第10話
寝惚け眼で起き上がったラティユイシェラは、レンカソウを回収しようと手を伸ばす。
ぼんやりとしたままベッドから落ちたと頭で理解するのに頬の痛みを感じてから意識がしっかりとした。
恥ずかしさでノアを追うラティユイシェラの足取りは先ほどの自分の失態を見られていないかという不安で覚束ない。
人気のない廊下の先に無表情にクラスメートを組み敷く婚約者の姿を見て唖然とした。
「…シンア様?」
紡がれたのはか細く弱々しい声。優しいシンアの面影がまるで無い冷酷な雰囲気に戸惑いを見せているのだ。
「ラティユイシェラ!」
そんなラティユイシェラの存在に気付いたシンアは、パッと組み敷くのをやめて駆け寄った。その表情にはいつもの笑顔があり安堵するのも束の間、ラティユイシェラの赤く腫れた頬に視線が向いたのが分かった。
「まさか…!」
「違います。私の不注意です。気にしないで下さいませ」
明後日の考えが一瞬で分かったため全力で否定したラティユイシェラは先程と打って変わっての凜とした声で、真っ直ぐとした金の瞳をストーカーミドナーに見据える。
「ミドナー様」
うつ伏せたままこちらだけ顔を向けたミドナーに歩み寄り、ゆっくりと屈んで眉を下げた。
「きちんと、気付いていましたよ。ですが花だけでしたので何も咎めないつもりでした。」
溜息を吐き、顎を出すと清純可憐な高嶺の花と言われるラティユイシェラの迫力が増す。
「ーーーしかし、盗撮は見過ごせません」
ラティユイシェラの言葉にシンアとノアは一気にミドナー男爵子息を見やる。
先程までの気弱な高嶺の花なんて居なかったかのような堂々たる足取りで、ミドナーの元まで歩いたラティユイシェラは、しゃがみ込むと、にっこり微笑んだ。
「教室、靴箱、廊下、学校のありとあらゆる場所でレンカソウの独特なハーブの香りがするのです。主にミドナー様から。しかし、ミドナー様はとても初心な方とお見受け致しましたので、そんな殿方が好みそうな弱々しい女性を演じていました。保健室でも行けば、捕まえられるかもしれない…と思いまして」
レンカソウの茎部分の香りを鼻につけ、赤く主張する花弁の隙間からニヤリと口角を上げる。
「昨日の研究が楽しすぎて、寝不足になってしまったのがいけませんでした。保健室は眠たくなってしまうので」
わざとらしく欠伸をするラティユイシェラに、ミドナーは顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「お、おれを馬鹿にしてたんだな!」
レンカソウを投げつけられ、飛びつかんばかりのミドナーを押さえ込んだのはノアだ。
少し容赦なく感じるのは、きっと盗撮という言葉に苛立っている所為だろう。
「シンア様とノア様は言わなくても気付いていたようで、安心して眠ることができましたよ」
微笑む姿にノアとシンアはラティユイシェラの行動に本気で心配していたのだが、良い方向に見当違いをしているラティユイシェラを正すまでも無いだろうと顔を見合わせて頷きあう。そういうことにしておこう、と。
「ミドナー様に言いたいことは二つ御座います。」
ラティユイシェラは抑え込まれたミドナーに見えるよう、細長い指を二本立てた。
「一つ、写真を全て渡すこと。同じクラスなのですからこれからたくさんの行事、一緒に写りましょう。二つ、こんなコソコソと花を渡すのではなく堂々と花束にして渡して下さい。その方が感動して泣くものが現れるかもしれませんよ。少なくとも…仲良くなってから」
此処までだったら女神様……かとミドナーも思うだろう。しかし相手はラティユイシェラだ。
受け取った写真をその場で千切り、冷えた目でこう言い放つ。
「まあ、このような気持ち良くない行動をする殿方と仲良くしようだなんて…私は思いませんがね。」
ミドナーも目を点にして固まってしまったが、当たり前である。
誰が好き好んで仲良くしようと思えるのか、先程までの言葉は全て社交辞令と似たものだ。靴箱を開けるたびに花が一輪だけ、靴箱の影から様子を伺っている様にも、教室でのそわそわそわそわしている様にも、ハッキリして欲しいラティユイシェラには酷くストレスになった。
燃え尽きたように真っ白になっているミドナーは、ラティユイシェラの高嶺の花妄想がガラガラと音を立てて崩れ去り、釘を刺されたことでもう何もして来まい。
「ミドナー様の考案した花園を楽しみにしていたのですが、やり過ぎてしまいましたかね?」
ふわりとした白金の髪が後ろを振り返ることで前に移動する。後ろには地に這いつくばったままのミドナーが、少しずつ色を取り戻していた。
今回の件、婚約者、騎士団長の息子が組み敷かなくても自分で解決してしまったであろう目の前の女の子には、まだまだ敵いそうにない。
しかし、いつか無茶をしてしまいそうなラティユイシェラに、王子と騎士が考えることは一緒だった。
「次こんな無茶をするときは、俺を頼ること」
両側から頭を小突かれて、ラティユイシェラは少し照れ臭そうに「はーい」と伸ばして言った。
「でも、私は武術体術が一切出来ませんから…先程はありがとうございました」
とても小さな声でお礼をすると、シンアとノアは満足気に笑うのであった。
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ストーカー事件のあと、真っ白な小花の花束がジール公爵家に送られていた。
花言葉は『謝罪』聞かなくても分かるだろう、ミドナー男爵子息からの花束だった。
「ラティユイシェラ嬢に花束は通じないよな」
ラティユイシェラが活き活きと外に広がる赤を見ていると、連絡アポなしが常のノアが後ろから覗いてきた。
「嫌味かしら?」
心地よい庭園にある小屋の外には、ミドナーからしつこく送られていたレンカソウが干されている。
「このレンカソウは栽培するまでがとても困難な貴重な植物なの、茎部分を蒸して乾燥させ煎じることで体温を低くする…言わば強い解熱剤を作れるのよ」
ノアは言わずもがな、ラティユイシェラが辛抱していた理由と茎部分を愛しく香る姿を思い出し納得する。
「その白い小花は何かに作れるのか?」
ミドナーからの贈り物を指差すノアに、少し考えてから分厚い本を手に取った。
「栞が欲しかったところよ」
きちんとしたプレゼントは、形に残してくれるらしい。
ミドナーからの白い小花は、多読なラティユイシェラにとってとても良いプレゼントとなった。
「女は怖いな…」
問題が解決したラティユイシェラの上機嫌な後ろ姿を見ながら、先程の弱々しい女性キャラの演技力に、男性人はそっと肩を震わせたのであった。




