04 連れて行かれた!?
「っていうかそんなことより羊の君よ! 本当に連れて行かれたの⁉︎ あのクソ野郎が適当言ってるだけよね…!」
「多分本当だよ。一昨日の夜だな向こうの飲み屋街で俺は見たぞ。遠かったし、知らねぇけどソイツだろうな。シーラだの、聖女教だの、なんか言ってる奴らいたわ」
今度は気安そうな声が返ってきた。店の隅っこのテーブルでくつろいでいた集団だった。
「なんで助けてあげないのよ!」
「いやいやいやいや知らねーよ! 聖女教のヤバそうな奴らなんか関わりたくねーよ。金髪のおばさんと黄緑色の奴がいたな。見た瞬間ゾワってしたね」
「何ビビってんのよ!」
聖女教はヤバそう。そんなヤバそうな人が複数いた。総合的にヤバことはわかった。
ルルは聖女教という世界宗教に他種族排斥の思想があることを知っている。
シーラは羊人族だと言っていた。余計聖女教のそのヤバい人たちの目に止まったのかもしれない。今シーラはどん目に遭っているのだろうか。もう夜は2回越えている。
ずっと言い合っている2人に、ぐるぐるとした頭のままルルは尋ねた。
「あの、どこに連れて行かれたのか知っていますか?」
まるで常識だとでもいうような平坦な回答が返ってくる。
「——”特区”じゃねェか? どうせハレルー公国の関係者だろうしな」
食事は喉を通らなかった。冷めたピラフは全てカイエが食べていた。
店を出て思わずよろめく。
「どうしましょうどうしましょう。ヤバい人たちにヤバいところに連れて行かれたら一体何されちゃうものなんですか…」
悪い可能性も考えていないわけではなったが、実際に突きつけられるのは話が違う。心配で胃液が逆流しそうだった。口元を抑えながら、げっそりと北の方へ視線をあげた。
ここからでも目視できるほどの高い壁があった。壁に囲まれた都市の中なのに、更に壁に囲まれている地区。ツエドの北部に存在している、通称”特区”。
正しくは、独立”双子”都市ツエドの”妹”都市アイギス。
ここだけはツエドの領外であり、世界中の国々の建物がまるで領土を主張するように立ち並んでいるそうだ。ルルは”特区”なんて場所を初めて知ったので、さっきの食堂の聞き齧りである。
「わかりますか? カイエさん。あの壁です」
ルルの差した手に従って、カイエは壁を見た。
「あの向こうにシーラさんがいる…。いえ、可能性が高いという話なだけですが…。ありえるってだけかも。たくさん可能性がありますから、そのうちの一つですからね……」
もしかしたら今頃家に帰っているかも、すれ違いになっちゃっているだけかもしれない、希望的観測まで言い出したルルは、カイエに見つめられていることに気づいた。
「……大丈夫、わかってます。壁のところに行ってみましょう」
徒歩の距離ではないらしいので、近くの駅から路面機関車に乗り込む。あの白い塔を中心に環状線に走っている路線らしい。乗るのは初めてだったが、周囲の人の真似をしてなんとかなった。
木材と鉄が合わさった車体はどこか鉄の錆びたような匂いがする。
キョロキョロと周りを見回したが、2人揃って座れそうになかったので立つことにする。出入口を塞ぐように立たなければ邪魔にはならないだろう。
弧を描きながら北部に向かう路線だ。車窓にはルルの知らない街が映っている。余裕があったら楽しいのかもしれないが、今は不安を煽る要素にしかならない。
停車と発車を繰り返すたび、前面を中心に車体全体に刻まれた魔術回路に光が走る。この魔術機関車に運転手はいない。
降りる人や乗る人がいなくても、決まり事のように全ての駅に停車した。ルルが全速力で走るよりずっと速いのはわかっているが、逸る気持ちは出てきてしまう。
機関車に乗らないという選択肢もなくはない。
でも目立ってしまうだろうし。そうしたらシーラを探したり助けたりすることにも、カイエや自分にとっても巡り巡って足枷になるのではないか。
せめて今が夜ならば……。
北に進むにつれ、瀟洒な建物が目立ってくる。
目指していた北駅——”特区”に一番近い駅に降りたとき、ルルは己を場違いだと感じた。通りにある建物は傷一つなく、それどころか垢抜けた外観をしていて、そして縦にも横にも大きい。
大きな色ガラスで作った看板。ストライプが鮮やかな軒先テントの影の中には、流線型に彫られた木のパーツを複雑に組み合わせた置物が風に揺られてくるくると回っている。
さっき入った食堂の前の道よりも、石畳の表面が艶やかに見えた。舗装の剥げているところもない。通りを歩く人々の服の仕立ても、一目で自分のものとは全く違うことがわかる。同じ服装をしている人も多い。
乗降場を出たら、駅から真っ直ぐ走っている大通りの行き止まりまで見えた。城壁で隔てられたツエドと特区をつなげる大きな門がある。
何にも気後れせずスタスタと進むカイエがいなかったら、ルルの足はしばらく動けなかったかもしれない。広い歩道を歩いていくと、細部が見えてくる。
四角く切り抜かれたような城門の両側には、甲冑を着た門衛が2人ずつ並んでいる。城門の向こうには他の衛兵と駐在所のような建物も一部見えた。
外商の一行が出ていくのが見えた。
行列はできていないが、馬車や魔動力車は頻繁に出たり入ったりして、その際に何か見せている。通行証のようなものが存在するのかもしれない。特別な場所なのだからフリーパスはありえないだろう。考えてみれば当たり前だった。
どうしようか、門衛に事情を話してみるのは可能だろうか。ルルはこれからの行動を考えた。カイエは何の躊躇もせずに、城門を通ろうとした。
「かっカイエさん!? 待ってください!」
2人はそのまま門衛に拘束された。
やはりあの生意気なウェイトレスはぶち殺そう。能天気なピンク髪の雌ガキも黒い野郎もツラだけはいい。売るか迷うがやっぱり殺そう。まあ殺しきるまで考えていても遅くないだろう。
手足折って動けない状態でじっくり嬲って殺してやる。向かい合わせに転がして、交互に悲鳴を上げさせてやったら面白いだろう。
ウェイトレスの住処はわかっている、問題は2人だ。とはいえマイネケンの近くだろうが……。
ザオリーはこの街に来てからつけた名前である。
故郷の国で散々悪事を働いた後、特定されて捕まる前にここに悠々と逃げ込んだ。
独立双子都市ツエド。噂話で語られるそれは、自分のような生き辛い強者にとっては魅力たっぷりだった。政府はない、警察組織はない、法律はない。つまり、暴行も恐喝も詐欺も強姦も盗みも殺人すらも、犯罪にはならない国。原始的な強ささえあれば誰にも憚れることなく好きなように振る舞える国。
自分のように選ばれた強者ならば……。
明確な統治組織がいなくなった原因はなぜなのか。そして、そのような状態になれば何が起こる可能性が出てくるのか。それを考える頭や歴史を学ぶ努力などザオリーには最初から存在しなかった。
ただ思っていたような単純明確な、強者が弱者を虐げる世界が広がっていないことは理解していた。
がっかりした。
夢の国にようやく来たと思っていたのに、そこでも不自由を味わうとは。
今までのくそったれな現実と所詮地続きな陸地に存在しているのだ。その時点で気づくべきだった。期待値が高かった分、落差は大きい。
”まともな会社”に入ったのが大きな失敗だったように思う。少しでも”遊んだら”注意だの罰則だの。上から止められているせいで、むしろ余計不自由になった。耐えられない。
ザオリーは今日のことでもう限界だった。
かったるい仕事をなんとか片付けたと思ったら、女子供に侮られる。一発でぶち殺せる奴らに、でかい顔されることほど耐え難い屈辱はない。面白いところから誘いもあった。そっちの方が水は合いそうだ。
明日になって少し経った時間帯、あのウェイトレスのねぐらに向かう途中、ちょうど人の通りのない坂道をだらだらと上りながらザオリーは取り留めなく考えていた。