はじまりの日常01
01
陽気な音楽と共にネズミやアヒルの着ぐるみに身を包んだ人が激しく踊っている。
どうやらここは東京ネズミーランドらしい。いわずと知れた米国の人気ネズミアニメのテーマパークである。千葉県にあるのになぜ東京なのかと疑問に思ったが、どうも大人になると細かい事は気にしなくなるようだと子供心に理解したものだった。
「どうだ楽しいか息子よ、今日で皆勤賞だ!」と俺のことを息子と呼ぶこの男はなぜか土下座をしている。
「いくら年間パスポート買ったからって毎日来ると飽きるよお父さん」
「そうだなもう充分だよな……。あの女、俺一人にガキを押し付けて逃げやがって」
あきらかに雰囲気が変わった父親に不安になる。「お父さん?」
「これから父さんは自由に生きるから、お前も達者で暮らせよ。じゃあそうゆうことで」と言うが早いか土下座したまま人ごみに消えていった。
「え? ちょっと待ってよお父さん。あれ? なにこれ?」なぜか追いかけようとするが、どれだけ一所懸命に足を動かしても前に進まない。
ピーンポーンパーンポーン
父親の逃亡を助けるように館内放送が入る。
『本日は東京ネズミーランドにお越しいただきまことにありがとうございました。本日の営業はこれで終了でございます。またのお越しをお待ちしております』
ジリリリリー…けたたましく営業終了のベルが鳴り響く。
ジリリリリリリリリリリリ「うぇぇぇん、お父さーんジリリリリおいてかないでジリリリリやだよぉぉジリリリリ…さいジリリリリリリ…るさいジリリリリリ」リリリリ
「うるさいわーーー!」
ガシャン、という音と共に目覚まし時計は晴れて他の五つの壊れた目覚まし時計の仲間になった。
幾度となく同じ夢を見てはオチとして目覚まし時計を投げるという一連の持ちネタである。
「しまった、まだ買って一週間なのに……」
たいしてしまったと思ってなさそうな顔をしてつぶやく。
この男は子供の頃に親に捨てられて以来精神を患い、顔の筋肉が麻痺して表情を作れなくなっていた。
「くっ、しょうがない。気を取り直して愛車のフェラーリで仕事に行くか!」
すばやく着替えと簡素な朝食を済ませ、愛車の前に立ったところで行動が止まり震えだす。
「だ…誰だっ、俺のフェラーリのサドルに傘で穴開けた奴はーーー!」
フェラーリとは名ばかりの自転車のサドルのちょうど真ん中に、きれいに一つ穴が開いていた。
「くっそぉゆるせん! まだ遠くに行ってないはずだ」
根拠もないのに犯人探しを始めだす。ちょうど50メートルほど先に、長いものを持ったスーツ姿の男性が歩いている。
「奴だ!」
築43年のボロアパートを背に全力で走り出す。
「てめえ待ちやがれ! 俺の愛車のサドルに穴開けやがっただろうがぁ!」
突然の言いがかりに、スーツ姿の男性が振り返り言葉を返す。
「あぁん? 誰に口きいとんじゃワレェ!」
よく見ると、男性の所持していたのは傘ではなくて日本刀だった。どうやらこれから討ち入りのようだ。
「ぎゃあ! 朝っぱらから抗争勃発? 俺死ぬかも。いや、一人ならイけるか?」
行くのか逝くのか意味不明な独り言を漏らしていると。
「兄貴。どうしやした!」と日本刀とドスを装備した二人が兄貴のパーティーに合流した。
「無理。とんずらじゃぁぁぁ!」ここまでみごとに無表情で通してきた男は、やはり無表情のままに叫び一目散に逃げ出した。
「待たんかいワレェ!」日本刀を振りながら追いかけてくる。
待てと言われて待つヤツなんかいるはずないのにバカな奴。と心の中で笑いながら、必死で逃げる。
男は逃げながら思う。
この世に生を受けて24年、楽しいことなどなにもなかった。
全力でなにかしようとしてもしたい事がなにもない。
充足感など感じたこともない。
でも。
あれ? これってなんか鬼ごっこみたいで楽しくね?
スポーツ選手がたまに言ってる”真剣勝負を楽しむ”ってこの事じゃね? と錯乱気味に。
その一方で、鬼達から逃げるために人通りの多い道へ向かっていた……はずだった。
「はぁはぁ、あれ? どこだここ?」
いつに間にか、閑静な住宅街にまぎれこんでしまったようだった。
「こっちに逃げ込んで行きましたぜ兄貴!」とさっき曲がってきた角のむこうから叫び声が聞こえる。
「やべぇ、逃げなきゃ」
とっさに角を曲がると。
ドン! と出会い頭に人と衝突してしまう。
「「きゃあ!」」転倒する女。
「わあっ、ごめん、追われてるんだけどかくまってくれ!」と言って、民家の生垣にもぐりこむ。
「「あ? えっ? ええっ?」」
そこへ兄貴一行がやって来る。さすがに刃物はしまっている様子。
「姉ちゃん、ここに無表情の男が逃げてこなかったか?」
「「えっと、あの……あっちへ走っていきました」」
「ほうか、ありがとな姉ちゃん。行くぞ野郎ども!」
生垣からは見えないが、どうやら女の指した方向はこの生垣ではなかったようだ。
兄貴一行の足音が聞こえなくなってから、ゆっくりと生垣から出てくる。
「いやー助かったよ。ありがとう、ケガとか無かった?」
「「いえ別に大丈夫です」」
あらためて見ると、女は自分と同じ位の年の様に見える。つっこみ所はあるのだが、助けてもらった手前失礼なので言わずに過ごす事に決めて他の会話をきりだす。
「なんかカギカッコが二重になってるけど病気?」言わないと決めたはずなのに言うのも駄目だが、病気の奴に病気よばわりされるのも失礼極まりない。
「「ごめんなさい、私がしゃべるとこうなってしまうんです。おかしいですよね?」」女は笑って見せるが、伏し目がち……と言うよりは目を合わせようとしない。まぁ人と接するのが苦手な人などめずらしくも無いので、たいした問題ではない。
「あぁ別にいいんじゃね? それよりもホント助かったよ。それじゃ」仕事は完全に遅刻だな、と思いながら帰ろうとすると。
「「あっ、ちょっと待ってください!」」
「ん? あぁゴメン俺、宗教団体とか興味ないから。てか神様信じてないから」
「「いや…そうじゃなくて……あの……私……て……」」女はうつむいて何かごにょごにょ言っている。
「はっ! まさか除霊の呪文!しかしもっとハッキリ唱えないと効果はないぞ!」神様は信じていないくせに霊の存在は信じているらしい。
男のアドバイスに従った訳ではないが、女は一つ深呼吸をしてからもう一度繰り返す。今度はちゃんと言えそうだ。
「「わたしと友達になってください!!」」
「はい?」