14.にいさま危機一髪
「あー、結局、今回はすっかりマリーちゃんにお世話になっちゃったなぁ。……ということで、にいさまが何かご褒美をあげようか」
どこかご機嫌なカルルの言葉に、今日も打ち合わせにやってきたマリーは、少しだけ冷たい目線を向けた。
「その言葉、どこまで信用してもいいんでしょうか?」
「えぇ? マリーちゃんヒドくない?」
「カルルにいさまが女性に吐くセリフは信用できません。だって、何人もの女性と浮き名を流していらっしゃるんですから」
「やだなぁ、そんな後腐れある付き合い方も別れ方もしてないよ? それを言ったら、父上殿はどうなるんだか」
マリーツィアは顔しかめた。この家の養女となってから知った事実は、正直、マリーには受け入れがたい。それでも、それがこの家のあり方なのだと言われれば、受け入れるしかないのだ。
……たとえ、現当主――マリーの養父のなるバルトーヴ子爵に、夫人公認の愛人が3人いたとしても。
「お義母さまが、黙認されていらっしゃるのでしたら、別に私がとやかく言うことではないと思います」
「いや、母上殿は、むしろ毎年菓子折り片手に挨拶に行くぐらいだから、黙認なんてものじゃないんだけどね。でも、なるほど、そういう納得の仕方をしているわけね。潔癖なマリーちゃんのことだから、陰で『不潔よっ』なんて罵っててもおかしくないと思っていたんだけど」
マリーは目の前の義兄に対して、思わず「最低ですね」と罵ろうとした自分の口をぎゅっと閉じた。こうやって、感情的に揺さぶって翻弄した上で、相手のミスを誘うのがこの義兄の手段だと知っている。
(あぁ、あの方にも、早く教えてあげないと)
順当にいけば義理の姉となる女性の顔を浮かべ、マリーは心の中で嘆息した。手紙をしたためるのが一番だと思うが、それをクレストが許すかどうかは、また別の話だ。
「ご褒美、というのは本気ですか?」
冷静に、と唱えながら、話を本題に戻す。カルルが帰って来たということは、ほどなくクレストのお迎えも来るはずだ。中隊長に昇進してからというもの、彼の帰りは小隊長のカルルより少しだけ遅くなっている。結婚前にやっかみで仕事を振られているとも聞いたが、純粋に仕事量も多いらしい。それに、ほかならぬクレスト自身が、仕事にやる気を見せていると聞いている。その理由が「マリーに金銭の心配をさせるわけには!」というものだとは、彼女はまだ知らない。
「うん、それだけあの情報には価値があったってことだよ。まぁ、父上殿にも知られちゃったから、もしかしたら、厄介なことを頼まれるかもしれないけど、そこは頑張ってよ」
どうやら、意図せず漏らした情報だったのに、随分と重宝されるようなものだったらしい。
マリーは、義理父から頼まれそうな厄介事の件を頭の隅に寄せて、目の前の義理兄に向き直った。
「価値があった。そうおっしゃるのでしたら、少し高価いものをねだってもよろしいのでしょうか?」
「おぉ? 強気に来たね。マリーの考える高価なものが、どれほどのものかは知らないけど……とりあえず、内容を聞こうか?」
マリーは、渇いた唇を、そっと湿らせた。
クレストからの「頻繁に子爵家へ行くな」という制止を振り切って、結婚式の準備という名目でこちらに通っているのは、それなりの理由がある。もちろん、準備だって大事だけれど。
バルトーヴ子爵家は、貴族とは名ばかりの、実体は商会。顧客は貴族から平民まで幅広く、先だって娘を侯爵家次男に嫁がせたりと中央への食い込みもめざましい。
だからこそ、子爵家の中では、たとえ家族といえど、情報の大切さを説かれ、家族間の情報のやり取りすら対価を伴う。
逆に言えば、それだけ情報が集まるのだ。
「カルルにいさま」
「なんだい?」
「私とクレスト様を、守ってください。――――主に、子爵家に縁の方々から」
マリーの言葉に、カルルは笑みを浮かべたまま「そう来たか」と呟いた。
「誰かに何か、聞いたのかな?」
「いいえ?」
「それなら、どうしてそんなことを?」
「さぁ?」
「具体的にどういう風に守って欲しい?」
カルルの口からは、拒否の言葉はないが、了承の言葉もない。つまり、義兄を説得するために、マリーはまだ、理由が足りないのだ。
だが、どうしてそういう発想に至ったのかというと、それをカルルに伝えるつもりのなかったマリーは、ただ、こくり、と唾を飲み込んだ。
「私は、クレスト様と一緒でないと、金の卵を産まない。それを周知していただければ十分です」
その情報は、師からもたらされた。
デヴェンティオの薬屋へ珍しく足を運んだ師が、『クリス』相手に教えてくれたのだ。金の卵を産むガチョウを抱え込もうとしている輩がいる、と。
『――――ほんと、大局が見えていない人間って面倒だよね、マリー』
『お師さま、なんだか実感がこもっていませんか?』
『こういうのは、商人だろうが魔術師だろうが、変わらない。自分の手で生み出せない人間ほど、目の前のものを欲しがって手を伸ばすんだよ。本当に醜悪だよね』
そう吐き捨てた師の顔に、協会と決別した所以を何となく察するが、それよりもマリーにとって大事なのは、自分のことだ。
『お師さまは、クレスト様とのことを、反対していたんじゃなかったんですか?』
『マリー、かわいい弟子の君が幸せになるなら、相手はあの男でも構わないよ。ただ、幸せにならないと、許さないよ?』
『……そういうことを、アイクにも言ってあげればいいのに。この間、拗ねてましたよ?』
『え? アイクに言う必要なんてないよ。アイクはまっすぐ育ってるから、ちゃんと分かってる。マリーは……うん、まだ、他人の幸せのためなら自分なんて、ってどこかで思ってるでしょ?』
『それは……その、たぶん、もう大丈夫だと思います』
『そう? あぁ、でも、マリーはあんまり素直に愛されることに慣れてないからさ、僕ぐらいはちゃんと率直に表現しないとね』
『えぇと、クレスト様も、愛してくださってます、よ?』
『あー、ダメダメ。あんな依存混じりの愛情なんて。僕が言ってるのは無償の愛情だよ。マリーが幸せになるためなら、多少の労苦は厭わないからね。安心しなさい』
『安心……』
『実の親が与えられなかったものを、僕が与えてるだけ。気にしないでいいんだよ』
『……でも』
『でも、は禁止! こういうときに、何て言えばいいんだっけ?』
『ありがとうございます、お師さま』
愛されていると実感することは大事なのだと、師は語ってくれた。万が一、クレストとの仲が上手くいかなかったら、帰って来てもいいんだと。
「マリーちゃん?」
「あ、すみません。ちょっと、この結論に至るまでのことを思い出してしまって」
「……うーん、オレとしては、それを是非声に出してもらいたいんだけどなぁ」
「そこは内緒です。――――それで、可愛い義理妹のおねだりは、聞いてもらえますか?」
こてん、と首を傾げたマリーに、カルルはため息をついた。
「まぁ、アレらを失脚、ではなくて、情報を流すことで牽制するぐらいならいいんだけどね」
「下手に失脚させたら、逆恨みされてしまいますよね?」
「マリーちゃんのその判断力には脱帽させられるね。どうしてそう考えつくのか、聞いてもいいかな?」
「普通、ではないですか? あ、でも、もしかしたら、食堂で働いていたときに聞いた話とか、薬屋を営んでいたときの経験があるからかもしれません」
「食堂の噂話は分かるけど、薬屋でも? だって、町の有力者の口利きで出店したんでしょ?」
カルルの言葉に、どれだけ調べられているのやら、とマリーは小さく肩をすくめた。
「だからって、小さな嫌がらせや、営業妨害がなかったわけではありません。特に、体の弱い『クリス』が接客をしていたので、最初はナメられていたんです。お隣さんや出店に動いてくださった方の口利きで来てくださったお客さんの助けがなければ、どうなってたことか」
当時を思い出して、苦笑いを浮かべるマリーツィアに、カルルは「なるほどね」と頷いた。
デヴェンティオで1軒だけの薬屋だが、民間療法が広がっていたり、純粋に余所者を嫌ったり、難癖をつけて売り上げをかっぱらおうと思う輩がいないわけはない。つまり、それらと渡り合っていたわけだ。実質一人で。
「こういうのは、お互いに納得のいく落とし所を見つけるのが一番だと思うんです」
「そうだね」
「……カルルにいさまは分かっていると思いますが、もし、万が一、クレスト様に何かあったら――――」
「あったら?」
マリーツィアは、難儀な客を接客するときのように、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
「人との関わりをすべて絶って、引きこもりますから」
今はもう、知る人を知る『導師ズナーニエ』の存在を知っているカルルは、初めて顔をひきつらせた。つまり、マリーツィアは、師と同じ道を選ぶということに他ならない。
「うーん……、なんだか本当にクレストにはもったいないよなぁ、マリーちゃん」
「にいさま?」
「あー、はいはい。了解了解。マリーちゃんも、何だかんだとウチの流儀に染まってきたよね。……こういうのは、親父殿の方が得意なんだけどなぁ」
「お義父さまとは、対等に渡り合える気がしません。きっと不利な条件をつきつけられてしまいます。だから、カルルにいさまでいいんです」
「それは貶されてるのか、誉められてるのか」
「カルルにいさまにとって、クレスト様は友人ではないんですか?」
「あー、はいはい。降参降参。分かったよ。ちゃんとオレの方で根回ししとくから安心してよ」
「よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げるマリーに、してやられた感のあるカルルは、そのまま引き下がるのも兄の沽券に関わると、話題をするりと変えることにする。
「考えてみれば、薬屋の接客って、大変だよね」
「?」
「王都で薬と言えば、まぁ回春薬とか媚薬の類が人の口に上がるけど、マリーちゃんのお店も扱ってたのかな?」
「そういったものは、よほどの事情がない限り、用意はしませんよ?」
カルルの予想を裏切り、閨の話題でもマリーは顔色ひとつ変えない。年頃の少女ならば、もっと恥じらうものがあるんじゃないか、と考えた彼の予想は、あっさり裏切られた。
「よほどの事情?」
「はい。どうしても子供が欲しい夫婦でも、精神的な事情によって、そういった行為が成立しない場合、ですとか」
「ずいぶんぼかして表現するね」
「そうですか? 冷やかしではなく真剣に相談にいらっしゃるお客様は、直接的な表現を好まないことが多いですから。むしろ、あけすけな単語を口に出す人は、冷やかしの確率が高かったと思います」
こういった話題で店番をしていた『クリス』が恥じらう様子を見ようと思った客は、見事に裏切られたに違いない。店の奥で『クリス』を操るマリーが動揺しても、それは『クリス』の無表情を作るだけだったのだから。
食堂で働いていたときに何度も常連客にからかわれた下地もあったのか、マリー自身、すぐにそういった嫌がらせやからかいには慣れてしまったのだ。
「ふーん。その調子なら初夜も大丈夫そうだね。クレストも色々と考えてはいるみたいだけど、初めて同士って悲惨だって聞くし」
「……え」
おや、とカルルは目をみはった。先程の会話では動揺ひとつ見せなかったマリーツィアの頬がみるみる赤く染まっていったからだ。
「マリーちゃん?」
カルルの呼び声に応えず、マリーツィアは熱を持った頬を押さえて何かを呻くと、そのまま顔を押さえて伏せてしまった。
「……マリーちゃん?」
黒髪の間から見える首筋も赤くなっているところを見て、カルルはにんまりと笑う。どうやら、彼女の中では「それはそれ、これはこれ」と明確な線引きがされていたようだが、その柵を引っこ抜いてしまったらしい。
つまり、ようやくマリーの中で、自分がそういうことをするのだと実感が湧いたのだ。
これは、からかうチャンス、とばかりにカルルは口を開き――――
「カルル?」
その口を即座に閉じた。
底冷えのする凍気には覚えしかない。まったく使用人も気を利かせて彼が到着したことを教えてくれてもいいのに。
いや、逆か。彼がそれを待つ理由などない。
「えぇと、予想より随分と早く仕事が終わったんだな、クレスト」
「慣れてきたからな。――――で、何をした?」
マリーが顔を押さえて呻いているのはカルルが原因だと疑いもしない声音に、いつもなら「失礼な!」と反論するところだったが、今回に関しては、申し開きの隙もなかった。何しろ、まさに追い打ちの言葉をかけようとしていたのだから。
「いやいや、純粋に義兄から、嫁ぐ義理妹にむけて心構えをね?」
「何をした?」
クレストの声に、もはや空気すら凍り付きそうな勢いだった。
「な、なんでもないんです、クレスト様……」
カルルの危機を感じたのか、それともその後に問いつめられることを恐れてか、マリーが顔を上げて注意を引いた。
だが、それは明らかに悪手だった。
マリーの頬は紅潮し、恥ずかしさのあまりか、その紫玉の瞳も潤んでいる。そんな状態で、座ったままのマリーが歩み寄ってきたクレストを上目遣いに見たらどうなるか。
「カルル」
エメラルドの瞳は、絶対零度の輝きを放ち、見る者を凍り付かせた。
――――後にカルル・バルトーヴは語る。
もう完全に死を覚悟したね。っていうか、今、生きてることが信じらんないよ。女神様、マジ女神。
冷静さを取り戻したマリーの必死の説得によって、九死に一生を得たカルルだが、クレストを連れて邸へと戻ったマリーツィアがどうなったのかは彼は知らない。
ただ、次にバルトーヴ家を訪れたマリーツィアがひどくやつれていたとか、いないとか。




