筋肉王子とドSと死
ついにあの人の登場です!!
青い空! 生い茂る緑! 川のせせらぎ!
「やってきました川水浴~~!」
「エレナ、テンション上がりすぎててちょっと変だぞお前。しかもまだ到着してないし」
「見えてるだけね」
アゲアゲなエレナに俺とサリヌさんが突っ込んだ。エレナはバッと振り向いてぷっくり頬を膨らませる。可愛いけど。
「いいじゃないですか。3日前からずっと楽しみなんですよ」
「それはわかるけどさ。ほら、まだ川がちらっと見えただけじゃん」
「それだけで女の子はテンションが上がるんです!」
女の子はテンションが上がる、ねえ……。
「そのような供述がなされてますがサリヌさん如何ですか?」
「へっ? アタシ?」
サリヌさんは気を抜いていたようだ。いきなり俺に振られたのでワタワタと慌てつつも一言。
「そんなことないと思うけれど……」
「それはサリヌさんが女の子という歳ではないからです!」
「グサッ!」
「失礼なことを言うな! まだギリアラサーだ!」
「グサグサッ! ていうかなんでセオはアタシの年齢知ってるのさ」
「そりゃ、愛する店長のプロフィールぐらい熟知するのが常識ですよ!」
「ほええっ!」
顔を真っ赤に染め上げてサリヌさんが倒れてしまった。からかい過ぎたか?
エレナの家の馬車にガラガラと揺られる。今日俺とサリヌさんは、エレナから招待されて川に水遊びに来ていた。彼女は今絶賛お見合い中のはずだが、先日届いた招待状によると俺たちの他に何名か誘っていて、その中にお見合い相手が混じっているらしい。緊張する。
季節は5月、雨も少なく気温もちょうどいい按配で川水浴には持ってこいの時期だ。去年まで、つまりこの世界に転移する前のゴールデンウィークは家でグータラ過ごすだけの俺だったが、それが皆んなでお出掛けだなんて。親が知ったら飛び跳ねるだろうな。
「それにしても楽しみですね! セオくんはこういう経験あるんですか?」
「生憎ないんだよ。だから、楽しみなのは俺も同じなんだ。ええっと、確か今日は俺とサリヌさんと……」
「ギュウトンさんにサイランさん、あと私のお見合い相手の方。ああ、セオくんの呼びたがってたラビンくんも」
言い淀むとスラスラと補足してくれた。知ってるメンツが多くて助かる。知らないのはサイランさんとお見合い相手だが……。
「サイランさんって、どんな人なの?」
ここに来るまで何度もした質問をエレナにぶつけた。正直、初対面の人にはより多くの情報が欲しいのだけれど。
「とっても面白い方ですよ。楽しみにしておいてください」
…………。
「タ、タノシミダナー」
さっきからこの一点張りなのだ。なんでサプライズゲスト的な感じにするわけ? 不安しかないんですけど!
ここで馬車が止まった。衝撃でサリヌさんが起き上がる。目を丸くしてキョロキョロと辺りを見回してるけどノータッチだ。前に座る運転手さんが振り返った。
「着きました。ナノン川上流です」
それを聞くが早いか、エレナはパァッと顔を輝かせて手を合わせる。
「着きました!!」
馬車から素早く降りて一目散に川へ駆け下りていくエレナ。俺は「行きますよ」とサリヌさんに一声かけてエレナの後に続いた。
不思議と胸が踊っていた。
♦︎♦︎♦︎
川の匂いがした。澄んだ匂いは自然と祖母の家を思い出させたのだけど、目の前に流れている川はどうも俺のよく知るそれとは様子が違っていた。
「エレナ、1つ聞きたいことがあるんだけど」
「奇遇ですね。私も聞きたいことがあるんです。セオくんにではないですが」
目を点にしてお互いに顔を見合わせ、
「「これじゃ、プールじゃないですか!!」」
山の上部から流れてきた川は途中で整備された箱のようなものに繋がり、そこには水が溜まってプールのようになっている。どう見ても天然ものではない。
川上から順に見ていくとギュウトンともう1人ふっくらとした男性が木陰で空を眺めていて、その下ではラビンがサリヌさんに背中をさすってもらっていた。いずれの顔もやや困惑の色が見える。
しばらくすると、おそらくこれを作ったであろう張本人が、その背後に黒スーツの男たちを数人引き連れ快活に笑いながら悠然と歩いてきた。
「ようこそ来てくれたねる。これこそが僕の作りしリゾートねるよ。その名も、マルコランドねる」
「ストップ作戦会議だ」
コソコソとエレナの元に集まる。
「色々突っ込みたいんだけど、なんなのアイツ?」
「さっきも言ったでしょ。あの人が婚約者候補のマルコ様です」
「アイツの語尾のねるってなんなの? ふざけてるの?」
「お会いした当初からされていたので、馬鹿にしてるわけではないと思います。むしろ馬鹿なのかと」
「……お前、そんなこと言って良いのか?」
「執事さんに許可はいただきました」
振り返りジト目でマルコを見やる。
「おおう、ポウル。お前の大胸筋は素晴らしく発達してるでねるね」
「あ、ありがたき幸せ。マルコ様の腹筋も素晴らしいですよ」
「ん、どれのことねるか。腹直筋? 腹横筋? 錐体筋? ああ、外腹斜筋ねる?」
部下の人が馬鹿な人の筋肉攻めにあっていた。
「なんなのあの筋肉マニアっぷりは!? 変態の域に達してるだろ!」
食い気味に食いかかる俺。婚約者候補に指をさしてるけど気にしない。困ってるようなエレナを助けてやろうと、横から車酔いで顔の青いラビンがおずおずと手をあげる。
「にいちゃん、いくらなんでもあの男は変態ってほどじゃあ……」
「甘いぞラビン! あれを見てみろ!」
俺が指差したのは部下数人と筋肉話で盛り上がっている婚約者候補。否、現場はただ馬鹿な人が一方的に喋ってるだけで全く盛り上がってなどいないけれど。
「どうしたのさ。ただの婚約者候補じゃないか」
「甘いねあの肉体を見てみろよ。鍛えすぎて肥大化した筋肉はもうすでにヒグマよりふた回りもでかいし。なにより、常にポージングしてやがる」
細かく変えるからもうパターンが尽きて、すでに同じやつを3周してる。いったい誰にアピールしてるんだよ。あ、エレナか。
「とにかくあの狂気じみた行動はなんなんだ!?」
「あー、えっとー。マルコ様は重度の筋肉偏愛家でして。このような自分の肉体美を公然と披露できる場面になるとああなってしまわれるのです……」
残念すぎるだろあの婚約者候補は。
「作戦会議、そろそろ良いねるかな?」
しびれを切らしたマルコが口角を無理矢理上げて聞いてくる。エレナを独占してるのが許せないのか。俺もこの子が好きだから気持ちは分からんでもないけどさ。俺たちはパッと陣形を崩す。
「すまんかったな。ほれ、みんなで遊ぼう」
手を叩いて努めて明るく提案するが、それはマルコによって一蹴された。
「いやいや、僕らほどの貴族が君たち愚民と遊ぶわけないだろねる。ほらエレナ嬢、少し上がった場所に休憩所を作りましたねる。さあ、行きましょう」
「いえ、私は皆さんと遊ぶので結構です」
「なっ!!」
へっ、ざまあみやがれ。俺たちを愚民なんて言うから天罰が下ったんだ。
「なな、なんで僕よりこんなやつらを……」
爪を噛んで憤慨してるマルコ。いい気味だとスルーしようとしたらそれまでジッと黙っていたギュウトンの隣にいた小太りの男がマルコのもとに進みでた。
「マルコ様、あまりそうカッカせんといてください。代わりと言っちゃあなんですけど、私の幼術をご覧にいれましょう」
「あらサイランさん、あなたそんなものが使えたの?」
幼術という言葉に食いつくのはエレナ。小太りのサイランなる関西弁使いは勢い良く詰め寄っていく。
「ええまあ。簡単なもんばっかりですけど、ってエレナさん近い近い」
サイランは困ったようなそうでもないような顔をする。エレナにあんなに近づいてもらえるなんてうらやましい奴め。エレナはと言えば「あら失礼」と素早く一歩下がってる。
「そんな見せつけるようなミニコントはいいねる。早く幼術とやらを見せるねるよ」
俺と同じく一連のくだりが羨ましかったのだろう。準備をしようともしないサイランをマルコが半ギレで急かした。今なら俺こいつと分かり合える気がするよ!
「こほん、ほんなら仰せのとおりに失礼して……」
前置きを一つ置くと、サイランは自らの腰に巻かれた2つのポーチにそれぞれ手を突っ込むと勢いよく合掌。じりじりと数秒ほど擦り合わせバッと手を離した。その手には一面白い粉のような、泡のような物体がまとわりついている。
「なんねるか、あれ。小麦粉?」
「石鹸の泡じゃねえか?」
「なにいってんのお2人さん。あれは糊だよ」
「「いや、糊ではない」ねる」
様々な憶測が飛び交う。サイランはそれにお構いなしに人差し指と親指で輪っかを作ると、
「秘術、飛泡純透球!!」
サイランは声を張り上げて輪っかに息を吹き込む。と、透明な膜に空気がこめられてだんだんとボールのようになっていき、ブヨンブヨンな玉になると手から離れ空に浮かんで行った。これは……。
「げげげ! 何じゃこれ! ねる!」
「いやこれシャボン玉じゃん。さして珍しくない。見たことないのか?」
凡庸なシャボン玉に度肝を抜いたマルコに冷静に突っ込んだ。がマルコはキョトンとした顔で「シャボン玉……?」と首をかしげている。
「たかがシャボン玉だろうに。まさかみんなシャボン玉知らないの?」
「そんなわけないだろ。アタシだって知ってるさ」
サリヌさんが腰に手を当ててボンボンとシャボン玉をつつく。エレナもとび跳ねながら「懐かしー」と童心に帰っている。と、いうことはマルコがシャボン玉も知らないようなボンボンだってことだ。……可哀想な奴。
「でもサイラン、さん? これのどこら辺が幼術なんですか? 生憎俺のよく知ってるシャボン玉と相違ないんですが……。まさかマルコがこれを知らないこと知ってて『ハイ、飛んでく球を錬成しましたー』とかぬかすつもり――」
心配してるように茶化す。軽く挑発の意も込めていたのだが、そんなもの気にも留めていないようにサイランは不敵に笑って、
「まっさかー……。ふふ」
え、なにこの人怖い。何しでかす腹積もりなんだ。
「あの、アンタいったい何して」
「うぎゃあああああああああああああああああああああああ!!!!」
サリヌさんの裂くような悲鳴がこだました。振り向くとさっきまでサリヌさんがいた場所にはその姿はなく、代わりにというかなぜかサリヌさんはシャボン玉のように空に浮いていた。
「た、たぁすぅけぇてぇ~~!!」
「「「…………えぇ」」」
何この状況。なんであの人浮いてんの?
「ええっとサイランさん。この状況はいったいどういうことなのでしょうか?」
俺が恐る恐る尋ねるとサイランはしげしげと実験結果を確認するようにサリヌさんを眺めて、
「あのシャボン玉はネカラ草と干したクダ草を調合した僕の特性なんですよ。で、その特性っちゅうんが粘着性の飛躍的増加で。あの玉に触れた人はね、ビターッてたちどころにくっついてもうて簡単には取れへんようになるんです」
そういえばサリヌさん、シャボン玉を無邪気につついてたなー。なるほどそれで……。
「ってやばいじゃないですか!? 早く助けて下さいよ!」
「おおう、くっついて来るな。アンタもプライベートスペースが極端に狭い口なんか?」
適当なことを喋るサイランだが、それどころではない。うちの店長の危機なのだ、早く助けて貰わねば。
「わかった。とったるからあんま近寄らんといて下さい」
サイランは再びポーチに手を突っ込んで取り出したのは、
「テレレー。吹き矢!」
細長い筒だった。左手には鋒の部分に黒い粉が塗られた矢を持っている。サイランは自信満々の様子だが、どうにも頼りなさそう。
「……疑うようでごめんなさいですが、そんなんで落とせるんですか?」
「信じて下さいよ。こー見えてこの道に関しちゃ専門家なんですよ。ただ……」
「……ただ?」
身を不安げにつんのめる俺は見た。サイランの意地悪そうな不気味な笑みを。
「吹き矢は素人なんやけどね」
「今すぐコイツから吹き矢を奪え! 専門の方を呼んでこい!!」
フッと強い息遣いと共に矢がサリヌさんのいる辺りめがけて勢いよく飛んでいく。が、そのどれもシャボン玉に当たることなくサリヌさんの身体をかすめて弧を描き落ちた。
「あっ、危ない! ちょっと何してうわたっか!」
「サリヌさん暴れないで! 余計に危なくなっちゃうから」
5発6発と続けざまに放たれる。いずれもサリヌさんのボディラインギリギリを攻めている。
「サイランさんワザとやってんじゃないの!?」
「男の子だろ。この程度で動じんといて下さい。でも、まあ焦らしすぎな部分もあるしな。そろそろ打ち抜きますか」
おどけるようにサイランは筒の角度を僅かに上げてスッと目を細めた。
「——フッ」
パン。……ひゅるるるる、ッボション!
弾ける音が頭上で響いて間もなく川に何か落ちた。サリヌさんである。俺、ラビンとエレナが慌ててサリヌさんに駆け寄る。
川の水は思ったよりも冷たかった。思わず顔を歪める。足の裏がほんのり痛い。しかも誰かさんがプールにしてくれたから深さが尋常じゃなくなってる。
「さ、サリヌさーん。大丈夫ですかー?」
鳩尾の辺りにまで届く水を掻き前進。するとぷかーっと人間の背中が……。
「「「サリヌさん!!!」」」
ビックリして急いで近づき抱き上げる。
「サリヌさんサリヌさんサリヌさんサリヌさんサリヌさんサリヌさん」
「「…………」」
ダメだいくら名前を呼んでも返事がない。頼む死ぬな生きててくれ!
「サリヌさん目を開けて下さい。お願いします」
「あ、あのーセオくん」
申し訳なさそうなエレナ。
「サリヌさん、顔に何か付いてますよ」
「え?」
コクコクとラビンも頷いている。そう言われればよく見てみるとサリヌさんの顔に何か膜のようなものがくっついていて、それ越しに伸びてるサリヌさんの表情が確認できた。首筋に手を添える。脈は、ある。
「い、生きてる……。良かった」
「殺したらやり過ぎやからね。流石にその辺は弁えてるよ」
岸の方でサイランが何やら言ってるが後でぶっ飛ばしてやろう。
「では戻りましょうか。肩片方持ちますよ」
エレナはそう言って俺がいる方とは逆サイドの手を取った。
「ありがとう」
「いえいえ。ホッとしたのは私も同じですよ」
何はともあれ生きてて良かった。ホッと一息ついて足を一歩踏み出す。と、それは突然俺に襲いかかった。
「あ、足釣った」
ってええ!!? あまりに突然のことで対応に遅れた。激痛に足が固まる。水深もあったので顔を思わず伏せたら水を飲んでしまった。軽くパニックを起こす。ヤバイ。死ぬ。
「ガボッ、がはっ!」
「セオくん、セオくん落ち着いて!」
「おにーさん、今助ける!」
助けて。息ができない。苦しい。なんだよ、最悪かよ。辞めろ。こんな事で。嗚呼、情けない。
「おにーさん!」
「セオくん!」
2人の顔が水面の向こうに消える。藁にもすがる思いで、しかし藁すらも掴めずに。俺は実に呆気なく、情けなくこの世を去った。




