第8話
今日はリヴァーブ学園に入学してから初めての休日である。午後からの用事以外、午前は暇だ。
そんな時、ラティユイシェラ嬢はあの庭園に篭って勉強をしている。
そんな理由でお邪魔しに来たのだが、本来のテスト勉強そっちのけで趣味に没頭するラティユイシェラ嬢の姿が庭園の隅にある小部屋の窓から見えた。
相変わらず化学瓶には様々な薬草が漬けられて、その上の棚には治療薬のサンプルだろう物がメモ用紙と一緒にズラリと置かれている。当の本人は楽しそうに化学瓶を熱してみたり、その結果を数式と一緒に紙に記したりしていた。
ポカポカとした陽気に当てられた白金の髪はこれまた無造作に括られていて、ポニーテールの後れ毛が可愛らしい。
真剣に金の瞳を輝かせて見つめる先は、未だに自分を映さず、苛立ちはあるものの邪魔をしたくないと思う。
ひと段落ついたのだろうラティユイシェラ嬢が漸く此方を向いて驚いたのか小さな声を出す。
「きゃっ……ノア様、急に現れるのやめて下さい」
少し恨めしそうにするラティユイシェラ嬢に俺は笑顔を向けて、手を差し出した。
「休憩がてら話さないか?」
「……いいわよ?」
そよそよとした空気と、好戦的に手を取るその小さく細い指は何よりも俺に安心を与えるものだ。
この庭園は小さな水路が通っており、風車のような物が水を調整している。ラティユイシェラ嬢はおちゃらけて ‘‘ 水車よ? ” と宣う始末。確かに風車は風の力で回り、水車というのは水の力で回るが…ラティユイシェラ嬢程の者がどうしてそのような安易な名前を付けたのか、気になりはすれど聞くことはしなかった。
サンドイッチを片手に大きく頬張る姿が、きっちりとした公爵令嬢のラティユイシェラ嬢ではなく年相応の少女みたいで可愛い。しかしそんなことを言えば本人は頬を膨らませて、失礼ねなんて言うだろうから秘密である。
「何を見ているの?」
ふわりと花の香りと共に細めた金の瞳に釣られて、自然と唇が引き寄せられた。
尤もそれは綺麗な指に邪魔をされるのが落ちなのだが。
「殴るわよ」
「こわいこわい」
荒々しい形相で腕を振り上げる彼女に肩を竦めて、苺ジャムが入ったサンドイッチを放り込めば機嫌が直るのだから一緒に居て楽である。
そろそろ夜会への準備に勤しむらしくラティユイシェラ嬢は自室へとアキさんに連れられて行った。同じ夜会に行く俺なんてあと3時間は自由なのに、だ。
‘‘ 女は準備に時間が掛かるものです。”
振り帰り際アキさんが言い残して庭園に残された俺は、ラティユイシェラ嬢が居なければここに居座る意味もない、と思い自分の邸宅へと戻った。
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夜会の時刻、ラティユイシェラ嬢はきっかりとその30分前に到着して主催者に挨拶、始まる前に帰るのだが今回は違う。
騒がしさの原因である婚約者様とキール様がラティユイシェラ嬢を取り囲んでいたのだ。
何十人か、ちらほらといる子息令嬢や上流階級の当主様とその奥方様、その全員がうっとりと息を呑むほどに3人は眼を見張る美しさがある。
にこやかに話している夜会でこっそりと『甘いマスクの貴公子』と謳われるキール様の横で、この国の第一王子である、貴顕紳士は勿論のこと眉目秀麗で右文左武のシンア様が負けじとリキュールを片手に洋菓子で釣っている光景は絵画から抜け出たように辺り一面を端役にしていた。
王族が受け継がれる黒髪を揺らしては和やかな紫水晶の瞳で婚約者を見つめるシンア様、何事にも執着せずのらりくらりと淡々とこなしていたキール様は愛おしそうにその場を離れない。
周りの端役達はひそひそと ‘‘ 変わられたわね ” ‘‘ あんなにちやほやされるなんて気分が良いものでしょうね ” なんて言っている始末で夜会前にそんな陰口を放った者へ己のどす黒く汚れきったものを奥底に感じた。
少し足早にラティユイシェラ嬢の元へ行けば「助けろ」と言いたげな瞳を向けられ、それを悟られないようにお淑やかに微笑む姿に、さすが公爵令嬢と言ったものだ。つい数刻前までサンドイッチを頬張っていたと思えない演技振りに少し意地悪をしたくなった。
「ご機嫌麗しゅうございます。ラティユイシェラ嬢、シンア様、キール様」
シンア様とキール様に対抗して柔らかく微笑んでおくと周りは先程よりも騒めいた。陰口を言い放っていた令嬢達も、ちらりと見ると化粧で化けた顔が更に醜く歪む。
そのままの流れでラティユイシェラ嬢の口元に指を持って行くと、口角を上げた。
「ラティユイシェラ嬢におかれましては、余り沢山、頬張り過ぎないよう」
ピシッとその場の空気が固まる。ラティユイシェラ嬢は笑顔のまま青筋が立って此方を見上げていた。
「ノア様は、もっとお食べになるほうが良いかと思われますが」
喧嘩なら買うぞ、と言いたげな笑顔にどす黒い感情が消え、後ろの2人には睨まれた。
何か言いたげなシンア様におかれましては心の中でざまーみろ!と一言罵っておく。
頭1つ分小さいラティユイシェラ嬢が小声で無視するな、と近場のフォークで刺してきたので俺はサンドイッチを手に取ってその口に含ませた。
ーーーー本当は唇で塞ぎたいんだけどな
そんな呟きはサンドイッチを美味しく食べ始めたラティユイシェラ嬢の耳に届かない。
辺りが冷え切ったところで、そろそろ退散でもしようかと踵を返す。婚約者様やキール様の前ではこれ以上何も出来ないのだから、分かりやすく怒らないで貰いたい。
顔の整った人の怒りを背中にひしひしと伝わらせて、今日のところは回れ右をした。
「そうそう、ラティユイシェラ嬢、淡い緑みがかった青色のドレスとても貴女に似合っている。綺麗だ」
近くにいた令嬢達の黄色い叫び声を聞きながら夜会会場を後にする。
あーあ、俺もラティユイシェラ嬢と踊ってみたい。そんな儚い言葉は空に広がる闇と共に溶け込んでいった。
ラティユイシェラ嬢を夜会で初めて、運良く見つけたシンアとキールはお互いに思ったであろう。
「美しすぎる」
「麗しすぎる」
緩やかな曲線カーブを描いて白金の髪を背中に流しているラティユイシェラ嬢は仄ほのかに花の香りがして、口説き文句の一つや二つ言いたいのにノアに先を越されたシンアとキールであった。