あなたを愛する予定はないわ
「お前を愛することは無い。側室のフィナ以外の女に触れる気もない。お前には王妃の地位を与えるだけだ」
自分との婚姻の為に、嫁いできた他国の姫との初の顔見せの場で開口一番に王は言った。姫の側付達は唖然とした後に怒りの表情に変わった。王の側に控えていた宰相や騎士団長もやりやがったこの馬鹿!という思いがありありと表情に出ていた。
そんな一触即発の空気を涼やかな声が打ち消した。
「そう、わかりましたわ。正妃の仕事はどこまでか明確にして頂戴。それと、主だった役職の者だけでもいいですから私は正妃という地位にいるだけだと公表なさってくださいね。部屋に篭るのは嫌いなの。政務に関わらせて欲しいわ。国に帰っても、よその国の側室に行かされるだけですもの。まだ、見せ掛けでも正妃の立場にいた方が良いわ」
王の暴言など聞こえなかったように姫は穏やかに自分の要望を伝えた。怒りに震えた側付も自分達の主である姫の言葉に従い、感情を見事に押さえ込んだ。
「それでいいのか?」
拍子抜けしたように姫に問う王と、姫の国との戦乱は避けられたとホッとする王の側近達がいた。
「ええ…あと忠告がひとつ。王女がいらっしゃるのよね?いずれは下賜か他国に嫁ぐのよね?」
「ああ」
そう答える王には側室であるフィナとの間に1歳になる可愛い王女がいた。だが、王位継承権は男子にしかないこの国では女性は嫁ぐしか道は無かった。
「だったら、王族の教育をきちんとなさるべきよ。特に、政略結婚の重要さ。あなた、自分の娘が他に愛する女がいるから、お前のことは愛さないって初対面で夫に言われる衝撃を考えたことあるの?気の弱い姫なら悲観して死を選ぶわよ」
極端な事を語る姫だが甘やかされた王女がそんなことを言われたらそうなる可能性も高いだろう。
「そっそんな…」
姫に指摘され、自分がどれだけ非道なことを言ったのかをやっと理解した王。
彼には他者の心を考える想像力が養われていなかった。
「陛下、正妃様の発言は最もでございます。あなたが政略結婚をなさったように王女様もなさる可能性は高いのです。わが国の降嫁にふさわしい貴族には年の合う息子がおりません。それとも、陛下は娘には幸せな結婚を望まれないということでしょうかな」
そう、皮肉げに問いかける宰相の目には王への呆れがありありとうつっていた。
「父親みたいな相手なら幸せな結婚は無理よね。私みたいに為政者としても男としてもあなたに一切、興味がないとまったく傷つかないけれどね。愚かだなとは思うし、そもそも側室を正妃に迎える努力したの?」
さりげなく毒を混ぜる姫だった。穏やかな表情の裏ではやはり怒っていたらしい。
「なっ!フィナは男爵の娘、侯爵以上の娘か王族でなくては正妃に出来んのだから仕方が無いだろう!」
そう憤って抗弁するが、その勢いは姫にすぐたたきつぶされてしまった。
「身分の問題だけで中身が正妃にふさわしいなら、侯爵家に養子にさせればよかったのに」
「彼女を養子に迎える家などございません」
公爵でもある宰相は側室をそう切り捨てた。
「ああ、そういう子なのね。でも、正妃に出来なくても唯一の妻にすることは出来たはずよ」
側室フィナは正妃には不適格というのが高位の貴族達の判断だった。
何しろ、地味な外見に控えめな性格で贅沢もしない、子爵や男爵の妻にはなれても、社交の場を取り仕切ることは無理だと判断された。王は知らなかったが、実は彼女の姉が華やかな美人の上に優秀で空気も読めると評判で身分は低くても正妃候補だった。だが、王はそんな彼女の妹を見初めた。プライドも高かった彼女だが、王に興味がない上に、見せ掛けの正妃にされることを予測した彼女はお家騒動にも巻き込まれたくないしと、さっさと隣国の貴族に嫁いでしまったのだ。
側近たちは姉に会いに行っていると思っていた。だが、実際は正妃には不適格と判断されていた妹のほうを見初めていたことが彼女の姉が嫁いだことで発覚した。それはもう阿鼻叫喚の事態だった。そして、王を説得している内に彼女の妊娠が発覚、すぐに側室に迎えるしかなかった。王に嫁ぐ前に生んだ子は王の子と認められないからだ。
ただ、王が側近達にきちんと根回し時間をかけた教育をやり直し、いずれ彼女を正妃にすることは可能だった。それを怠ったのは彼の責任だった。
「どうやって」
力なく王は姫に問う。姫の側付や自分の側近達の呆れたような表情にはさすがに気づいていた。
「絶対にサインしなければ良かったのよ。そもそも、今回の婚姻はあなたの国からの申し込みよ。王印はあなた自身が押したはず。押し切られたのだとしても、臣下も納得させられない、自分のわがままも押し通せないなんて本当に中途半端な男ね。」
「言わせておけば!」
「あら、都合が悪くなると怒るなんて、男じゃないわね。そうか、子供だったのね。それに、見せ掛けの正妃が必要なら何故、隣国のサリア姫に申し込まなかったの?病弱で子を産めないと公表されているし、あの方も愛は求めない、後継者がいる人に嫁いで穏やかに過ごしたいって願ってらっしゃるって有名じゃない」
実は幼いころにサリア姫にいたずらを叱られた王は彼女が苦手になっていて頼めなかった。そんなへたれた理由を言う訳にもいかず、口ごもる王だった。そんな彼を見て、ため息を一つついて彼女は言葉を続けた。
「王族は民の命の上に立つ存在、国のためにあるものよ。本来なら己を通すことなんて許されないのよ。でも、私達も人であることは事実。己の心を消せない時は臣下を納得させるか、王位を降りるか、あなたはどちらも出来ていない」
彼は、その言葉になにも反論できなかった。今までも、王族の心得は言われたことはある。だが、自分の目の前に立つ、この凛とした姫は自分の愚行の被害者だ。その彼女に言われたことからこそ、その言葉は彼の心に響いた。自分の愚かな発言にも、彼女は王族としての自覚と誇りを忘れず冷静だった。彼女と比べて、自分はどうなのか…。初めて王は自分の行動をかえりみた。
「すまなかった。はじめからやり直させて欲しい」
そう真摯に謝る王に彼女は初めて微笑み、了承した。
その微笑の美しさに驚きながらも、彼は言った。
「ジーナ姫、私の元に嫁いで下さって、ありがとう。私には姫以外に愛する人がいる。それでも、貴方に正妃になって欲しい。まず、信頼で繋がった夫婦となって共に生きる内に愛を育んではくれないだろうか?愛される夫になることを誓う。不満だらけだろうが、私は貴方に妻になってほしい」
そう跪き、請う王に彼女は笑って答えた。
「あなたを愛する予定はございません」
その言葉を聞き、崩れ落ちる王。
「簡単に側室を捨てるって言ったら殴って帰る予定でしたのに、運がよろしいわね。まあ、私に愛されたいなら尊敬出来るような王になってください。それまでは政務しか手伝いませんし、ダンス以外では触れさせませんよ。貴方が手が早いって聞いておりますもの。初めて会った時にドレスをめくったから叱ったってサリア姫から聞いてますわ」
恥ずかしい過去をばらされ真っ赤になる王だった。それだけで苦手になるって…。
彼らの出会いはこんな状態だった。
姫が王を愛する時は来るのだろうかと民達の間にまで、この話は広まり賭けの対象にされた。
ちなみに側室と姫はすぐに仲良くなった。側室にすら正妃である姫を優先されるへたれ王だった。そして、第一王女が腹違いの王太子を子分にして元気に宮中を駆け回る姿が名物になるまで5年ほどかかった。病で王が若くして亡くなった後は王太子が成人するまで正妃が王の代わりとなり側室は彼女を支え続けた。
王女が隣国に嫁ぎ、王太子が王になっても彼女たちは離宮で穏やかに共に生涯を過ごした。
そして、側室の死への旅路も見送った後、彼女は月明かりに照らされた離宮の庭で一人つぶやいた。
「愛する予定はないわ。だって、もう愛していたから」
隣国のサリア姫の誕生会で幼い王と出会っていた正妃。実は、王がドレスをめくったのはサリア姫ではなく彼女だった。彼女とサリア姫は従姉妹同士で小さいころはよく似ていた。そんなことをされたのは初めてだった為か、それから彼のことが気になり情報を集めている内にいつのまにか好きになっていた。彼の馬鹿さも彼女の恋心を消せなかった。彼に愛する人が出来たと知って諦める気ではいたが、サリア姫に見せかけの正妃を欲しがっていることを聞いて自分から宰相に持ちかけたのだ。
そんな彼女の本心を知る者は少ない。宰相にサリア姫に…そして側室。
同じ人を愛し、愛された二人、彼女たちは決めたのだ。
2人で彼を愛して支えることを。
正妃の本心に気づかなかった王だが、彼女達を愛し、愛されていたのは確かだった。