まだだ……)

 やがて藤堂隊はさほど警戒している様子も無く、川近くの泥濘(ぬかるみ)を行軍し始めた。

「今だ! 全軍突撃!」

 盛親の号令に機敏に反応した長宗我部隊は、弾かれるように藤堂隊へと襲いかかった。


「何だ何だ!?」

 盛親の作戦が功を奏したようだ。迎え撃つべき高刑隊は、突然目の前に現れた敵軍にすっかり慌てふためいていた。

「慌てるでない! まさか大軍が突撃している訳でもなかろう!」

 何とか兵を落ち着かせようとするが、伝令からの報告は

「申し上げます! 川の堤防の陰より現れた長宗我部隊に、先鋒が攻撃を受けております! その数、未だ全貌は把握出来ておりませんが、千は下らぬかと!」

「何!?」

 高刑はしばし硬直した。

「……御苦労。すぐさま殿に報告せよ」

「はっ!」

 高刑は伝令を見送ると、声を張り上げた。

「我は藤堂仁右衛門高刑! 先の関ヶ原での戦にて、大谷吉継公が家臣湯浅(ゆあさ)五助(ごすけ)を討ち取った者也! 我に挑む物は来るが良い!」

 その名を耳にすると、長宗我部隊は俄に色めきだった。

「藤堂仁右衛門殿か!」

「湯浅五助を討ち取ったあの!」

「ならあの槍は、徳川から得たという逸品か!?」

 よし、これで時間稼ぎが出来そうだ。

(五助殿、其方の名は十五年経った今でも知られているようだ。助かった!)

 高刑は向かってくる長宗我部兵を、自慢の槍で迎え討った。

 ただの槍では無い。家康直々に賜った名誉の品だ。

 関ヶ原での戦の時だ。大谷吉継隊を攻めている際、白い布にくるまれた物を地中に埋めている敵将を見付けた。

『あ、主の首級(しるし)は渡せません!』

 湯浅五助なるその将は、こう取り引きを持ち掛けてきた。

『私の首を獲る代わりに、主の首の在処(ありか)は明かさずにおいて下さりませんか。殿には及ばぬでしょうが、多少の手柄にはなりましょうぞ』

 大谷吉継の首を得たとなれば大手柄、その一方でこの男はそれなりに名は知られているもののあくまで側近の一人。取り引きは高刑にとって損でしかない。

 だが高刑は

『自らを犠牲に主の名誉を守るとは、忠臣の鑑だ。是非見習いたいものよ』

と、この取り引きを快く受け入れ、安堵に微笑んだ五助の首を獲った。

『側近となれば、刑部(ぎょうぶ)殿の首の在処は存じておるだろう。其方は何も聞かなかったのか? 刑部殿の首があれば、褒美を更に増やすぞ?』

 家康にそう問い詰められても、高刑は

『五助殿に誓いを立てました故、たとえ徳川様であろうと明かす事は出来ませぬ』

と口を割らなかった。家康は

『藤堂殿も良い家臣を持ったものだな』

と、槍や刀を高刑に下げ渡した。

 高刑にとってこの槍と刀は、吉継の首を取り損ねた大損失など忘れ去るような名誉だと自負している。と同時に、約束を守った返礼に五助がくれた物だとも思っている。

(俺も、彼のような忠臣になれるのだろうか。いや、ならねばならない。叔父上を守る為にも)

 何度もそう自身に問いかけたが、今こそその時だ。

(くそっ! ここで終いだと思えば、湿っぽくなってしまうな)

 高刑隊は、完全に押されてしまっている。周囲に控えていた小姓の生死すら分からない状況で、長宗我部の兵が目の前にまで迫っている。

 その時、騎乗兵が高刑の脳天目掛けて槍を振り下ろした。

「くっそ!」

 自慢の槍で敵の槍を振り払い、やれやれ間一髪と思ったのも束の間、高刑のがら空きになった脇に地上からの槍が深々と突き刺さった。

「ぐっ……!」

 激痛と出血で意識が朦朧とする。視界がぐるんと回転したのは眩暈のせいか、それとも落馬したせいか。

 後頭部の衝撃に、目の奥で雷が走ったかのような酩酊感に襲われる。

 それでも高刑の右手は、自慢の槍を大切に握り締めていた。

「かの仁左衛門殿の首級だ。大手柄だぞ」

 最早目の前に群れているであろう敵兵の顔すらぼんやりとしか見えない中、打刀の煌めきに目が眩む。

(これで、刑部殿の首の在処は、誰にも分からなくなったな)

 今際の際だというのに、高刑はそう納得していた。

 

「申し上げます! 先鋒隊が、長瀬川の堤防より現れた長宗我部本隊の奇襲を受けております!」

「何だと!?」

 高刑といえば、自身の甥。と同時に自慢の重臣でもある。

「本隊も直ぐに向かうと伝えよ!」

 この時既に高刑隊は壊滅しており最早後の祭りだと、彼は知らない。

「はっ!」

 伝令が去った後、高虎はぽつりと呟いた。

「先鋒には確か――」


「何という……」

 その先鋒は桑名弥次兵衛吉成、かつての長宗我部旧臣を纏めている弥次兵衛がいた。

 目の前から現れたのは間違いない。互いに歳を重ね老け込んではいるが、見まごう事か。かつて長宗我部家に仕えていた時に見知った顔ぶれ、かつての同朋ではないか。

 弥次兵衛は黙って天を見上げた。もしこの世に神がおわすならば、何と残酷なのだろうか。徳川も豊臣も数多軍勢がいるというのに、よりにもよってかつて肩を並べた者共に殺し合えと仰せになるのか。

 目の前にいる知己も、我々を認識したようだ。

「其方は……」

 久々に元気な姿を見られた安堵と、その元気な姿が敵隊として現れた絶望、そして

「其方……我が殿に槍先を向ける気か!」

行き場を失った憎悪を此方に向けてきた。

「元親様、盛親様に取り立てて戴いた御恩がありながら、我が殿の道を塞ぐか!」

「我等は殿の雪辱のため、もう一度長宗我部様の土佐を取り戻すべく馳せ参じた! その行く手を阻むのならば、例えかつての友であろうと容赦はせん!」

 かつて苦楽を共にした仲間が指先が白くなる程槍を握り締めるのとは反対に、弥次兵衛達の腕からは力が抜けていく。

 その奥には、一際目を引く具足を纏った一回りは年下であろう将が見えた。互いに馬上だから多少は顔が伺える。皺は増えているが歳を重ねて余計に垢抜けた、色白の美丈夫。

「――殿」

 早鐘を打つ心臓を宥めるべく、ゆっくりと息を吐く。

 弥次兵衛の心はさらに掻き乱された。己は既に藤堂家の重臣の一人に名を連ねているし、高虎への忠誠心もある。だが旧主の盛親にも、再会の際には焼き(はまぐり)を手土産に持って行くくらいには思い入れが残っている。

「久しいな。弥次兵衛」

 憂い気な声色に反して、その凛々しい目は吊り上がっている。

「土佐奪還の志を妨げる者は、誰であろうと許さぬ! 皆の者、かかれぃ!」

 つい十五年前まで共に戦い共に笑い合っていた者達が、気が狂ったような絶叫を上げて突撃してきた。

 敵の士気は高い。改易された主君の元に再び馳せ参じたという誇りで、友を殺める苦痛がほんの若干だが麻痺している。

 一方の桑名隊は、無抵抗に等しい有様で次々と討ち取られていく。今の主君は藤堂高虎だと頭で理解していても、かつての主君に刃を向けるという紛れもない事実を心が許容出来ない。普段なら勇猛果敢に振るわれる得物が、まるで別人が扱っているかのように切れが悪い。

(盛親様にも刃を向け、高虎様の御恩にも報いられないとは、何たる不忠者だ)

 開戦前、敵が長宗我部と聞いた時高虎が向けた視線の意味に、弥次兵衛は気付いていた。家臣が主君に心配を掛けさせるとは情けない。

(……いや、待てよ?)

 その刹那弥次兵衛に浮かんだのは、あまりに絶望的な閃きだった。

(盛親様の大志を妨げず、高虎様の御恩に手柄で報いるには――某がここで討死すれば良いのではないか?)

「……皆の者、突撃」

 絞り出すような号令に、将兵も弥次兵衛の意図を察して鉄砲を捨てる。

「う、うおおおおおぁっ!」

 桑名隊は、槍のみを携えて、まるで敵に身を晒すかのように突き進んだ。

 長宗我部隊は暫したじろいだが

「撃ち方……始めぇ!」

盛親の号令で我に返り、桑名隊目掛けて一斉に鉄砲を放った。

 先陣を突き走る弥次兵衛に、弾の雨が容赦無く降り注いだ。

 全身を貫く灼熱感に、頭がおかしくなりそうだ。だがそんな物、二人の主の板挟みになる罪悪感に比べれば軽い。

(これで良い。これで殿を裏切らずに済む)

 糸が切れたように地に崩れ落ちた弥次兵衛は、憑き物が取れた微笑みを浮かべていた。

「私が首を獲ろう」

「殿! 危のう御座います!」

 未だ意識が残っている弥次兵衛の耳に、そんな会話が届いた。

「私が不甲斐なかった故に、すまんな。其方等の供養の為にも、必ず長宗我部を再興してみせよう」

 朧気な視界に、盛親の少し皺が増えた顔が映り込んだ。

(すっかり棘が取れて立派になられましたな、殿)

 銃創から空気が漏れ出る喉では、その言葉は紡げなかった。

「其方は、どうか彼岸より見守ってくれ」

 温かく大きい指が、己の額に触れる。

「さらばだ、弥次兵衛」

 瞼を閉じる旧主の指の温もりを感じながら、弥次兵衛は静かに事切れた。

 

「……すまんな」

 長宗我部隊は、安らかな死に顔を湛えた弥次兵衛の首が盛親自らの手で跳ねられるのを、静かに眺めていた。

 感傷に浸る間もなく、盛親は馬上の人となった。

「弥次兵衛等の犠牲を無駄にするな! 我々が挑むのは歴戦の藤堂高虎ぞ! 皆の者、かかれ!」

 長宗我部隊は、かつての(ともがら)の骸を飛び越えて、高刑隊の救援にと駆け付ける藤堂本隊へ駆けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ