54話
安堵感に包まれて脱力したまま座り込んでいると、突然周囲の光景が変わった。そして先程倒したばかりのはずの聖竜の声がどこからか聞こえてきた。
『どうやら本当に侵しに来たわけではないようだな。お詫びにこれをやろう。先に進むがよい』
そう言い残すと聖竜の声は聞こえなくなった。それと同時に報酬が入る。
右手で『W』の字を描いてウィンドウを開く。そこには本当に数時間前に文字で見たばかりの豪華なものかたくさん入っていた。だが、それだけだ。
「スフィーは何かドロップした?」
同じようにドロップ品を確認していたスフィーはすこし驚くような素振りを見せて俺の方を向く。
「何もないわ……」
「だよね……」
これはなにかおかしい。イベントボスを倒すと、レアアイテムでなくとも必ず報酬以外の何かのドロップ品が手に入るはずだ。
ただ見落としているだけなのかと何度もアイテムボックスを見るが、追加されているのはイベントのクリア報酬の大量のアイテムのみ。
だとしたらクエストは何だったのだろう。絶対に誰にも見つからないような隠しクエストで、現在のLvではたった一度でクリアなど出来ない竜を倒すクエストでドロップ品がないというのはわりに合わない。
俺がそう思考を巡らせている時、倒したはずの竜の声が三度聞こえた。
『先に進むが良い。汝らなら大丈夫であろう。私からのお詫びだ』
まだどこかに聖竜がいるのかと思い、俺達は辺りを見回すが姿はどこにもない。どうやらクエスト開始前と同じように、声だけが聞こえているのであろう。
「それにしてもお詫びって何だろう?」
「さぁ……?」
言われるがままに森を進み、少しすると目の前に転移ブロックと同じように青白く発光するブロックが現れた。
「何だこれ?」
「とりあえず近づいてみましょ」
二人が近づく間にブロックは形を変え、一枚の石板へと変化した。
「何か書いてある」
目の前まで来た時、スフィーが石板に何か文字が書かれていることに気付いた。
『レクイエム』
我に力示し汝らに休息を与える。汝らにのみ許された楽園へ踏み込むがいい。さあその名を唱えろ。
「これは……?」
「何だろう? ただの石板……ではなさそうね」
これがどういうことなのか検討もつかない。書かれている文字をまじまじと見たり、少し引いて石板全体を見たりしてみるが変化はないままだ。
「唱えろ……その名を……?」
石板の文字を読み返していたスフィーが文の最後を復唱した。
「唱えろって何をだ?」
他に何か手がかりを探していた俺がスフィーの横に立ち、同じようにもう一度暗唱する。
「このレクイエムって何だ?」
「あっ!」
「スフィー何か分かったか?」
「ええ。この文は何の暗号でもない。そのまま素直に読めば書いてあるわ」
そのスフィーの言葉の意味すらすぐには解らなかったが、もう一度ゆっくりと、今度は音読すると、彼女の言葉と石板の意味を理解した。
「あっ!」
「分った?」
「ああ、やっと分かったよ」
謎(勝手に大げさに捉えていただけ)が解けて気分がスッキリしたところで、顔を同時に見合わせて頷く。
そして叫んだ。
「レクイエム!」
一瞬間を置いて目前に広がる光景に俺達は、どこか違う世界に来てしまったような気分になった。というよりは実際にさっきまでいた湖とは全く違う場所に来てしまっている。
中央に太く巨大な樹が聳え、街の至る所に水路があり、実際には行ったことはないがかつて写真で見たイタリアの街に似ている。そしてさらに、街の一番奥には遙か上方の雲の上から太陽の光を反射しながら水が流れ落ちていく神秘的な街が目の前に広がる。
そのあまりにも美しい光景に俺達か見惚れていると、不意に爽やかな風が吹き抜け、水路に沿って植えられている柳の葉を攫っていく。
「すごい……」
なびく髪を押さえながらスフィーが感嘆の声を漏らす。
そこでようやく先程の石板の全文の意味を理解した。
「汝らにのみ許された楽園、休息……そういうことだったのか」
汝らにのみ許された。つまりこれがクエストの報酬なのだ。そしてこのクエストは誰にも見つからない。そういう意図を込めた運営からのメッセージ。そこでゆっくりと休めというねぎらいだろう。
「ていうことは……ここは隠しエリア?」
神秘的な街の光景と隠しエリアに来たということをしみじみと感じながら俺は呟いた。
「とりあえず街を見てみようか」
二人が転送された場所は街の端のゲートの下。ここから街の中に入れば全体に見て回れる。
歩み始めた俺達の両側に立つのは新品同然のとてもきれいな建物。ときどき交わる水路と橋。本当にどこにいても美しい街だ。
「あっ」
そこで俺達が見つけたのは、これまでの街と同様の中央広場だ。ベンチもしっかりと用意されていて石像も置いてある。
「もしかしてこれは……」
「ええ、転移できるわね」
「じゃあ一回転移して石像を使えるようにしておくか。それにどうせ今日はもう時間がないしな」
「そうね。今日はもう戻りましょうか」
俺達は合意して石像の前へ移動していき、石像に手を当て、
「フィッサリア!」
刹那、視界が青く染まり、僅かな浮遊感の後、目の前の光景が楽園から平凡な街へと変化した。
束の間だったが楽園にいたからか、フィッサリアやその他の街がすごく地味に見えてしまう。
そんな不満を口には出さなかったが、俺はどうしてもそう錯覚してしまう。しばらくはあの場所が病みつきになりそうだ。
もう空は夕暮れ時でオレンジ色に染まり、暗くなりつつある。夏だから日没は遅い設定のはずだがそれは運営側にしか分からない。でももしそうだとするとそろそろ夕食時になるはずだ。それに散々動き回ったおかげで空腹だったことを理解した。
「丁度お腹も空いてきたし、ご飯食べようか」
「そうね。わたしもそうしたい」
俺達の意見が一致したところで、すぐ近くにあった店で夕食を摂った。
ゆっくりと店の中で話しながら夕食を終えた俺達は、疲労困憊で、危うく寝かけたこともあり二人とも宿に入り床についた。