第2話「誕生日」010203
第2話「誕生日」
01
「はぁ……」
冬子はカレンダーを眺めながら溜息を漏らす。
今日は2月6日、冬子の誕生日である。
冬子の家では、誕生日を祝うという習慣はないのだが、前に一度、クラスメイトの誕生日会というものに呼ばれて行ったことがあり、そこではただその日に生まれたというだけで主役のように祝福されるクラスメイトがいた。
この世に生を受けた事に対し、親が子供のために豪勢な料理をこしらえたり、ケーキを食べながら祝うその光景を見て冬子は、この子はよほど”良い子”で、親に叱られたりもしないからここまで祝福されるのだろう、と思ったものだった。
同時に、自分もこの子のように、この世に生まれた事を祝福されたらどんなに素敵な事だろうとも想像していたのである。
あの授業参観の日から三日、冬子と杏奈はあの日から父親にブッチョ達に会うことを禁止されていた。
なぜか、という疑問はあったのだが、冬子たち子供にとって親に逆らうという考えは毛頭ないのである。
しかし、このままここにいるより、ブッチョに自分は今日が誕生日だと打ち明ければ、もしかしたら祝福してくれるかもしれない。
そう思い、意を決して父親の目を盗み、とはいえ、父親は出掛けていていないのだが、カッ子のマンションへやってきたのである。
そんな冬子にブッチョが放った言葉は。
「ちょっと丸美借りて出掛けてくるから、カッ子とライ子は待っててくれ」との事だった。
期待はしていなかったとはいえ冬子は、誕生日の話をきりだす前にくじかれた事で、何もする気がおこらなくなってしまい、ブッチョと丸美が帰ってくるまでふて寝することになってしまう。
「まぁしょうがないか、私はお父さんとの約束も守れない”悪い子”だから」
と、あきらめのまま冬子の誕生日は過ぎていくのであった。
02
一方ブッチョと丸美の二人は、病院にやってきていた。
「(ブッチョ、私どこも悪くないよ?)」と丸美が不安そうに手話でたずねると、
「(ちょっとお前に会ってもらいたい子がいるんだ)」とブッチョも手話で答える。
ブッチョは丸美の手を引いて小児科病棟までやってくると、目の前を行く看護師をつかまえて、
「ブッチョですけど、今からいいですかね」とたずねると、その看護師はナースセンタの奥に誰かを呼びにいってしまった。
そんな様子を不安そうに見つめる杏奈は、この病院の小児病棟に来るのは今回が初めてではない。
病院にかかる事が皆無なこの健康優良少女は、一度だけこの病棟に入院したことがある。
もちろん良い記憶などではない。しかし、その事によって得られたモノもあったので良しとするところが大物たるゆえんなのかもしれない。
しばらくすると、先ほどの看護師はドクターらしい若い男性を引き連れて戻ってきた。
「(やあ、君が杏奈ちゃんか、初めまして、僕は倉持と言います)」と倉持と名乗った男性は、丸美に丁寧に手話で挨拶する。
この若い医師は最近この病院に入ってきたらしく、丸美とは面識が無いらしい。
初対面の大人に、いきなりあだ名ではない本当の名前を呼ばれ戸惑う丸美をよそに、倉持医師とブッチョは丸美を連れて歩き出す。
いよいよ人体実験をされるのかも、と丸美が恐怖に震えていると、連れてこられたのは、自分の姉と同じくらいの年齢であろうかという少女の病室であった。
三人が病室に入ると、その少女は倉持医師とブッチョの二人と短い会話を交わした後、丸美の方を向いて、
「(初めまして、私は鈴木 栞といいます)」と手話で挨拶をする。
「(は、初めまして、よ、吉田 杏奈といいます)」と丸美もご丁寧に、緊張してどもった感じで手話で自己紹介する。
「(ふふふ、杏奈ちゃんて面白い子ね。耳が聞こえない者どうし仲良くしましょ?)」と栞と名乗った少女が言い出す。
「(え? でも栞姉ちゃん、今しゃべってなかった?)」
丸美はどういう事か分からず、首をかしげながらブッチョを見る。
「(そう、今日お前に知ってもらいたかったのは、この事なんだ)」
03
話は二日前にさかのぼる。
ブッチョはいつものように、この病院でテンホー氏とホスピタルクラウンの活動をしていた。
順番に子供を訪問していき、次のベッドは、母親と一緒にいる少女だった。
「こんにちは、僕はクラウンブッチョ、なにして遊ぼっか」とブッチョが近づいていく。
すると少女は、
「こんにちはピエロさん、私は鈴木 栞といいます」
と、なにやら喉の病気なのだろうか、栞ちゃんは低い声で、声を絞り出すように話す。
「じゃあ栞ちゃん風船で動物作ろうか、何か作って欲しい動物はあるかな?何でも作っちゃうよ」とブッチョが言うと、栞ちゃんはしばらくブッチョの口元を見ながら考えた挙げ句、
「ごめんなさい、もう一度言ってください」などと言い出す。
滑舌が悪かったのかな、とブッチョが言い直そうとすると、栞ちゃんの母親が、
「すみません、この子耳が聞こえないんで、短い言葉しか読みとれないんです」と言う。
「え? でも、今しゃべってましたよね、っていうか、聞こえないのにしゃべってる事わかるってエスパーか?」
とブッチョが素のリアクションをとってしまうと、後ろからテンホー氏におもちゃのハンマーで叩かれてしまう。
「こらこらブッチョ君、ミーティングで話を聞いてなかったのか?」
「いや、聞いてましたけど……」
確かにブッチョはミーティングで、今日は耳の聞こえない子がいることは聞いていたのだが、てっきり手話で話すとばかり思っていたので、いきなりしゃべられて訳がわからなくなったようだ。
とりあえずブッチョは気を取り直し、クラウンとして子供達と遊んでいく。
そして一通り終わった後、ブッチョとテンホー氏は小児科の倉持医師に、今回の栞ちゃんの話を聞く事にする。
「それは“口話法”といって、耳に障害のある人が、人の話す事を理解し、そして自らも声を発して会話する能力を身につける事をいうんだ。
人の話を理解するのは、例えば“読唇術”、人が話す口の動きなどで言葉を読み取る方法がある。
次に声を出す方だけど、これは喉の振動と口の形、舌の使い方で音を出す。
そのどちらも健常者の協力と、たいへんな努力が必要となってくるんだ」
ブッチョは、読唇術というのは昔見た映画に出てきて聞いた事があったが、忍者やスパイなどの常人離れしたキャラクターが使っていたので、相当な修行を積まないと使えないものだと思っていた。実際修得するにはたいへんなのだろう。
うちの丸美はエスパー(?)なので、話している事を理解する事は問題ない。しかし声を出す事はたいへんな努力を要することだろう。
さらに倉持医師は、
「口話法を身につけるなら、子供の頃から訓練した方が身に付きやすい。どちらにしても協力者は必要だけどね」と付け加える。
それを聞いてブッチョは、
「先生、栞ちゃんに会わせたい子がいるんですが……」
で、現在に至るわけである。
非常に興味を示した丸美は、すでに倉持医師と鈴木母子から発声方を教わっている。
丸美は自分の出した音が“声”として認識されるのがよほど嬉しいらしく、教えてもらったことを何度も反復していく。
どうも一文字づつ練習するよりも、単語で覚える方が効果が実感できて楽しいらしい。
こういった練習法からも、つらい事を楽しみながら乗り越えていこうと努力していたであろう、栞ちゃんの家族の人柄が見えるようである。
そして、聞き取りづらいながらも、小一時間で三つほどの単語を発声できるようになったのには、倉持医師や鈴木母も目を丸くしていた。
その後、とりあえずブッチョが必要と思える単語と、丸美セレクションの単語を教わる頃には、丸美の集中力に鬼気迫るものを感じていた。