第十四章「抵抗の波〜漏れ出す秘密と広がる絆〜」
「魔力循環ネットワーク?馬鹿げた夢物語だ!」
クラウンフォード魔法学院の大講堂で開かれた説明会は、予想以上の波紋を呼んでいた。壇上でラヴィルが計画の概要を説明する中、聴衆席から厳しい声が上がった。
声の主は、高名な魔法理論家として知られるマグヌス・ヴェイルだった。白髪の長い髭を蓄え、古風な魔法使いのローブを身につけた彼は、学院の重鎮として絶大な影響力を持っていた。
「自然の摂理に反するこのような計画は、魔力の秩序を乱し、災厄を招くだけだ」
マグヌスの発言に、会場の一部からは同意の声が上がった。
ラヴィルは冷静に応じた。
「ヴェイル博士、この計画は龍族との共同研究に基づいています。自然の摂理に反するどころか、むしろ本来あるべき魔力の循環を取り戻す試みです」
「龍族?」マグヌスは鼻で笑った。「君が連れてきた『龍族』とやらが本物だという証拠はあるのか?」
その時、会場の後方から堂々とした足取りでアズランが進み出た。半龍の姿で現れた彼の威厳ある存在感に、会場は一瞬にして静まり返った。
「私がアズラン・スカイクロー、龍族評議会議長だ」
アズランの声は会場全体に響き渡った。
「『魔力循環ネットワーク』は、私自身がラヴィル・マイヤー殿と魂の共鳴を通じて創造した構想である。千年の龍族の知恵と、彼の独自の視点が融合した結果だ」
マグヌスは言葉を失い、顔を赤らめた。龍族の権威を真っ向から否定することは誰にもできなかった。
「しかし...理論的には...」彼は言葉を濁した。
「理論はすでに検証済みだ」リリアが壇上に立ち、魔法投影で複雑な計算式を展開した。「王立魔法院の最新研究とも一致している」
マグヌスは悔しげな表情を浮かべながらも、一時的に沈黙した。しかし、彼の目には明らかな敵意が宿っていた。
説明会の後、ラヴィルはアイリス、リリア、レオン、ヴァイスと共に小会議室に集まった。
「あれがアズラン様の言っていた『古き秩序の守護者』の一人かもしれませんね」
アイリスが窓の外を見ながら言った。
「マグヌス・ヴェイルは保守派の中心人物だ」ヴァイスが補足した。「彼の背後には『魔力保全協会』という組織がある。表向きは伝統的な魔法の保護を掲げているが、実態は魔力資源を独占したい権力者たちの集まりだ」
レオンが苦々しい表情で頷いた。
「私の革新的な魔法研究も、常に彼らの妨害に遭ってきた」
「警戒するべきですね」ラヴィルは思案顔で言った。「しかし、計画を止めるわけにはいきません」
リリアが彼の肩に手を置いた。
「私たちがいるわ。王立魔法院も全面的に支援するわ」
アイリスは少し不満そうな表情でリリアの手を見つめたが、すぐに気持ちを切り替えた。
「ギルドも総力を挙げて協力するわ。まずは予定通り、クラウンフォード周辺での小規模テストから始めましょう」
*
翌週、クラウンフォード郊外の丘で「魔力循環ノード」と呼ばれる装置の設置作業が始まった。ラヴィルの設計に基づき、リリアとレオンが技術的な側面を担当し、ヴァイスとギルドの職人たちが実際の制作を行った。
「これが第一ノードね」
リリアは青く輝く水晶のような装置を眺めながら言った。人間の背丈ほどの高さのその装置は、螺旋状の魔力の流れを内部に宿していた。
「うまくいけば、周辺の魔力を集め、浄化し、再び環境に還元する」ラヴィルが説明した。「過剰な魔力使用があっても、バランスを自動的に調整してくれる」
作業は順調に進み、一週間後には周辺の村々も含めた小規模な「魔力循環ネットワーク」が形成された。効果は即座に現れた。魔法使いたちの魔力回復が早まり、農作物の生育が促進され、自然環境全体が活性化したのだ。
「驚くべき成果です!」
エルフ区から訪れた代表者エレンディルは、感嘆の声を上げた。
「魔力の質が向上し、私たちの森との共鳴も強まっている。是非、エルフ区にもノードを設置させてほしい」
同様に、ドワーフのグロムハンマーも鍛冶作業における魔力効率の向上を報告し、獣人評議会のレオナも獣人特有の魔力感応能力が高まったと証言した。
成功の報せは、妖精の森エバーグロウにも届いた。
「ラヴィル!」
ある日、青い光に包まれて現れたのは、妖精のルナだった。彼女は喜びに満ちた表情で、小さな翼を羽ばたかせながらラヴィルに駆け寄った。
「魔力循環ネットワークの効果が森にまで届いているわ!魔力枯渇に苦しんでいた妖精たちが回復し始めたの」
ルナの報告に、ラヴィルは心から喜んだ。彼の改革が、目に見える形で多くの種族の助けになっているという事実に、深い達成感を覚えた。
「ルナ、久しぶり」彼は微笑んだ。「元気だった?」
「ええ!あなたの贈り物のおかげで、もっと遠くまで飛べるようになったの」
ルナは喜びを隠さなかったが、その時、アイリスとリリアが近づいてきた。
「あら、妖精族の方?」アイリスが少し警戒心を込めた表情で尋ねた。
「ルナよ。ラヴィルの友達」彼女は誇らしげに答えた。「エバーグロウで会ったでしょ?」
「いいえ、私は行ってないわ」アイリスの声には明らかな嫉妬心が混じっていた。
「あなたがルナ」リリアは冷静に、しかし鋭い視線で妖精を観察した。「ラヴィルと『特別な絆』で結ばれているという...」
空気が張り詰める中、ラヴィルは慌てて仲裁に入った。
「ルナは前世の...つまり、私の秘密を理解してくれた最初の人なんだ」
三人の女性は、それぞれの思いを胸に秘めながらも、表面上は友好的な会話を続けた。しかし、その場の微妙な緊張感は誰の目にも明らかだった。
*
成功の陰で、反対勢力の動きも活発化していた。ある朝、クラウンフォードの街中に貼り出された告示が大きな騒ぎを引き起こした。
『警告:「魔力循環ネットワーク」の危険性について』
告示には、ネットワークが引き起こす可能性のある「魔力暴走」「環境破壊」「種族間の魔力格差拡大」などの根拠のない主張が並べられていた。
さらに衝撃的だったのは、その最後の一文だった。
『このプロジェクトの提唱者ラヴィル・マイヤーは、「別の世界から来た者」という噂がある。その正体と真の目的を問わねばならない』
ラヴィルの秘密が、歪んだ形で公になり始めていた。
「これは...」
告示を見つめるラヴィルの表情は硬かった。前世の記憶は、ルナの結晶とアズランとの儀式のおかげで以前ほど苦しみをもたらさなくなっていたが、それが公になることは別問題だった。
「マグヌスの仕業だろう」レオンが怒りを露わにした。
「でも、どうやって情報を?」アイリスは困惑していた。
リリアが思案顔で言った。
「儀式の内容を知っていたのは限られた人々だけ。情報源を特定する必要があるわ」
心配をよそに、ラヴィルは静かに告示を見つめていた。
「隠し続けるつもりはなかった」彼は穏やかに言った。「むしろ、これを機に正式に公表しよう」
「え?」三人は驚きの声を上げた。
「私が前世で過労死した経験を持つこと、その経験を基に魔力過労防止と循環システムを提案していること—全てを正直に話そう」
ラヴィルの決断に、仲間たちは不安と敬意が入り混じった表情を見せた。
「本当にいいの?」アイリスが心配そうに尋ねた。
「ああ。隠し事をしているから、歪曲された情報が広まる。真実を語れば、少なくとも誠実さは伝わるはずだ」
その日の午後、ラヴィルはギルドホールで公開説明会を開いた。噂を聞きつけた多くの市民、魔法使い、そして様々な種族の代表者たちが集まっていた。
壇上に立ったラヴィルは、深呼吸をして話し始めた。
「私の名はラヴィル・マイヤー。そして、私は確かに『別の世界』から来ました」
会場にどよめきが広がった。
「前世では、私は『日本』という国で『会社員』として働いていました。毎日深夜まで働き、休日も返上し、最終的には『過労死』という形で命を落としました」
彼は前世の記憶、社畜としての日々、そして最期の瞬間まで、率直に語った。そして、この世界に転生し、同じ悲劇を繰り返さないために「魔力過労防止令」を提案するに至った経緯を説明した。
「『魔力循環ネットワーク』は、私の前世の経験と、龍族の古代知識が融合して生まれたものです。誰かを害するためではなく、すべての種族が健やかに働き、生きるための基盤として構想しました」
ラヴィルの誠実な告白に、会場は静まり返っていた。多くの人々の目には、驚きと共感の色が浮かんでいた。
「私の前世や目的について疑問があれば、何でも答えます。隠し事はもうしません」
会場からは様々な質問が飛び交った。前世の技術、文化、そして「過労死」という概念について。ラヴィルは一つ一つ丁寧に答えていった。
説明会の後、予想外の訪問者がラヴィルを待っていた。マグヌス・ヴェイルだった。
「なかなか感動的な物語だったよ、ラヴィル君」
彼の声には皮肉が混じっていたが、以前ほどの敵意は感じられなかった。
「あなたは告示を貼ったのですか?」ラヴィルは直接尋ねた。
「私は真実を求めただけだ」マグヌスは肩をすくめた。「そして君は予想以上に正直に答えてくれた。敬意を表するよ」
「では、これからは『魔力循環ネットワーク』に反対しないでくださいますか?」
マグヌスは笑った。
「そうは言っていない。私は依然として、この計画にはリスクがあると考えている。しかし...」彼は一瞬考え込んだ。「小規模実験の結果を見守るつもりだ。証拠に基づいて判断しよう」
それは完全な勝利ではなかったが、対話の余地が生まれたことは大きな進展だった。
*
公開説明会から一週間が経ち、クラウンフォード周辺の「魔力循環ネットワーク」は順調に機能を拡大していた。第二段階として、シルバーリーフへの拡張が計画され、エルフ、ドワーフ、獣人の代表者たちとの協議が始まっていた。
「各種族の特性に合わせたノードの調整が必要です」
ラヴィルは会議室に集まった種族代表者たちに説明した。
「例えば、エルフ区には自然との調和を重視したデザイン、ドワーフ区には鍛冶作業の魔力消費を補うための強化型、獣人区には彼らの感応能力を活かした感知機能付きのものを」
エレンディルが感心して頷いた。
「種族の特性を尊重する姿勢に感謝する。過去の魔法プロジェクトでは、人間基準の一律設計が多かった」
グロムハンマーも賛同した。
「我らドワーフの鍛冶には特殊な魔力パターンがある。それを理解してくれる者は珍しい」
レオナも満足げに言った。
「種族の違いを『多様性』と捉え、それぞれの強みを活かすという発想は新鮮だ」
会議は和やかな雰囲気で進み、実装計画が具体化していった。
その日の夕方、ラヴィルは疲れた様子でギルドの屋上テラスに立っていた。過去二週間の激務で、彼の魔力も体力も消耗気味だった。
「無理しすぎじゃないの?」
背後からアイリスの心配そうな声がした。
「大丈夫、前よりずっと自分の限界を理解できるようになったから」
ラヴィルは振り返って微笑んだ。確かに、龍族の知恵を得て以来、彼は自分の魔力と体力の状態を正確に把握できるようになっていた。
「それでも休息は必要よ」アイリスは彼の隣に立ち、夕焼けを眺めた。「前世の...過労死を繰り返しては意味がないでしょう?」
彼女の言葉に、ラヴィルは苦笑した。
「そうだね。皮肉なことに、改革を進めるあまり自分が倒れては本末転倒だ」
二人が話している間に、リリアとルナも屋上に現れた。四人は並んで夕日を見つめた。
「進展は順調ね」リリアが言った。「王立魔法院からも高い評価を受けているわ」
「妖精族の長老会議も全面支援を表明したわ」ルナが嬉しそうに報告した。「フェアロウ様からの手紙よ」
彼女はラヴィルに小さな葉の形をした手紙を渡した。
四人の周りには、微妙な緊張感と共に不思議な調和も生まれていた。それぞれがラヴィルに特別な感情を抱きながらも、「魔力循環ネットワーク」という大きな目標のために協力している状況だった。
「あのね...」アイリスが突然口を開いた。「私たち、いい加減はっきりさせるべきじゃない?」
リリアとルナは驚いた表情を見せたが、すぐに理解した様子だった。
「そうね」リリアが真剣な表情で頷いた。「このままあいまいな関係を続けるのは、誰のためにもならないわ」
「私も賛成」ルナも小さな声で言った。
ラヴィルは困惑した表情で三人を見回した。
「何の話...?」
「鈍感ね」リリアが軽くため息をついた。「私たちの気持ちよ」
アイリスが一歩前に出た。
「ラヴィル、私はあなたのことが好き。それも、単なる同僚としてじゃなく」
リリアも同様に告白した。
「私も同じ気持ちよ。あなたの前世の記憶を知った今、なおさら」
ルナも翼を小刻みに震わせながら言った。
「私も...あなたの魂に初めて触れた時から、特別な感情を抱いていたの」
三人の突然の告白に、ラヴィルは言葉を失った。前世では、恋愛どころか基本的な人間関係すら満足に築けなかった彼にとって、この状況は想像を超えていた。
「私は...」
彼が言葉を探している時、突然屋上の扉が勢いよく開き、レオンが飛び込んできた。
「大変だ!第一ノードに異常が発生している!」
四人は慌てて状況を確認しに向かった。恋愛の話は一時保留となったが、それぞれの心に強い決意が芽生えていた。
クラウンフォード郊外の丘に到着すると、第一ノードが不安定な光を放ち、周囲の魔力が乱れている状況が広がっていた。
「何が起きたんだ?」
ラヴィルが状況を確認すると、レオンが怒りに満ちた声で答えた。
「妨害工作だ。誰かがノードの核心部に異物を埋め込んだ」
現場を調査する中、マグヌスの部下と思われる人物の痕跡が見つかった。「古き秩序の守護者」たちは、言葉だけでなく実力行使にも出てきたのだ。
「修復できる?」
「可能だが、時間がかかる」リリアは複雑な魔法陣を展開しながら答えた。
ラヴィルは決意を固めた。
「修復すると同時に、防御機能も強化しよう。彼らが何度でも妨害してくるなら、それに耐えうるシステムを作る必要がある」
アイリスとルナも協力して修復作業に加わった。四人の協力で、ノードは徐々に安定を取り戻していった。
夜が更けていく中、ラヴィルは星空を見上げながら思いを巡らせた。
「古き秩序の守護者」との戦いは始まったばかりだ。彼らは魔力の独占と搾取という利権を手放すまいと必死だろう。しかし、種族を超えた協力関係が築かれつつある今、勝機は十分にある。
そして、三人の女性からの告白—それは前世では想像もできなかった幸福だった。しかし、今は「魔力循環ネットワーク」の完成を最優先しなければならない。
「前世では仕事に人生を捧げて死んだ」ラヴィルは自分に言い聞かせた。「今度は違う。大切な人たちと共に、理想の世界を作るために働く」
星空の下、彼の決意は固く、そして温かかった。