第二章 公平な幸福
大天使ミカエル……?どんな願いも叶えてくれる……?そんな夢のようなことが本当にあり得るのか。私は半信半疑になりながらも、興味本位でまず試しに、この重苦しい二日酔いが辛いので、体の怠さを消してください、と心に願ってみた。すると、さっきまで体や頭を蝕んでいた二日酔いによる頭痛や吐き気、倦怠感が嘘のように消え去った。それだけではなかった。ここ数年ずっと慢性的に感じていた疲労感や肩こりなどもなくなった。まるで社会の地獄さを全く知らなかった無垢な子供時代の頃のように、全く疲労感を感じない元気な身体になった。
「嘘。本当に?まじで軽くなったんだけど……。」
試しに世間の反応も見てみようと思ってスマホを開いてみると、みんな口々に、口座に100万円振り込まれた、とか、好きだった彼から連絡が来てデートにいくことになった、とか、そういったミカエルに願ったことによる幸せな報告が溢れかえっていた。どうやら本当に、大天使ミカエルは、宣言通り私たちを幸福にしてくれるらしい。正直寝起きだったこともあり、まだ若干夢見心地な気分だった私は、未だに現実味を感じられずにいた。いきなり願いを叶えてくれると言われても、他に願いたいことがすぐには思いつかなかったので、とりあえず今日はゆっくりと考えるため、出勤を休みたいという連絡をお店に入れてみた。すると、店の黒服からは、こんな状況下なので、そもそも無期限で休業することになる、と伝えられた。しばらくはニート生活になりそうだった。
あれから数日が経過して、ミカエルについての色んな情報が出回り始めた。まずミカエルの権能とやらは、どうも万能というわけではないらしい。基本的には、同時に複数ではなく一度に一つずつしか願いを叶えてくれないらしい。そして、大きな願いを叶えてもらうほど、次の願いを叶えれるようになるまでは、長い間待たなければいけなかった。例えば大金持ちになった人は、まだ次の願いを叶えられずにいた。逆にもっと小さな願い、例えば今夜の夕食を用意して、足りない日用品を補充して、くらいの願いであれば、1日に何度か叶えてくれるらしい。
案の定、SNSではミカエルのことがたくさんトレンド入りしていた。
「#ミカエルに願おう」
「#大天使ミカエル万歳」
SNSは、叶った願いのシェアで溢れかえっていた。こんなことまで願えるの?みたいな、願い方のコツみたいな投稿もバズっていた。前みたいに誰かを叩いたり陰口を叩く人は少なくなった。昔なら嫉妬するような誰かの投稿も、今や自分もそれを望めば叶うようになったからだった。
そして数ヶ月が経った。少し前まで内気で陰キャだった人は、今日では細マッチョなイケメンになってモテまくった。引きこもりがちだった人は、見違えるように元気になり世界中に旅行に行けるようになった。私と同じくらいの女の子たちは、ハイブランドのアイテムを沢山手に入れて、見違えるように皆んな芸能人レベルの美貌に変身し、これ見よがしに沢山写真をSNSにアップし続けていた。
私はというと、鼻を少し高くして、お腹と太ももを痩せさせて、2億円が欲しいと願った。汚かった部屋を整えて、狭い1LDKから2LDKに引っ越して、飼いたかった真っ白なモフモフの猫が我が家に来るように願った。少し前まで喉から手が出るほど欲しかった色んなもの、やりたかったことがいとも簡単に叶っていくことが、夢みたいだった。退屈だった毎日の悩みや嫌な仕事のストレスはすっかりなくなった。将来の不安なんてもう全くないし、やりたくもない仕事を毎日続ける必要もない。どんなものも望めば手に入るし、やりたいこともあらかたなんでも出来る世界が訪れた。そう、大天使ミカエルのおかげで。
でも何故だろう。いつも押し殺してるはずの、この心の穴から溢れ出すゾワっとした空虚感が、日に日に増していった。もう何も悩みなんてなくなったはずなのに、それでも毎日ズキズキと、この心の穴は大きくなっているのを感じた。
そしてミカエルが現れてから1年が経った。街は、きれいな建物、高級車で溢れかえり、街行く人たちは皆んなまるでミカエルのように無機質で美しくも似通った見た目になっていった。皆が互いに莫大な富で豪遊し交流し、笑顔や笑い声で溢れかえっていた。ミカエルが現れる前の人がこの世界を見たら、きっと天国と呼ぶに違いない、そう思えるほどに世界は煌びやかになっていった。
そしてこの天国のような全てが叶うミカエルの権能の元創り上げられた新しい世界で、私はひっそりと心の穴に宿る虚無感に苛まれていきながら、幸福に溺れた。