表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/39

第一章「魔力を持つ赤子〜前世の記憶と新しい家族〜」

生まれてから三ヶ月が経った。


ラヴィルはベッドの上で小さな手を見つめていた。指を一本一本動かす。これだけの単純な動作すら、新生児の体ではままならない。


「こんなに小さな体で、三十二年分の記憶を抱えるなんて」


心の中でつぶやく。声に出せば、ただの赤子の泣き声になるだけだ。


窓から差し込む朝日が、部屋の中を優しく照らしていた。前世とは違う太陽の光。少し青みがかっていて、空気中には常に細かな光の粒子が舞っている。


魔力——この世界特有のエネルギーだ。


「ラヴィル、起きてる?」


母親のアイラが部屋に入ってきた。柔らかな栗色の髪を編み上げ、青い目が優しく微笑んでいる。ラヴィルは小さな手を伸ばした。


「もう、朝から元気ね」


アイラはラヴィルを抱き上げ、頬ずりをする。その感触に、ラヴィルは安心感を覚えた。


前世——坂口慎一としての人生では、こんな風に母親に抱きしめられた記憶が薄い。いつも忙しく働いていた母親。そして自分も社会人になると、帰省する時間すら惜しんで働いていた。


「おはよう、わが息子よ」


ドアから入ってきたのは父親のガレス。たくましい体格に、短く刈り込んだ黒髪。左頬には細い傷跡がある。


「今日も畑は忙しいぞ。早く大きくなって手伝ってくれよ」


ガレスは笑いながら言った。彼はこの村で農業を営んでいる。小規模だが、魔力を少し扱える彼は、作物の生育を助ける簡単な魔法で収穫量を増やしていた。


「あなた、まだ赤ちゃんなのに」


アイラが軽く夫を叱る。


「冗談だよ。でも、このお嬢さんからも魔力を感じるからな」


ガレスはラヴィルの額に軽く触れた。その指先から、温かいものが流れ込んでくる感覚。


「生まれた時から魔力が強いって、村の長老も言ってたわね」


アイラの声には少しの不安が混じっている。


「心配するな。俺たちがしっかり育てる。魔法院なんかに取られるもんか」


ガレスの言葉に、ラヴィルは内心ほっとした。生まれた直後に老人——村の長老が言っていた「魔法院」という言葉が気になっていた。どうやら魔力の強い子供を集める機関らしい。


ラヴィルはまだ赤ん坊だが、前世の記憶と知恵は残っている。社畜として過ごした日々。終わりのない残業。過労で倒れた最期。


「この世界でも、また似たような生活を送ることになるのか」


そう考えると、恐ろしかった。



「おい、見てみろ!」


生後八ヶ月のある日、ラヴィルが這い這いをしている最中、不思議なことが起きた。小さな手から青白い光が漏れ出し、床に触れた場所から小さな氷の結晶が生まれた。


「氷系統の魔力か!」


ガレスが驚いた表情で叫ぶ。アイラは急いでラヴィルを抱き上げた。


「まだ赤ちゃんなのに...こんなに早く」


「俺も少しは魔法が使えるが、こんな早くから才能を見せるなんて」


両親の驚きはもっともだった。ラヴィル自身も驚いていた。手から漏れ出した魔力——それは意図せずに起きたことだったが、不思議と自然な感覚だった。前世では決して感じられなかった力の流れ。


「この家の中だけの秘密にしておこう」


ガレスが真剣な表情で言った。


「魔法院の目に留まれば、すぐに連れていかれてしまう」


アイラは不安そうにラヴィルを抱きしめた。


「でも、いずれは...」


「その時はその時だ。今は俺たちの子として、普通に育てる」


ガレスの決意に、ラヴィルは安心した。前世では、会社のために才能を使い果たした。この世界では、自分のペースで成長したかった。



一歳の誕生日。


ラヴィルは窓辺に座り、外の景色を見ていた。小さな村は活気に満ちている。農民たちが畑を耕し、商人たちが荷車を引き、子供たちが走り回る。


「ラヴィル、お誕生日おめでとう!」


アイラが小さなケーキを持ってきた。上には一本の蝋燭が灯っている。


「さあ、火を消してごらん」


ラヴィルは前に傾いた。そして、深く息を吸い込み——


「うわっ!」


吹きかけた息と共に、白い霜が蝋燭を覆った。火はすぐに消え、ケーキの上には薄い氷の層ができていた。


「また魔力が...」


アイラは驚いたが、すぐに笑顔になった。


「あなたは特別な子ね」


その夜、家族三人で小さなお祝いをした。質素だが温かい食事。前世では、誕生日も残業で過ごすことが多かった。家族と祝うなんて、何年ぶりだろう。


ラヴィルは心地よい疲れと共に、揺りかごの中で目を閉じた。


この世界での生活は、まだ始まったばかり。前世の記憶は消えないが、新しい家族との日々が、少しずつその痛みを和らげていた。


「来世では...ゆっくり生きよう」


そう決めたはずだった。


だが、窓の外には広い世界が広がっている。そして、その世界もまた、様々な仕事と責任で満ちているのだろう。


ラヴィルは小さな拳を握りしめた。指先に、また魔力が集まるのを感じる。


今度は、自分のペースで。自分の選んだ道を。


前世の教訓を胸に、この世界で新しい一歩を踏み出すときが来るだろう。


でも今は、ただ家族との穏やかな時間を過ごそう。


仕事のことなど、もう少し先でいい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ