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12.彼女の葛藤

「マリー?」

「はい、クレスト様」


 カルルにいさまの電撃婚約の噂も冷めないが、私は私でバルトーヴ邸へと何度も足を運んでいた。もちろん、結婚準備のためだ。

 その度に迎えに来るクレスト様が重い……いや、わざわざ足を運んでもらって申し訳ないような気分になる。大した距離でもないのに、馬に乗せて運んでもらうのも、もう慣れたけれど、歩いたって知れている距離なのに。


「魔力を見て、血縁関係にあるかどうか調べられると聞いたが」

「……カルルにいさま、から、ですか?」


 あの人は、どうしてポロっと口に出すんだろう。情報は重要だと散々口にしているわりに、クレスト様によく漏らす。アレか。私に対する嫌がらせだろうか。


「なぜだ?」

「え?」


 私は、ゆっくりと歩く馬上で、首を後ろにめぐらせた。


「そんな話は聞いたことがない。俺はそれほど魔術に詳しいわけではないが、自然とできるようなことではないだろう?」


 ヒヤリ、と冷たいものを押しつけられた気がした。もちろん、錯覚だということは分かっている。

 どうして、クレスト様は私の核心をことごとく突いてくるのだろう。いちばん、知られたくない部分なのに。


「単なる偶然です、クレスト様」


 私は再び前に向き直る。心臓がイヤな音を立てて軋むのを振り切るように、ゆっくりと流れていく町並みに目を向け


「―――嘘をつくな」


 耳元に落とされた低い声に、一気に極寒地獄へ放り投げられたかと思った。

 もちろん、クレスト様にそんな魔術は使えない。だけど、氷の貴公子というあだ名も、今となっては本当なのではないかと思ったりするときもある。……たとえば、今みたいなとき。


「マリーツィア?」


 耳をくすぐる私の名前は、黙秘など許されないという響きを持つ。分かってはいるんだ。逃げられないってことぐらい。


「……あとで、です」

「分かった」


 その「分かった」という声が「絶対逃がさないからな」という意味を含んでいそうで怖い。いや、もちろん、そんなことはない。ないはず。


――――で、無事に(?)お邸へと到着した私は、なぜかサロンではなく、クレスト様の私室へドナドナされました。アマリアさんが心配そうに見てくるのを、目線だけで「大丈夫だから」と答えておく。大丈夫、だよね?

 私としても、あまり言い触らしたい話じゃないから、人払いは歓迎だ。ただ、話した後はすぐに解放してくれるとありがたいんだけど、聞いてくれるかなぁ。


「マリーツィア。先程の件だ」

「……魔力で血のつながりを見分けることができるようになったきっかけ、ですね」


 私がソファに座ると、クレスト様はなぜか隣には座らず目の前に立ってこちらを見下ろしていた。


「……座らないんですか?」

「いや、いい」


 強い視線に耐えられず、私は俯いた。視界にはクレスト様の足しか映らない。


「そんな、大層な話ではないんです。ただ、いつか、どこかで家族とすれ違ったときに、見つけられる方法はないかな、って思っただけで。もう、顔も朧気おぼろげだから、他の見分け方がないかって考えた結果が、魔力の波長、というか波動というか……そのパターンだっただけなので」

「マリー」

「あ、もちろん、家族のところに戻りたいという話ではなくて、今も元気で過ごせているかどうかってところが分かれば、もうそれだけで十分なので」

「マリー、こちらを向け」

「前に話したかもしれませんが、双子の妹がいるんですよ。もしかしたら、今はもうほとんど似てないかもしれませんけど、小さい頃は、親ですら見分けがつかなくて」

「マリー!」


 私の頬に両手が当てられ、強引に上を向かされる。


「クレスト様?」


 あれ、どうしてクレスト様がそんな顔をしているんだろう。なんだか、泣きそうになってませんか?


「知りたいなら、俺が探す」

「あ、大丈夫です。本気で調べようと思ったら、そうしてます。おそらく、お師さまに頼めばすぐにでも見つかると思いますし」

「……マリー、家族には会いたくないのか?」


 ぐさり、とナイフを胸に突き立てられた気がした。


「会いたくないと言えば、きっと嘘になります。でも、会いたいかと言われると、……どうなんでしょう」

「マリー?」


 あぁ、そんな困惑した表情を浮かべないで欲しい。私だって、この気持ちは消化できずにずっとくすぶっているんだから。


「たぶん、会うことができたら、それが家族の誰であってもほっと安心できると思うんです。でも」


 私は言葉を切って、唇を湿らせた。


「もし、幸せでなかったとしたら……、そう思うと、それが怖くて確かめたくはないんです」

「本当に?」


 クレスト様の翠玉の瞳が、まっすぐに私を見下ろしている。


「本当、です」

「……ならば、マリーツィア、どうして、そんな顔をしている?」


 そんなに、変な表情を浮かべているのだろうか。私は、そっと自分の頬に触れてみる。別に顔の筋肉が強ばっているわけでもないし、私は、至っていつも通りだと思うのだけど。


「泣きたいのか、怒りたいのか、どっちなんだ?」


 クレスト様が何を言っているのかよく分からない。別に泣きたいわけでも怒りたいわけでもなくて、ただ心配なだけなんだと言ったはずなんだけどなぁ。


「マリー……。ここなら誰もいない。だから、君の本音を聞かせてくれ」


 クレスト様が膝をつき、私をのぞき込む。いつも通りの美麗な顔は、今はどこか途方に暮れているような気がする。


「クレスト様、私、は、別に……」

「マリー。君は、本当に、『家族の無事を願って』いるのか?」


 やめて。

 やめて。

 やめて。


「マリーツィア。君は家族に売られたのだろう? そんな君は、本当に家族のことを心配しているのか? 恨んでいないのか?」


 違う。

 違う。

 やだ、みないで。暴かないで。


「マリー……?」


 私のどうしようもなく醜い心。

 自分でも認めたくなかったし、クレスト様に知られたくもなかった。だって、どうしようもないじゃない。あの時、生活が苦しかったことは私だって知っていた。幼いながらも、ため息の多い両親のことを心配していた。そして、私に拒否権なんて与えられなかった。


「し、心配に、決まっています。だって、家族、なんですから……」

「自分を売ることを選んだ親を、双子でありながら売られなかった妹を恨んでいないと?」


 やめて。覗かないで。こんなの見せたくない。


「ちが、違います。私は―――」

「マリーツィア。ちゃんと教えてくれ。ここでなら、俺の腕の中でなら、すべてを隠してやれる。俺の腕の中でなら、何を言ったって構わない。そうやって隠したままだと、いつか君の心が壊れてしまいそうで怖い」


 私の頭を包み込むクレスト様の腕が、温かくて、思わず涙がこぼれた。すると、ふわり、と私の体が抱き上げられる。あれよあれよという間に、私の代わりにソファに座ったクレスト様の膝の上に腰掛けてしまっていた。


「君の屈託も、恨みも、喜びも、すべて俺だけのものだ。他の誰にもやりはしない」


 その言葉に、私はクレスト様の胸元にそっと頬を寄せる。とくり、とくり、と脈を打つ心臓。この人は、クレスト様は、家族が手放した私を、ちゃんと受け止めてくれている。

 私のお腹の底でぐつぐつと澱んで煮えたぎっていたものが、するり、と流れ出ていったような気がした。


「……んでない」


 小さくこぼれたのは、紛れもない本音だ。


「恨んでなんかないです。だって、私が売られなければ、お師さまに会うことも、魔術を使えるようになることもなかったから」

「……」

「きっと、あのまま村で、誰かいい人を探して、恋をして、結婚してた。―――クレスト様に、会うこともなく」


 本音だけど、強がりも混じっている。だって、私、だけが、あの家族の環から引き離された。その事実は変えようがない。


「お師さまが育ててくれて、クレスト様に会って、バルトーヴ家の方々にお世話になって、私は、幸せ、なんです」


 すん、と鼻を鳴らして、クレスト様を見上げると、こちらを心配そうに見つめるエメラルドと目が合った。


「……マリーツィア」


 ゆっくりと下りてくるクレスト様の顔に、思わず目を閉じてしまうと、まぶたの上をやわらかいものがくすぐった。ちゅ、と小さな音を立てて触れたそれは、おそらく……唇。


「君は、それで、いいのか」

「はい。私の家族は―――きっと、どこかで、平穏無事に暮らしている、そう信じます」

「マリーツィア。俺は君と家族になる。そうすれば、君の寂しさも埋められるだろう?」


 ……ん?


「クレスト様」

「どうした」

「家族、というなら、お師さまもアイクもレックスも、お義母さまやお義父さま、エデルねえさまや、カルルにいさまも家族です」

「……」


 やっぱり。違和感を覚えたところに間違いはなかった。きっと、自分だけが家族になる、なんていうセリフだったに違いない。

 思わず否定してしまったけれど、あ、これ、不機嫌になってる?


「クレスト様」

「……なんだ」

「でも、クレスト様は、唯一、私の旦那様になってくださる方、ですよね?」

「当たり前だろう」


 私は、きゅっ、とクレスト様の手を握ると、その甲に唇を寄せた。


「ちょっとしたことで不安になってしまったり、ご迷惑をおかけしてしまいますが、その、よろしくお願いいたします」


 そっと目線を上げると、珍しく唖然としたような印象を受ける無表情がそこにあった。少し口を開けたままにして、目も心持ち大きく開かれている。


「クレスト様?」


 言葉の選択をミスしたか、と首を傾げたとたん、私は、ぎゅうぎゅうと抱きしめられた。


「ちょ、クレスト様、くるし……」

「突然、そんなことを言い出すマリーが悪い!」


 そんなこと……って、あぁ、やっぱり幻滅されてしまったか。でも、それならどうして抱きしめられているんだろう?


「マリーツィア。俺は君のすべての感情を肯定する。君が望むなら罪を犯しても構わない」

「いえ、構ってください」


 どうして? いつもの、言い回しが重い感じが戻ってきているんだけど?


「俺は君を手放さないと誓う。だから、マリーツィア。君も俺の手を放すことは許さない」


 最近は、けっこう「~して欲しい」とかお願いの言い回しが多くなってきたと思ってたんだけど、ここにきて、まさかの「許さない」! ちょ、ちょっと待って欲しい。私、いったいクレスト様に何を言ったの? やっぱり家族に未練を残すことを少しでも匂わせたから? それともお師さまやカルルにいさまと同列の「家族」の扱いをする発言がダメだった?


「あの……」

「分かったな? マリー」


 返事も許されず、私の唇はクレスト様によって塞がれてしまった。そのまま、なし崩しに耳やら首筋やらに唇を這わされ、息が上がってしまいそうになったところで、アマリアさんの呼び声がなければどうなっていたことか。

 夕食の準備が整ったと告げるアマリアさんの声に、クレスト様が舌打ちしたのが、妙に耳に残っている。


 ただ、私もアマリアさんの声がなければ、なんて残念に思ってしまったのは……秘密にしておこう。




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