第七章「魔法ギルドの内部事情〜前世の経験が活きる職場改革〜」
「ラヴィル、もう一人前の魔法職人だ。そろそろギルドに登録したらどうだ?」
フェルド師匠の工房で二年の修行を経た十八歳のラヴィルは、作業の手を止めて師匠を見上げた。彼の開発した生産方法は今や工房の標準となり、マイヤー工房の名は地方都市クラウンフォードの枠を超えて知られるようになっていた。
「ギルド、ですか?」
「ああ。クラウンフォード魔法ギルドだ。登録すれば、より大きな依頼を受けられるようになる。報酬も上がるし、他の魔法職人との交流も広がる」
ラヴィルは少し考え込んだ。前世では業界団体への加入が出世の近道だったが、同時に派閥争いや政治的な駆け引きも多かった。
「ギルドには...どんな人たちがいるんですか?」
フェルドは髭をなでながら答えた。
「様々だな。伝統を重んじる古参の魔法職人もいれば、新しい魔法理論を追求する若手もいる。時々派閥争いもあるが、基本的には互いに尊重し合っている」
派閥争い——前世の会社でもよくあったことだ。ラヴィルは内心、少し警戒した。
「考えてみます」
「そうか。ただ、君の才能はもっと広い舞台で認められるべきだと思うんだがな」
*
結局、ラヴィルはギルド登録を決意した。これも自分の成長のためだと考えたのだ。
クラウンフォードの中心部に建つ魔法ギルドの建物は、三階建ての立派な石造りで、至る所に魔法の装飾が施されていた。入り口には「魔法は生活のために、生活は魔法のために」という標語が掲げられている。
「いらっしゃいませ、魔法ギルドへようこそ」
受付で出迎えたのは、銀色の長い髪を持つ美しい女性だった。知的な輝きを湛えた青い瞳と、凛とした立ち振る舞いが印象的だ。
「あの、登録に来ました」
ラヴィルが名乗ると、女性の目が大きく見開かれた。
「まあ!マイヤー工房のラヴィルさんですか?あなたの氷結晶の技術は噂に聞いていました」
「え、そんなに知られているんですか?」
女性は微笑んだ。
「ええ、特に魔力効率が良いと評判です。私はアイリス・シルヴァーウィンド、ギルド長の秘書を務めています」
アイリスは丁寧に書類を取り出し、ラヴィルの登録手続きを始めた。
「魔力測定もさせていただきますね」
測定器に手を置くと、前回と同様に数値が急上昇した。今回は「412」で止まった。
「これは...!」アイリスは驚きの表情を隠せない。「成長期でこの魔力量は並外れています」
ラヴィルは少し照れながら頷いた。村での測定から五年、魔力は着実に増していた。
「失礼ですが、王立魔法院からの誘いは?」
「ありました。でも断りました」
「そうですか...」アイリスは興味深そうにラヴィルを見つめた。「不思議な方ですね。多くの若者は魔法院からの誘いを喜んで受けるのに」
「自分のペースで学びたかったんです」
「素敵な考え方です」アイリスは微笑み、さりげなく質問を重ねた。「お住まいは?好きな食べ物は?恋人は?」
「え?それも登録に必要なんですか?」
「いいえ、個人的な興味です」アイリスは少し頬を赤らめた。
登録手続きが終わり、ギルドバッジを受け取ったラヴィルは、アイリスに案内されてギルド内を見学することになった。
*
「こちらが依頼掲示板です。ギルド会員は自分のランクに合わせて依頼を受けられます」
広々とした一階ホールには、多くの魔法職人たちが行き交っていた。掲示板の前では、いくつかのグループが依頼内容を検討している。
「新人か?」
突然、低く渋い声がラヴィルの背後から聞こえた。振り返ると、五十代と思われる厳格な表情の男性が立っていた。灰色の長髪を後ろで束ね、伝統的な魔法職人のローブを身につけている。
「はい、今日登録したばかりです」
「私はヴァイス・オルデン、上級魔法職人だ」
男は自己紹介すると、鋭い目でラヴィルを観察した。
「君が噂のラヴィル・マイヤーか。魔力を螺旋状に流す技術を開発したというのは本当か?」
「はい、そうです」
「ふむ...伝統的な魔法の流れとは異なるアプローチだな。興味深い」
ヴァイスの言葉には批判的なニュアンスが混じっていたが、純粋な興味も感じられた。
「ヴァイスさんは保守派の代表格なんです」アイリスが小声で補足した。「伝統的な魔法技術を守ることを重視されています」
その時、別の声が割り込んできた。
「新しいアイデアを批判ばかりしていては進歩がないだろう、ヴァイス」
明るい声の主は、二十代前半の若い男性だった。鮮やかな赤褐色の髪と緑の瞳が印象的で、カジュアルな魔法使いの服装をしている。
「レオン・ファイアハート、中級魔法職人だ。よろしく、ラヴィル」
レオンは親しげに手を差し出した。
「レオンさんは革新派の中心人物です」アイリスが再び小声で説明した。「新しい魔法理論の研究に熱心で、若手の間で人気があります」
ラヴィルは二人の間に漂う緊張感を感じ取った。明らかに対立する立場の二人だ。前世の会社でもよくあった光景—守旧派と改革派の対立。
「君の螺旋魔力理論に興味がある」レオンが続けた。「今度、詳しく教えてくれないか?」
「いや、その前に伝統的な魔法の基礎を学ぶべきだ」ヴァイスが割り込んだ。「私のもとで古典魔法を学ばないか?」
二人からの誘いに、ラヴィルは戸惑った。前世でも部署間の引き抜きや派閥への勧誘はよくあったことだ。
「ありがとうございます。両方から学ばせていただければ幸いです」
外交的な返答に、二人は少し驚いた様子だった。
「面白い若者だ」ヴァイスが言った。「自分の道を持っているようだな」
「そうだな」レオンも同意した。「期待しているよ、ラヴィル」
二人が去った後、アイリスはホッとした表情でラヴィルを見た。
「見事な対応でした。あの二人が同時に興味を示すなんて珍しいことです」
「派閥争いは激しいんですか?」
「ええ、特に最近は。伝統を守るべきか、革新すべきかで意見が分かれているんです」
アイリスの説明を聞きながら、ラヴィルは前世の会社の派閥争いを思い出していた。
*
ギルド登録から一週間、ラヴィルは初めての依頼を無事に完了させた。街の魔法照明の効率改善というシンプルな仕事だったが、彼の革新的なアプローチが評価され、依頼主から高い評価を得た。
「素晴らしい成果報告です」
ギルドに戻ったラヴィルを、アイリスが明るい笑顔で迎えた。
「ありがとうございます」
「実は...これ、手作りの魔力回復ドリンクです」
アイリスは少し照れながら小瓶を差し出した。
「私のために?ありがとうございます」
ラヴィルが受け取ると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「お役に立てれば。それと、もしよければ、今度の休日に町の新しいカフェに行きませんか?」
その誘いに、ラヴィルは少し驚いた。前世では仕事に追われ、恋愛らしい恋愛もせずに終わってしまった。この世界では違う人生を歩めるのかもしれない。
「喜んで」
アイリスの顔が明るく輝いた。
*
それから数週間、ラヴィルはギルドでの活動を通じて様々な魔法職人と交流を深めていった。ヴァイスからは古典魔法の奥義を、レオンからは最新の魔法理論を学んだ。両派の知識を吸収することで、彼自身の魔法技術も進化していった。
アイリスとの関係も徐々に深まり、休日にはカフェでお茶をしたり、市場を散策したりするようになった。彼女の聡明さと優しさに、ラヴィルは前世にはなかった感情を抱き始めていた。
しかし、ギルドでの日々を通じて、ラヴィルは気になる問題にも気づき始めていた。
「みんな、遅くまで残っていますね」
ある夕方、ラヴィルはギルドホールに残る魔法職人たちの疲れた表情を見て言った。
「ええ、納期に追われているんです」アイリスが答えた。「特に季節の変わり目は依頼が集中するので」
「でも、魔力を使い果たして倒れる人もいるんじゃ...」
「実際、先月も二人の職人が魔力枯渇で倒れました」
その言葉に、ラヴィルは前世の記憶がフラッシュバックした。過労で倒れる同僚、終わらない残業、そして自分自身の最期...。
「これは改善できるはずです」
「どういうことですか?」
ラヴィルは前世の「働き方改革」の知識を思い出しながら説明した。
「例えば、依頼の平準化。繁忙期に集中しないよう、オフシーズンの依頼には割引を適用するとか。あるいは、チーム制の導入。一人に負担がかからないよう、複数人で依頼を分担するとか」
アイリスは目を輝かせた。
「それは素晴らしいアイデアです!ギルド長に報告してもいいですか?」
「はい、ぜひ」
*
翌日、ラヴィルはギルド長室に呼ばれた。そこにはヴァイスとレオンも同席していた。
「ラヴィル君、君の提案に興味を持ったよ」
ギルド長のアルバート・クロフォードは六十代の温厚な老魔法使いだった。
「アイリスから聞いた『働き方改革』とやらの考え方は面白い。詳しく聞かせてくれないか?」
ラヴィルは前世で学んだ知識を基に、魔法ギルドに適した改革案を説明した。魔力の効率的な使用法、休息の重要性、チーム制による負担分散など。
「なるほど...」ヴァイスが考え込んだ。「確かに、伝統的な方法にも限界はある。職人の健康を守るのは大切だ」
「私は大賛成だ」レオンが熱心に言った。「新しい働き方で、より創造的な魔法研究が可能になる」
意外にも、対立する二人が同じ意見を持つという珍しい状況が生まれていた。
「では、ラヴィル君を中心に、『魔法ギルド働き方改革委員会』を設立しよう」ギルド長が宣言した。「ヴァイスとレオン、君たちも協力してほしい」
こうして、ラヴィルは思いがけず重要なプロジェクトのリーダーに任命された。
*
「すごいじゃないですか!」
ギルド長室を出たところで、待機していたアイリスが興奮した様子で駆け寄ってきた。
「まさか、改革委員会まで設立されるなんて」
「僕も驚いています」ラヴィルは正直に答えた。「ただ、魔法職人の健康を守りたいと思っただけなのに」
アイリスは真剣な表情になった。
「あなたは不思議な人ですね。普通、才能のある人は自分の出世や名声のためにそれを使うのに、あなたは他者のために使おうとする」
「前の...人生で学んだことです」
「前の人生?」
「あ、いえ、比喩的な意味で」
アイリスは少し不思議そうな顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「ともかく、私も全力でサポートします。秘書として、そして...」
彼女は少し言葉を詰まらせた。
「個人的にも、あなたのことを応援したいです」
その言葉に、ラヴィルは心が温かくなるのを感じた。
*
働き方改革委員会の活動は、徐々にギルド全体に変化をもたらし始めた。依頼の平準化システムの導入、チーム制の確立、適切な休息を促す魔力モニタリングなど、ラヴィルの提案は次々と実行に移された。
「魔力枯渇で倒れる職人の数が半減しました」
一ヶ月後の報告会で、アイリスが誇らしげに発表した。
「依頼の完了率も上がっています。質の向上も見られます」
ヴァイスとレオンも、それぞれの立場から改革の成果を認めていた。
「古き良きものを守りながら、新しい方法を取り入れる—これが真の伝統の継承というものだ」
ヴァイスの言葉に、レオンも同意した。
「イノベーションは破壊ではなく、進化であるべきだ。ラヴィル、君から多くを学んだよ」
二人の関係も、以前より協力的になっていた。
ラヴィルは、前世では決してできなかったことを成し遂げつつあった。才能を搾取されるのではなく、皆のために活かすこと。過労死という悲劇を繰り返さないために、システムそのものを変えること。
「これからも頑張りましょう」
アイリスが彼の横に立ち、そっと手を握った。彼女の温かさに、ラヴィルは確信した。
この世界では、違う道を歩める。才能を活かしながらも、健全なバランスを保った人生を。
しかし、彼の成功は新たな注目も集めていた。王都からの視線が、再び彼に向けられ始めていた...