03と04で了
03
久未弥は、新幹線の窓越しに流れる景色をぼんやりと眺めていた。
その窓と久未弥の間には、幸せそうに寝ている桜のアホ面が覗かれる。
実のところ、久未弥は東京行きには乗り気ではなかった。
聞いていた桜の実家のある区は、久未弥が住んでいた地域に隣接していたのである。
父親に捨てられた久未弥は、父親の弟一家に引き取られ、高校を卒業するまで面倒を見てもらっていた。
父親の弟一家は、家主の幸太郎を筆頭に、妻の八重子、そして息子の秀夫という三人家族で、その中で久未弥は生活をしていた。
しかし、そこでの待遇は決して良好とは言い難く、久未弥は家族から蔑まされて生きてきたのである。
食事は三人とは別の時間にとらされ、電気代がもったいないと8時には部屋の電気を消される。
さらに毎日のように浴びせられる侮蔑の言葉。
「お前は表情がなくて気持ちが悪い」
「お前としゃべるとバカが感染する」
「お前はなにもできない能無しだ」
毎回ちがう侮辱の言葉に、よくもそれだけの言葉を思いつくものだ、と、久未弥はいつも思っていた。
思い返してみると、久未弥はその事で泣いていた記憶がある。いつの事だかわからないような昔の記憶だが、確かに引き取られた後に泣いていたのだ。
まぁ、いつから泣けもしないほどの顔面麻痺になったのかなど、思い出したところで何の足しにもならないのだが。
そういうわけで、そんな一家と鉢合わせする確率の高い場所へ行くのは、気が引けるのであった。
そんな事を思い返しているうちに、新幹線が一駅手前の品川駅に到着したので、よだれを垂れさせ始めた桜を起こす。
「「じゅるっ……え? もう東京ですかぁ?」」
「じゅるって言うな! もうすぐ着くから、降りる準備しておけ」
そう言って、桜の周辺に散乱する、食べ散らかしたお土産の残骸を一瞥する。
桜はそれらを乱雑に袋に詰め込み、よし、と一言で片付けたのを見て、久未弥は、はぁ、とため息を漏らす。
程なくして新幹線は東京駅に到着し、二人は故郷の地に降り立ったのである。
04
桜の母親が入院している病院は、東京駅からさらに30分ほど電車に揺られた場所に建っていた。
その病院は、豊多市にあるような大規模な施設とは違い、どちらかといえば昭和の時代のマンションの風貌を呈していた。
外壁にはタイルが貼られ、窓には格子が取り付けてあり、建物全体が煤けているような印象を受ける。
「なんか歴史を感じさせる建物だな」
との久未弥のつぶやきをよそに、桜はいつもの事のようにスタスタと病院に入っていき、そのまま脇目も降らずエレベータへと向かう。
桜はちょうど開いていた空のエレベータに乗り込み、久未弥が乗ったのを確認すると三階のボタンを押し、すぐさまエレベータの扉を閉じる。二人でいても、狭い空間に他人といるのは難しいのであろう。
エレベータが到着した先には、リノリウムの貼られた床と時代を感じさせる壁の特徴的な雰囲気の薄暗い廊下が現れた。
桜はその廊下を奥まで進むと、扉の開け放たれた病室の入り口の壁をノックする。
「お母さん、入るよ」
今までに聞いたことのないような低い声を発しながら病室に入る桜の後に久未弥は続く。
狭い病室は個室で、中にはベッドの上で上半身を起こしテレビを見ている白髪の女性がたたずんでいた。
「桜ちゃん、いつもありがとね。あら? ええと、あなたがブッチョさん?」
白髪の女性が久未弥に気づく。
「はい、はじめまして。須藤 久未弥と言います」
「はじめまして、桜の母親の皆川 時枝と言います。ふふっ、この子ったらいつもブッチョさんとしか言わないから、てっきり太った方なのかと」
やはりこのあだ名は駄目なようだ。
「いつも桜がお世話になっております。最近この子はいつもあなた方の話ばかりするんですよ」と言うと。
「お母さん、余計な事は言わなくていいの。私飲み物買ってくるね」と言いながら桜は病室を出て行く。
その後久未弥は、桜の母親としばらく他愛もない話を続けるが、すぐに話題をなくしてしまい気まずい空気が流れる。
「桜ちゃん遅いわねぇ」
気まずそうにしている久未弥に桜の母親は声を掛ける。確かに桜が病室を出て行ってから20分は経ったであろうか。
「あぁそうですね、またパニックになってるんじゃないですかね。しばらくすれば戻ってきますよ」
と、母親の前であまりにもぞんざいな扱いである。
そんな久未弥に桜の母親は口を開く。
「ブッチョさん……あの子から全部聞いたんですね」
桜の母親は窓に目をやりながら久未弥に話掛ける。
「はい、だいたいの事は話してくれました……」桜の悲痛な叫びを思い出す。
「そうですか、それを知ってまであの子と一緒にいていただける事に感謝します」
その言葉で、この親子がどれほど世間からつらい仕打ちを受けてきたかが窺える。
そして桜の母親は話を続ける。
「たぶんあの子は父親の事を憎んでいるのだと思います。あたりまえですよね、あの子には本当に辛い思いをさせてきてしまいました。
それでもね、私はあの人……殺人を犯してしまったあの人を、早まった事をしたと責めたとしても、憎んだりはできないんですよ」
意外な発言である。
「ふふっ、いえ、別に人を殺してしまっても愛している、なんて映画みたいな話じゃないんです。
そうですねぇ、桜の父親が自営業に転職したのは聞きましたか?
最初は小さな会社で営業をしていたのですが、元々不器用な人で成績が悪くて収入が少なく生活は苦しかったです。
ある日突然会社を辞めて自営業をするって言いだしたんです。あの人なりに収入の良い仕事を探していたんでしょねぇ。
で、案の定、不器用なあの人に自営業なんて勤まるわけがなくて、借金がかさむ一方でした。
自営業といっても、宅配の下請けの仕事だったんですけど、あの人、自分の仕事のできないのを棚に上げて、その仕事を紹介した会社を怨み始めたんです。最初の話と違う、とか言いながら。
バカですよね、それであんな事件起こして。
でも、あの人があんなに悩んで転職までして収入を増やそうとしたのは、私たち家族のためだったんです。
あの人はいつも、桜に好きな物を買ってやれない、桜に好きな物を食べさせてやれないって悩んでました。本当にあの人は桜の幸せを願っていたんです。
でも最終的にあの人は、桜を一番不幸にする選択をしてしまったんですけどね」
不器用な人間が最終的にたどり着いた凶行。選択は間違ってはいるが、それは家族を思っての結末であった。
その話を聞いて、久未弥が言葉を失っていると、ちょうどそこに桜が戻ってくる。
「ごめんなさい、ちょっと遠くまで飲み物買いに行ってました」
と言う桜の服には汚れが付いていた。やはり、またどこかの路地裏にでも行っていたのであろう。
「二人で何の話をしてたんですか?」
と桜は久未弥にお茶のペットボトルを手渡しながら言うと。
「ブッチョさんに、お父さんのお墓参りに行ってもらおうかな、って話してたのよ」
初耳である。
「……っ!」あからさまに絶句する桜。
どうやら数年前に桜にわがままを言って、墓を建ててもらったらしい。
「私はこんななんでお参りに行けなくてねぇ。ブッチョさん行ってもらえますか?」などと桜の母親は言う。
久未弥は、うつむきながら硬直している桜を横目に見ながら、
「いいですよ。カッ子、後で場所を教えてくれよ」と言うと。
「はい……でも私は行きません」とキッパリ。まぁしかたがないだろう。
それを聞いて桜の母親は。
「ふふっ、桜ちゃん“カッ子”って呼ばれているの? ブッチョさんなぜかしら?」
「ぶっ、ブッチョさん言わなくてもいいですよ。お母さんも変なとこに食いつかないの」
その後、桜から父親の墓がある場所を教えてもらい、一人で墓参りすることになるのであった。
第1話了