第十二章「龍族の依頼〜試される忠誠と揺れる心〜」
「龍族からの招待状?」
クラウンフォードギルドの会議室で、ラヴィルは手渡された重厚な羊皮紙の書状を見つめていた。鱗のような質感の封蝋には、威厳ある龍の紋章が押されている。
「はい、昨夜届きました」アイリスは興奮した様子で説明した。「龍族が人間に直接コンタクトを取るなんて、歴史上でも数えるほどしかありません」
「妖精族の森から戻って一週間で、今度は龍族か...」ラヴィルは半ば呆然としていた。「これも魔力過労防止令の関係かな?」
ヴァイスが咳払いをして言葉を添えた。
「龍族は魔力の根源に最も近い存在と言われている。彼らは魔力の流れを感じ取り、調整する能力を持つ。人間界の魔力使用の増加は、彼らにも影響しているはずだ」
レオンも興味深そうに書状を覗き込んだ。
「龍族の生息地である霧峰山脈は立ち入り禁止区域だ。招待状なしでは近づくことすらできない」
ラヴィルは恐る恐る書状を開いた。流麗な文字で記された内容は簡潔だった。
『魔力過労防止令の立案者、ラヴィル・マイヤー殿へ。 我ら龍族評議会は、魔力の均衡に関する重要事項を協議するため、貴殿の来訪を求める。 三日後の夕刻、霧峰山脈東門に我らの使者が出迎える。 龍族評議会議長 アズラン・スカイクロー』
「行くべきでしょうか...」
「行かない選択肢はないわ」リリアがギルドに駆けつけてきた。王立魔法院の制服に旅の埃が付いている。「王立魔法院にも連絡があったわ。竜族からの招待は断れないの」
アイリスはリリアの突然の登場に眉をひそめた。
「クラウンフォードまで直接来るなんて、随分と熱心ね、リリアさん」
「緊急事態よ」リリアは涼しい顔で返した。「竜族が動くということは、魔力環境に何か重大な変化が起きている可能性がある」
ラヴィルは二人の間に流れる微妙な緊張感を感じながら、決断を下した。
「行きましょう。龍族の話を聞かなければ」
「私も同行します」リリアが即座に言った。
「私もよ」アイリスも負けじと名乗り出た。
ラヴィルは困惑の表情を浮かべたが、ギルド長のアルバートが収拾を図った。
「魔法院代表としてリリア殿、ギルド代表としてアイリス殿、そしてラヴィル殿。この三人で龍族の元へ向かうのが良いだろう」
*
準備を整え、三人は霧峰山脈へと向かった。険しい山道を登りながら、ラヴィルは複雑な思いを抱えていた。
「妖精の森はどうだった?」リリアが何気なく尋ねた。
「素晴らしい場所だったよ。自然と魔力が完全に調和していて...」
「あの妖精の女の子と特別親しくなったみたいね」リリアの声には微かな刺々しさがあった。
アイリスが興味を示した。
「妖精の女の子?どんな子だったの?」
「ルナという名前で...」ラヴィルが説明し始めると、リリアが遮った。
「二人きりで森の奥に行っていたわね。何をしていたの?」
「それは...」ラヴィルは言葉に詰まった。ルナから贈られた「心の癒し」の結晶は今も彼のポケットに入っていた。前世の記憶についての会話は、まだ誰にも話せない秘密だった。
「特に何も。森の魔力について教えてもらっただけだよ」
リリアは納得していない様子だったが、それ以上追及はしなかった。
夕刻、三人は霧峰山脈の東門と呼ばれる巨大な岩の門に到着した。そこには、人間の姿をした龍族の使者が立っていた。彼女は紫がかった長い髪と金色の瞳を持ち、皮膚には微かに鱗の模様が浮かんでいた。
「ラヴィル・マイヤー殿、お待ちしておりました」
彼女の声は美しく、同時に威厳に満ちていた。
「私はサフィラ、龍族評議会の案内人です。こちらへどうぞ」
サフィラの先導で、三人は霧に包まれた山道を進んだ。道が見えないはずなのに、彼女は迷うことなく歩を進める。
「龍族は通常、人間とは交流しないのですね?」ラヴィルが尋ねた。
「はい。我々は魔力の均衡を見守る役目を担っています。めったなことでは外界に干渉しません」サフィラは振り返らずに答えた。「しかし、最近の魔力の流れに異変を感じています。それは貴方の『魔力過労防止令』と関係があるのです」
さらに山を登ると、突然霧が晴れ、息を呑むような光景が広がった。巨大な渓谷に浮かぶ島々。島と島を繋ぐ光の橋。そして空中に点在する水晶のような建造物。
「ここが龍族の住処、ミストハーバーです」
三人は圧倒的な景観に言葉を失った。サフィラは満足げに微笑み、先へと案内した。
*
龍族評議会は巨大な水晶の円形劇場のような場所で開かれていた。中央の高座には、威厳ある老龍アズラン・スカイクローが座していた。彼は人間の姿をしていたが、背中からは薄い翼のようなものが透けて見え、顔には古代の知恵を秘めた深いしわが刻まれていた。
「ようこそ、ラヴィル・マイヤー殿。そして王立魔法院とギルドの代表者たち」
アズランの声は渓谷に響き渡るように深く、力強かった。
「我々が貴方を招いたのは、『魔力過労防止令』に関する重大な発見があったからだ」
ラヴィルは緊張しながらも、しっかりと目を合わせた。
「どのような発見でしょうか?」
「貴方の提案した魔力モニタリングと適切な休息の導入は、予想外の効果をもたらしている」アズランは穏やかに微笑んだ。「魔力の質が向上しているのだ」
「質が...?」
「そうだ。以前は人間界から発せられる魔力は乱れていた。使い過ぎによる歪みや不協和音があった。しかし今、適切に休息を取った魔法使いたちが発する魔力は、調和がとれ、清らかになっている」
それは予想外の発見だった。ラヴィルの「働き方改革」が、魔力そのものの質を向上させているというのだ。
アズランは続けた。
「さらに興味深いことに、この変化は龍族の予言書に記されていた『調和の波』と一致する。『二つの世界の記憶を持つ者が、魔力の流れを変える』と」
その言葉に、ラヴィルは息を飲んだ。「二つの世界の記憶」—それはルナも言っていた言葉だった。彼の前世の記憶のことを指しているのだろうか。
「私には特別な力などありません」ラヴィルは慎重に言った。「ただ、人々が健康に働けるよう願っているだけです」
アズランは深く頷いた。
「謙虚さも予言通りだ。だが、我々は貴方の本質を知っている。別の世界から来た魂。そして、その世界での経験が、この世界を変えようとしている」
リリアとアイリスは驚きの表情でラヴィルを見つめた。
「別の世界?」リリアが小声で尋ねた。「これが貴方の秘密だったの?」
アイリスも動揺を隠せない様子だった。
「ラヴィル...本当なの?」
ラヴィルは言葉に詰まった。ついに隠し続けてきた真実が明るみに出る時が来たのだろうか。
「私は...」
アズランが静かに手を上げた。
「過去は重要ではない。重要なのは、今貴方が何をするかだ」
老龍は立ち上がり、ラヴィルに近づいた。
「我々は貴方に依頼がある。龍族の古代魔法『魂の共鳴』を使い、魔力の大調和を促してほしい」
「魂の共鳴?」
「龍族と他種族の魂が共鳴し、魔力の流れを整える儀式だ。しかし、これには大きなリスクがある」
アズランの表情が厳しくなった。
「この儀式で共鳴する二つの魂は、記憶を共有することになる。貴方の前世の記憶も、全て私に流れ込む」
その説明に、ラヴィルは震えるような恐れを感じた。前世の記憶—会社での苦しみ、終わらない残業、そして最後の過労死の瞬間まで、全てを他者と共有するなど想像もしていなかった。
「考える時間が欲しい...」
「もちろんだ」アズランは理解を示した。「明日の日の出までに答えを聞かせてほしい」
*
宿泊用に用意された水晶の部屋で、ラヴィルは窓辺に立ち、渓谷の夜景を見つめていた。龍族の世界は幻想的な美しさに満ちていたが、彼の心は重く沈んでいた。
「ノックしてもいい?」
扉の向こうからリリアの声がした。
「どうぞ」
彼女は静かに部屋に入り、ラヴィルの隣に立った。
「別の世界の記憶...それが貴方の言う『前の...』の意味だったのね」
ラヴィルは黙って頷いた。もう隠す意味はなかった。
「前世では、私は会社員だった。毎日深夜まで働き、休日も返上して...そして、ついに過労死した」
リリアは静かに彼の手を取った。
「だから魔力過労防止に情熱を注いでいたのね。貴方自身の痛みから生まれた使命だったのね」
「ルナも同じことを言った」ラヴィルは弱く微笑んだ。「彼女も私の本質を見抜いたんだ」
その言葉に、リリアの表情が曇った。
「ルナという妖精と特別な絆で結ばれていたのね」
「そうじゃない」ラヴィルは急いで否定した。「彼女は私を理解してくれただけだ」
その時、もう一つのノックの音。アイリスだった。
「邪魔しないわよね?」
彼女はリリアとラヴィルが手を繋いでいるのを見て、一瞬表情を硬くしたが、すぐに切り替えた。
「私も話を聞いたわ。あなたが別の世界から来たなんて...信じられないけど、なぜか納得できる」
アイリスは部屋に入り、窓辺の二人に近づいた。
「どうするの?龍族の依頼は」
「迷っている」ラヴィルは正直に答えた。「前世の記憶を共有するなんて...恥ずかしいし、怖い」
「私たちにも話してくれる?」リリアが静かに尋ねた。「あなたの前世のこと」
アイリスも期待を込めた目で見つめていた。
「もし話してくれるなら、私たちも力になれるかもしれない」
ラヴィルは深く息を吐き、決心した。この二人なら、理解してくれるかもしれない。
「私は『日本』という国で、IT企業の社員だった...」
彼は前世の記憶を、初めて詳しく語り始めた。終わりのない残業、評価のための自己犠牲、サービス残業という名の搾取、そして最後の過労死まで。
二人は黙って聞き入り、時に共感の涙を流し、時に怒りを露わにした。
「だから私は、この世界では違う生き方をしようと決めた。そして、同じ苦しみを味わう人を減らしたいと」
話し終えた時、ラヴィルは不思議な解放感を覚えた。秘密を共有することで、重荷が少し軽くなったような感覚。
「ラヴィル...」アイリスが彼の肩に手を置いた。「あなたの改革への情熱が、そんな深い痛みから生まれていたなんて」
「私も理解できたわ」リリアも優しく微笑んだ。「龍族との儀式、私は受けるべきだと思う。あなたの経験が、この世界の魔力環境を根本から変えるかもしれない」
「でも、リスクが...」
「私たちがそばにいるわ」アイリスが力強く言った。「何があっても、あなたを支える」
リリアも頷いた。
「アイリスと意見が合うなんて珍しいけど、今回は同感よ」
三人は夜遅くまで話し合い、最終的にラヴィルは決断を下した。
「明日、アズランに会って儀式を受けることにする」
*
夜明け前、龍族の神殿でラヴィルはアズランと向かい合っていた。リリアとアイリスも同席し、儀式の準備が進められる中、ラヴィルは静かに決意を固めていた。
「準備はいいか?」アズランが尋ねた。
「はい」
「覚悟を決めたようだな」老龍は満足げに頷いた。「儀式の間、私は貴方の前世の記憶を共有し、貴方は龍族の古代の知恵を受け取ることになる」
ラヴィルはポケットからルナの結晶を取り出し、握りしめた。
「始めましょう」
アズランは両手をラヴィルの頭に置き、古代の言葉で詠唱を始めた。神殿全体が淡い光に包まれ、二人の間に魔力の糸が形成されていった。
ラヴィルの意識が遠のき始め、前世の記憶が走馬灯のように流れる中、彼は心の底から願った。
「この世界を、すべての種族が健やかに働ける場所にしたい」
その願いは、魔力の波となって神殿から広がり、霧峰山脈全体を包み込んでいった。
儀式は始まった。過労死した社畜の記憶と、古代龍族の知恵が交わり、新たな調和の波が生まれようとしていた...