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水族館を砂糖漬け

作者: 桜口 あんよ

次の部屋は、一番の目玉となるクラゲの展示の部屋だ。

ふわふわ、ゆらゆらと漂うクラゲに多くの人が癒されている。他の部屋よりさらに絞られた照明をうんと吸収し、床にも壁にも天井にも淡く反射する光が幻想的で、うっとりと魅せられてしまう。



「キラキラ......星空みたい......」


「クラゲは漢字で海の月と書くしね。月も結局は星だし、ここはひとつの宇宙空間なのかもしれないね」



星夜の音楽展開催中は、クラゲの展示空間には座席が用意されている。これはおそらく、ゆっくりご鑑賞ください、という意味だろうと予測できた。椅子もクラゲをモチーフにした丸椅子で可愛らしい。



「せっかくですので、座ってゆっくり見ましょう」



穏やかにハープの独奏が水音と溶け合って体に流れ込んでくる。リラックスした脳は私の意識をぼんやりさせていく。ぼうっとしていると、私の意識もクラゲのように水中に漂い、ここがどこなのか、とうとうわからない。もしかしたら、本当に宇宙空間に放り出されてしまったのかもしれない。

どことなく聴き覚えのあるような旋律は、人肌を恋しくさせ、私はご主人様にぴったりと寄り添った。燦然と輝く大きな太陽の周りを廻る、小さな水星のように。

遠い昔のように父母に甘えたくなるような......なんだろう、この感情は。ノスタルジーだろうか。よくわからないが、強く、確かに何かしらの感情を喚起されている。



ぽす、と私の肩に物があたり、意識が宇宙空間から大気圏内に戻ってくる。私の肩にはご主人様の頭が委ねられていた。人の頭は、やや重い。中身がしっかりと詰まったご主人様の頭なら、尚のこと。



「こうやってすると......君は困るかい?」



切なげな月光を灯した、凪いだ水面の瞳が私の胸を突いた。彼も、人に甘えたくなったのかもしれない。

彼は、両親にこのように甘えたことなんてあっただろうか。多分、ない。無性に彼を抱きしめてあげたくなった。かわいい彼があんまりにも強く私の胸を突くものだから、私の胸は哀しさで破れ張り裂けて死んでしまいそうだ。



「大丈夫、困りませんよ」



空いた手で甘えたな彼の頭を可愛がると、彼はすぐに寝息を立て始めてしまった。彼は何も言わなかったけど、本当はかなり疲れていたはずだ。虚弱体質の彼は最近出張が多かった。そんなスケジュールで平気なわけがないのに、休日にも出掛けるなんて。

優しくしたいと思った。持てる限りの熱で、冷えた彼を包んであげたかった。包んで、温めて、この世の全ての悪意から守ってあげたい、穏やかに眠る貴方の横顔を。誰よりも無邪気で、本当は誰よりも優しい貴方の安らかな眠りを。


静かすぎる楽園で、息を潜めて寄り添い合うと、有限な水槽の中の世界で私たちは二人きりになれる。ご主人様の色素の薄い髪の上で波打つ月光を見つめれば、際限なく時間の多くが過ぎ去っていった。

そして、ご主人様が目を覚ましたときには、彼の腕時計は五時半を指していた。水族館にきたのが二時ごろだったから眠りこけてから三時間弱は過ぎていたことだろう。



「途中で起こしてくれても良かったのに。退屈だっただろう?」



私は、彼の少し乱れた髪を軽く整えてあげた。彼も、それにべったりと甘えてされるがままだ。



「平気ですよ、ご主人様の素敵な寝顔が見られてよかったです」


「君、ずっと僕の寝顔を見てたのかい?君も暇だね......」



そうして、ご主人様はちょっと照れ臭そうに笑った。



クラゲの展示空間を抜けて、私に歩幅を合わせてくれるご主人様と一緒にいろんな水槽を見て、二人してはしゃいだ。

お土産にとご主人様が買ってくれたエイのぬいぐるみを恥ずかしげもなく片手に抱きながら、傾きかけた夕日の下で、普通の恋人たちのように手を繋いで帰った。



 私は今日、至上の幸福を、それが宇宙の摂理であるかのように、当然のように享受した。何気なく道端に咲いた小さな花にさえ、素晴らしいと思う。



「二人で来てよかったね」



なんて、貴方が余りにも普通なことをなんでもないように言うから、私も普通に素直に、「そうですね」なんて言って笑った。


✳︎


 私とご主人様は、他のメイドに内緒でここ最近ずっと一緒に寝ている。これは、あまりにご主人様が忙しいと、一日中ほとんど会話もできない日があるが、それではあまりに淋しいからといって二人で相談して決まった打開策だった。

 手をつないだり、抱き合ったり、触れ合いながら眠る。不思議とそれだけで以前より寝覚めがいい気がするし、何より単純にQOLが向上した、と思う。



「そういえば、この前母からスミレの砂糖漬を押し付けられたんだ。どうも頂き物らしいけれど。あの人、あれが苦手らしくってね

多果子ちゃん、食べる?」


「はい、いただきます。えへへ、わたくしはあれがすきなんです」


「ああ、よかった。記憶違いじゃなくって。僕もあれがすきだよ。おいしいよね」



 特別なデートも楽しいけれど、私はこういう何気ない普通の会話をしている時間がとてもすきで......。二人でおしゃべりできるなら、どこかへ行っても、行かなくても別に構わないと私は思う。わざわざデートしよう、なんて言って外に出かける必要なんてない。貴方とならどこへ行ったって私は楽しいんですよ。疲れた身体に鞭打ってまで、どこかに出掛けなくたっていいのに。

 そんなことを伝えても、貴方はどうせ「でも、君の楽しそうな笑顔が見られたから」なんて言って笑うんでしょう。貴方って、自分で思ってるよりずっと優しいですよ。ほんと、優しすぎるぐらい。


 愚痴っぽく言ってみても、まあ結局、要は、今のままで私は十分過ぎるほど幸せだっていうこと。




 日中はいつもお互い忙しい日々を送っているけれど、一日の最後は二人で寝転がって手をつなぎながら、おしゃべりしたりしなかったり、ゆったりとした時間を過ごす。その時間だけは、砂糖漬けにしたようにとっても甘い。

そして、私は彼の白い額におやすみなさいのキスした。どんなキスより幸せなキスで、一日が終わる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 小学校高学年から中学校くらいまでのピュア感残るデート。小説ならではですよね。 [気になる点] 他のメイドのくだりが必要だったのか。出てきてない。 登場人物の年齢不明。 [一言] こういう…
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