美しいだけではダメなの
伯爵家の一人娘、クラリッサ令嬢は嫉妬深い事で有名だ。
とても可愛らしい容貌をしているのに、婚約者が他の令嬢と会話をしているだけで淡く紫がかった銀色の髪を振り乱し、キッとローズクォーツの瞳を吊り上げて私の婚約者だと威嚇する姿が何度も目撃されている。
侯爵家の長男、アルデラート令息はその美しい容姿で有名だ。
艷やかな黒い髪は青みを帯びていて、深い群青の瞳は一見冷たく見えるが、話しかけると柔和に微笑む彼の社交的な姿にたくさんの令嬢が胸をときめかせる。
そんな二人が婚約したのは、二人がまだ物心がつく前の事で、幼い時から婚約者同士であった二人の関係は、言うまでもなく誰が見てもあまり上手くいっていない。
婚約者を想うがあまりと言えば可愛らしくも聞こえるが、クラリッサが己の強すぎる想いを一方的に押し付けてアルデラートを困らせている姿を目撃した者は多数おり、アルデラートが婚約者の扱いに手を焼いているのは社交界でも有名で、度々話題に登る程。
今はまだアルデラートの情けでかろうじて繋がってはいるが、きっとそう遠くない日にあの婚約はクラリッサが愛想を尽かされて破綻するだろう。
容姿だけを見ればクラリッサはとても可愛らしいのに、その苛烈過ぎる性格のせいで社交界での評判は落ちていく一方だ。
社交界はアルデラートにとても同情的だった。
誰に対しても物腰が柔らかいアルデラートは社交界でも人気のある青年だ。
彼とお近付きになりたい令嬢は多くいて、たまたま親同士の親交があって歳が近かったからという理由だけで交わされた婚約なのだから、アルデラートが他の令嬢を見初めでもしたら呆気なく終わるだろう。
だから年頃の令嬢たちはチャンスがあればアルデラートに声をかけ、着飾った己の魅力をアピールする。
今夜の夜会でも、アルデラートはたくさんの令嬢に囲まれて柔らかく微笑みながら楽しい時間を過ごしていた。
「アルデラート様はこの春から王立学院に通われているとうかがいましたわ。」
「えぇ。父は家庭教師だけでいいのではと言ったのですが、学院には家で学ぶだけでは学べないものが学べますからね。」
「まぁ、立派ですわ。」
「でも学院には庶民も通っているのでしょう?」
「だからこそです。いや、それこそが家にいただけでは学べないものになるのですよレディ。」
「アルデラート様は庶民の事までもを学ぼうとなさっておりますの?」
「父の跡を継ぎ、領地を治めていく上でとても重要だと思ったのです。」
「まぁ・・・。」
貴族社会において重要なのは人脈と情報だ。
どの家がどのような家と親交があり、どのような生活をし、どのような仕事をしているか。
それを知る事でどの家との交流が自分に大きなメリットを齎すか。
紳士らしい微笑みの裏側でそんな計算をしているとは知らず、令嬢たちはうっとりとした目をアルデラートに向ける。
ふと、視界の端を過ぎった青いドレスにアルデラートは内心ため息を吐く。
青はアルデラートの瞳の色だから、私に相応しいドレスは青いドレスだけ。婚約を交わしたそのすぐ後、高慢さを隠しもせず自信たっぷりに宣言したクラリッサは、その宣言を違う事なく必ず社交の場では青いドレスを身に纏った。
また自分に近付いた令嬢たちを蹴散らしに来たのか。今夜の夜会には参加しない思って安心していたのに。
しかし来てしまっている以上、何もしないわけにはいくまい。
そう思いながら微笑みを貼り付けて視線を向けたが、クラリッサだと思った相手は見知らぬ令嬢で、アルデラートと目があった令嬢がポッと頬を赤らめてはにかむ。
そこにいたのはクラリッサではなかった。だが、青いドレスの令嬢の向こう側に淡紫色のドレスを着たクラリッサがいるのを見つけてアルデラートは目を瞠る。
いつもならアルデラートが参加する夜会には欠かさず自分も参加し、エスコートをしろと強気に強請るクラリッサが、今夜の夜会にアルデラートが参加すると知りながらエスコートは求めなかった。
だからてっきり参加しないものと思っていたのに、初めてみる色合いのドレスを纏い、アルデラートには目も向けず楽しそうに笑って他の男とダンスをするクラリッサにアルデラートは驚きを隠せない。
こんなのは初めてだ。
何かの気まぐれか。それとも駆け引きのつもりか。だとすれば随分と拙い手だが、しかしこれは自分にも都合がいいと、気を取り直してアルデラートは令嬢たちとの会話に意識を戻す。
その夜のクラリッサが乱入してこない夜会はとても快適で有意義なものとなった。
お喋りな令嬢たちは、アルデラートとの会話の糸口になるならといろいろな話しをアルデラートに聞かせてくれる。
自分の親の事、他の家の事、些細な噂話から興味深い噂話まで。
それらをにこやかに聞きながら、アルデラートは頭の中で素早く情報が整理され、有益な情報とそうでないものとを選り分ける。
クラリッサがいてはこうはいかない。
いつもこうであったなら良かったのに。けれどクラリッサの事だ、今夜のやり方が何の成果もなかったと気付けばどうせすぐにまたもとの状態に戻るのだろう。
屋敷に帰る馬車の中でそう独りごちるアルデラートが諦めと呆れの息を吐いたが、しかしその次の夜会でも、またその次の夜会でも、クラリッサがアルデラートの傍に来る事はなく、青くはないドレス姿のクラリッサをアルデラートは何度も見かける事となる。
可愛らしいピンク色のドレスを身に纏い、楽しそうに踊るクラリッサがパートナーのリードに身をまかせてクルリとターンをする度に、ドレスに螺旋状に縫い付けられた大小のパールの飾りがキラキラと輝く。
躍りながら何事か言葉を交わしているらしく、楽しげに笑う表情はあどけなく、アルデラートは我が目を疑う。
あんな風に笑うところをアルデラートは見た事がなかった。
あんなにも軽やかにステップを踏めるなんてアルデラートは知らなかった。
義務的なエスコートは貼り付けた笑みと当たり障りのない会話だけで済ませ、世間体の為のダンスは早く終わらせて自由になる事しか考えず、彼女のこちらに向ける眼差しを負担としか思っていなかったアルデラートにとって、その光景は衝撃的以外のなにものでもなかった。
それは他の貴族たちの目から見ても同じだったのだろう。
最近、社交界では新たな噂話でもちきりだ。
曰く、クラリッサ嬢はアルデラートを諦め、他の男に心変わりしたと。
心変わりしたその相手の男と囁かれている人物がまさに今彼女と踊っている見目麗しい青年。彼はドルンテ伯爵家の嫡男だ。
長く伸びた黄昏時のような金色に淡い朱色を混ぜたような髪を一つに束ね、ブラウンの瞳を柔らかく細めて微笑みを浮かべる彼を面識こそないが噂程度にはアルデラートも知っていた。
シェイク・ドルンテ。彼とメリッサがいつから交流があったかはわからない。
いつの間にか二人は共に夜会に参加ようになり、夜会どころか歌劇場やレストランで二人でいるところも度々目撃されているという。
その間、アルデラートとクラリッサには交流といえるものは殆どなかった。
途絶えた手紙や、訪問。アルデラートが誰といてもクラリッサはまるで気にした様子はなく、近付いてくる事もない。
それに安心していたのは最初だけだ。
婚約者以外の男のエスコートで夜会に参加するクラリッサを、本来であれば非常識かつはしたないと眉をひそめられるはずだが、しかし他の貴族たち違うののクラリッサの行動に対して批判的な目は向けておらず、寧ろ同情的であり、どうやら彼女は報われぬ恋を諦めたのだと受けとらえられているらしい。
これまでクラリッサの存在をもて余すアルデラートの様子を多くが見ており、その婚約がいつ破綻してもおかしくないと思っていた彼らからすればついにその時がきたのだとしか思わなかったのだろう。
これにはアルデラートも困惑した。
確かにクラリッサの存在は重荷でしかなかった。一方的に向けられる愛情を煩わしく感じたのも一度や二度ではない。
を煩わしく感じたのも一度や二度ではない。
それでも婚約者としての義務は果たしてきたつもりだ。誕生日の贈り物には欠かさずカードと花束を添え、夜会の同伴を望まれた時は一度も断らずに了承し、年に数度の公式な催しの際にはきちんと彼女の為のドレスや装飾品を手配した。
そうだ。どんなに負担と感じても、アルデラートがクラリッサを蔑ろにした事は一度としてない。そう自負するアルデラートだからこそ、目の前の光景は受け入れがたい事だった。
ダンスを終え、次のペアーと入れ替わるようにしてダンスの輪から抜け出てきた彼女の後ろ姿をアルデラートは追いかける。
ダンスで喉が渇いたのか、シャンパンのグラスを受け取った彼女は壁際に寄ってからシェイクと微笑みを交わしながらグラスを鳴らす。
ダンスを終えてからも離れる事なく会話を楽しむ年頃の男女は何処からどう見ても仲睦まじいカップルだ。
そんな二人に力強い足取りでアルデラートは近づく。そんなアルデラートに先に気が付いたのはこちらに背を向けていたクラリッサではなく、彼女と向かい合うようにして立っていたシェイクの方だった。
アルデラートを視界にとらえたシェイクがブラウンの瞳を柔らかく細めてクラリッサの肩に優しく触れると何かを耳打ちし、クラリッサがゆっくりと振り返る。
そして少し意外そうに目を瞬くと、彼女は淑女らしい微笑みを浮かべてカーテシでアルデラートに挨拶をした。
「ごきげんようアルデラート様。」
何がごきげんようなものか。口から出かけた文句をグッと胸の奥へと押し込んで、アルデラートは鷹揚に頷くとクラリッサへとまた一歩近付く。
「良い夜だねクラリッサ。そちらの方は?」
「ドルンテ伯爵家のご子息ですわ。」
「始めましてモールド小侯爵。シェイク・ドルンテと申します。」
素知らぬふりで名前を尋ねたアルデラートにクラリッサがシェイクに目配せをすれば、にこやかに自己紹介の挨拶をするシェイク。
後ろめたい事など何もないと言わんばかりの2人の態度にアルデラートは内心苛立ちを覚えながらも侯爵家のプライドでもって表面上は穏やかに笑んでみせる。
「宜しくドルンテ殿。私の婚約者と仲良くしてくれてありがとう。」
私の婚約者とわざわざ強調し、あからさまに牽制の言葉発するアルデラート。しかしシェイクはにこにこと微笑むだけだ。
意味がわかっていないのか。それともアルデラートの牽制など意味もないと思っているのか。
「・・・クラリッサ、少し時間を貰えるかい?話しがある。」
読めぬ腹の中を探ることを捨て、クラリッサへと向き直ったアルデラートはクラリッサをバルコニーへと連れ出す。
夜会でバルコニーに先客がいたら、他の者は入ってはならないという暗黙のルールが貴族には存在する。
夜会の人気の多さに疲れた者や、恋人たちの秘密の合瀬など、その用途は多岐に渡るが、それら全てに共通するのが人目を避ける事ができるというものだ。
「どういう事だ?」
きらびやかなホールとは対照的な、音の遮られた薄暗いバルコニーにクラリッサを連れ出したアルデラートは努めて冷静な声で問いただす。
「どういう事と聞かれましても、何をおっしゃりたいのかわかりかねますわ。」
「あの男だ。君の婚約者は俺だろう?」
「えぇ、そうですわね。それも時間の問題と囁かれる程度のものですけれど。」
「何?」
「私、いろいろ考えてみたんです。そして反省しましたの。貴方にも謝らないといけません。」
「待ってくれ。君は何を言っているかわかっているのか?」
「わかっております。アルデラート様、私は・・・」
それ以上を口にする前に、アルデラートは咄嗟に彼女の口を手で塞ぐ。
それはクラリッサにとっては思いがけない行動だったのだろう。
大きく見開いた目でアルデラートを見つめるクラリッサから先ほどまで貼り付けていた淑女の仮面が剥がれ落ち、そこに残された無垢な程無防備と化したローズクォーツの瞳がアルデラートを映す。
手のひらに伝わる柔らかい感触が彼女の唇だと理解するまでにアルデラートは少しだけ時間を必要とし、理解するや否や慌てて手を外すと、小さく「すまない」と彼は詫びる。
紳士にあるまじき行動をした名ばかりの婚約者をポカンと見つめるクラリッサの視線に耐えかねて俯けば、何が可笑しかったのか、彼女はクスクスと笑いだすではないか。
「笑うな。」
「無理ですわ。だって・・・」
らしくない事はわかっている。今夜の自分はどこまでも自分らしくない。
「アルデラート様もそんなお顔をされるのですね。私、ずっと貴方を見て、そして追いかけておりましたのに、そんな事も知りませんでしたわ。」
クスクスと笑いながらクラリッサが口にした言葉は、しかしどこか物悲しい音を含んではいなかっただろうか。
まるで終わりを示したかのような、別れを告げるような雰囲気を纏わせて、微笑む彼女の目は諦観を写し出していた。
「何をバカなと思われるかもしれませんけれど、私、夢を見ましたの。
ただの夢とは思えぬ夢でした。夢の中の私は、盲目的に貴方を想い続けるばかりで貴方の迷惑なんてちっとも考えず、押し付けるだけの愛に貴方が応えてくれるはずもなく、結婚はしたけれど貴方の心は最後まで私に向く事はありませんでした。」
こちらに口を挟ませる隙も与えず喋り続けるクラリッサ。
本人は気丈に振る舞っているつもりなのかもしれないが彼女の瞳が哀しみに揺らめく。
「家庭に疲れきった貴方は、やがて真実の愛を見付け、別の女性との間に子をもうけます。貴方によく似た黒髪の男の子を・・・。
私はそれが許せなかった。嫉妬に狂い、貴方の大切な相手とその子供を排除しようとし、そして逆に貴方に・・・」
それ以上は口にし難かったのか。クラリッサは胸を押さえ、俯いて口を閉ざした。
そんな彼女に何を言えば良かったのか。正直を言えば何の話しをされているのかもアルデラートには理解できない。
だが、確かにただのよた話と一笑するには思い当たる部分が多すぎて、困惑したまま、アルデラートはクラリッサの肩に手をおいた。
ピクリと揺れた肩はとても華奢で、力を込めたら容易く折れてしまいそうで、夢の中の自分はこんなか弱い彼女がそんな暴挙を犯してしまう程のものを背負わせてしまったのか。
ただの夢の話しだとは言えど、夢とは思えぬ程に現実味を帯びたそれに込み上げるのは罪悪感だ。
「目が覚めてから一生懸命考えましたの。これまで私がしてきた事も、これから先の事も・・・。」
「クラリッサ、違うんだ。俺も愚かだった。君ときちんと向き合う事もせず、目を背けてきてしまった。許してほしい。」
「アルデラート様・・・」
アルデラートを見上げたローズクォーツの瞳は涙で潤み、その痛ましさにどれだけ自分が彼女に想われていたかをアルデラートはハッキリと痛感する。
「俺が悪かった。どうか、おれにチャンスをくれないだろうか。」
その言葉に柔らかく瞳を細めた彼女の瞳からホロリとこぼれた涙が頬を伝い、アルデラートはそれを優しく拭う。
薔薇色の唇が弧を描いたのがアルデラートの言葉に対する彼女の答えだった。
閉ざされたカーテンの向こう、夜会会場の広間からはまだ終わる事なくダンスの為の音楽の演奏がバルコニーのこちら側にも聞こえている。
もう少しすれば次の曲に変わるだろう。その前に彼女をダンスに誘おう。
このダンスが2人の新しい始まりになるはずと、アルデラートは微笑み彼女に向かって手を差し出す。
伯爵家の娘であるクラリッサは愛らしく美しい容貌をしているがそれだけの令嬢だった。
あるのは美幌と、生家の権力だけ。それだって貴族社会の中ではそれほど凄いものでもない。
他に美しい令嬢は沢山いたし、伯爵家にしては少しばかり勢いがあるだけで、伝統や規模などで比べてみれば大した家柄でもない。
だから彼女の価値はとても低かった。
それなりに美しいだけで、思い込みが激しく、常識に欠ける彼女をただの政略の為の婚約でしかない婚約者が愛想をつかしてしまうのは、正直無理もない事だと客観的になれば容易に理解できると彼女は呆れのこもった息を吐く。
クラリッサは愚かな娘だった。愚かすぎてそんな事もわからなかった。
そんなんだからあんな悲惨で惨めな未来しかなかったのだと、少女は鏡に写る自身へと胸の内で冷たく言い捨てる。
紫がかった銀色の髪。ローズクォーツのような瞳。最初は鏡を見る度に抱いていた違和感は最近ではようやく感じなくなり、今ではこれは自分の色だと思えるようになってきた。
最初は何の冗談かと思った。こんな最低でセンスの欠片もない冗談が、けして冗談なんかではなく現実なのだと受け入れるのにどれだけの時間を必要としたか。
輪廻転生という言葉は知っていたが、これは果たしてなんと呼ぶのか。
クラリッサ・リズリトン。見た目は愛らしいのに、愚かなその少女を彼女は確かに知っていた。
『貴方と夢の中で』
全三部作からなる恋愛小説は文字離れしたといわれる現代社会では驚く程若者層に支持され、映像化までされた人気作だ。
恋愛小説にはまるで興味がなかったが、流行ぐらいはおさえておこうと思って電子配信されたその小説を読んだ程度の知識だったが、それでも登場人物ぐらいはちゃんと覚えている。
クラリッサは第一部に登場する嫌われ役だ。ヒロインを妬むあまりに排除しようと躍起になり、最後は愛する男によって殺されてしまうその人物にまさか自分がなってしまうなんて・・・。
再び鏡に視線を向けて、彼女は何度めかもわからぬため息を吐く。
鏡に写る自分は、もう明るい茶色に染めて髪でも黒い瞳でもない。瞳の形はこんなにパッチリとはしていなかったし、何ならコンプレックスだったはずの丸い鼻は鼻筋が通ったキレイな形をしている。
かつての容姿とはかけ離れたその容姿はクラリッサのものであり、そして自分自身の今の姿だ。
まさか物語の中の登場人物になってしまうだなんて・・・。
それも愛する男に殺されて終わる愚かな嫌われ役。
目眩さえする事実は信じがたいが、しかしこれが現実で事実なのだと、何とか現実を受け入れて彼女がまず考えたのはストーリーを変えて自分が生き延びる手段だった。当然と言えば当然の事だろう。
さらっと適当に読んだだけの俄知識だが、ストーリーを変える事だけなら別に困る事はない。
まず彼女が探したのは伯爵家の跡取りでありながら、本当は役者になりたいと思っていたシェイク・ドルンテだった。
一部の後半に登場し、平民でありながら侯爵家に嫁ぐ事になったヒロインに声をかけたその人物は、ヒロインに自分は君のように人生を変えてみたかったと後悔を滲ませるセリフを投げ掛ける。
君のように諦めずにいれば、人生は変わったかもしれないと語ったその人物を思い出して、彼女は貴方の夢を叶えるチャンスを差し上げるといった旨の内容を認めた手紙を出した。
疑いながらもシェイクが話しを聞きたいと返事を寄越したのは、まだ彼の中の夢に対する未練が強かったおかげだろう。
待ち合わせの場に現れたシェイクに彼女は自分の身に起きた不思議な出来事を包み隠さず打ち明けた上で、一緒にお互いの未来を変えないかと提案したのだ。
協力をしてくれたなら彼には家を出て役者となる為の支援を行う事を見返りとして提示した。
その伝手も財力もクラリッサとなった自分にはあった。
『私と未来を賭けた大舞台で一緒に演じていただけませんか?』
半信半疑だったシェイクが彼女の協力者となった決め手はそのセリフだったと思う。
シェイクは目を輝かせ、どうせ失敗してしまうとしても最後に大きな舞台に立てたならそれも悪くはないとシェイクは笑ってくれた。
彼はイイ人だった。巻き込んでしまう事に多少の罪悪感を抱く程には。
だが、舞台の幕は切って落とされ、2人は交際間近のような関係を演じたのである。
結果は想像以上の大成功だったと言えるだろう。
明日、己が纏う花嫁衣装のドレスに目を向けて、彼女は微笑みを浮かべる。
「私は幸せになるわ。」
鏡の中の美しい彼女にそう呟いて、クラリッサは立ち上がった。
そのタイミングで花嫁の控え室の扉をコンコンとノックする音が響く。そろそろ時間だろうか。返事をすれば扉の向こうから現れたのは今日の花婿であるアルデラートだ。
「待ちきれなくてね。それと、これを君に。」
渡されたのは白百合を束ねた美しいブーケだ。
「あぁ、それにしてもなんて美しいのだろう。間違いなく今日の君は世界で一番美しい。そんな君を花嫁にできる俺は世界で一番幸せな男だろうね。」
「まぁ・・・。大袈裟ですわ。」
クスクスと笑うクラリッサにうっとりとした目を向けて、アルデラートはそっと手を差し出した。
「さぁ、会場で皆ぬさまが美しい花嫁の登場をお待ちだ。行こうか私の花嫁さん?」
「えぇ。私の素敵な花婿様。」
ゴーンゴーンと教会の鐘が鳴る。
これからの幸せを確信させる鐘の音が。




