ブルグミュラー「乗馬」
こんにちは、葵枝燕です。
今回の話は、一人の女性と「乗馬」という曲をめぐる物語です。
著作権的な問題が気になりますが、作曲者が亡くなってから既に五十年以上経っていますし、そもそも曲名自体に著作権は発生しないようなので、そのまま使わせていただきました。
あまり面白い作品ではないかもしれませんが、どうぞご覧くださいです。
耶麻緒は、そっと鍵盤から指を離した。そして、憎々しげに自分の手を睨みつけた。
ヨハン・フリートリヒ・フランツ・ブルグミュラーの曲集『二十五の練習曲』、二十五番「乗馬」。繰り返し部分を抜かせば、全四十六小節からなる。そのタイトル通り、馬を自在に駆けさせる光景が浮かぶような曲である。
耶麻緒は、どうにもこの曲が好きになれなかった。
元々クラシックが好きというわけではない耶麻緒には、実につまらない曲に感じられるのだ。それに加えて、和音や装飾音符や三連符があることは、耶麻緒の苦手意識を強くする。そのどれもが、耶麻緒は苦手だった。だから、それが多用される「乗馬」が好きになれないのだ。
もっとも、それが言い訳であることは耶麻緒自身が一番よく知っている。練習をしない自分が一番悪いのだ。しかし、好きになれない曲を練習することそれ自体に、耶麻緒は必要性が感じられなかった。誰だって苦手なものや嫌いなものはなるべく避けたいはずだ。それさえも言い訳なのだとわかっているが、どうしてもそう思えて仕方がない。そういうことを思っているから、半年以上も同じ曲を弾いているのだということも、わかっているつもりだった。
ピアノを習い始めて十五年以上になるが、だからといってどうということもない。あくまで趣味の範疇である。他人の前で自信を持って弾けるほど得意、というわけでは決してない。耶麻緒にとってピアノは趣味だった。いや、今では半ば義務化された趣味だった。辞めるタイミングを摑めずにいる、ただそれだけの話なのだ。
(この曲さえ、クリアできれば――)
弾いてみたい曲はいくつかあった。頭の中に浮かぶそのどれもが、クラシックとは程遠い曲達だ。どれでもいい、耶麻緒は自分が楽しめる曲が弾きたかったのだ。でもそれは、目の前の壁を越えなければ叶わない。
耶麻緒は、また鍵盤に指を置く。これさえ、この「乗馬」さえクリアできれば、弾きたい曲が弾けるかもしれない。
(序盤とそこと同じ箇所はどうにかできてる。問題はそれ以外の部分)
耶麻緒が苦手とするのは、第九小節から十二小節、第十七小節から二十四小節、第三十三小節から最終四十六小節までの部分。それは、この曲の大半といってもいいくらいの量である。つまり、そこを攻略しなければ先に進めないのだ。
耶麻緒は、心の中で四つカウントを取る。
そうしてそっと、鍵盤を叩いたのだった。
『ブルグミュラー「乗馬」』、読んでいただきありがとうございます。
この作品は、私の実体験です。
タイトルにもなっているこの曲は、二〇一六年三月現在も私を苦しめている曲です。難しいのですよ、練習曲なのに。変調もしますしね。まあ、練習しない私が悪いのですが。
さて、この「乗馬」ですが、訳し方によっては「貴婦人の乗馬」ともいうそうです。私が使っている教本には「乗馬」としか書かれていなかったので、それを採用しました。
気が向いたら、クラシック曲と耶麻緒さんでまた書きたいなと思っています。もう一つ使いたい曲があるので。
読んでいただき、ありがとうございました。