森の依頼完了
この話でエルフの森に出たバジリスク騒動が終わります。
次の話からはまた別の事件になります。
村は結構な範囲で破壊されていた為、当分住む事は出来ないと思っていたが、罠に使った鋼蔓の綱や網などを再利用し、幾つかの家はもう住めそうな状態に修復していた。
まあ、あれは残していくつもりだったが、エルフ達も意外に強かというか、ちゃっかりしているモノだ。
エルフの村に招待された俺達は、石化から元に戻ったエルフの長であるシスティーナとリスティーナと対面した。
流石に親子だけあって似ているとは思うが、後何十年か経った後、リスティーナがあんな美人に育つとは想像が難しかった。
「私達の為、あの蜥蜴を倒し、その上、勇敢い戦い命を終える寸前の者達の命を救っていただき、ありがとうございます」
あの時、俺の視界の範囲には居なかったが、最初にバジリスクに石化させられた時、既に瀕死の重傷だったものも何人かいたらしい。
石化から戻った後、その傷が原因で死にかけていたそうだが、完全治癒のおかげで一命を取り留め、それどころか今まで身体に残っていた傷までも、綺麗に癒されたらしい。
「勇者様、本当にありがとうございました」
二度も完全治癒を発動させた俺の事をリスティーナは勇者と呼び続け、どうあってもやめる気は無い様だった。
「俺は勇者じゃない。本物は他にいる」
おそらくあの噂の男は本物だろう。
俺も完全治癒のオリジナルを使って分かったが、あれは個人がどうこうして使える魔法じゃない。
「この子にとっては、私や他の皆を助けてくれた、貴方こそが勇者なのです」
母親を助けたというのは、子供にとっては特別だというのは理解できる。
それに、あのままだとリスティーナは、この幼さで長として皆をまとめなければならなかったしな。
重責から解放されたのは大きいだろう。
「それよりも話し合うべきことがある。あんたが石にされていた間、エルフ達がしてきた事は聞いているか?」
「はい、人間との協定を破り、人間側の森に足を踏み入れ、あまつさえ森の恵みを奪ったと聞いています」
緊急事態とはいえ、結構な額の被害が出ている。
最低でもエルフが奪った量と同量の森の恵みなどを、イミル村に返還して貰う義務がある。
「緊急時の特例として、奪った森の恵みと同じ量を村に届ければ、今回の一件は罪に問わないそうだ」
「許して、いただけるのですか?」
「ああ、事前に話をしてあるから間違いない。この村の再建の問題もある、イミル村にはその恵みを届ける期間に、ひと月ほど猶予を貰うつもりだ」
今日、明日という事であれば難しいが、ひと月もあれば十分な量が確保できるだろう。
「ただし、バジリスク退治の依頼料は別だ。俺達は三日程イミル村に滞在して、その後トリーニに帰還する。依頼料はそれまでに支払ってほしい」
「依頼料ですか?」
そう、俺に対してリスティーナはお願い、つまり正式に依頼した。
あの時返せと言った森の恵みは別件、俺からの要求は【それと依頼料だ】の一言だけだ。
「虎牙蔓の棘と種、それと女神鈴の種、出来れば定期的に纏まった量を貰えれば助かる」
教会を利用しないエルフ達にとって、薬や茶の材料に出来なくもない虎牙蔓の棘と種はともかく、女神鈴の種は無用の長物の筈。
その価値を知らない地域の子供は、小さな笹に似た植物を使い、種鉄砲を作って女神鈴の種で遊ぶ事すらある。
食糧に出来る訳でもなく、殆ど価値が無い雑草だ。
「それだけですか? その二つは何の価値も無い、雑草の種や棘ですが」
「それだけだ、世の中にはそれを欲しがる者がいるのさ」
実際、虎牙蔓の棘や種はともかく、女神鈴の種など殆ど流通しない。
生息地が狭いという事もあるが、群生する習性があるにも拘らず、そんな場所は見た事も聞いた事も無い。
この村に立ち寄るまでの間、森の中を観察したが、まるで雑草の如く女神鈴が群生しているのを見て、我が目を疑ったものだ。
「一応先に言っておくが、絶滅するようなレベルでは取り尽くさないでくれ。あくまで、無理の無い量で頼む」
「雑草にまでお優しいんですね。女神鈴なんて、一本残らず刈り尽くしても、次の年には群生していますけど」
どうやらこの森が女神鈴の育成に向いているんだろう。
「とりあえず、毎月送れる位の量を無理の無い範囲で頼む」
「分かりました。一回目の種は三日後の朝までに村へ届けましょう」
流石に僧侶だけあってスリックは女神鈴の種がどれ位するのか理解していたみたいだ。
ヒューイ達と違い、今のやり取りで目を白黒させていた。
事後承諾だが、後でフェデーリにこの森で採れる女神鈴の種などの権利を貰っておかなければならないだろうな。
一応これは正当な依頼の報酬だ、イミル村側の森で採れる分に関しては、定期的に採取に向かわせよう。
とはいえ、エルフの森の分は黙っていてもいいだろう、これはエルフ側の森の恵みだ。
「使わなかった薬や、蜥蜴退治で使った弓などはそのまま使ってくれ、役に立つだろう?」
十用意した薬の壺のうち、五個は持ち込んでいた。
クロスボウ以外はエルフに使って貰った方がいいだろう。
「本当に、どれだけお礼を言っても、感謝の気持ちを伝えきれませんわ」
今回はこのエルフ達と知り合えたという事だけでも、十分な成果だったかもしれないな。
今後、他のエルフと出会った時、この村の事が伝わっていれば、最初から友好的に話が進むだろう。
「最後に、橋までの道案内を頼む。ヒューイ達もいるが、土地勘のある護衛がいた方が楽だ」
人間側の森へと繋がる橋の前、エルフの村を出た俺達は此処まで特に魔物に出会う事も無く、無事に辿り着いた。
「此処までの道案内、すまなかったな」
「いえ、見送りたいという者が多かっただけですわ」
人間側の森に避難していた三十四人のエルフ、それに一命を取り留めたというエルフなど、六十人近いエルフに守られての道中だった。
村の修理や、食料の調達に出ている者が居なければ、見送りたいといった者は、この倍は集まっていたという話だ。
「勇者様……」
「違うと言ってるだろうが。またな、リスティーナ」
もう会う事は無いと思うが、俺はそういって手を振った。
三日後に女神鈴の種を届けて貰う際、他のエルフについてくるかもしれないしな。
「結果的に、この森に巣食う蜥蜴を退治したが、今後の事を考えるとこれで良かったのかもしれんな」
「あのまま放置してると、そのうちトリーニの冒険者ギルドに討伐依頼が届きそうでしたけどね」
石化の魔眼を持つ蜥蜴か、視線を遮る物の多い森だから幸いしたが、何も無い平原で戦えば、かなりの強敵だったただろう。
トリーニの冒険者ギルドなら、討伐方法位知っている可能性は高いが。
「エルフ側が依頼料を支払えるとは思えんし、イミル村に被害でも出ない限り、公的な冒険者ギルドも動かないだろう?」
「そうですね。あの河を渡ってきたら、流石に動くとは思いますが」
女神鈴の種などで要求するのは俺位だ。
冒険者ギルドの場合、代価は間違いなく現金で要求する。
移動などの経費も含めれば、おそらく金貨二十枚は要求されるだろう。
「とりあえずこれで後はイミル村で説明し、エルフから種を受け取れば終了だ」
「女神鈴の種が暴落しそうな気はしますけどね」
流石にスリックは其処に気が付いていたか。
あれだけ女神鈴が群生しているんだ、確実に暴落するだろう。
「問題は其処だな。だからこそ虎牙蔓の棘と種も要求したのさ。こっちはどれだけ多かろうと暴落しない」
虎牙蔓の棘は治癒薬の材料で、これもそこそこ高値で取引される。
そして虎牙蔓の種だが、そのうち珈琲と同じ様に大ブームが来る事は間違いない。
大量に仕入れられればそれだけ早く浸透させる機会が生まれ、浸透すればやがて利益を生み出す優良な商品になるだろう。
「使用頻度に差がありますからね。実際、女神鈴の種なんて、殆ど使いませんし」
「今の所、使用目的は反魂の秘薬の材料と、死者蘇生の触媒だけだからな。だからこそあれだけ高価なんだが、今までは入手できる数に限りがあるのが、その原因だったと考えている」
「高価? 高いんですか?」
流石にヒューイは女神鈴の事など知らず、そんなのんきな事を言っていた。
二日目の山芋掘りの時、人間側の森の奥に生えていた女神鈴の種を採取していたので、それを一粒革袋から取り出した。
「今の相場なら、この種ひとつが銀貨十枚だ。全部売り物になるなら、そこらじゅうに銀貨が転がっているような状態さ」
「ぎ………銀貨十枚ですか? あの森のあちこちに生えてましたよね?」
人間側の森には殆ど生えていなかったが、エルフの森には女神鈴がいたる場所で群生していた。
まだ種を付けていない女神鈴も多かったが、エルフい話を聞いてみた所、どうやら時期に関係なく年中種を付けるようだ。
流石に雑草呼ばわりされているだけある。
「まあ、トリーニの教会でも、一度に買い取ってくれるのは、せいぜい百個程だろう」
「それでも金貨十枚ですか、真面目に働くのが馬鹿らしくなりますね」
全部売れればな。
トリーニの教会でも死者蘇生などおこなう機会は滅多にないと聞いている。
つまり、そこまで数は必要無いって話だ。
「もし入手量が千を超えたら、俺は全量を教会に寄付するつもりだ」
「寄付ですか!? 金貨百枚分ですよ!?」
「希少だからこそ価値があっただけだ。そこまで入手できるようになれば、どうせ売値が付かないさ。大量に寄付すれば、他の傷薬の調合を試せるだろう? そうすればもっと良い治癒薬が出来て、最終的には多くの人が助かる」
「リュークさん……」
流石に銀貨十枚で仕入れた物を無駄には出来ないが、タダで入手できた女神鈴ならば、惜しげも無く薬の調合を試せるだろう。
そうすれば、割と早い段階で新しい治癒薬の開発に成功するかもしれない。
「お前たち冒険者も、良い治癒薬が安く手に入れば安心だろう? 奇跡の力を使った治癒の術も、使える回数に限りがある。保険は多い方が良い」
冒険者の数は年々減っている。
以前は治安も悪く、まともに金を稼ぐ手段が少なかった事もあり、冒険者を目指す若い奴らも多かった。
しかし、今、アルバート子爵家やレナード子爵家の領内は安定し、市民も普通に働けば、結構余裕のある生活を送れるようになってきた。
その為、命をチップにし、金を稼ぐ冒険者を目指す人間の方が珍しくなった。
今の冒険者の多くは、一獲千金を夢見てトリーニに出てきた地方の村人か、ロドウィック子爵家の領内の人間だ。
ロドウィック子爵家の領内出身の冒険者の多くは、地元の惨状を知っている為、ロドウィック子爵家の領内で活動しようなどとは思わない。
遺跡やダンジョンの数だけでなく、そういった要因もある為、ロドウィック子爵家の領内には冒険者が姿を見せる事は少ない。
次に冒険者が増えるとすれば、安定した暮らしに嫌気がさし、スリルとロマンを求める人種が増えた時だろう。
「僕達も、あのサーシャって人と同じ様に、アーク商会の噂を色々聞いていたんですが、噂ってあてになりませんね」
「あこぎに稼ぐ守銭奴。血も涙も無い冷血漢。殺しも請け負う犯罪商会か?」
「ええ、確かにそんな噂でした……」
間違っちゃいない。
敵対組織は容赦なく潰すし、依頼無い様にもよるが、相手の出方次第では穏便に済ませられない事もある。
「でも、マドラ村を襲うコボルの件で、そんな人じゃない事は分かりました」
「普通の依頼主でも、あれは放置する事が多いですよ」
昔、和紙を作っていた村で、コボルには散々世話になったからな。
あのコボルは関係ないだろうが、たっぷりと利子を付けて返すのが筋ってもんだろう。
「こんな場所だ、魔物の数が減って困る奴はいないだろう?」
「ええ、だけどそれをタダでやる人は珍しいですよ」
「シカ肉の干し肉を貰っただろう、俺はタダ働きは嫌いなんだ」
「そういう事にしておきましょうか」
「タダ働きといえば、お前達に蜥蜴退治の報酬を渡してなかったな」
革袋を三つ懐から取り出し、ヒューイ達に手渡した。
これはハンカの街に買い出しに行った時に用意していた。
「ありがとうございます……、金貨?」
「これ……、十枚も入ってますよ?」
別口だが、後でカーマインには二十枚を追加で支払っておかねばならないだろう。
直接の依頼ではあるが、ヒューイ達を紹介してくれた礼も含めてな……。
「強敵だったからな。それに緊急の依頼だ、少ない事は無いだろう?」
「いえ、まあありがたいですが」
「お前達がその気にあれば、向こうの森に辺りに生えてる女神鈴の種を持って帰った方が早いだろう?」
「値崩れ起こすならやめておきますよ。それに、エルフ側の森の女神鈴の種を取るのは協定違反でしょう?」
確かにな、だからこそ俺もあちらの森に生えている物には手を出していない。
こちらの森の恵みに手を付けた責任を問う者が、何食わぬ顔で向こうの森の恵みに手を出したなら、筋が通らない。
「まあな、こちら側にも生えてはいたが、あまり数は見当たらなかった」
これに関しては、山芋堀を頼んだ際、村長にある程度の森の恵みの採取する許可を貰ってある。
「色々知っていると、何でも商売になるんですね」
「売る商品と時、それを間違えなければ、幾らでもチャンスは転がっている。失敗すると目も当てられん事も多いがな」
大量の魔石を不良在庫として抱えていたナセル商会はまだましな方で、支払い能力を超えた商品を抱え、そのまま資金が尽きて商会を潰す愚か者も多い。
「僕たちみたいに冒険者になる人間は、一攫千金を夢見るタイプと、勇者に憧れてなるタイプが殆どなんですが、商売人になった方が良かったのかも知れませんね」
「一攫千金を手にする人も、勇者も、目の前にいましたし」
一攫千金を夢見て命を落とす商売人も多いがな。
利権を無視して他人の商品に手をだし、多くの人を巻き添えにする馬鹿の多い事か。
「下手を打って死にかけるのは冒険者と同じさ。俺も何度死にかけた事か。それに俺は勇者じゃない」
「リスティーナちゃんはそう呼んでますけどね」
「完全治癒のオリジナルを使える一般人なんて居ませんよ」
オリジナルを使う為のプロセスは理解できた。
ただ、あれを魔石で代用するならば、百や二百では無理だという事も理解した。
「オリジナルは偶然の産物さ。いや、ある意味、あれこそ奇跡だったのかもしれんが」
「森を抜けましたね。あと少しでイミル村です」
「長かったな。これだけ広大な森だ、人の手には余るかもしれんな」
「上流の方にはシャレにならない魔獣がいるって噂ですし、手を出せない場所も多いと思いますよ」
やばい何かがいるという話は聞いた事はある。
一昔前の冒険者なら、そいつが何なのか確認しに行くぐらいはしたんだがな。
「魔獣か、あの蜥蜴じゃないだろうな?」
「可能性はありますね」
イミル村が見えた、どうやら村人の多くは麦の収穫をしているようだな。
夕方、村長にこの村に三日程滞在する事と、エルフが奪った森の恵みの返却に、ひつ月程猶予を貰いたいと説明した。
「ひと月ですか、その約束は信用できますか?」
「とりあえず三日後、俺が蜥蜴を退治した報酬分が届く。その時に確かめるがいいだろう」
どれだけの量が届くかは俺も予測できない。
その後、毎月その量がこの村に届くとすれば、誰かを毎月派遣して取りに行かせなければならないだろうな。
「ああ、それと、今回使わなかったこの治癒薬の壺を四つほどこの村に置いて行く。怪我人が出た時に使ってくれ」
「……いいのですか? 教会で作られた治癒薬ですと、結構な額の筈ですが……」
「その教会が此処には無いのだろう? 怪我人が出た時、これがあれば何とかなる場合もある」
「ありがとうございます」
「クロスボウを五つと矢を百本ほど、それと槍なんかも残していく。魔物が出た時に使ってくれ」
「これで自警団の装備も整います。ありがとうございます」
この村には自警団がある。
コボルや他の魔物が出た時、村の男が斧や長い棒などで武装すると聞いていたので、残っていた武器のうち、槍は殆どおいて行く事にした。
「助けが来ないなら、自衛するしかないからな。農閑期に若い奴を何人かハンカに行かせて、教会で治癒の魔法を憶えさせたらどうだ?」
「もう少し余裕があれば、そうしたい所ですが」
「薬草とか届けてみろ、あそこも鬼じゃない、事情を話せば協力してくれる」
治癒の術を覚えるにも相性などがあるが、何人か行かせれば一人くらいは覚えてくるだろう。
「お爺様、リュークさんは凄い治癒の術が使えるんですよ。こう…光の粒が舞って、無くなってた手とかまで元に戻ってました」
話を聞いてたのか、セフィが姿を現し、村長に向かってそんなことを口走った。
あれが完全治癒だとは知らないようだが、おそらくあんな派手な治癒の術は、あれくらいしかないだろうな……。
「光の粒? それはもしかして完全治癒では……」
どうやら村長は完全治癒の事を知っていたようだ。
失われた魔法の中でも、完全治癒は有名な部類に入るからな……。
「色々あってな、今は魔石切れで使えない」
「ひょっとして、昼間森が光っていましたのは……」
「二度目の時だな、この村からも見えたのか?」
「……もしかして」
「言っておくが、俺は勇者じゃない。ただの商会の頭だ」
勇者だとか言い出す前に、言葉を被せて潰しておいた。
そんな噂が広がると、商売がしにくくて仕方がない。
三日後、エルフ達から頼んでいた一回目の女神鈴の種などが届いた。
リスティーナも来ると思ったが、あの時見張りをしていたエルフと、避難していた何人かが大きな革袋を持ってきた。
「これ位でしたら、毎月お届けできます。時期によってはもう少し増やせますが」
集められた女神鈴の種は、大き目の革袋の中にぎっしりと詰め込んであった。
二万個以上は確実にあるだろう。
女神鈴には大体二十個の種が生る。
俺が先日見つけた五本から百七個の種が取れたから、エルフ達は千本の女神鈴から種を取ったのだろう。
「十分だ、そっちが虎牙蔓の棘と種か?」
女神鈴より、更に大きな革袋に山ほど詰められていた。
種に至っては三十キロ入りの米袋と同じくらいの大きさはある。
「はい。ですが虎牙蔓の棘と種は時期がありますので、おそらく採れるのは、この時期位だと思います」
「それは仕方がないだろう。採れない物を送れとまでは言わない」
「代わりに女神鈴の種を増やしましょうか?」
「いや、この量で十分だ」
既にこの量でも売り物にはなるまい。
それに教会で新しい治癒薬が開発できなければ、増やして貰っても意味が無い。
「確かに受け取った。村への森の恵みはひと月以内で頼む」
「それも間違いなくお返しできます。ひと月も猶予をいただきまして、ありがとうございます」
エルフは、見目麗しい女性だ。
村長は孫娘までいる良い歳だろうに、あからさまに鼻の下を伸ばしていた。
「これからも少し交流を持ってはどうだ? いざという時、頼る物があれば、こんなことにはならなかっただろう」
「そうですね、もしよろしければ、女神鈴をお届けする際にでも……」
「そうですな。こちらとしても、歓迎しますよ」
これでまた蜥蜴なり魔獣なりが出現した際、再び同じ過ちが起こる事は無いだろう。
後はトリーニに戻るだけだ……。
トリーニに戻った翌日、依頼の完了と、森で起きていた事の詳細を説明する為、フェデーリの私邸へと向かった。
商会に戻ったその日に向かいたかったのだが、決裁待ちの書類の山を処理する為、殆ど朝方近くまで掛かったから仕方ない。
「これが国境沿いの森で起こっていた事です。まさか蜥蜴の魔物が暴れてるとは思いませんでしたが」
「リューさんのおかげで無事解決しました。で、報酬ですが」
今回かかった経費、これは直接関係ないが、魔石代が金貨四百枚、武器などが金貨六十枚、カーマインに支払った依頼料がヒューイに手渡した分を入れて金貨六十枚、雑費が金貨二十枚ほど。
合計金貨五百四十枚だ。
「蜥蜴退治や方々への根回しの費用も含めて、金貨で四千枚。と言いたい所ですが、婚約のお祝いとして金貨千枚でいかがですか?」
「金貨千枚ですか、エルフとの調整なども含めれば当然の額ですな。直ぐに用意させましょう」
今回はフェデーリからの依頼という事もあるが、分家筋であるルフ家、それにロドウィック子爵家からの正式な依頼でもある。
安くてもいいのだが、あまり安すぎると貴族としての面目を潰す事になり、ある程度の額を請求する必要がある。
金貨四千枚でも支払っただろうが、まあ千枚位が落とし所としては妥当な額だ。
「それと、ひとつ売りたいものがあるのですが」
「売りたいもの…ですか?」
「今、ロドウィック子爵家には、麦以外にこれと言って特産品はありません。今まではそれで良かったかもしれませんが、今後の事を考えればもう少し特産品を用意するべきです」
「と言われましても、我が領内には他に生産できる物はありません」
そんな事は分かっている、だからこれは何年もかけて準備して来たんだ。
「八年前から品種改良を重ね、七年前から米を全量買い取っていたのには理由があります。それはこれを生産する為です」
「変わった形の樽ですな? 中身は……」
「米を使って造りだした酒、正確には清酒といいます」
「米で酒が造れるのですか?」
最初はウイスキーの生産を考えたが、ウイスキーは熟成期間が長すぎる。
アレが安定して生産できる頃には、最悪俺がこの世にいない可能性まであった。
その点清酒ならば熟成期間はそこまで必要ではない。
今年からでも仕込みに入れるし、今ある酒造所を使えば来年から金を稼ぐ事も出来る。
「はい、かなり複雑な工程が必要ですが、西のグルーア村辺りが水も良く、生産に向いているでしょう」
「で、問題は味の方ですが」
「燗と言いまして、温めて飲む方法もありますが、冷と言って、このまま飲む方法もあります。おひとつどうですかな?」
陶器製のコップを取り出し、其処に樽から清酒を注いだ。
この国にも短い時間ではあるが冬が来る。
その時は、湯豆腐などを肴に、燗した清酒を飲む事もある。
豆腐はレナード子爵家が生産している大豆を使い、ニガリなども入手して自家製で用意した。
「見た目は透明……、味の方は……、飲み易く、これは……いいですな」
「そうでしょう。今、米はほとんど価値がありません。しかし、この清酒にすれば、この大きさの樽で銀貨二十枚ほどの値で売れます」
持ち運び用の一升樽、これでおおよそ銀貨二十枚。
銘柄にもよるが、ワインが大体同じ量で銀貨十枚以下、ウイスキーは金貨一枚ほどになる。
勿論これは卸値で、店頭で販売される際には数倍の価格で並ぶことになる。
「この量で銀貨二十枚ですか? 信じられませんな」
「実際に店に卸す額が銀貨二十枚で、実際には銀貨四十枚程の店頭価格で実験的に販売し、その値段でしたら幾つかの酒場や小売店で売れる事を確認しています」
ロドウィック子爵家が管理する地区以外の住人は、かなりの収入があり、生活に十分な余裕がある。
酒も安いエール酒だけではなく、ワインなども普通に飲む様になってきている。
二年前から実験的に販売し、ロドウィック子爵家で販売を開始した後でも継続して販売する約束を取り付け、アルバート子爵家やレナード子爵家にも了承を貰っている。
主にワインの販売をしているのがアルバート子爵家で、ウイスキーなどを輸入し、販売しているのがレナード子爵家という事もあり、その辺りの調整に苦労したが、トリーニの発展の為という事で納得してもらった。
「その技術、タダではありますまい。幾らですか?」
「販売額のおよそ五%。それを約束してくだされば、生産から販売の利権全てをお譲りします。もっとも、生産した清酒の幾らかは、実験に協力してくれた所に卸していただきますが」
一割要求してもいいのだが、今後のロドウィック子爵家の事を考えれば、五%が限度だろう。
それでも本格的に生産が始まれば、莫大な利益を生み出すはずだ。
「他の二家の管理区域の販売許可は難しいでしょう?」
「そこはもう調整済みです。勝手に新しい酒など販売すれば、ワインなどを売っている二家が黙っていないでしょう」
俺が噛んでいるとはいえ、流石に黙ってはいないだろう。
水面下であっても貴族同士の抗争は避けたい。
「有り難い、其処が調整済みであれば、ぜひ」
「では、この書類にサインをお願いします。利権の譲渡など、細かい契約内容が記してあります」
これで正式に利権の譲渡は完成。
もし仮に他の商会が清酒の生産法を盗んだとしても、勝手に生産すればただでは済まない。
「今、私が持っている酒造所も、そのままお譲りします。来年から米の作付け面積を増やせば、生産量も販売額も増えていくでしょう」
「本当にありがとうございます。これで領内の整備に予算を回せます」
「また何かあればお譲りしますよ。今後もよろしくお願いします」
「こちらこそ、何か問題があれば声を掛けてください。その時はロドウィック子爵家も協力を惜しみません」
これで今回フェデーリからの依頼は完了、金貨にして五百枚ほどの利益は出た。
清酒の生産で、ロドウィック子爵家に資金が流れれば、他の二家と同じ様に領内の治安も良くなるだろう。
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