09、10、11でようやく了
09
「……」
絶句する久未弥。
自分の娘を蹴り飛ばし、血は繋がっていないとはいえ、年端もいかない子供の首を絞めるなどとは狂気の沙汰である。
その話を聞いて、久未弥はもう一度杏奈を抱きしめる。
「「ごめんなさいブッチョさん、私がもっと早くに言っておけばこんな事にはならなかったのに……」」
「カッ子……お前、いつから知ってた」
「「あの、初めてみんなでジョスコに行った次の日、ライ丸ちゃんたちが来て、ご飯食べさせてもらってないって、着ぐるみも脱いで見せてくれて……」」
「なんでその時言わなかったんだ」
「「だって、二人がブッチョさんには言わないでくれって」」
なんなのだろう、久未弥はやはり姉妹が自分にだけ事実を隠してきた事が理解できない。
それをカッ子に問うても知り得ない事だろう。
当の杏奈は、安心したのか久未弥の腕の中で寝息をたてている。
「「ごめんなさい、私はブッチョさんにいっぱい嘘をつきました」」
そう、今思い返せばおかしい話である。
いくら夫婦で仕事をしていて、子供にかまってやれないといっても、顔も見たこともない他人に子供をまかせる事などないだろう。
こんなわかりやすい嘘さえ見抜けなかった自分を悔やむ。いや、見抜けなかったのではない、見抜こうとしなかったのだ。四人で過ごす楽しい日々を壊したくなくて、久未弥は現実に対する疑問に目を向ける事から逃げてきたのだ。
そんな自分の甘さを後悔する。
やはり現実から逃げる事は許されないのだと久未弥は痛感する。
「…………」
二人の会話は途切れ、病院の待合室には熱にうなされているのであろう子供の泣き声と、それを少しでも楽にしてやろうとあやす親の声が聞こえてくる。
その時、診察室から二人の警察官が現れ、それに連れられるように頭に包帯を巻いた冬子と杏奈の父親が現れる。
久未弥とカッ子は息を飲むが、父親は杏奈を抱く久未弥に無表情のまま一瞥をくれただけで、警察官に急かされて通り過ぎて行ってしまう。
それからしばらくして、診察室から一人の警察官と病院の先生らしき人が現れ、久未弥たちの方へ向かってくる。
そして警察官が久未弥に向かって、
「あなたが冬子さんのお父さん……なわけはないですね、お話はあなたでいいのかな」とたずねる。
「はい、あの子はどんな状態ですか」
と久未弥が聞くと、白衣をまとった医師らしき男性が話す。
「そうですね、右腕とアバラの二カ所の骨折と、複数の打撲、後は複数の切り傷、重傷ですが命に別状はありません、今はショックで意識を失っているので、後は目を覚ませば数日で退院できると思います」
との医師の報告に、最悪の事態を回避できた事で、とりあえず安堵する久未弥とカッ子。
確かにひどいケガだが、命さえあればケガなどは、時間で体が回復と治療をしてくれる。実に人間とはよくできている。
生きていれば、どんなにつらい状況でも笑える日がきっとくる。いや、笑える日を作ってやる。そう久未弥は思い、冬子が生きていた事に感謝するのであった。
しかし、
五日が過ぎても、冬子は目覚めなかった。
10
「正直、原因がわかりません」
久未弥とカッ子、そして杏奈の前に座る医師はそう言い放つ。
「検査はすべてしましたが、先の治療した箇所以外、異常は見受けられません」
なかなか目覚めない冬子を心配し、カッ子が依頼した検査の結果がこれである。
「は? 異常がないんだったら、なんで起きないんだよ」いらだつ久未弥。
「「お金が必要なら、いくらでも出します」」
「(血が必要ならあげます)」
と、それぞれ見当違いながらも、自分のできそうな精一杯を申し出る。
「いえ、すでにできるかぎりの事はやりました」
などと医師は、実に不吉な言い回しをする。手のほどこしようがない、ということだろうか。医師は続ける。
「考えられるのは、冬子さんが自分で目覚めようとしていない、ということかもしれません」
「?」
医師の言った事が理解できない三人。
そんな三人を見て、医師は説明する。
「人間の脳には、生命を維持するために働く機能があるんですが、
もしかしたら冬子さんの脳は、目覚めた時にかかるストレスに冬子さんが耐えられないと判断して、目覚めさせないようにしているのかもしれません。
最悪の場合、一生目覚めないということも」
そんな事になれば、生きているのかさえもわからなくなってしまう。
「「じゃあどうすれば……」」
「できるかぎり話かけてあげてください。起きても大丈夫だよ、目覚めると楽しい事があるよ、と」
駄々をこねて、部屋に閉じこもった子供の機嫌をとるようである。
本当にそんな事で冬子が目覚めるのだろうか。
しかし、それ以外に方法がないというならば、それにすがるしかないのである。
そこで久未弥は口を開く。
「それなら先生、お願いがあるんですが……」
11
「ほんとすみません、一緒に手伝ってもらって」
と、久未弥はピエロの格好で言う。
「いやいや、ブッチョくんはまだまだ新人で一人でやらせる訳にはいかないよ。
ブッチョくんをこの世界に誘ったのは俺だから、ブッチョくんのピンチには喜んで協力する。
それに、ほんとにピンチなのはライ子ちゃんだからね、友達のピンチは俺のピンチだ」
と、クラウンテンホーは元気に言う。
久未弥が先生にお願いしたのは、この病院でのホスピタルクラウンの活動を許可してもらうことであった。
なにもできない久未弥が、唯一今の冬子にしてやれる事、それがクラウンブッチョとして笑いを届ける事である。
この病院ではホスピタルクラウンを呼んだことはないが、その存在を知っていた医師たちも興味を持ち、すぐに許可が下りたのだ。
つまらない日常にやってきた非日常に子供達からは笑顔があふれる。
それから毎日、久未弥はクラウンの格好で冬子を見舞に訪れる。
病室一つ一つを回るような活動は、テンホー氏が来る事ができる週に一回だけだが、久未弥は毎日冬子に会うためにクラウンブッチョとなり、ピエロのメイクで面会にやってくる。
はじめは興味津々でブッチョについてまわっていた子供達も、それが毎日となると飽きが来るのか、次第にブッチョのまわりの子供は少なくなっていく。
それでもブッチョが元気よく挨拶すると、皆笑顔で挨拶してくれる。
ブッチョが話しかけると、楽しそうに話してくれる。
久未弥は思う。
それでいいのだ。
大きな楽しみ、それを与える事も大切だが、楽しさが大きければ大きいほど、それが去って行った後の寂しさも大きいのである。
ブッチョが冬子に伝えたい事は、楽しさは小さくとも互いに笑いあえる日常。
久未弥が冬子に伝えたい事は、楽しさは小さくとも安心して過ごせる日常。
それは冬子に限った事ではない、ここに入院している子供達、その家族にも通ずる願いなのだ。
久未弥は今日も冬子に伝える、
この世界はこんなにも楽しいのだと。
久未弥は明日も冬子に伝える、
この世界はこんなにもあたたかいのだと。
冬子が今まで負ってきた、あまりにも悲しい傷を、心をえぐるような思いを、その一つ一つを少しずつ癒すように。
久未弥は届ける、
笑い声を、
楽しそうな話し声を。
久未弥は願う、
声よとどけ――と。
第三話了