少女との出会い
指令書は最後の方に来ている。世界の常識とやらが書かれてない。自分で調べろということだろう。指令書はこう締め括られていた。
【この世界にはスキルと呼ばれる能力がある。それはこの野郎様がこの世界で生きるうちに自然と身につけられるものもあるだろう。精進して獲得していってほしい。
魔王はこうしている間にも、じわりじわりと人類の存続を脅かしている。この野郎様には、それを打ち止められる隠された力がある。どうかこの世界を守りやがって下さい。
神より(返信不可)】
「やっぱ神からの指令だったのか……」
薄々そんな気がしていた。ラノベ脳だからか、日本語がおかしかったからか、それともこれが普通なのか。何はともあれ神様からの指令とあらば従うことも致し方なしというもの。俺はもう異世界転移について深く考えるのをやめた。
指令書には興味深い記述があった。そう『スキル』だ。この得体の知れないものはなんだろう。英語だと確か技術だったっけ?
わからないので万能辞書能力に訊くことにした。
「スキルってなに?」
[スキル:この世界の生活において欠かすことの出来ないもの。個々人の技術がある点まで達した際に獲得する。
現在の獲得通常スキル:『翻訳』『小太刀』『鑑定』『ゲーム表示』]
おお、俺は既に4つもスキルを持ってるのか。しかも小太刀って、いかにも戦闘スキルっぽいのもあるし。不透明なのが『ゲーム表示』だ。名前だけ聞いても意味がわからん。なにがゲームなのだろうか。
[通常スキル『ゲーム表示』:この世界にある生物、物体のパラメータをレベルや数値で示す。使用者の最も馴染み深いゲームに準ずる]
つまり、この世のいろんなことを解りやすく表してくれるということか。それはありがたい。自分との比較がしやすいのもあるが、何よりモチベーションが上がりやすい。
『翻訳』は名前の通りだろうし、たぶんこの万能辞書能力は『鑑定』スキルだろう。となれば使っていないのは『小太刀』スキルのみ。俺は思わず髪をかきむしった。だって、
「使ってみたいけど、場所がないからな」
『小太刀』スキルはきっと戦闘スキルだ。そんな危ないものをここで使って、仮に暴走して店員さんを傷つけてみろ。俺ショック過ぎてきっと立ち直れない。せめてどこか、人気のない広い原っぱでもあれば良いんだけれど、なにぶんここの地理には疎い。店員さん心当たりあるかな?
そう思っておずおずと女将に、この辺にどこか広い原っぱはないか? と訊ねると、
「あるよ。町の北のはずれ、オヤジ原なんか広くて何にもない原っぱだと思うけど」
思いの外カッコ悪いのが釣れた。……ま、名前はともかく目的の広い原っぱは見つかったんだしオッケーだよね。名前はともかく。
泊めてくれた事と朝食の礼をもう一度言って、俺は小太刀を引っ掴むとサリヌの森の宿を勢いよく後にした。
♦︎♦︎♦︎
オヤジ原は、なるほど、俺の想定していた以上にオヤジだった。草原というには荒れていて、荒れ地というには生気がある。まさにオヤジ、名が体を表すとはこの事だ。
振り返ると小さな町——さっきまで俺がいた町が見えて、一キロ反対側には怪しげな森が広がっている。ちょうど中間のここは平和なもので、人影も動物の影も見えない。ここはとても穏やかだ。
「そんじゃ、早速始めようか!」
パンと顔をはたいて気合い注入。帯刀していた小太刀を抜いて声を張り上げた。
「『小太刀』!!」
そう言った瞬間、パァと刀身が白く光り始める。ドシュと空気が漏れる音がした後、小太刀自身が暴れたかのように引っ張られる形で地面に横転することになった。
「いたっ! なんだ、どうなってる!? 体が小太刀に引っ張られる〜〜。し、しかも手が離れない!」
そのまま何度も地面に叩きつけられては跳ねて、跳ねては叩きつけられて。それでも何とか前を向いた俺はとんでもないことに気がついて驚愕。
「ヤバイ、この調子で直進したら木にぶつかっちまうじゃねーか!」
おいおい冗談じゃない。この阿保小太刀に身を任せて頭にたんこぶ携えるなんて。このスキルはピーキーすぎる闘牛か。
「このっ」とか「ふんっ」とか気合いを入れるが、それでも小太刀は止まりません。大きな株を引っ張ってたジイさんはきっとこんな気分だったな。
「ってえ、そんなこと考えてる時間ねえよ! あーもう終わりだー!」
木の下まであと数メートル。俺は咄嗟に、
「江戸川……、じゃないや。と、ま、れー! くっそ、ろ、ロリコン!」
[スキル発動停止します]
ぶつかる! ………………ってえ、なんだって?[スキル発動停止します]?
神への祈りが通じたのか、どうやらスキル停止のワードを引き当てたらしい。小太刀はぶつかる直前で暴走をやめた。
安心して力が抜けたのか、ふにゃふにゃと足下から崩れ落ちる。危なかった……。
ホッとして数秒の間放心。そうすると先程までうるさくなっていた心音が落ち着き始めて辺りが静かになっていた。
「あー、ほのぼのするぜ。まったくなー」
都会の喧騒に慣れてしまっていて忘れてたが、そう言えば郷里はこんな感じだったな。鳶が美しい弧を描く下で、田んぼの中の蛙を覗いてたっけ。懐かしいと感じられる場所があって、なんだか少し嬉しく思った。
「でも、もう東京のざわめきは聞けないかもしれないんだよな……」
この世界に転移してしまったら元の世界に戻らない限り東京へは行けない。そして元の世界に戻れる保証なんてどこにもない。むしろ戻れない可能性の方が高いくらいだ。
いけない、と顔を叩く。ここでくよくよしてる暇なんてないんだ。俺は今日からここで生きなきゃならないんだから。
頭を切り替えて原の頂上に登る。そよ風が心地よい。原っぱの匂いが好きだ。少し青臭いのが癖になる。ムラのある草花に誘われてついつい寝転んだ。頬を撫でる葉がくすぐったい。
タンポポの匂いがした気がした。ここにもタンポポは生えているのだろうか。春を感じさせる。こちらの世界も季節はリンクしてるようだ。
不意に眠くなってきた。疲れが溜まっている自覚はなかったが、やっぱり転移なんて無茶苦茶な出来事に少なからずストレスが溜まってたのだろう。それに加えて今さっきのアレがある。
瞼が重たい。ああ、今日はすることがたくさんあるのにな……。出来るなら、今朝の夢をもう一度見たいなあ…………。
♦︎♦︎♦︎
「こんにちは。大丈夫ですか?」
「……………………」
「あの、本当に大丈夫ですか? ……この人返事がない。生きてるのかな?」
喋る声が聞こえる。綺麗で高い女の人の声。頭の上から聞こえてくるから、彼女の言う『この人』とは俺のことだろう。生きてますよー。
どのくらい経ったのだろうか。感覚ではそれほど寝た気はしないが、これは全く当てにならないし。出来れば昼じゃないといいな、今日はやることが沢山なんだから。
なんにせよ起きねばなるまい。俺はグッと手足を伸ばして、勢いよく上半身を起こした。
「あ、起きた」
間の抜けた声が出た。道端のつくしを見つけた子供の様な声。俺はゆっくりとその方向に顔を向ける。
「おはようございます。元気そうで良かったです」
「…………っ!」
その顔を見た瞬間、俺の中にあった色んな思いは一気に吹き飛んでしまった。トクントクンと鼓動が速くなる。頬が赤らみ、息が荒くなる。正に一目惚れとはこの事だろう。
「君は、俺の運命の人だ……」
「あら、寝ぼけてる。元気な証拠ですね」
彼女は口元を押さえて控えめに笑った。可愛い。少女は落ち着いた仕草で俺の傍に転がってた小太刀を拾い上げる。可愛い。
「これはあなたのもの?」
「え、あー、はい。僕が持って来た小太刀です」
「ん、よかった。抜き身の状態で転がってる小太刀の横で寝てるんだもの。死んぢゃってるかと思った。やっぱりあなたのだったのね」
可愛らしくて丁寧な口調。こんな喋り方する女子なんて、俺は今まで生きてきた中で一度も出会ったことがない。なんてお淑やかなんだ。可愛い。
気がつくとその可憐で綺麗で可愛い彼女に見とれてしまった俺は、口を半開きにして惚けていた。
ぼんやりする俺を心配したのか少女がこちらを見つめてくる。それに合わせて胸の鼓動も早くなっている。嗚呼、俺はこの感情をどうも止められそうにない。
「あの、大丈夫ですか? どこか体に悪いところでも——」
「好きです」
抑える事もせずにストレートに伝えた。これは恋だ。間違いなく紛れもなく。この感情は恋なのだ。
「好きです。一目惚れです。どうしようもないくらいに好きなんです」
「え、あの、ちょっと」
「あなたの事が好きになってしまったんです」
たじろぐ少女に畳み掛けるように言葉を続ける。一度吐き出したらもう止まらなくなっていた。思うがままに、神のまにまに。
「ちょ、冗談はやめて下さいよ。本当に」
「本気で本当に好きなんです。僕と——」
思い返してみると、この時の俺はどうかしてたとしか言いようがない。頭のネジが疲労で一本取れていたのだ。思い返すだけで恥ずかしくなるだろう。
焦る彼女に俺はすかさずこう言ってしまってた。
「結婚してください」
今日、この日この瞬間が俺の運命を狂わせるなんてまったく想像せずに。
オヤジ原って……。
ネーミングセンスが酷いですよね、我ながら。