杞憂
杞の国に、天が落ちてくるのではないかと心配になって、夜も眠れなくなった人がいた。
彼はたまたま学者の公孫竜と知り合いだったので、これを伝え聞いた公孫竜はその人に会って言った。
「君は天が落ちてくるのではないかと思って悩んでいるそうだね」
「そうなんです。自分でもなぜこんなことが気になるのかわかりませんが。
天地は悠久だと言われていますが、天もいつかは崩れ落ちる時がくるのでしょうか?」
「もし天を支えているものが永遠なものなら崩れ落ちることはないだろうし、もし永遠なものでないのなら、いつかは崩れ落ちるのだろうね。
ところで、君がなぜそんなことが気になるのかだが、君は、天が落ちてきたら、自分か自分の子孫かがそのためにつぶされて死んでしまうのではないかと恐れているのではないかね」
「はっきりとはわかりませんが、多分そうでしょう」
「それなら言うが、君はたとえ天が落ちてこなくても、戦争や災害や病気で死んでしまうかもしれないし、また貧しさのために飢え凍えたり、盗賊に遭ったり、またなにかこのようなことのために死んでしまうかもしれない。これらは天が落ちてくるよりはよほどありそうなことだが、まだ対策のしようはある。
また君の子孫にも同じことが言える。それに、君の子や孫の世代ならともかく、もっと先のことは、君にはどうすることもできないだろう」
「しかし、人は将来のことも気づかうものです。私は自分の子孫が絶えはしないかと思うのです」
「それなら君は、このことを考えるべきだろうね。すなわち、この世に最初に現れた人は…それが一人だろうと複数だろうと、いずれにせよ同じ性質を持って生まれてきたのだから、最初は一つだったのだ。そしてその子孫が現在まで続いていて、君の家系というのもその中の一部でしかないのだ。いや、さらに押し広げて言えば、全ての生き物も、また全ての「もの」もそうなのだから、君は自分の子孫が絶えることなど気にすることはない。
それにまた、天が落ちてくる時がくるとしたら、その時には人も皆死んでしまうだろうが、天を支えているものが永遠なものであろうとなかろうと、君にはそれをどうすることもできず、保つことも損なうこともできないだろう。
それだから、君は天のことなどは気にせず、自分にどうにかできることをするのが良いだろう」
これを聞いて、その人も悩みが晴れて、また普通に生活できるようになった。
さて彼は同じく学者の恵施とも知り合いだったので、ある時恵施にこのことを話した。
「先日、妙なことが気になって悩んでいたことがありましてね。しかし公孫竜先生がその悩みを解いてくれたんです」
「それは、どういう内容ですか?」
彼の話を聞いて、恵施は言った。
「それではまだ、解決したとは限りません。一つには、天を支えているものが何なのか分からないうちは、それをどうすることもできないのかどうかも確かには分からないし、もう一つには、あなたの悩みが、本当にあなたやあなたの子孫が死んでしまうことへの恐れから来ているのかどうかもわかりません。
実際には別のところから来ていて、あなたが自分でそれに気づいていないだけかもしれませんからね。
あなたが自分の心に確かめて、確かにそうだと思うのなら別ですが」
これを聞いて、その人はまた悩みだして夜も眠れなくなってしまった。
そのことを伝え聞いた公孫竜は、恵施に会って言った。
「私がせっかくあの人の悩みを解いてあげたのに、先生はまたあの人を悩ませたようですね。先生は博愛ということを言っているけど、それで果たして博愛と言えるのですかな」
恵施は言った。
「しかし、もし実際にあの人の悩みどころが別のところにあったのだとしたら、まだ彼の悩みは解けていないわけですし、それを実際に解くきっかけを作ったのだから、私も実は良いことをしたということになるでしょう。
それにまた、禍福はあざなえる縄のごとく、幸いには災いがひそみ、災いには幸いがひそんでいるとか言います。その時には良く、あるいは悪く思えることがあったとしても、後にどうなるかは、後になってみないとわからないのです」