乾物女もそれなり
変わり映えのしない日常でも、まあまあ生きてる。
文学フリマ短編小説賞
福富満は自分の名前がとにかく気に入らなかった。
まるで幸せになるため、幸福に満ち溢れた人生以外許されていないような、この名前と現実との乖離に息苦しさを感じることばかりだからだ。
午後23時16分。
賑やかな駅前のパチンコ屋のネオンや居酒屋の看板が並ぶ通り。その煌びやかさとは対照的な、感情の伴わない表情を顔に貼り付けたまま、数えられるほどの人が改札口へと続く階段に吸いこまれていく。まるでコンベアに乗せられ、出荷されていく人形。電池で動くよう設計された、温かみの感じられないモノのようだ。
満が自らもコンベアに乗ろうと歩いている時、前方から向かってくる車のライトが眩しく、顔を背けたのは、営業時間をとうに過ぎた地方銀行のテナントの側だった。
非常灯で照らされた美しく清潔感のあるモデルが融資を促しているポスター横に映し出された自分の表情。
せめてガラスの作りがもっと歪なら、モデルの美しさを際立たせるこの顔を、不出来なガラス職人のせいにできるのに。
もしここで満が自分の名前を書いた大きなプレートを首に下げて佇んでいたとして、何名の人が満の顔を見て、それが名前だと気がつくのだろうか。
そんなことを考えると、喉元に直接泥水を注がれたような気持ち悪さが湧き上がってくる。
せめてもっと華やかに着飾ってから出荷されたらいいのに、こんな暗い表情とくたびれた衣装の人形じゃ、よっぽどの物好きでもない限り買い手はつかないわね。
ガラス越しに見えるカウンター上のカレンダー機能付き置き時計を見て、満はあと1時間も残っていない自分の誕生日を、この瞬間にようやく思い出した。
誕生日のお祝いとか、ここ数年すっかりご無沙汰だわ。
疲れのせいなのか、無意識に小さく溜息を吐く。
4年付き合っていた彼とは、去年の同じ日、満のために張り切って祝いの準備をしてくれていたにも関わらず、満の急な仕事でドタキャンしてしまい、それ以来うまくいかなくなり疎遠になってしまった。
きちんと祝ってもらったのは付き合い始めた年だけで、残りの3年は毎回、何かしらの理由で、台無しになってしまった。
彼と満は、親しい友人からは生まれる性別を間違ったと言われることがよくあった。満は記念日をあまり重要だとは思わなかったし、祝うといっても、普段は行かないような少し高級な店でご飯を食べる程度のイベントがあれば十分だと思っていた。
対して彼は、イベントのために外食するより、自宅を飾り付けて料理を作り、少し良いワインなんかで乾杯することを好んでいた。そのための計画や準備は遅くとも1週間前からあれやこれやと考えていたし、時には満のためにサプライズなんかも用意して喜ばせようと手を尽くしてくれていた。
そういう気持ちは嬉しくはあったが、自分が祝福されることが嬉しいというより、彼の誕生日を祝いたいという気持ちを無碍にするのが忍びないという気持ちが強かった。
そのためここ数年の満の誕生日では、祝ってもらう満より、祝う側の彼の方が落胆しており、年を重ねるごとに申し訳なさが募っていった。
いつ愛想を尽かされても仕方がないと半ば諦めもついていたことだけれど、いざ二人の関係が冷めて行くのを目の当たりにすると、胸のあたりに押し固めていた感情の糸にじわりと火がつきそうになりいたたまれなくなったこともあった。
それを誤魔化すために、さらに仕事にのめり込み、気がついたら1年が経過していたのだ。
これまでの間に、ふと彼と過ごした中での小さな喜びや幸福を思い出すことがあった。
でも今日。誕生日に仕事をしていたということが、誰の迷惑にもならない今日という日。なんだかほんの少し、清々しい気持ちになった。
彼のことは好いていたけれど、自らの生活スタイルを改めるほど、彼との関係に情熱を捧げていたわけではなかったのかもしれない。
きっかり1年。
自然消滅という便利な言葉で誤魔化してきたが、自分の中できっちりと別れを定義するのには、ちょうど良い節目だろう。
福富満として生まれて30年目になる。決して幸福な人生ではないけれど、飢えるほどでもないし、仕事も嫌いではない。
銀行のパネルの中の美女も、毎日笑顔でいるわけでもないだろう。
少し背筋をピンと張り、駅に向かって歩き出す。
また明日、今度は陽の光の下でこのパネルを見てみようと思った。
初投稿。