第3話
「ラティユイシェラ嬢!」
心地よいテノール声は何度か聞いたことのあるものだった。
ふわふわの癖のある白髪に青玉の瞳が細められて、にこやかに手を振っている攻略対象のキール・レヴィンソン。
つい先程、入学式が終わり分けられた教室へ赴こうとした最中での再会。
そして、もっとも絡みたくなかった人がキールの後ろに居るのだ。
「キール様、お久し振りにございます。そして…シンア様、婚約者の件は予々耳にしておりました。先程は素晴らしいお言葉を有難う御座います。それでは新入生はこれから教室に行かなければならないので、失礼致します」
一刻も早く立ち去ろうと思い、形式的な言葉とお辞儀はしておいた。
それで良いはず。なのに一体何が気に食わないのか、どうして私の腕を掴んでいるのか……婚約者様。
「私は長く君を知らなかった。その分これから…」
ーーー君を知っていきたい。
吸い込まれそうな真摯な瞳、これに私は良いように捕まったのか。確かに想い人で、何年も会っていない、会ったらこんな大層な美形に成長している婚約者から言われたら、目をハートにして馬車馬のようにお願いを聞き入れて動くだろう。
私は騙されないがな。
「……政略結婚ですよ、シンア様。その真摯な態度はさすがこの国の第一王子だと尊敬致しております。では、今度こそ失礼致します」
次は掴まれなかった腕に熱が篭る。
私はきちんと出来ただろうか、失礼のない返答だっただろうか。
知性に恵まれて、他を寄せ付けないシンア様なら深く語らなくても分かる筈だ。
‘‘ お互い、必要以上に絡まないことが賢明 ”
もちろん王子の前で賢明だなんて使わない。失礼だ、打ち首レベルかもしれない。愚弄するのと一緒である。
ついつい保守的になって自分ばかりを構っていた私は気付かなかった。在校生が先程の王子と私の会話を見て目を疑っていることを。甘い雰囲気を醸し出している会長を見るのは初めてで、それを笑顔で断った新入生代表に子息令嬢は恐怖したことを。
「嫌われているようだね、これも想像以上かな?」
「黙れ」
自分の思い上がりに気付き、咄嗟に掴んだ細い腕を思い出すと唯々どんな策でこちらを向かせようかと、沈思するシンア王子の姿は勿論見ていない。
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バクバクと音の鳴る心臓付近を叩いて収まるように念じる。無論、私にそんな力は無いので煩い鼓動は鳴り止まなかった。
教室は広々としたまるで講義室のようなもので、もう各々は席についている。
リヴァーブ学園のことだ、紹介状が届くのは私みたいなガリ勉ばかりだと思っていたのに、そうでは無いらしい。
全員活気溢れて、何より社交的で明るかった。何が得意か、何に興味があるか。秀でた者達は新しい知性に貪欲だ。
そういう私も声を掛けられた。
「新しい妙薬の研究は進んでいますか?」
余り知られていないはずの秘密に気が動転するが、顔を見るとよく知っている人物に納得する。
「やめてください、ここでこんな話するの。薬物研究は趣味だとご存知の筈でしょう」
声の音量を下げて、誰かに聞かれていないか辺りを見渡すが入学式なだけあって、情報交換に夢中だったことが幸いした。
草の種類を調べていくうちに、その特性まで気になった私は生えている植物を根こそぎ実験対象にし、治療薬の作り方を学ぶと当時流行った伝染病の妙薬を作ることができた。
全ては庭園空間が作り出した奇跡のことだったと思う。
元々、理系と文系なら理系の方が好きだったのだ。文字よりも数字の方が頭に入ってきたし、何よりも確固たる証明ができる数字は私の意欲を倍増させた。
思い返したくはないが、婚約者様に見合うために頑張った方向が斜め上に功を成しただけである。
私だって驚いたのだ。数打ちゃ当たるとはこのことだと思い、そんな奇跡を手柄にもしたくなく、この男に任せた。
「ノア様の手腕で、あの伝染病は最小限に収められました。それでいいではないですか」
海のような深い青の髪色と、琥珀色の瞳が印象的な頭の切れる騎士団長の御子息。
あの伝染病もすぐに原因を排除して治療薬を全てに行き渡らせてくれたのは、ノア様の頭の回転と信頼関係があってこその為せる技だ。私では到底できない。精々妙薬を嗅ぎ付けた金持ちに分捕られるだけだっただろう。
その行動力には目を見張るものがあった。
整った中性的な顔付きのノア様は実に人気があり、位置的に攻略対象だと思う。
伝染病件以来、何かと会う機会が多くなって、厄介ごとは全てノア様に回していた。これ知られたら不味い奴。
優秀なノア様のことだ、余裕で学力も運動能力にも秀でていたのだろう。
まさか同じクラスになるとは思いもしなかったが。
隣に座るノア様に便乗して、私も席に着くとさすがは国一番の進学校、入学式の初っ端から授業である。
私はこの1日でノア様と貿易商の愛娘リリと仲良くなり、余り外に出なかった私としてはまずまずの一歩ではないだろうかと思って、嬉々として自分の邸宅へと帰って行った。
貿易商の愛娘リリは明るく活発で楽しい子だ。何に対しても全力で取り組み、盛り上げることの出来る前世でいうとクラスの中心人物な存在だ。
きっとリリのいるクラスなら、どの行事ごとも楽しめるのだろう。
毎朝迎えに来だした婚約者様の問題だけが私を悩ますものだった。
「どうしよっかなあ、話し掛けてもいいのかなあ」
赤毛のポニーテールが揺れながら、中性的なノアと儚げなラティユイシェラの話の間に入ろうと隙を伺うリリ嬢は悩んだ末、どーんっ「友達になってよ!」と握手を求めた。貿易商の娘は交友的で他の子息令嬢達は勉強になるなあ…とメモ書きしていたのはリリ嬢を含めた3人が知らない事である。