08と09と10で終了
08
格子の向こうの人影は桜その人であった。
「だめですよブッチョさん。ブッチョさん見たら、飛び降りるの怖くなっちゃったじゃないですか」
そう言いながら桜は少し震えているようだ。それは未だ残る冷気のせいだけではないようである。
「カッ子! 自殺なんてなんでだよ! って事はないか」
久未弥は親戚のおっさんから話を聞き、大体の事情は把握していた。
「……もう聞いたんですね。ほんと最低ですよね。
お父さんはあんなに簡単に人の命を奪えたっていうのに、私は自分の命さえ奪えないです。
あはは、睡眠薬たくさん飲んだんですけどねぇ、死ねずに起きちゃって、あんまり気持ち悪いから救急車呼んじゃいましたよ。やっぱ楽には死ねないみたいです」
薬の影響がまだ残っているのか、桜は血色の悪そうな笑みを浮かべながら話す。
「あー、なんだ、その、何から何まで運が悪いのな、お前」
「おおきなお世話です。っていうか、私これから下に飛び降りるんであっち行っててください」
「お前なぁ、父親が起こした事件で俺の親父が死んだ、なんて事で、なんでお前が責任とって死ぬ必要があるんだよ」
「必要大有りですよ。ブッチョさん。いえ、緒方久未弥さん」
「おっと、知らない人登場。緒方なんて呼ばれてた記憶は一ミリも残ってねえよ」
「っ! ちゃかさないでください。久未弥さんには私の気持ちなんてわからないですよ!」
「あぁわかんねえよ。でもなカッ子……」
「久未弥さん」
久未弥が話そうとしているところに桜が口を挟む。
「それ、やめません? あだ名とか、もうなんの意味もないですよ」
久未弥に負けない無表情で、桜はそう言い放つ。
「そっか、そうだな。でさ、カッ子」
「聞いてないし」あきれる桜。
「俺が父親の記憶を取り戻したっていっても、ぼんやりとしていて、なんか自分の記憶じゃないみたいなんだよな。
実際俺の記憶の中の親父は、俺を捨てていって、今でもどこかでのうのうと生きてるんだよ。
だからさ、そんな事で自殺するとかやめてくれよ」
それは説得のためではなく、実際にそう思っていた。
「そんな、そんな事言われたって納得できるわけないじゃないですかっ!
わかりますか? 自分の大切に思ってる人の家族の命を、自分の家族が奪っていたと知った時の気持ちを!
あのね、久未弥さん。
私、今まで、どんなに周りの人から人殺しの子と蔑まれても、どんなに借金を返せずに無駄な労働を繰り返していたときも、私、自殺しようなんてこれっぽっちも思った事なかった。
だって、いつかはいい事あるかもって思ってたから。
でね、やっぱりいい事あったの。久未弥さんと、冬子ちゃん、そして杏奈ちゃん。四人で過ごした時間はほんと幸せだった。よかった生きててって思った。
みんな大切な人だった。冬子ちゃんも、杏奈ちゃんも、久未弥さんも。そんな久未弥さんを私は――。
だけど、やっぱり人殺しの子が望む幸せなんて、夢のまた夢だった。
まさか、私が家族より大切に思っている人の家族を、私の父親が殺していたなんて。
そんな事実を知って生きていられるほど私は強くはないんです!
そこにしかない幸せに負い目を感じたまま生きていくなんて私には耐えられない!
だから、
このまま私を逝かせてください。
私を、この辛い世界から解放してください」
そう言いながら桜は涙をこらえる。涙を流せば未練が足を引っ張ってしまう。
「久未弥さん。15分だけ待ちます。見えないところまで行ってください。これ以上あなたに迷惑をかけずに逝きます」
「あぁ、それならお気遣いなく。お前が飛んだ後、俺も飛ぶから」
「は? 何で久未弥さんまで自殺する必要があるんですか? バカもここまでくると笑えませんよ?」
「うるせぇよ。こっちだって各方面の方々からお願いされてるんだっつーの! お前を連れて帰れなかったら、俺だって飛んだ方がマシだっての!
それに……まぁあれだ、後は俺個人の問題だからいいや。そういうことだから、ちゃっちゃとやっちゃってちょうだいよ」
「……っ!」
しばらく訪れる沈黙。
久未弥は天を仰ぎ、呼吸を一つ入れる。
空には満天の星空が広がっていた。おあつらえ向きだと思った。
「なぁカッ子。これからちょっと独り言しゃべるからよ、飛ぶ決心がつくまでの間聞き流してくれよ」
09
夜空に瞬く星達が見守る中、久未弥は話始める。
「俺さ、一年くらい前、変な女に友達になってくれって言われたんだよな。最初は軽い気持ちでそれを受けてさ、この女もどうせすぐに俺の事気持ち悪がって逃げていくって思ってたんだよ。
で、次は変な二人の子供に絡まれてさ、こいつらもどうせ俺の事バカにしてからかってるだけだって思った。
どうせバカにされてすぐに俺の周りからいなくなるんなら、とことんバカやってやろうって思って、恥ずかしいあだ名付けてやったんだ。
そしたらさ、逆に超恥ずかしいあだ名付けられてさ、“ブッチョ”だってよ。マジで嫌だったよ。
でもそいつら、いなくなるどころか、毎日集まって一緒にバカばっかやるんだよ。
いつも一緒にバクバク飯食って。
いつも一緒にバカみたいに笑って。
いつも一緒に出掛けたりして。
たまにはケンカもしたけど、そうやってそいつらは、いつのまにか俺の中でかけがえのない存在になっていったんだ。
そりゃあ俺だってわかってたさ。みんな何かを隠しながらバカやってたって。
でもさ、
ダメだったんだよ、俺には。
俺にはそんな居心地のいい日常を壊す勇気がなかった。俺は逃げたんだよ、大切な人を守る事から。大切な人を幸せにしようとする努力を怠った。結局俺は、俺の幸せの事しか考えてなかったんだ。
ホスピタルクラウンをやってるのだってそうさ、子供達を笑顔にするとかいってるけど、それは俺がその笑顔を見て幸せな気分になってるだけなんだ。
いつか俺の芸でみんなを幸せにしたい、なんて言ったのも、俺が幸せになるための夢だったんだ。
でも、結局俺には、自分を幸せにする能力さえなかった。
自分の大切な人を幸せにする事が、自分の幸せだと思っていたけど、そんな力は俺にはなかった。
最初はさ、あのみんなで行ったラグーナス、あの時に思ったんだけど。あの二人の子供の楽しそうに遊ぶ笑顔を見たとき、自分達が連れてきた事によってこんなに喜んでくれるんだ、ってこっちもうれしくなったんだ。
そして、ホスピタルクラウンを知った時、一人の人の力で子供達の笑顔を引き出す姿に衝撃を受けたんだ。そして思った、俺の力でみんなの笑顔を見る事ができたら、なんて素敵なことだろうって。
でも、それも全部違ってたんだ。
ラグーナスだって、クラウンだって、結局はひと時の笑顔を引き出すための道具に過ぎないんだ。俺が求めていたところはそこじゃないって。
いくら病院で子供達を笑わせたって、その親も一緒になって笑ってくれたって、根本的な所でなんの役にもたってない。俺がクラウンを目指してからのこの短い期間にも、笑ってくれた子が亡くなっていくのを何回も目の当たりにした。
でもさ、俺は知ったんだ。俺をクラウンの道に誘った人も言ってただろ? 自分は物語の主人公なんかじゃない、って。主人公は当事者である子供やその親、病院の先生や看護師なんだって。
それを聞いて俺は知らされた。俺は主人公になろうとしてたんだって。主人公になる能力も力もないのにな。でも、問題はそこじゃなかった」
久未弥はそこまで言って、一息入れる。
「って、話が脱線気味だな。
なぁ、カッ子。そんな難しい事は抜きにして、俺はお前達と一緒に過ごしたこの一年さ、ほんと楽しかったよ。
いや、楽しかっただけじゃない。俺、お前達と出会ってから、自分でも信じられないくらい成長したと思う。
バイトだってこんなに続いた事ないし、他人と普通に話す事だってできるようになった。
他人の気持ちを考えたり、他の人のために何かしたいなんて、前は想像もつかなかったよ。
ほんとこの一年は夢のようだった。てか、今の状況を見ると実際夢だったのかもな」
「……」
桜は無言で天を仰ぐ。
「でもさカッ子。お前もさっき言ったよな。四人で過ごした時間が幸せだったって。生きててよかったって。
なぁ、カッ子。まだここで終わりじゃないぜ? このまま生きて、夢の続きを見たいと思わないか?」
桜は久未弥に背を向けたまま答える。
「そんな、久未弥さんは私に、こんなに大きな負い目を背負ったまま一緒にいろって言うんですか?
非道すぎます。
死にたいほどの負い目を抱えたまま私に笑えっていうんですか? そんなの無理ですよおっ!」
そう叫んだ桜の背中は泣いている。
「あぁ、無理を承知で言ってるんだ。
お前が、父親が俺の親父の命を奪った事に負い目を感じているなら、その事で命を投げ出そうとしているならさ。
その命を、俺の夢を実現する事に使ってほしい」
「夢って……」
「俺はわかったんだよ。問題は、いくら能力があったって、いくら力があったって、結局誰も自分では主人公になんてなれないんだって。
自分っていう存在は、他の主人公の手助けをするためにあるんだって。
テンホーさんだって、患者とその家族、医者に看護師、その全員の主人公を助けたいと思って行動する姿は、俺から見たら主人公そのものだった。
主人公だと評価するのは自分じゃなくて他人だった。
でも、やっぱり俺は主人公になりたい。
で、俺なりの主人公は、身近な自分の大切な人を助け、笑顔にしてやれる人なんだ。
そう、俺の夢は、ライ子、丸美、そしてカッ子、この三人の主人公を幸せにしてやりたい。
なぁ、俺の夢を手伝ってくれないか? カッ子」
「私は……どうすれば……」
泣きながら戸惑う桜。
「まずはさ、最初にまた四人で過ごさないか? また毎日一緒に飯食ったり、一緒に出掛けたりしてさ」
「そんなの無理です。冬子ちゃんと杏奈ちゃんは、施設に入ってるんですから毎日なんて出れません」
「無理な事なんかあるもんか、施設から出られなきゃ、施設の外で暮らせばいいじゃねえか」
「子供達だけで暮らせるわけないじゃないですか。考えが短絡的すぎます!」
「じゃあ俺が面倒見てやるよ」
「親権もないのに引き取れるわけないです!」
「そんな事ねぇよ。里親制度って知ってるか? 親と生活できない子供を、親に代わって育てる制度だよ」
「久未弥さん一人であの二人を育てるんですか? それに、独身者に許可が下りるんですか?」
「許可は下りねぇだろうな。だから協力してくれよ」
「え? それって……」
しばらくの沈黙。
「……あーっ! わかんねぇかなぁ? だから、独身じゃなけりゃ許可ぐらい下りんだろ!」
「……」
戸惑う桜。
「あー、もうだめ、降参。
あのネズミーランド行ったときホテルで話したろ? あの時冬子達起きてたみたいでさ、後で無茶苦茶怒られたよ。あれはないわー、誤魔化すなよって。
確かにあの時恥ずかしくて、とっさに誤魔化しちまったけど。ちゃんと言った方がいいよな」
久未弥は一度桜に背を向けて咳払いをし、改めて向き直る。
「あの時はさ、クラウンの芸でお前達を幸せにしたいって誤魔化したけど。ほんとは違うんだ。
まぁ、俺の力で、ってとこも違ってたけどな。
なぁカッ子。
ごめんな、お前に生きててほしい本当の理由は、俺個人のわがままなんだ。
カッ子……いや、桜。
俺は……お前の事が好きだ。だから、俺と一緒に俺の夢を支えてほしい」
「はっ……で、でも、それは……」
「わかってる。俺と一緒にいるのが辛い事ぐらい。だから、それを克服する手助けを俺にさせてくれよ」
「そ、そんなの矛盾してます」
「俺はさ、こう思うんだ。
俺の親父はわかってたんだよ。
お前が父親の起こした事件のせいで辛い思いをするって。
だから俺の親父はあの現場にいたんだよ。わざと事件に巻き込まれて、俺とお前を引き合わせたんだ。
この事件で心に傷を負った子を、お前が助けてやれって。
その子を助けてやれるのはお前しかいないって」
「……っ。なんで……なんで久未弥さんはっ、そんなにやさしいんですか? なんで、そんなに私にやさしくしてくれるんですか?」
「なんでなんて、当たり前じゃないか。お前が俺に教えてくれたんだよ。人との関わり方を。人のやさしさってやつを。
お前がいなかったら俺はこんな気持ちになんかならなかった」
――そう、お前がいなかったら、今でも俺はいろんな事から逃げ回ってた。
「でも、久未弥さんのお父さんの命を、私のお父さんが奪ってしまいましたよ?」
「あぁ、消せない事実は、死ぬまで一緒に抱えていこう」
――お前は俺にいろんな事を気づかせてくれた。
「わたし、もう、一文無しで、住む所もないですよ?」
「じゃあ、俺の所に来ればいい」
――お前の笑い顔も、怒り顔も、泣き顔も、そのすべてが俺を変えてくれる。
「でも……わたしはっ、ほんとはぁ、嫉妬深い女ですよ?」
「俺は浮気はしないよ。絶対に」
――そう、お前が教えてくれたんだ。こんな気持ちを。
「わたしはっ……ぐしゅっ、わたしはぁっ……」
「ああ、大丈夫だよ。なにもかも」
「桜――結婚しよう」
10
病院の屋上に桜の泣き声が響き渡る。
久未弥への返事もままならぬほどに。
フェンス越しに手を繋ぎあう二人。返事を聞かずともそれが答えであろう。
桜がひとしきり泣いた頃に思う。
寒い、と。
今まだ肌寒い夜風の中、長話などするものではない。
「おい、そろそろフェンスの内側に来ないか?」
そう、このフェンスのおかげで、感動的なシーンにも関わらず抱き合う事もできずにいた。
「それはできません」
この期に及んで、まだなにかあるのだろうか。
「腰が抜けちゃって、フェンスをよじ登れません」
「ぶっ! てかよく越えられたな、有刺鉄線まで張ってあるじゃねえか」
「えへへ、人間死ぬ気になれば何でもできるもんですねぇ」
「えへへ、じゃねぇよ。どうすんだよこれ」
「久未弥さん寒いよぉ。このままだと凍死しちゃうかもしれません」
「いやいや、冗談はやめろって。ちょっと待ってろ、誰か呼んでくるから」
「えぇっ? 一人きりにしないでくださいよぉ」
「アホか! このままだとマジで死ぬって!」
「あっ! アホって言ったぁ。アホって言った人がアホなんですからねぇ!」
「あ? アホって言ったら――――」
「――――」
「――」
満天の星空の元、二人の罵りあう声がいつまでも響きあう。
これからも聞こえてくるであろう二人のその音色は、色を変え形を変え響き続けるであろう。
ずっとこれからも。
音色を増やしながら。
声は止むことなく響き続けていく。
――永遠に続く夢の中で。
最終話了