第六章「見習い期間スタート〜魔法技術を教えたら師匠が定時で帰り始めた〜」
「本当に行くのか?」
十六歳になったラヴィルの前に、荷物を手に立つガレスとアイラの表情は複雑だった。三年前の魔力測定以来、王国からの誘いは毎年続いていたが、ラヴィルは頑なに拒否し続けていた。
しかし今、彼は別の道を選ぼうとしていた。
「うん、行くよ。フェルド師匠のところで修行してくる」
フェルド・マイヤーは、半年前に村を訪れた魔法商人だった。様々な魔法道具を扱う彼は、ラヴィルの氷魔法に興味を示し、弟子にしたいと申し出たのだ。
「マイヤー商会は王都でも有名だからな。いい機会だと思う」
ガレスは息子の肩を叩いた。
「でも、気をつけてね。無理はしないで」
アイラの目には涙が光っていた。ラヴィルは母を優しく抱きしめた。
「大丈夫、今度は自分のペースでやるから」
「今度は?」
アイラの言葉に、ラヴィルは小さく笑った。
「何でもない。行ってくるよ」
村の入口では友人たちが見送りに集まっていた。トムは少し照れくさそうに手を差し出した。
「都会で成功したら、俺のことも雇ってくれよ」
「もちろん」
ラヴィルは友人と握手を交わし、最後に村を振り返った。
ここで過ごした十六年。前世の記憶と比べれば、はるかに穏やかで幸せな日々だった。
しかし、彼の中にはもっと成長したいという欲求があった。前世では会社に縛られた成長だったが、今度は自分の意志で選んだ道だ。
*
「おお、来たか!待っていたぞ、ラヴィル」
ラヴィルが到着した地方都市クラウンフォードは、彼の村の十倍以上の規模があった。石畳の通りには様々な店が軒を連ね、魔法の灯りが夜になっても街を明るく照らしていた。
フェルド・マイヤーの工房は、市場に近い一角にあった。三階建ての建物の一階が店舗、二階が工房、三階が住居になっている。
「よく来てくれた。君の才能は無駄にしたくなかったからな」
フェルドは五十代と思われる、がっしりとした体格の男性だ。茶色の髭を蓄え、手には魔法職人特有の細かな傷跡が残っていた。
「これから一緒に働こう。まずは見習いとして基本を教えるが、君ならすぐに一人前になれるだろう」
ラヴィルは丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします、師匠」
「さて、まずは店の説明からだ」
フェルドは彼を店内へと案内した。棚には様々な魔法道具が並んでいる。氷を生み出す結晶、部屋を温める暖石、光を放つランタンなど、日常生活を便利にする魔法アイテムばかりだった。
「うちは実用魔法道具を専門にしている。派手な攻撃魔法や高級魔術品は扱わないが、その分、一般市民に広く使われているんだ」
フェルドの説明は、前世のニッチ市場を狙う中小企業の戦略に似ていた。ラヴィルは興味深く聞き入った。
「今日からここが君の家だ。二階の奥に部屋を用意してある。休日は週に一日、給金は月に銀貨15枚。どうだ、条件は悪くないだろう?」
週休一日——前世の日本より少ないが、魔法院の月三日よりはマシだ。給金も村での生活に比べれば悪くない。
「ありがとうございます」
「では明日から仕事だ。朝の日の出から夕方の日没までな」
*
「この氷結晶は何度まで下げられるんですか?」
見習い三日目、ラヴィルは作業台で魔法アイテムの製作を手伝いながら質問した。
「通常は周囲の温度から15度ほど下げる程度だ。それ以上は魔力の消費が激しくなる」
フェルドの説明に、ラヴィルは考え込んだ。
「でも、魔力の流れ方を変えれば、もっと効率よく冷やせるかもしれません」
「ほう?どういうことだ?」
ラヴィルは前世の熱力学の知識を思い出しながら説明した。
「魔力を螺旋状に流すと、同じ量でも冷却効果が高まります。前に...村で試したことがあります」
フェルドは興味を示し、ラヴィルに実演を促した。ラヴィルは手のひらに結晶を置き、魔力を注入した。通常の直線的な流れではなく、渦を巻くように魔力を流す。
結晶が青白く輝き、周囲の温度が急速に下がった。
「おお!確かに効果が違う」
フェルドは驚いた表情で結晶を調べた。
「これは...通常の1.5倍の冷却効果がある。同じ魔力量なのに」
「熱の交換効率が良くなるんです。前世...じゃなくて、以前考えた理論です」
ラヴィルは思わず「前世」と言いかけて慌てた。しかし、フェルドは結晶に夢中で気づかなかった様子だ。
「これは素晴らしい。他の魔法道具にも応用できるかもしれない」
その日から、ラヴィルの地位は単なる見習いから、商品開発の助手へと変わった。
*
一ヶ月が経ち、ラヴィルの改良した魔法道具は次々と商品化されていった。魔力効率の良い暖石、長持ちする照明クリスタル、使用時間が三倍になった浄水石など、彼のアイデアは商品の質を飛躍的に向上させた。
「売り上げが三割増えたぞ!」
フェルドは嬉しそうに帳簿を見せた。
「これも君のおかげだ。報酬を上げよう。銀貨20枚にするぞ」
「ありがとうございます」
ラヴィルは素直に喜んだ。前世では成果を上げても、「それが君の仕事だ」と言われるだけだった。努力が正当に評価されるのは気持ちが良い。
しかし、成功には代償も伴った。注文が増え、二人の工房は日に日に忙しくなっていった。
「ラヴィル、明日までにこの暖石を50個作れるか?大口注文が入ったんだ」
フェルドが作業台に図面を広げながら言った。
「50個ですか...」
通常、一日に作れるのは10個程度。それを一日で50個というのは、かなりの無理があった。
「難しいでしょうか?」
「いえ...やってみます」
前世の習慣で、つい引き受けてしまった。フェルドは申し訳なさそうに笑った。
「すまないな。でも、君なら何か良い方法を思いつくと思ってね」
*
夜遅く、工房に一人残ったラヴィルは頭を抱えていた。
「このままじゃ、前世の二の舞だ...」
しかし、途中で投げ出すわけにもいかない。彼は前世のプロジェクト管理の知識を思い出し、問題を分析し始めた。
「一つ一つ作っていては間に合わない。何か効率化できる方法は...」
そこで彼は思いついた。
「そうだ、製造工程を分解して、一度に複数作れるようにすればいい」
前世の工場での生産ライン方式だ。ラヴィルは魔力を使って、工房内に複数の作業場を設置し始めた。
まず、石の準備→魔力回路の刻印→魔力注入→仕上げという工程を分け、各段階で複数の石を同時に処理できるようにした。
さらに、魔力注入の際に前世の「バッチ処理」の考え方を取り入れ、複数の石に一度に魔力を流せるよう工夫した。
朝方、フェルドが工房に入ってきたとき、彼は驚きの声を上げた。
「これは...!」
作業台の上には、きれいに並べられた60個の暖石があった。ラヴィルは疲れた顔で笑った。
「少し多めに作りました」
「どうやってこんなに...?」
ラヴィルは自分の効率化手法を説明した。フェルドは熱心に聞き入り、メモを取りながら頷いていた。
「これは革命的だ!こんな製造方法、今まで誰も思いつかなかった」
しかし、フェルドの喜びとは裏腹に、ラヴィルは疲労で顔色が悪かった。魔力を使いすぎたのだ。
「ラヴィル、具合が悪いのか?」
「少し、魔力を使いすぎました...」
フェルドは慌てて彼を椅子に座らせ、回復薬を飲ませた。
「すまない、無理をさせたな」
そして、彼は真剣な表情で言った。
「これからは、こんな無理はさせない。今日は休みなさい。それに...」
フェルドは少し考えてから続けた。
「この生産方法を標準化しよう。そうすれば、一人に負担をかけずに効率よく作れる」
ラヴィルは驚いた。前世なら「効率化できたなら、もっと生産しろ」と言われるところだった。
*
それから一週間、フェルドとラヴィルはラヴィルの考案した生産方法を改良し、工房全体の仕組みを変えていった。
そして驚くべきことに、生産効率が上がった結果、二人の労働時間は減っていった。
「ラヴィル、今日はもう終わりにしよう。日が沈む前に帰れるぞ」
フェルドが早めに片付け始めた。
「えっ、でもまだ注文が...」
「大丈夫だ。君のシステムのおかげで、明日の午前中には終わる。無理して夜遅くまでやる必要はない」
ラヴィルは信じられない思いで師匠を見つめた。
「でも、もっと作れば、もっと売り上げが...」
フェルドは笑いながら首を振った。
「売り上げも大事だが、健康あっての商売だ。それに...」
彼は窓の外を指さした。
「見てみろ。あんな美しい夕焼けを見る時間も持てずに、何のための商売か」
その言葉に、ラヴィルの胸に温かいものが広がった。
「師匠...」
「さあ、今日は早めに上がって、市場の食堂に行こう。私のおごりだ」
フェルドは弟子の肩を叩いた。
「効率化は、もっと働くためじゃない。より良く生きるためなんだよ」
村で両親から教わった言葉と同じだった。前世では聞くことのなかった言葉。
ラヴィルは深く頷いた。
「はい、師匠」
その夜、市場の賑わいの中で、師弟は美味しい料理と酒を楽しんだ。ラヴィルの心は穏やかだった。
もしかしたら、この世界では違う生き方ができるかもしれない。才能を活かしながらも、過労死することなく、バランスの取れた人生を。
しかし、彼の評判は少しずつ広がりつつあった。その才能に目をつける者たちが現れるのも、時間の問題だった...