9.にいさまの嫁取り事情・前
書籍発売記念ということで、SSです!
12/2発売予定です。よろしくお願いいたします<(_"_)>
「ってわけで、親父殿から強制見合いさせられたってわけ。あー、まいっちゃったなーもう」
彼のボヤきに、目の前の女性はその豊かな赤茶の髪を整えながら、わざとらしく目を丸くして見せた。
「とうとう貴方も年貢の納め時ってこと? 可哀想に」
「うれしいな、グレイシア。慰めてくれるんだ」
微笑んだグレイシアは、そっとその細く白い指先を男の頬に添え、なぜかそのまま軽く抓ってきた。地味に痛い攻撃だが、顔を歪ませるほどではない。絶妙の力加減だ。
「あら、やだ、勘違いしないで。可哀想っていうのは、貴方の奥さんになる人のことよ。貴方って、戯れ相手としては上出来だけど、夫として考えたら最低の部類だもの」
「容赦ないなぁ、グレイシア。オレ泣いちゃうよ?」
「ふふ、あの人の居ないときに、こうやって『お茶』しに来る貴方に言われてもねぇ……。もう少しお友達を見習ったら?」
「お友達?」
「最近、婚約発表したお友達がいるでしょう? あぁ、未来の義弟と言った方が分かりやすい?」
「いや、あれを見習うのは、ちょっと……」
(うん、誰のことを指しているかは分かったけど、すごく、誤解があるよね。オレはさすがにクレストを見習いたくはない。あんなの受け止められるのは、女神さまなマリーちゃんぐらいなものだよ。ほんと。)
思わず遠い目をするカルルを勘違いしたのか、グレイシアはさらにその『お友達』に賛美を重ねる。
「あれだけ分かりやすく一人だけを見ていてくれるなら、女冥利に尽きるわ」
「うん、真実を知らない人から見たら、そうなのか、うん……?」
(そうか、あれが女性の憧れる一途なのか。オレにはトテモマネデキナイヨ)
地平線の彼方まで遠くを見つめるカルルを責めるものなどいない。
「カルル?」
「いや、なんでもない。――――これ、ありがとうね、グレイシア。今度、うちの新作持ってくるよ」
「えぇ、リューゲ・ディアマントのネックレスでいいわ。安いものでしょ?」
「いや、あれ、今品薄……まぁ、うん、分かったよ」
ちゅ、と唇を頬に寄せると、カルルは気だるげに見送る若妻に小さく手を振って部屋を出た。
「カルルもそろそろ身を固める年齢になったのねぇ……」
彼の何番目かの恋人は、ふっと笑みを浮かべると、片手を上げて紅茶のお替りを催促する。
「うまくいくかどうか、誰かと賭けてみようかしら」
◇ ◆ ◇
非番なのをいいことに、ふらふらと朝帰りならぬ昼帰りをしたオレは、妙に邸がざわついているのに気づいた。
(あれ、まさか姉上がまた帰って来てるとか? やだなぁ……)
とりあえず見咎められないうちに着替えとこう、と思ったところで、オレはざわつきの原因を見つけた。
「カルルにいさま?」
「マリーちゃん? あぁ、そっか、採寸って言ってたっけ」
「にいさまは、……非番、ですか」
どこか疲れた様子の義妹は、オレの方をじっと見たかと思えば、大きなため息をついた。
「えぇと、マリー? 何か誤解がある気がするんだけど」
「誤解はないと思います。とりあえず、お義母さまに見つかる前に、着替えてきたらいかがですか?」
やたらとトゲトゲしく言い放たれてしまっては、オレとしても面白くない。
「マリーちゃん、もしかして、母上殿から着せ替え人形された八つ当たり? かわいーなー、もう。にいさまが受け止めてあげるから、おいでー」
「……襟元の紅を落としてから、おとといおいでくださいやがりませ」
にっこりと微笑んだ義理の妹は、義兄を義兄とも思わぬような暴言を吐くと、すたすたとオレを置いて去っていった。その先にあるのが『クリス』に割り当てられていた部屋、ということは、ひとまず着せ替え人形のお仕事(?)からは解放されたようだ。
「潔癖でかわいいなぁ」
そんなマリーの悪態も受け流し、オレは他の家族に見つかる前に、と、自室へと急いだ。
手早く着替え、顔を洗うための湯桶を持ってきたメイドに、恋人から頼まれたばかりのネックレスの発注を頼む。やはり日数はかかるらしいが、届く頃に顔を出すぐらいで構わないだろう。
昨日は騎士団の仕事帰りに恋人のところへ寄って、そのまま過ごしてしまったから、家の仕事が溜まっていた。もっと早い時間に帰るはずが、彼女から興味深い話を聞いてしまったので、ついつい長居をしてしまったのだ。
騎士団と家の仕事の両立もなかなかに厳しくなってきたことだし、そろそろ仕事の辞め時かもしれない。騎士団へのパイプはいくつか作れたし、何より友人であり義妹の婚約者でもあるクレストがいるから、今後も心配はないだろう。何やら、「マリーに金の心配をさせるわけには……!」とか言っていた気がするから、今後も昇進を躊躇わないに違いない。
(別に、マリーちゃんに頑張ってもらってもいいと思うんだけどね、オレは)
バルトーヴ子爵家の養女となったマリーツィアは、商才がある。正しくは商才ではなく、「売れる物を作り出す技術と発想力がある」というべきだろうか。
優秀な魔術師に厳しくたたき込まれた知識、膨大な魔力、平民目線の思考、それらを一人で持つマリーは、新しい商品を次々と生み出す――いわば、金の卵を産むガチョウだ。商品化や販路、広報などはもちろんまだまだだが、欲しいと思わせるものを作ることにかけては、この家の誰も敵わないだろう。
藍色の釉薬に始まり、ダイヤに限りなく近い輝きを放つガラス、まだ商品化のめどが立っていない印刷技術や調理技術についても、あらゆることを秘匿し狭い世界に閉じこもっている魔術師には、とうてい考えつかないようなものだ。
正直なことを言ってしまえば、もしクレストとの仲がうまくいっていなければ、オレ自身がマリーを囲い込んでいた。まぁ、そこはマリーの選んだ相手だし、他ならぬ長年の付き合いのあるクレストなので身を引いたけれども。
そんなマリーに「金の心配をさせたくない」と言うクレストが、なんだかいじらしくて笑えてくる。
一刻ほど書類と睨めっこしただろうか、ノックの音にオレは顔を上げた。
「お客様がいらしております」
「はぁ? 今日は別に誰とも約束はなかったよな?」
「えぇ、その通りでございます。しかしながら、ノングル子爵の令嬢でございまして」
「えぇー……」
気の抜けるようなオレの声に、呼びに来たアネア爺も複雑そうな顔を浮かべた。
それも当然だろう。ノングル子爵の令嬢と言えば、つい先日オレと見合いをしたばかりの相手だ。だからといって、突然に訪問するのはさすがにいかがなものか。もちろん、オレもアネア爺も声には出さないが。
「念のために確認するけど、追い返す手はなかった?」
「旦那様が面白そうだから、相手をさせろ、と」
「親父殿……」
それは、どういう意味で面白そうなんだろうか。オレが仕事を溜め過ぎて慌てふためく様子がみたい? それとも何か別の……
親父殿の思惑は、オレにとっては薄い紗幕が二重三重にも重なった向こう側過ぎてよくわからない。
分かることはひとつだけ。
親父殿が迎え入れたというのなら、オレはその令嬢の相手をしなきゃならないってことだ。
「令嬢はどこに?」
「東の応接へお通ししております」
「東? マリーがあっちで採寸してるんじゃなかったっけ?」
「はぁ、それが、奥様がなぜかマリーツィア様を指名して、カルル様がいらっしゃるまでのおもてなしをするようにと」
「母上殿も、また無茶振りをされる……」
これは、早めに行かないと、後でマリーちゃんに、引いてはクレストに何か言われそうだな。
まぁ、マリーちゃんも接客業をしていたから、そこまで……いや、貴族の令嬢相手だと、ちょっと違うか。
オレは、鏡に向かって軽く髪を撫でつけると、上着を引っかけながら東の応接間へ急いだ。
コンコン
「失礼、お待たせしましたか、ルイナ嬢」
「まぁ、カルル様!」
ソファから立ち上がったのは、薄桃色の生地にブラウンの縁取りもマッチしたドレスを纏った令嬢だ。正直なところ、顔は並の並。体つきも並の並。目の色も青みがかったグレーだし、髪の色も赤みの強い茶色と特に珍しくもない組み合わせ。なぜ親父殿が彼女を選んだのか計りかねている。
「突然、前触れもなくお邪魔してしまって申し訳ありませんわ。でも、今日は騎士団のお仕事が非番と伺ったものですから……」
あぁ、それなりの情報網を持っているということか? いや、それでも、『それなり』ならウチには必要ないしなぁ。
ふと視線を彼女の後ろにやれば、見合いの席にもいた女騎士が控えていた。ルイナ嬢の護衛なのだろう。相変わらず隙を見せない立ち姿に、女性の騎士もいいなぁ、などと考えてしまう。
「カルルにいさまがいらしたのでしたら、私はこれで」
「えぇ、ありがとう、マリーツィア様。おかげで待つ時間を苦もなく過ごせましたわ」
「こちらこそ、色々とためになるお話を伺わせていただきました。感謝いたします」
立ち上がったマリーちゃんは、ルイナ嬢にドレスの端をつまんで礼をすると、「どうぞごゆっくり」と何故かオレを悼むような笑顔を浮かべて部屋を出ていった。
なんだか、イヤな予感しかしない。
「カルル様、実は礼を失してでもお会いしたかったのはですね、一つ、提案をさせていただきたかったからなんです」
気色満面の笑みを浮かべるルイナ嬢は、まるでオレがそれを喜んで承諾すると疑っていない顔で、爆弾を落とす。
「義理とはいえ、妹であるマリーツィア様が先に嫁がれるのはカルル様の体面が傷ついてしまうでしょう? 先ほど、マリーツィア様に、結婚の日取りを遅らせることはできないかと尋ねてみたのですけど、先方の要望もあって無理とか……。それならば、わたくしたちの結婚を早めるのはどうでしょうか?」
どうでしょうか?
いやいや、マリーちゃんとクレストの結婚式を遅らせでもしたら、おそらくオレが殺されるから。
それに、婚約に向けて話を進めようか、という段階のルイナ嬢と即結婚とかありえないから。
……とりあえず、ルイナ嬢がかなり痛々しいお嬢様だということはよく分かった。
「あー……ルイナ嬢?」
「はい!」
視界の端に映った護衛の彼女は、大変申し訳なさそうな表情でこちらを窺っている。あぁ、こっちは常識人なんだな。よかった。主従で暴走されたら手に負えないからな。
「急いてはことを仕損じると昔の賢人も言っていますし、結婚という人生を左右する物事は、慎重に動かすべきかと」
「まぁ、さすがカルル様、博識ですのね!」
とりあえず、この勘違い娘は適当に言いくるめて追い出そう。
親父殿が何を思ってこの縁談を整えたのかは知らないが、このお嬢さんは、――――ない。
◇ ◆ ◇
「おや、マリーちゃんは、お迎え待ち?」
ルイナ嬢にとっととお帰り願い、再び書類仕事に精を出したオレは、一服しようと出たところでマリーちゃんに遭遇した。
「はい、とりあえず採寸などは終わりましたから。クレスト様が帰りに寄ってくださるそうなので……」
「うーん、幸せオーラ出てるねぇ」
「カルルにいさまは……」
マリーちゃんは、何かを言いかけて、口ごもった。
「うん? 言いたいことがあるなら、遠慮せずにどうぞ?」
「……その、先ほどのご令嬢のことなんですけど。えぇと、ノングル子爵令嬢と婚約される予定なんですよね?」
「あぁ、あれね。もしかして、相手してるときに不快な気持ちになったとか?」
「いえ、それはありません。ただ、どっちなのかなぁ、と」
「どっち?」
オレは首を傾げた。マリーちゃんが何を言おうとしているのか、さっぱり分からない。
「その――――」
そして、続いたマリーの質問に、オレは「……やられた」と天井を仰ぐしかなかった。
そういうことかよ親父殿!