わたしと!あなたの?声春ラジオ!?①
・放送前記
私の名前は木下静。都内の大学に通う女子大生。
部屋にはアニメのポスターやフィギュアが飾ってある、いわゆるオタクだ。だが腐女子ではない。女のオタクというと男は「あれだろ? BLが好きなんだろ?」とニヤニヤしながら聞いてくるがそんなことはない。女のオタク=BL好きって明らかにおかしな偏見だろ。男のオタクがみんな百合好きなの? 違うでしょ? ちなみに私は百合が大好物だ!
って、そんなことはどうでもいい。私は今、夜の街を自転車で疾走していた。一昨日ばっさり髪を切ったせいで耳が冷える。もう四月とはいえ、雪の降っていた二月からふた月しか経っていない。
何故疾走しているのかというと、バイトが長引いてしまったせいだった。普段なら二十二時に上がれるはずなのに今日は三十分も居残りさせられてしまった。全ては夜勤が遅刻してくるのが悪い。今日は二十三時から大事な用があるのに!
こんな急いでいるときに限って、私はよくお巡りさんに絡まれ、防犯登録の確認という名の暇つぶしに付き合わされるのだけど、今日は何事もなく家まで辿り着くことが出来た。ピンクのマイ自転車を車庫にある自動車の脇に駐め、玄関を開ける。
「ただいまー!」
「おかえり、静。夜ご飯はー?」
帰宅を告げると居間の方からお母さんの声が聞こえた。
「食べてきたからいいやー」
返事をしてそのまま階段を上り、二階の自分の部屋へと向かう。食べてきたというのは嘘だった。でも、食べてないけどご飯はいらないなんて言ったら、うちのお母さんは私を心配して強引に食べさせようとするので、今だけは嘘を吐いたことを許して欲しい。
ごめん、お母さん! あとで勝手にカップ麺食べるよ。
勢いよく自分の部屋の扉を開けると、背負っていた鞄をベッドに投げ、パソコンとディスプレイの電源を入れる。スマートフォンで時刻を確認。まだ二十二時五十分だった。
よかった……間に合った……!
安堵しながら息を整えると、本棚の近くに貼ってあるポスターと目が合った。パンツスタイルのスーツを格好良く着こなし、長い髪を振り乱す、挑発的な目をした美しい女性。その人は私の憧れの人だった。
名前を己己己己己己己という。
己己己さんは現在三十歳にして芸能生活二十五年のキャリアを誇るベテラン声優だった。子役から声優に転身し、才能が開花。活発な少年役からおっとりとしたお姉さん役までこなす演技の幅の広さはもちろん。歌唱力も抜群で、新曲を出せばドッカンドッカン売れていた。本人は歌は本業ではないと乗り気ではないが、ライブになればドーム会場が即満員になってしまうほどの人気がある。おまけに容姿も端麗。背も高くて格好いい。
という、ハイスペックな己己己さんの一番の魅力は歯に衣着せない言動だ。ファンが思っていることを代弁してくれる姿は爽快・痛快で、ファンからは姉御と呼ばれていた。トーク力も高い為、ラジオ番組には引っ張りだこ。ラジオのレギュラーを片手の指じゃ数えられないほど抱えている。
そんな声優界の一匹狼である姉御の新しいラジオ番組が今夜二十三時から始まる。そのことを知ったのは刑法の授業中だったが、思わず立ち上がり、小躍りしてしまうほど嬉しかった。
パソコンが立ち上がるのを待つ間、スマホで番組表を確認する。番組表にはまだ番組名が書かれておらず、出演者の名前しか書いていなかった。姉御と……咏ノ原清恵? 誰それ。
私もアニメオタクの端くれなので多少は声優にも詳しかった。だけど、咏ノ原という名前は耳にしたことがなかった。少なくとも私が見たことのあるアニメのスタッフロールでは一度もない。姉御と番組をやるということは、全くの無名ってことはないと思うんだけど……。
スマホで検索してみると一番最初に出てきたのは本人と思わしきブログだった。トップ画面にはどこか冷めた目をした女の子の制服姿が写っていた。三つ編みにした横髪が可愛らしい。
えーとプロフィールは、と……この春に高校生になったばかりの新人声優か……。
は!? 高校一年生!? ちょっと待ってちょっと待って。確かに最近は現役女子高生の声優もいるけどさ、三月まで中学生だったってことでしょ!? 若!
ブログには今日から姉御とラジオが始まるという告知の記事しかまだなかった。ということは、姉御との番組が初仕事ということだろうか。大丈夫かな。姉御、最近の若い子にありがちなアイドル的な売り方が大っ嫌いだからなぁ……。
なんて、これから始まる番組に不安を感じていると、いつの間にか放送一分前になっていた。私は慌ててヘッドホンをつけ、パソコンでラジオを聞く為のソフトのアイコンをクリックする。
どんな番組なんだろ……。
・ 初回放送①
『はぁ……始まっちゃったかぁ』
『何でいきなり溜め息を吐いてるんです、己己己さん?』
新しい番組は陰鬱な溜め息と淡々とした声で始まった。
『そりゃ溜め息も出るわ……どうしてあたしがこんな若い子とラジオをやんないといけないのさ』
『それは私と己己己さんが同じ事務所だからじゃないです? ついでに言うとマネージャーも同じですし』
『……うん。まぁそうだよ、その通りだよ? でもそういうの言っちゃダメでしょ、裏話的な』
『そうなんです? でも社長が、今年は全面的に私を推していくから、何も包み隠すことなくその個性を発揮してくれって言ってましたよ?』
『……うん、だからそういうの。そういうのダメでしょ、言っちゃ。今あれなんだから。ちょっと何か言ったら、すぐステマだの枕だの言われるんだから』
『ステマではなくないです? 全然ステルスしてないですし』
『そうだけど! そうだけどダメだって! これ絶対後であたしが社長に怒られるから! ちょっとくらいステルスして、むしろ!』
『そうですか。わかりました』
『はぁ……頼むわよ、ほんと』
『どうしたんです? 溜め息なんて』
『いや、そりゃ出るでしょ……これだからドル売りのキャピキャピした子は嫌いなんだよねぇ』
『ドル売りはそうだと思いますけど、私、キャピキャピしてます?』
咏ノ原さんの声は、あくまで淡々としていて他意はなく、不思議と純粋さを感じさせた。
『……あんまり』
『そうですよね』
『……はぁ。えー、それではタイトルコール行きますか。記念すべき一回目。聞いてる人、何て番組かわかってないだろうし』
『言う順番は己己己さん、次私、最後一緒にですよね?』
『そーそーそー。んじゃ、行くよ?』
『了解です』
『……わたしと!』
『あなたの?』
『声春ラジオ!?』『声春ラジオ!?』
二人が息を合わせてタイトルを告げると軽快な音楽が流れ始めた。声春ラジオ、か。青春とかけているのかな。
しかし。何だったんだ今のオープニングトークは……姉御押されてたなぁ。というか咏ノ原さん、歳のわりに落ち着いてるけど……何かおかしいよこの子?
・初回放送②
『えー、というわけで本日から始まりました[わたしと! あなたの? 声春ラジオ!?]、パーソナリティの己己己己己己己です』
『同じくパーソナリティの咏ノ原清恵です。よろしくお願いします』
『咏ノ原さんはうちの新人なんだよね?』
『はい。そうです』
『今いくつなの?』
『十五歳です』
『若っ。どういう経緯でうちの事務所に入ったの? 養成所から?』
『いえ。一応今は養成所に通ってますが、スカウトされたのは養成所に入る前です』
『スカウト? あ、何、元々タレントさんとかモデルさんでスカウトされてて、声優に転向したってこと?』
『違います。芸能活動をするのは声優が初めてです』
『ほんと? じゃ、ほんとにスカウトで入ったんだ……声優にスカウトされるってどんな状況? 普通に街歩いてて声優になりませんかなんて声かけられないでしょ』
『新宿のカラオケです』
『カラオケ……?』
『はい。一人でカラオケをしてたんです』
『ヒトカラって奴? アンタねぇ、友達とかいないの? 若いんだからさぁ』
『若いと一人でカラオケしちゃダメなんです?』
『え? うーん、ま、本人がいいんならいいか……で? 一人でカラオケをしてたら?』
『今、ブースの外からこっちを見ている、マネージャーの青木さんが突然私の部屋に入ってきたんです。ベロンベロンの状態で』
『はぁ? 何それ、スカウトじゃなくてナンパじゃないの?』
『いえ、ナンパではなかったと思います。お酒臭かったですが』
『ふーん、なるほどね。あいつ、ナンパだったら社長にチクってやったのに……それで?』
『青木さんに言われたんです』
『何て?』
『可愛いねー、おじさんと一緒にカラオケしようよ、って言われました』
『結局ナンパじゃねぇか!』
『あとは流れで事務所に入ることになったんです』
『どんな流れだよ!? あれか!? 俺の女になれば声優にしてやるとか言ったのか青木!?』
『いえ、そうではありません。私、処女ですし』
『はい、出た出た! あんた、あれだよ? 下ネタを言えば面白いと思ったら大間違いだよ?』
やれやれとわざとらしく姉御は呆れて見せた。確かにラジオで下ネタに走るのはよくある傾向だ。そして姉御が言うと説得力がある。
『別に思ってはいませんが、己己己さんこそラジオでよく下ネタを言ってませんか?』
『あたしはいいんだよ。そういうのが求められてるんだから!』
『……ズルいですね。というか処女は下ネタなんですか? そもそもとして』
『え?』
咏ノ原さんの掲げた問いに、思わず姉御は素のリアクションを出してしまっていた。
『今の時代、処女厨なんて言葉があるように、男性が女性に処女性を求め、神聖視してたりするじゃないですか』
『まぁ、そうらしいな。どこのキリスト教徒だよって思うけど』
『それにこの業界、処女だとアピールする方が多いと思うんです』
『それはあれだろ? そっちの方がオタ受けがいいからだろ。夢を見させてんのさ』
『夢とは言いますが、果たして私たち声優が処女であることに夢はあるのでしょうか?』
『何言ってんのあんた……?』
『考えてみてください。ファンの多くはあわよくば私たちと付き合いたいと思ってるわけです。告白したらまず断らないはずです』
『うーん……まぁ、そう、なのかな。全員が全員ではないと思うけど』
『だとしたら私たちが処女だと公言することは、あわよくばの夢を壊すことになると思うんです。処女はお堅いイメージですから。むしろ誰とでも付き合うビッチだと公言した方が、もしかしたら付き合えるかもと夢を見る人が増えるのではないかと』
『……わからなくもないけど、すごいこと言ってるな』
『大体、三十も過ぎて彼氏がいなかったりする方が夢がないと思うんです。行かず後家というわけではありませんが、ファンの方も夢どころか逆に心配してしまうんじゃないでしょうか』
『……だよね。三十過ぎて流石にそれはねー……』
それまで他人事のように呆れながら聞いていた姉御の声がかすかに震える。年齢ネタは後輩声優が軽々しく扱えないほど姉御の弱点だった。知ってか知らずか、咏ノ原さんは気づいている素振りを見せずに的確に傷口を広げる。
『結婚していることを隠しているとかならともかくですけど』
『……ねー……』
『ところで己己己さんはお付き合いされている方いるんです?』
『へぁ!? あ、あたし!? い、いるさ、いるに決まってるじゃん! 一杯いる! 五人くらい? もう取っ替え引っ替えだよ!』
『ですよね。流石己己己さんです。夢があります』
『う、うん……』
姉御、見栄張ってるなぁ。免疫なさすぎてファンに心配されてるくらい男が苦手なのに。




