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くらんくらうん  作者: バラ発疹
百獣の王
50/62

06&07&08でまだ続く

     06


 どれほどの時間が経ったのであろうか、取り調べ室の窓から覗く景色は、あれだけ降っていた雨は止み、空は白んでいる。

「だから、何度言ったら分かるんだよ、あいつらは父親に虐待されてるんだって」

 久未弥は最初から同じ訴えを繰り返している。

「虐待してたのはお前の方だろ、調べはついてるんだ」

 警察官の方はこの一点張りである。

「バカな、俺がなんであいつらを虐待なんかしなきゃいけないんだよ!

 俺は捕まってもいいから、あいつらを保護してくれよ、そうだ、あいつらの爺さんか婆さんに連絡してくれ、一緒に住んでるはずだから」

 と久未弥が言うと、

「何を言ってるんだ、分かってるんだろ。あの姉妹の家は三人暮らしで、他には誰もいない」と返答が帰ってくる。

「は? じゃあ近くに住んでるだろ」

「お前は何も知らないのか、吉田家の実家は福岡県にあるんだぞ、そんな所に連絡して意味があるのか」

 すんなり被害者の個人情報を口にする警察官も訳がわからないが、その内容も久未弥には意味がわからない。

 いつも姉妹を送り届けていた一戸建ての家、そこにいたやさしそうな老夫婦すらも、姉妹の嘘が作り上げた幻なのだろうか。

 なぜあの姉妹が、自分にそこまですべてを隠し続けていたのかが理解できない。

 そのせいで打つ手のない自分がもどかしい久未弥であった。

「それじゃ誰か様子を見てきてくれよ、頼む」

「安心しろ、もうすでに署員が向かっている」

 そんな事を言われて、簡単に安心できるならば苦労はしない。

 相手は自分の身が危うくなると、警察を利用し他人をおとしめるような人間なのだ。

 そう思うと、警察に頼ったそのすぐ後に、二人に危害を加えるなどという馬鹿げた事はしないかもしれない。

 しかし、そんなありもしない希望をもったところで、なんの役にもたたないのである。


 それからしばらく警察官の質問と久未弥の否定との堂々巡りが繰り広げられ、取調べと姉妹への心配により、久未弥の精神的疲労はピークに達していた。

 取調べに関しては、テレビドラマのような激しいものではないが、警察官の少々高圧的な物言いが精神力を削いでいく。

 眠さは感じないのだが、体中の感覚がぼんやりとしていて気持ちが悪い。

 久未弥が、なにか今起こっている事のすべてが現実ではないような錯覚に陥った頃、取調室の扉がノックされる。

 はい、と久未弥の前に座っている警察官が返事をすると、扉が開き婦人警官が顔を出し、入り口付近で待機しているレイさんに耳打ちする。

 するとレイさんは驚愕の表情をした後、久未弥を一瞥し、座っている警察官に耳打ちする。

 しかし声のでかいレイさんの耳打ちは、久未弥に漏れる。

「……二人、病院に搬送されたそうです……」

 久未弥は確かに聞こえた、二人病院に搬送された? どこかで若者が喧嘩でもしたのだろうか、なぜそれをこの取調べ室に報告しに来るのだろうか。

 そんな事を思っていると、目の前の警察官は久未弥に告げる。

「須藤さん、あんたの言うとおりだった、引き止めて悪かった」

「は? なに言ってんだあんた」

 久未弥は何の事かわからない。

 そんな久未弥に警察官は説明する。

「二人が病院に搬送されたらしい」

「……っ!」

 血の気が引いた。

 久未弥は倒れそうになりながら立ち上がり、取調室を出ようとすると、

「すまんブッチョ殿、トヨダ記念病院でござる」とレイさんに告げられる。

 そう言われ部屋を出る直前、久未弥は前だけを見つめ、

「お前ら……あの二人にもしもの事があったら……ただじゃ済まねぇからな」

 と言い放ち、久未弥は駆け出して行った。

 その光景を眺めながらレイさんが言う。

「ブッチョ殿……」


「そんなに怖い顔をして言わなくてもいいではないか……」

 

     07


 警察署を飛び出した久未弥は、財布も携帯電話も持っていないことに気づく。

「トヨダ記念病院か、走って行った方が早い」

 トヨダ記念病院は、いつも久未弥がホスピタルクラウンとして通っている病院ではなく、豊多市にあるもうひとつの大きな病院である。

 この警察署から走って40分ほどであろうか、一度家に戻るよりはそのまま向かった方が早いのである。

 走り始めた久未弥だが、気ばかりあせり、なかなか進んだ気がしない。

 さらに雨上がりの水溜りの多い道も邪魔な事この上ない。

 しかし久未弥は走る。

 二人が病院に運ばれた。この事実が久未弥に重くのしかかる。

 おそらく父親に暴力を振るわれての事だろう。

 なぜ自分はそうなる前に駆けつけてやる事ができないのだろうか。

 どこかのドラマや漫画の中の主人公ならば、大切な仲間のピンチに颯爽と駆けつけるのであろう。

 “人はみんな、自分が主人公の物語の中で生きている”

 あの中学生の頃、教師がぬかした言葉が思い浮かぶ。

 反吐が出る。なにが自分が主人公の物語だ、こんな出来の悪い物語など願い下げだ。

 それとも自分の物語は、どう転んでもこのような最悪の結末にしかならないのであろうか。

 それを運命と呼ぶのなら、久未弥は自分の運命を恨む。

 そんな事を鬱々と考えながらも久未弥は走る。

 そんな久未弥をあざ笑うかのように青々と晴れ渡る空の下を走っていく。

 せめて、あの冬子と杏奈の姉妹の運命だけは、良い結末になるようにと願いながら。


     08


 久未弥がまだ朝の勤務の始まっていない病院の、夜間外来の入り口の扉をくぐったのは7時40分頃であった。

 朝とはいえ、まだ電気の灯っていない薄暗いロビーを走り抜けていく。

 待合室まで到着すると、そこで待っていたのは、長椅子に心配そうに座るカッ子と、杏奈であった。

「ブッチョ!」

 そう叫んで、杏奈は久未弥に抱きついてくる。

「杏奈、よかった、無事だったのか、二人運ばれたって言われて、冬子は?」

 と久未弥は杏奈を抱きしめながらカッ子に問いかける。

「「冬子ちゃんはまだ治療中です。意識がないって先生が言ってました」」

「……っ! 杏奈、なにがあったんだ」

 と言いながら見た杏奈の首にも治療のあとがある。

「(ブッチョ、お姉ちゃんが、お姉ちゃんが)」

 杏奈は混乱しているらしく、泣きながら同じ手話を繰り返すだけで精一杯らしい。

 久未弥は杏奈を抱きしめ、落ち着かせた後になにが起こったのかを聞く。


 それは現在より2時間ほど遡った午前5時30分頃。

「てめえら、よくもやってくれたなぁ、こんな事で俺から逃げれると思ってんのかぁ!」

 金髪ピアスの父親は、怯えて抱き合う娘二人に、手近に置いてあった本を投げつけながら怒鳴りつける。

 警察での事情聴取を終え、自宅に帰ってきた直後から始まる父親からの恫喝。

 久未弥のアパートよりも築年数が多いのではなかろうかというほどの、プレハブ平屋建てのアパートの一室である。

 リビングにはゴミと酒瓶が散乱しており、投げる物には事欠かないようである。

「見ろ、てめえらのせいで携帯が壊れたじゃねえか!」

 そう叫びながら、液晶画面に穴の開いたスマートフォンが冬子に投げつけられる。

 裸の写真を撮ると言われながら向けられたスマートフォンを、冬子が振り払った拍子に落として開いた穴である。

「冬子ぉ、てめえ死んで詫びろや!」

 と言いながら父親は冬子を蹴りつける。

「ごめんなさいお父さん、ごめんなさいお父さん」と蹴られ続け、泣きながら謝罪の言葉を繰り返す冬子。

「てめえのせいで携帯買い替えなきゃならねえじゃねえか、いくらすると思ってやがんだ!」

 携帯電話ごときで、なおも続く暴力。


「てめえみたいな邪魔な奴は生まれてこなきゃよかったんだよ!」


 父親からの辛らつな言葉に、冬子は気が遠くなる。

 かつて、親しい他人のブッチョやカッ子、そして血は繋がってはいない妹の杏奈、その三人から受けた、生まれた事に対する祝福。

 しかし、もっとも祝福してほしい人物から出た言葉は“生まれてこなきゃよかった”である。

 その言葉を耳にしてから、不思議な事に冬子の体は痛みを感じなくなった。

 思えば、体に力が入らない。自分がぐったりしているのが分かる。

 そんな時、ふと、父親の暴力が止み、声が聞こえる。

「おいおい、警察にでも電話するつもりか? 笑わせんな、杏奈てめえ自分がしゃべれない事ぐらいわかってんだろ」

 どうやら杏奈は、姉の状態が危ういので、家の電話で助けを求めようとしているらしい。

 静かになった部屋に、電話の音が漏れ出す。

『はい警察ですが、どうなさいました?』

 その声を聞いて、父親は、バカが、と小さく笑う。

『もしもし、大丈夫ですか?』

 なにもしゃべらない相手に、電話口の声が問いかけると。


「たすけて……たすけて……」


 と杏奈は声を絞り出す。

「杏奈ぁ、てめえ、いつの間にしゃべれるようになってんだぁ! どいつもこいつも人のこと馬鹿にしやがって!」

 と言いながら父親は電話を切り、杏奈の首を掴み持ち上げる。

「てめえは絶対殺す! 死ねぇ! ……がっ!」

 と言ったかと思うと、杏奈の首を掴んでいた手は離され、杏奈は投げ出される。

「冬子ぉ、てめえまだ生きてやがったんかぁ!」

 父親の視線の先には、酒瓶を握りしめた冬子が立っていた。

「杏奈に、杏奈に手を出すなぁっ」

 杏奈を助けようと、とっさに冬子は手近にあった酒瓶で思い切り父親の頭を殴ったのだが、ドラマの中のようには割れないものだな、などとのんきに思っている自分に驚く。

 次の瞬間、父親の頭から流れる血にひるむ。

「てめえは死んでろやぁ!」

 と言いながら出された父親の蹴りは、冬子を隣の部屋まで飛ばしてしまう。

「杏奈、てめえも死んどけ!」

 と言いながら杏奈ににじり寄ったところで、玄関の扉をノックする音が響く。

「警察だ! 玄関を開けろ!」

 どうやら久未弥の訴えで向かっていた警察官が、中の騒ぎを聞きつけたらしい。

 こうして、意識の無い冬子と、頭部から血を流している父親が病院に搬送された、とのことである。

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