わたしと!あなたの?声春ラジオ!?⑩
・四月馬鹿バカばか
四月に入り初めての放送は姉御一人で始まった。
『えー、今週も始まりましたけれども……今日は清恵がまだ来てません。遅刻かな? 珍しい。というか大事な話があるからいつもより早く来てって清恵に言われたんだけどなぁ……』
どうしたんだろうかと思いながらも姉御が収録を進めようとすると、ブースのドアが慌ただしく開く音がした。
『すみません。遅れてしまいました』
『遅ぇよ。どうした? 遅延? それとも寝坊?』
『いえ、そういうわけではないんですが、心の準備が出来なかったというか』
『心の準備? あ、なに、そんなに重大な発表なの? あたしはなんかの宣伝だと思ってたんだけど』
『重大……そうです、ね』
『あんだよ、もったいぶらずに言っちゃえよ?』
声だけでしかわからないけど、今日の咏ノ原さんはどこかおずおずとしていた。いつもの何を考えているのかわからないような平穏はなかった。
『……よろしいです?』
『よろしいよ?』
『わかりました……えー、それでは。非常に私事なので恐縮ではございますが』
『随分と仰々しいな。どうせ番宣だろー?』
『……私、咏ノ原清恵の結婚が決まったことを皆様にお伝えいたします』
『……え? 今何て言った?』
冷やかすように茶化しながら聞いていた姉御のトーンが一瞬で真剣なものに変わる。
『結婚することになりました』
『はぁ? え、だって、あんた、あれじゃん。まだ高校生じゃん』
『もう十六歳なので法律的には問題ありません』
『いや、ちょ、そうだけどさ……相手は誰? 同業者?』
『……それはちょっと』
『誰? 誰ダレだれ? 杉沢事務所の上尾野辺くん? 北見プロの伊藤か?』
『ダメですよ、己己己さん。他の事務所の方の名前を出しては。己己己さんがそう教えてくれたじゃないですか』
『誰? そいつ誰? 絶対にそいつ潰すから。ほんとに。十六歳に手を出すとか許されないでしょ』
『一般の方なので許してあげてください』
『……ほー、一般のロリコンね。それで、どんな人なの?』
ラジオのパーソナリティとして話を膨らませようとするが、姉御は明らかに苛立っていた。
『どんな人……えっと、向こうの人なので背はすごく高いですね』
『向こうの人?』
『アメリカ人の方なんです』
『アメリカ!? なんだそりゃ!? あれか、鬼畜米英か! ギブミーチョコレートって奴か!』
『何を言ってるんですか……?』
『メリケンどもめぇ……まぁ、いいけどさ。清恵が決めたことだしね。おめでとさん』
『ありがとうございます』
『清恵が結婚ねぇ……清恵のお母さんも早かったっていうのは知ってたけど、まさかだったね』
『そうですね。自分でも少し驚いているというか……』
『ちょっと早すぎるとは思うけど。ま、これからは旦那の為にも仕事頑張んないとね』
『いえ、そのことなんですが……』
『ん? 何かあんの?』
『あの、実は……』
『あー、わかった。あれでしょ? 新婚だから仕事減らすんでしょ? なるほどねぇ。ま、今あんた出過ぎなくらいだからちょうどいいんじゃない?』
『いえ、そうではなくて、その……』
『んー? どうしたさっきから? 歯切れが悪いけど。清恵らしくないよ?』
姉御の言う通り。咏ノ原さんが言い淀むなんて、私には初めてだった。雑誌の企画である、空気が読めないランキングで一位に輝いたほどの自然体には思えず、いつもよりずっと考えて言葉を選んでいるように思えた。
『試しに言ってみ?』
『……実は』
『実は?』
『……アメリカで彼と一緒に暮らすんです』
『へー、何だそんなことか……って、はぁ!?』
どうせ大したことではないとタカをくくっていた姉御が驚愕する。
『アメリカで暮らすって……あんた、仕事はどうすんのさ?』
『……四月一杯で辞める予定です』
『はぁ!? 意味わかんない! だって、清恵言ってたじゃん! ギャラが出る限りはこの番組続けるって!』
『……そうですね。奇しくも己己己さんが言っていた通り一年で終わることになってしまいましたが』
『何でよ!? 声優になったばっかじゃん! 結婚したからって仕事まで辞める必要ないよ!』
『色んな方に相談した結果、こうした方がいいと思ったんです』
『あたしには何で相談しないのさ!?』
『己己己さんが知ったら怒るかなと思ったので』
『怒るよ!? 怒るに決まってんじゃん! 何でもっと早く言ってくんないの!?』
『……すみません。なかなか言い出す機会がなくて』
『言い出す機会なら一杯あったよ! 一昨日だって一緒に映画見に行ったし、先週だって先々週だってあたしらは毎日のように顔を合わせてたじゃん!』
収録中であることを忘れているのかと思うくらい姉御の語気は荒かった。だけど怒っているような感じではなく、拗ねているような悲しんでいるようなやるせなさが言葉からは感じられた。
『……大丈夫ですよ。この番組自体は続くそうなので、すぐに代わりのパーソナリティは見つかるはずですし』
『……やだ』
『え?』
『清恵が辞めるんだったら私もこのラジオ辞める!』
『ダメですよ、そんな子供みたいなことを言っては』
『だって! あんた以外の人とこの番組やりたくないもん!』
駄々っ子のように言い放つ。
姉御は普段から面倒なことを振られると、やりたくないと言いながらやることはしっかりやるので、ファンの間ではファッション拒絶と言われているのだが。今日の拒絶は心からの声だった。
『己己己さん……』
目の前の先輩を想うように名前をつぶやく。
すると、咏ノ原さんは聞き取るのも難しいくらい小さなボリュームでクスっと笑った。
『己己己さん。今日は何月何日ですか?』
『何月、何日……? この話と何が関係あるの……?』
『まぁまぁ。何月何日です?』
『三月の二十六……』
『そっちじゃなくて放送日の方です』
『放送日……? 四月の一日……』
『四月一日ですね。つまり?』
『つま、り……?』
しょぼくれたような声を出す姉御は、意気消沈してしまっているせいか頭の回転が明らかに鈍かった。そんな姉御を咏ノ原さんが誘導する。
『つまり、エイ……』
『エイ……?』
『エイプリル……』
『エイプリル……?』
『エイプリル・フー……』
『エイプリル・フー……ル? ……エイプリル・フール?』
『ということは?』
『ということは……? ……嘘ってこと?』
ここまでヒントが出されているというのに。姉御が自信なさげに恐る恐る尋ねると、咏ノ原さんは『はい、そうです』と何でもないように淡々と話した。
『……え? ちょ、え? ちょっと待って……どこから嘘?』
『最初からです。嘘を吐くのは初めてだったので勝手がわかりませんでしたが、どうでしたか?』
あっけらかんと答える態度はいつもの咏ノ原さんだった。なるほど、初めての嘘だからぎこちなかったのか。以前、姉御が咏ノ原さんは嘘が下手そうと言っていたけどその通りみたいだ。
『……つまり、声優辞めるのも結婚するのも嘘ってこと?』
『はい。先輩である己己己さんより先にお嫁に行くのは申し訳ないですし』
いつも通り空気を読まず素直すぎる咏ノ原さん。結婚ネタだけにこれは雷が落ちるなと思ったが、いつまで経っても姉御の怒声は聞こえてこず。代わりに『……よかったぁ』と心から安堵したかのような声が漏れてきた。
『あれ? 目に水分が多いようですが、何か哀しいことでもあったんです?』
『う、うるさいばか! あんたなんか嫌いだ』
『私は己己己さんのこと好きですよ?』
『なっ!? っ~! そういうとこがほんとに嫌い! 大っ嫌い!』
恥ずかしそうに声を荒げる姉御に咏ノ原さんはどこかきょとんとしていた。
『それではタイトルコールに行きましょう』
『くっそ……あとで絶対カットさせるからね、オープニングトーク』
『うちのスタッフさんは絶対しないですけどね』
『ああ、もう! ほんと最低! あんた、あたしより先にお嫁に行くのが申し訳ないって言うんなら、あたしが結婚するまで絶対にするなよ!』
『ということは死ぬまで独身ですね、私』
『ざまぁみろ!』
姉御が毒突くと二人はどちらからともなく笑い合った。
『んじゃ、行きますか。一周年記念回』
『はい。行きましょう』
『わたしと!』
『あなたの?』
『声春ラジオ!?』『声春ラジオ!?』
声を合わせてタイトルを告げると、姉御はこう付け足した。
『これからもよろしく!』




