16 魔の森
翌朝、私たちは魔の森に続く裏門の前でカールを待っていた。辺境伯の館の裏から直接行く道や門もあるらしいけど、一応辺境伯には内緒なので。館を辞してから、宿を予約して、その後やってきたというわけ。もう昼近い。
昔と違って強い魔物が出るわけではないので、門番がいるものの裏門から魔の森に行くのは特に禁止されているわけではないようだ。
「まあ、魔の森には行ってみたかったから、ちょうど良かったな」
イルダは相変わらず戦闘好きっぽい。まあ、後からこっそりオルサ嬢にもお願いされてしまったし。お礼は遠慮させてもらった。イルダの言うように、元々行ってみても良いと思っていたし。
「それにしても、ラッパを吹くと魔物が寄ってこないってのは初めて聞いたな。本当なのか?」
「ええ、あの方の音ならそういう効果があってもおかしくはないでしょうね」
アルスの問いにフレアが答える。ラッパや角笛を、狩で動物を追い立てるのに使うって話は聞いたことがあるから、魔力が乗ってなくてもそういう効果があるかもしれない。魔力が強いと、ホルンの先から炎が出たりとか…は、ないか。
カールはすぐにやってきた。ちゃんとホルンも腰に携帯している。
「すみません、お待たせして」
「いやそんなに待ってないよ」
さすがに門を出たらすぐに森というわけではなく、正門側と同じように草原があって、ちょっと離れたところに森があるけど、森の中に小道が続いているなど、そこそこ人も通るようだ。
「あんまり『魔の森』という感じもしないな」
「その名前も昔のことですからね。奥の方には強い魔物もいるらしいですが」
「で、歌口とやらはどの辺で失くしたんだ?」
「こちらからだと、森に入ってすぐのところで、道からちょっと左側に外れたところでしょうか。木の間にちょっと開けて、ちょうど良い岩があって」
「『ちょうど良い岩』ねえ」
アルスとカールの会話を聞いていたイルダがクスクスと笑う。
「『ちょうど良い』ってのは座り心地かい?ホルンを吹いてれば魔物が寄ってこないとはいっても、夜な夜な貴族のお嬢様を森に連れ出すのはどうかと思うぜ?」
「なっ…」
カール、顔が真っ赤。
「バレバレよね」
「…ですね」
「えっ、そうなの?」
アルスだけ分かってなかった。
「そ、そうだったのか。いや、あのオルサがねぇ。小さい頃のイメージしかないものだから、全然気が付かなかったよ」
いや、アルスが鈍いだけ。…と思う。
「それにしても、オルサ嬢は一人娘だろ?辺境伯の奥方も亡くなっているという話だし、家督を継ぐわけだ。その相手となると、難しそうだな」
イルダが言う。食事の席で聞いたけど、奥方はオルサ嬢の弟の出産時に亡くなったという。結局弟も助からなかったと。
「俺は覚えてるよ。男の子らしいと言って、生まれる前に、もう『ミエル』という名前を付けてたのを。亡くなった時には、気の毒で見ていられなかった」
目に入れても痛くない一人娘で、辺境伯の家督を継ぐと。あの『黒熊伯』を納得させる相手なんているのかしら。
「あのチェスターとか、狙ってそうだよなぁ」
「ああ…まあ、身分とかありますからね」
「これだから貴族とか王族とかは…」
「ううっ」
やだなあ、階級社会。
「おい、あれは噂をすれば影っていうやつじゃないのか?」
アルスが顎で示す方を見ると、私たちの出てきた裏門とは別の場所から壁が開いて、馬に乗った人が二人出てきた。辺境伯の館の裏から直接出られる門というのが、あれだろう。
「辺境伯と、チェスターかしら」
「そうでしょうね。エルリク様の魔物狩りに、良く護衛として付いていくと聞いていますから」
「アイツが護衛になるのかねえ」
私の問いにカールが答えるが、イルダはバッサリと切り捨てた。
「おい、こっちに来るぞ」
アルスが言うので見ると、確かにチェスターと思われる方がこちらに馬を飛ばしてくる。何か用かなー、と思っていると私たちのところにやってきたチェスターは、馬上からつまらないものを見るかのように見下ろした。
「ふんっ。何だお前らは、森へ行くのか?」
「…ああ、一度見ておきたいと思ってね」
「魔物漁りか。これだから下賎な冒険者は。万が一魔物が出ても、辺境伯は私がお守りするが、お前らまで面倒は見られん。せいぜい魔物に後れを取らないようにするんだな」
返答したイルダを鼻で笑うと、くるりと踵を返して辺境伯のところに戻る。ちょっと何か話していたが、そのまま森に入るようだ。
「何だあれ。これだから貴族とか王族とかいう連中は…」
「それはもういいよ。…にしても、あんな嫌味を言うためだけにわざわざ来たのか」
「自分たちのは『魔物狩り』で、あたしらのは『魔物漁り』かよ。それに後れを取らないように、だと?自分こそ辺境伯の足を引っ張るのがせいぜいだろうに」
「まあまあ。放っておいて、こっちはこっちで勝手に行こうぜ。ほら、カール、案内しろよ」
「は、はい」
イルダを懸命に抑えるアルス。それにしても、狩のお供なら他にもっとまともなのがいないのかしら。結構、人材不足とかだったりして。
森に入ってちょっと歩くと、目的の場所にはすぐ着いた。確かにちょっと開けていて、大きな岩が鎮座している。
「こりゃいい。ここに座って月でも眺めていれば、雰囲気はは最高だな」
…と、さっさと岩に座ってのんびりしているイルダだけど、先に探し物を済ませて欲しい。
「これではありませんか?」
「ああ!これです、傷も付いてない!本当にありがとうございます…」
「…いや、簡単な依頼だったよ」
いや、フレアが見つけただけで、イルダは何もしてないでしょ。
「それは、そんなに大事なのかい?予備があるんだろ?昨日の演奏では予備のを使ってたんだろうし」
「いや、微妙に違いがあって、慣れた物はやっぱり違うんですよ」
「なるほど、それで昨日は調子が悪かったわけだ」
「…」
あー、イルダも気が付いていたか。
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道に戻って皆で顔を見合わせる。
「…で、どうする?もう町に戻るか?」
「あたしはこのまま奥に進んで、魔物を見つけても良いんだが、そもそも人を襲ってない魔物を、こちらから退治するのもなぁ」
「そうですね、もうすぐお昼になりますし、カールさんもいらっしゃいますから」
「私も、町に戻ってちょっと調べ物もしたいな」
「ユウカさんが調べたいのは以前降臨された女神様についてですよね。音楽関係のことならカールさんにもお話が聞けるのでは」
「はい、そういう話でしたら…」
「…ちょっと待った」
アルスが人差し指を口に持っていって会話を止めると、道の向こう、森の奥に視線を向けた。私にも分かる、何かが駆けてくるような音。
「魔物か?」
「…いや」
森の奥に続く狭い道に現れたのは、馬に乗ったチェスターだった。青い顔をして懸命に駆けてくる。アルスは驚きながらも、巧みに馬の斜め前に移動しながら速度を落させ、手綱に手を掛けて止める。
「お、おい、どうしたんだ!」
「ま、ま、まも、魔物が!」
顔を見合わせる。
「魔物だと?どんな魔物だ?エルリクおじさんはどうした!」
「エルリク様は…もう駄目だ。あっという間に無数の羽の生えた蛇の魔物に取り囲まれて、懸命に戦ったのだが、毒蛇のような魔物に噛まれて…」
「お前、おじさんを見捨ててきたのか!」
「エルリク様!」
カールが叫んで、森の奥に走っていく。
「あっ、ちょっ…」
イルダが止めようと声を掛けるが、聞こえていないようだ。そちらに注意を取られた瞬間、チェスターはアルスを振り切るように馬を走らせて逃げ出した。
「お、おい!おじさんの居場所は!」
アルスが叫ぶが、一目散に逃げていく。捕まえるのは無理だ。
「とにかく、カールを追って奥に向かうぞ。手遅れになるといけない」
イルダの声に一斉に頷いて駆け出す。カールが必死に走っているせいか、中々追いつけない。やっと追いついたとき、前方に魔物が飛び回っているのが見えた。グイベルだ。
「見えた!」
「エルリク様!」
そのまま駆け寄ろうとしたカールを、フレアが後ろから肩を掴んで必死に止める。
「落ち着いてください!冒険者でもないあなたが、魔物の群れに一人で突っ込む気ですか!」
「あ、ああ…」
「あなたが仰ってくださったように、わたくしたちは『凄腕の冒険者』です。任せてくださいね?」
ニッコリ笑う。さすがフレア。
「ああ、おじさんは必ず助けよう」
アルスも落ち着いたようだ。
…しかしグイベルの群れに近づこうとした次の瞬間、私達は逆に無数のグイベルに囲まれていた。