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恋花火を  作者: 永間 現代
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『恋花火を』1

 


 燦々と降りそそぐ六月の太陽の中、俺は自転車を漕いでいる。蒸し暑く、汗が徐々に全身を濡らしていく。


 同じリズムで鳴いている蝉が耳障りだ。


 十五分ほど自転車を走らせると、そこには田んぼが広がっている。その向こう側に自転車を停めた。


 今日も、俺はこの堤防へと来た。堤防と言っても、有明海で起こるさざ波からの小さな危険を防ぐためのもの。だから、そんな大層な作りはされていない。


 人工的に作られた石。横に何百メートルも伸びた長く整ったそれは、まるで垣根の様に街と海とを隔てている。


「ああ、気持ちいいなぁ」


 俺は、その堤防へと登る。そこから見える景色は、澄み渡った青一色だ。ふと、目線を落とせば、ゴツゴツした岩場が海に対して申し訳程度に広がっている。


 俺はこの場所が大好きだ。顔に当たる潮風が心地いい。潮の香りが鼻の奥をくすぐる。


 学校が休みの土曜日は、退屈な時間を潰す為に必ずここへ来る。


 とは言っても、ここにも何も無いため、暇なのには変わり無い。でも、家にいるより気分はすっきりする。


「とりあえず、タバコ吸おうかな」


 俺はポケットから、藍色の塗装に金の文字が描かれている箱を取り出して、白い棒状のそれを取り出す。ゆっくりとそれに火を点けて、煙を吐き出す。


「今日は何をしよう」


 思った事を口に出しても、周りには誰もいないから恥ずかしくはない。堂々と独り言を口に出せる。


 堤防に腰掛け、有明海を眺めながら思考に耽る。


 ケータイを取り出して、時間を確認するとまだ二時過ぎだった。


 今日は、小説の続きでも書こう。


 俺は取り出したケータイをしまわず、そのままメモ欄を開いて、『小説』のカテゴリから書き終えていない物語の続きを書き始めた。


 今書いている物語は、ファンタジー。夢と希望に満ちた、明るい物語だ。


 学校では小説なんて書くキャラじゃ無いからみんなが知ったら笑われるだろうな。


「冒頭で詰まってたんだよなぁ。」


 右手にケータイを、左手にはタバコを。


「剣と魔法の世界で、手品で生計を立てる主人公。結構いいアイディアと思ったんだけどなぁ」


 イマイチ情景を表現できない。ファンタジーの世界ってどんな感じなんだろうか。


 俺は、そのままケータイをポケットに戻して、物語の舞台を思い描く。


 澄み切った海と空を見ていると、どんどんアイディアだけは浮かんでくる。タバコのニコチンが体に染みて、落ち着く。


「コラッ! 未成年がタバコ吸っちゃダメなんだからな!!」


 突然、横から声が飛んできてビクンッと身体が震えた。ちょうど煙を肺に入れていたところだったから、


「ゴホッゴホッ」


 むせてしまった。


 ちょっと待て、突然誰なんだ。


 見上げると、スーツを着たショートカットの女性が立っていた。茶色の髪の毛が潮風に吹かれ揺れていて、首元に添えていた右手が色っぽくて。


 青天の霹靂だった。一瞬にして目が奪われ、頭が真っ白になった。


「えーっと、俺は未成年じゃないですよ」


 咄嗟に嘘をついた。まだ俺は一八歳だし、タバコを吸っちゃいけないってのも分かっている。でも今は私服だし、バレる心配はないと思った。


「嘘だね。ほら、そこの自転車に高校の名前が書いてあるステッカーが貼ってあるもん」


 ……しまったぁ。


 これは言い逃れできない。それに高校までバレてしまった。どうしよう。


「良いんだよ。別に高校にチクったりなんてしないから。でも、これは没収だからね!」


 と、左手に持っていたまだ半分近く残っていたタバコを取り上げられた。


 しかも、それをそのまま女は口へと運んだ。


 驚きと恥ずかしさで、思わず目を背けてしまって、また目を合わせるのが億劫になってしまった。


「君、名前は?」


 そう問われたが、気が進まない。


「あんまし言いたくないなぁ。タバコバレてるし。あなたの名前言ってくれたら、言いますよ。人の名前を聞くときはまず自分から名乗れって言うくらいですし」


 俺は目線を合わせないまま、返す。


「そうだね、それは失礼な事をしてしまった。私の名前は青木 みのり。色の青に、木は森のあの木。みのりはそのまま平仮名でみのり。そして君の名前は?」


「はぁ。俺は、米沢 政志。米に沢に政治の政に志すの志で、米沢 政志。絶対学校には言わんでくださいよ?」


 わかってるわかってるって親指立てながら言ってたけど、イマイチ信用できない。


 でも、その姿に心がざわついて、落ち着かない。笑顔に見惚れてしまう。


 それにいきなり間接キスだし。


 俺は乾いた唇を舌で潤し、ゴクリと生唾を飲み込んで、問う。勿論、目線を合わせる事は出来なかった。


「で、青木さんはここで何してるんですか?スーツ着たままじゃ潮でベタベタするんじゃないんですか?」


「自分も人の事言えないでしょ。まぁ答えよう、私は今仕事をサボっているのだ! だからね、このスーツももう要らないんだ」


 驚いて、青木さんを見上げたら笑顔でクビをチョンパするジェスチャーをしていた。


 なんとなくその笑顔には陰りがあるようで、心配になった。そんなに寂しそうに笑う彼女を見ていると身体の奥が握りしめられてるみたいだった。


「まっさか、ここに人が居るなんてね。なんてタイミングだ! 私の場所だって思ってたのになぁ」


「それはこっちのセリフなんですけど。俺のお気に入りの場所なのに」


「あ、やっぱりお気に入りの場所なんだ!」


「そうじゃなきゃクソ暑い中、わざわざ自転車に乗って休日にここまで来ませんって」


「確かにね!」


 ハッハッハと、笑う彼女が少し無理をしているみたいだった。だから、一緒になって笑うことが出来なかった。


 それに気づいた様子で、俺を一瞥した後彼女は一呼吸入れると、声のトーンを落として囁いた。


「ここって良いところだよね。なんていうか、本当の意味で一人になれるところって感じ。街と海との狭間で、現実とは掛け離れた場所。ここに来て、風を浴びてる間だけは何もかも忘れられるんだよ」


「何か嫌な事でもあったんですか?」


「女は秘密がいっぱいあった方が魅力的なんだよ。分かったかガキ!」


「ガキって酷いなぁ」


 俺は苦笑した。風に吹かれていた青木さんは、いつの間にか隣に腰掛けていて、空を見上げている。


 きっと今見ている横顔の裏には、悲しみとか憂いとかが詰め込まれているんだろう。


 まだ俺が知らない世界をたくさん見てきたのだろう。


 そう思ってたら、まだ自分がガキだって事を自覚してしまった。


 悩みってなんなんだろうな。


 苦しみってなんなんだろうな。


 蠱惑的な横顔は、太陽に反射して美しくきらめている。


「そうだ! 俺の書いた小説見てもらえませんか? 恥ずかしくて、誰にも見せた事ないから感想とか聞いてみたいんです」


 流れる沈黙が痛く感じて、俺は話題を逸らした。


「小説ぅ? また見掛けに反した趣味してるね」


「でしょ? だから、誰にも見せた事無かったんですよ」


 そう言って、ケータイを持ち出してメモ欄を開き、手渡した。


「まず、これが一人の医者の話です。物語自体の文量は少ないんで、読みやすいかなって」


「ふむ。どれどれ……」


 何かやってみようと思って、書き始めた小説。初めて書いた小説だから、あまり良い出来ではないと思う。


 青木さんは、無言で読み進めていった。


 十分もしなかっただろうか。青木さんはふと、俺を見た。ずっと横顔を眺めてたから、突然目が合ってビックリした。


「そうだね。話自体は面白いけど、なんとなく読みにくかったかなぁ。時々、小説読んだりするけど、そう言うのに比べたら文章も幼稚だったし」


「プロと比べられても困りますって」


「まぁ、センスは感じるけどね!」


「本当ですか! これ、最初に書いた小説なんです。他にもあるんでみてください!」


 俺は身を乗り出して、青木さんが手に持ってる俺のケータイを指先で操作する。


 次の小説はさっきのと比べて少し長い。


 再び、沈黙が流れる。恥ずかしさと感想を待ちきれない思いとで、胸が高まる。チラチラ横を向いたら、もっと鼓動が早くなった。


 落ち着くために、海を眺めた。


 海の青と空の青は少しだけ色が違う。空の青は、少し薄くて雲と陽光で所々白い。海の青は、暗くて、でも陽の光を乱反射していて輝いている。


 その色の境界線である地平線は、視界の限り横一線に伸びていて、まるで世界を上下に分けて隔てているみたいだ。


 後ろを見れば、喧騒な街並みが広がっている。とは言っても、田舎なので時折田んぼ道を進む軽トラのエンジン音が響くくらいか。蝉の声は相変わらずうるさいままだが。


 田んぼの向こう側には、俺の住む街が確かに広がっている。


 できれば後ろは見たくない。まるで現実を見ているみたいで、時間の流れを思い出してしまう。


 俺は前方に広がる青を見た。


 すると世界には青木さんと俺と二人しかいないような錯覚を覚えて、夢の中にいるみたいだ。


 ずっとこのまま、二人で座っていたい。


 そんな俺の思いとは裏腹に、青木さんは小説を読み終えたようでーー、


「ああ、これは良かったよ! 読みやすかったし何より話自体に深みがあった。二人が別れるシーンなんか私、涙出そうになっちゃった」


 上半身をねじってこちらに向き直り、興奮気味に伝えてきた。


「あ、ありがとう……ございます」


 恥ずかしくなって、俺は目を背けた。ついさっきまでの恥ずかしさとはまた違う、照れと同義の恥ずかしさだった。


 こんなに褒められるのが嬉しいと思ったのは、いつ以来だろう。


「それじゃ、時間も時間だしそろそろ私はオサラバするね。少年、正しいと思ったことをして生きなよ」


 感傷に浸っていた俺を置きざりにして、青木さんは立ち上がり、背を向けて塀を飛び降り、歩き出した。


 何となく、本当に何となくだけど、ここでもう会えなくなる気がして、それが嫌でたまらなかったからーー、


「あの! 俺、土曜日毎週ここにいるんで、もし良かったらまた小説読んでもらえませんか!」


 引き留めたんだ。


「仕方ないなぁ。気が向いたら、ね」


 振り返って、無邪気に笑う彼女の瞳に涙が溜まっていたように見えた。


 ーー俺が初めて好きになった人。


 その笑顔の意味も、涙の理由も今はまだ分からないけど。


 これからまたここで、この場所で逢えるのなら。


 まだ先送りにしておこう。


 今はまだ、新しい小説を書いて、彼女に見せよう。


 そう心に決めて、この日二本目のタバコに火をつけた。


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