第七章 聖愛なる簒奪
歌舞伎町の汚いアスファルトに激突して肉塊になるはずだった私の体は、温かい黄金の光に包まれて無傷で着地した。空を覆い隠すほど巨大で無機質な美しい顔が、口を開き名乗り、そして宣言した。――大天使ミカエル様。それが、私の命を救い、この世界を「幸福」にする宣言した新しい存在の名だった。
それから数ヶ月が経ち、ミカエル様のおかげで世界は一変していった。ミカエル様がどんな願いも叶えると宣言した通り、私のどんな俗っぽいわがままもすぐに叶えてくれた。まず願ったのは、左手首に無数にあった醜いリスカの傷跡を消すこと。それから、使い切れないほどの金。他にもたくさん願った。でも、そうやってミカエル様が私を幸せにしてくれるほど、私はむず痒い気持ちになった。だって私は、ミカエル様に何もしてあげる事が出来てないから。
ミカエル様は金なんか求めていないし、世間の女の子たちがこぞって芸能人級のビジュ変を願い、SNSに写真をアップしてても、見向きもしてなさそうだった。
「どんな子がタイプなのかな。」
私は鏡を見つめ、そっと胸の前で手を組んだ。
「どうか、私を……ミカエル様の好きな見た目にしてください。」
一瞬の光の後、鏡に映っていたのは、人間離れした造形の美女になった私だった。ただ美しいだけじゃない。どこか人形のような、無機質で対称的な美しさ。あの日見上げていたミカエル様のご尊顔に、どことなく少し似ていた。
自分のビジュに関する願いを叶えた人々は皆、大抵は似通った見た目へと変貌していった。ミカエル様に好かれる見た目をしているのは私だけ、これが他のどんな願いよりも叶えられて幸せだった。
そんなある日。何気なく開いたSNSのタイムラインで、私は見つけてしまった。
《ミカエルまじ神w とりあえず一億ゲットしたから、リッツ・カールトンのスイート一ヶ月貸し切ったわ!》
見覚えのあるアカウント。元担当のハルトだった。添付された写真には、高級ホテルのシモンズベッド。ドンペリニョンのボトル。そしてハルトの腕に抱かれて笑う、あの女。
また頭の中が、ブチッという嫌な音がした。みぞおちの辺りから、初めてEVEでODをした時のような真っ黒でドロドロとした何かがせり上がってくる。私が処女を売って、内臓を吐き出しそうになりながら稼いだ金を騙して奪ったあげく、ミカエル様の尊い権能を消費して、幸せになっている?
「……許せない。」
ギリッ、と奥歯が鳴った。ハルトへの未練や嫉妬じゃない。これはもっと根源的な、神聖なものを穢された怒りだった。あんな下衆な連中に、ミカエル様の権能を都合よく使わせるわけにはいかない。ミカエル様が穢されてしまう。私はスマホを強く握りしめ、仄暗い念を込めて、ある異質な願いを放った。
「ミカエル様の権能を、私を苦しめたあんな奴らに使われたくない。お願い、あいつらが一生ミカエル様を汚せなくなるように、権能の使用権を奪い取って。」
自分を満たすためじゃない、他者の権能の使用を禁じミカエル様にお返しするための願いだった。それがまさか、こんな事になるなんて、その時の私は思ってもみなかった。
数秒後。ハルトの画面をリロードすると、さっきまでの浮かれた投稿が消え、新しいポストが更新された。
《え、嘘だろ? 口座にあった金が急に消えたんだけど。》
《おい、なんかミカエルに願っても何も起きなくなったんだけど!?》
彼らが手に入れた富も、未来の願いの権利も、すべてが剥奪された。飛び降りたあの夜、果たせなかったあいつらを絶望させるという復讐を、私は達成した。背筋がゾクゾクするほどの興奮が全身を駆け巡った。だが、本当に恐ろしかったのは、その直後だった。
私の中に、今まで感じたことのない異質な力が流れ込んでくるのを感じた。ミカエル様の権能は万能ではない。願いが大きいほど、次に願えるまで長い時間待たなければならないという法則がある。しかし今、私の中に、ハルトとあの女が持つはずだった権能の使用権が加算されたのが、はっきりと分かった。私は、二人の使用権を奪い取り自分のものにしてしまったのだ。
「願えば……人の使用権をも奪い取れるの?」
ミカエルの権能の効果的な使用法について、SNSやネットではよく出回ってた。でも、こんな事はまだ聞いたこともなかった。きっと誰も気づいていないのだ。このミカエル様の権能の裏側に触れる方法を。この力を、他の誰かが気づいて使ったら?ミカエル様の権能が、私以外の誰か相応しくない奴に支配されて、悪用されてしまうかもしれない。
「そんなこと、絶対に許さない。」
私は二度目の大願を口にした。すでに二人分の時間をストックし、制限という鎖が外れている私には、この無茶な願いが通る確信があった。
「ミカエル様。人の権能の使用権を奪う願いを叶えられるのは、世界で私だけにして。ミカエル様の権能を、相応しくない奴らに乱用されて穢されないように、私が守るから。」
それから、私は下劣なことに権能を使用してる人を見つけては奪い取り、自分のものにしていった。奪い取った何人分もの使用権を使い、私は普通の人一人分の使用権では叶えられない願いも次々と叶えていった。逆に、大きな願いを叶えてしまい次を願えず困っている者や、一度奪い取ったものの心変わりをし、ミカエル様の偉大さを再認識した人には、使用権を代行したり、付与してあげたりした。
そして一年が経つ頃には、私が施しをした人々からはイヴ様と慕われ、ミカエル崇拝派からは信託者として絶大な支持を集める存在へとなっていた。一方で、かつてのハルトのように権能の使用権をもつに相応しくない者たちは、得てして身の丈に合わない願いを叶えてしまい消滅したり、一度叶えたきり二度と使えずに貧しく生きたりするなどして、ミカエル様にあろうことが恨みや反感を抱くようになっていた。その上、一度もミカエル様に授けていただいた権能を使用せず放置する者までいる始末だった。
私は次第に使命感に駆られていった。誰かが、せっかく授けていただいたミカエル様の権能の使用権を管理しなければならないのだと。そして、ついにはニューヨークでテロが起きてしまうのだった。
私はいちばんミカエル様を愛している。だからこそ、ふさわしくない者に光を与えないことは、ミカエル様が幸せにすると誓っていただいたこの世界の人々を守ることにつながるのだ。だから私は世界に向けて宣言した。適切な権能使用を支援し、秩序を維持するための組織。人類神聖統治同盟『ADAM』の設立を。ミカエル様が、幸せにしてくださるのに相応しい世界を私が貢ぐ。
そして私は、いつかミカエル様が私に振り向いてくれる日を、ずっと夢見て待っている。




