サリヌの森の宿
ギュグルルと奇妙な音がした。どこからだろうと首を巡らせて、それがお腹からだと分かるともう何度目かわからないため息を吐き出した。いや、ため息すら勿体無いほどに腹が減ってる。飲み込もう。
ぼんやりとしてて気がつかなかったが、よく見ると1日あけていた。異世界に来て2日目は路上のベンチでだった。
「ひもじい〜〜。あ゛〜ひもじい」
呟いても仕方がないのはわかってるが、呟かずにはいられない。
オヤジ原で少女に勢い任せにプロポーズをした俺は、案の定逃げられて、その後町に戻って宿と職を探すも当然見つからず、食べるものもないまま広場のベンチで寝ていた。小脇に抱えた小太刀を売ってしまおうかと思ったが、なんだか勿体無い気もするので保留。でも当然空気で腹は膨れない訳で。
「食べ物が欲しいよ〜。死ぬ〜」
腹が減りすぎて力が入らない。断食をする仏僧は1週間もこれに耐えなきゃいけないのか。(※断食はイスラムの行事です)
こんなにひもじいと感じたのは小学校の時家族でキャンプへ行って、夜ご飯を河岸にぶちまけてしまい食べるものがなくなった時以来だ。もっとも、あの時は今回と違って周囲のみんなの非難の視線を味わえていたわけだけど。
無駄なモノローグで嫌な事を思い出してしまった。ええい、消え去れ消え去れ消え去れ! あの時の赤面して胃が痛くなった記憶よ、俺の前からいなくなれ!
……それで、この後どうしようか。もしこのまま職も食も見つからないとなれば、明後日あたりには餓死するのは避けられない。神様あたりにこの願いが届いてくれてると良いけれど、そんなミラクルハッピーそう簡単には起こらないし。何か良い手を考えなければ……。
そんな感じで悶々と糖分を無駄に消費していたら、ふと目の前に影がかかった。ほぼ同時に聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「アンタ、なんだか苦しそうだけど大丈夫か……ってその顔。久しぶりだね。1日ぶりだよ」
「あ、あなたはサリヌの森の宿にいた……」
そこにいたのは昨日俺が目覚めた宿で働いていた店員さんだった。こうして話をしたのはちょうど昨日のこの時間以来だと思った。
♦︎♦︎♦︎
店員さんのご好意でお店に連れて行って貰った。宿に着くとすぐにテーブル席に通される。ちょっと待ってなと言われて待つと、美味しそうな匂いとともに店員さんがキッチンの方から姿を見せた。
「今朝の残りで悪いね。ほい、カボチャの特製スープだよ」
ことりと置かれた白い皿には並々と黄色いスープが注がれている。艶やかに煌めくそれはまるで黄金のスープ。ゴクリと生唾を飲み込んで向かいの席に腰を下ろした店員さんを見つめた。
「…………あ、食べればいいよ」
「い、いっただっきまーーーーす!!」
叫ぶや否やさらに顔を貼り付けて勢いよく喉にスープを流し込んだ。上手い、美味すぎて旨すぎる。なんて鮮やかで艶やかで有り難くて安定した味なのだろうか。久方ぶりの食事に安心したのか涙が頬を伝った。
お世辞にも品があるとは言えない食べ方で早々に黄金のスープを平らげ、不躾にもお代わりを5度要求し。瞬く間に平らげて、汚いゲップを出して一息ついた。
「ふぁーー生き返ったーー」
「そんな大げさな。たかが1日飯を食わなかっただけだろうに。まるで毎日三食食べてる奴みたいだな」
その発言からして、きっとこちらの世界では1日三食は食べ過ぎなのだろうな。少し驚き。
「ありがとうございました。一度だけでなく二度までも助けていただけるなんて」
「困ってたからね。アタシャ困ってる人には無条件で親切するようにって婆ちゃんの代から仕込まれてるからさ。それより、どうだい仕事は何か見つかって……ないよね、そりゃ」
「悲しいこと言わんといてください。事実ですけど」
「あはは……、ごめんごめん」
笑ってる場合ではないのだ。実際問題、急に出てきた町の者ですらない見ず知らずの他人を雇おうなんていう店なんてない。日本みたいに平和ではないこの世界ではなおさらだ。そんな中、雇ってもらえるところを探して働くだなんて無謀に近い愚行。仕事が見つかる前に餓死してしまう。
しかし見つけないことには生き延びることはできず、このままこの人の厄介になるわけにも〜〜。
こうしているとサリヌさんから「営業妨害だからサッサと消えて無くなってくれるかしら」とか言われてしまう。「ゴミムシ」と罵られてしまう!
そう考えた矢先、恐ろしいことにサリヌさんの口が開かれた。あ、終わった。この優しい人に見捨てられたら——。
「ねぇ、ならアンタ、うちで働けばいいよ」
「言わないで、わかってるんです! このままご厄介になってばかりでは失礼…………ん?」
「だから、アンタ今日からうちで働きな」
「えっと……、マジで?」
「マジでマジ」
店員さんはそう言うとドンと胸を叩いてニッコリと頼もしげに微笑んだ。もうこの人天使かよ。危うく惚れかけるとこだった。
♢♢♢
「それじゃあ、お互いに自己紹介しようか。アタシはこの宿【サリヌの森の宿】の店主、サリヌ・カロリーンだ。今までここはアタシ一人でやってきた。今日からは2人になる。よろしくね」
店員さん——もとい、女将のサリヌさんは何のためらいもなく握手を求めてきた。それに応え、俺もまた彼女に習い自己紹介。
「セオと言います。えっと、ここに来るまでは旅をしてました。今日からよろしくお願いします」
そう言って、しまったと焦る。もし旅のこととか聞かれたら上手く受け答えできないぞ。聞かれませんように。
「そう旅を……。西地区の辺りで倒れてたって事はクラナタの方から来たって事だね。あそこは今ゴタゴタしてたろう? 大変だったねえ」
「あ、はい。ゴタゴタしてましたね。あははは……」
適当に話を合わせた。冷や汗が頬を伝ったが、幸いサリヌさんはそれ以上聞く事はせずに業務の説明へと移ってくれた。
「うちは基本的には宿屋ってことになってるんだけど、それは夜の顔で昼は細々と喫茶店をしてる。アンタに手伝って欲しいのはそっちの方だ。1人だと何かと大変でね」
「お一人で宿屋と喫茶店を……。そりゃあ大変でしょうね。僕も喫茶店のアルバイトの経験があるのでわかりますよ」
アルバイトといっても、中3の夏休みに叔父さんの所でお手伝いした程度で、それも一ヶ月やってすぐにクビになってしまったのだけど。
「そうかい、経験者か。そりゃあ助かるよ。そ、れ、じゃ、あ……」
サリヌさんは店内をぐるりぐるりと眺めて、すこし考えてパンと手を叩く。
「早速おつかいを頼もうかな」
「本当に早速ですね。おつかいですか? 一体何を」
「ちょっと待ってなさい。すぐにメモを書くから」
素早く奥へ引っ込んでペンとメモ用紙を持って来るとサラサラっと丁寧な字でメモを書き出す。字は人を表すと言うけれど、彼女の字はすごく綺麗で見やすい。女子力が高いとはこの事を言うのか。
「さ、出来た。これを買って来ておくれ」
差し出されたそれを何のためらいもなく手に取る。電光がかかるように、影がかからないように場所を探った。
「えーっとなになに……」
【赤くて黒くて白いヌトンホユカ】
………………何だこのヌトンホユカってのは。
「それじゃ、よろしく頼んだよ」
「あ、アイアイさー」
返事はしておいたのだけど、俺は異世界の初めてのおつかいにとんでもない不安を感じていた。むしろ不安しかなかった。