03 食堂で聞き込み
11地区内で朝起きて夜寝るような、規則正しい生活リズムを送っている住民の割合は高くはないだろう。さらに今は朝と昼の間、昼夜逆転ではない人もほぼほぼすでに出払っている時間帯だ。
臆病者にとって勇気の出るタイミングだった。
臆病者のルルは、大通りと自宅までの間の経路を捜索する。
近道になる裏路地、建物の間の数十センチメルトル、覗いてみても探し物は見つからない。
割れた排水管から漏れた液体がポツポツと落ちている地面は、半分ぐらい石畳が割れて土砂が露出している。その土壌で雑草が元気に生えていた。
道の隅っこや建物の影に座っていたり寝転んでいたりする人に、因縁をつけられないよう通りすぎ、向こう角の物騒な会話の主たちに気づかれないよう静かに歩く。
時折ギャングやカルテルの関係者が、薬代をバックレているヤク中を探していたりするのだ。
それでもどこからか見られている感覚がある。フードを被って少しでもルルたちの個人情報が割れないようにする。
表通りにつながる道まで出てくると、舗装の劣化は少なくなってくる。
とある家の窓際の花壇では小さな花が芽吹こうとしていた。秋の終わりに咲く品種だろう。
ここまでを辿ってみたけれど、ルルはシーラの痕跡すら見つけられなかった。
「カイエさんはシーラさんの行きそうなところ、思いつきますか?」
首を横に振られる。ルルも考えてみる。彼が行きそうな場所、何か言ってたりはしなかったかな。
「そういえば…」
買い出しの道すがら、大きなお店——曰く、食堂らしい——を指してマイペースに言っていた。
『こことかね、安くて美味しいんだよね。また行ってみようね』
かの食堂は大通り沿いにある。
東に向かって歩いていくと、平家造りの四角い建物が見えてくる。この都市内に何店舗か店を構える大衆食堂マイネケンのツエド南支店だ。見た目がわかりやすくて助かった。
分厚い木のドアを開けると、左手前から奥に向かって大きなカウンターテーブル、右側はテーブル席が20セットほど配置されている。ちょうど朝食の波も過ぎ、客足が落ち着いている時間帯のようだ。空いている席の方が多かった。
「いらっしゃい」
テーブル席を片付けているウェイトレスと目があった。白い三角巾を頭に巻いている。
「二名さまね、カウンター席とテーブル席どっちがいいかしら?」
「あっえっと、お尋ねしたいことがあるんですがっ」
「カウンター席にしましょうか」
「…あの、あの!」
「こちらの席へどうぞ」
「ちょっとお聞きしたいことがっ」
「メニューはここよ」
「ありがとうございます……」
ルルはメニュー表を受け取った後、テーブルに突っ伏した。ささくれがチクチクした。
「シーラを探してる」
隣に座ったカイエがメニュー表を見ながら、ぽつりと声を発した。大きくないのによく通る声だ。
水を注いだ木製のジョッキを持ってきたウェイトレスは目を丸くした後笑った。
「変なことを言うのね、探すも何も……。聖女教の話かしら?」
「セイジョキョウ?」
「始まりの聖女、シーラ・ライトのことじゃないの?」
「?」
「そ、そのシーラさんじゃないんです。吟遊詩人の…」
「ああ〜、芸能人は目立つ芸名をつけたりするからね。恐れ知らずというか命知らずというか目立ちたがりばっかだし…」
「ツノがくるくるしている人です」
「”青山羊”のシーラか! 」
後ろのテーブル席でエールを煽っていた髭面の男が大きな声を出した。
「なんか聖女教の教徒に引きずられていったって聞いたぞ」
「ええ!? どうして!?」
「フケーザイ? みてーなことらしいけど」
「やっぱり命知らずねぇ」
「お前も他人事だな。気に入ってたじゃねえか、わざわざあいつのために特等席なんか作ってさ」
「あの子のことなの!?」
関心の薄そうだったウェイトレスが悲鳴を上げた。カイエはメニュー表を見ている。
「いつのことですか!?」
ルルは反射的に男性に詰め寄った。
しばらく洗ってなさそうな服装だが、金がないようには見えない。足元に雑に置かれているくすんだ分厚い甲冑は安物には見えなかった。薄っぺらいシャツ越しでも隆起した筋肉がわかる。仕事帰りかもしれない。
「いつ? どーだかな、俺ァさっき街に帰ってきたばっかだからな。隣の席の奴らがチョロっと話てただけだよ」
「なんて言ってたんですかっ?」
「そうさなァ、3人ぐらいいたかな。普段から飲んだくれてンのか赤ら顔だったよ」
「話の内容です!」
「どうだったかな〜、聖女教の教徒に引きずられてったらしいけど」
「いつですか! 場所は!?」
「——で、アンタはこの情報のために何を出してくれるんだい?」
真正面の髭男はだらしなく椅子に座ってにやにやと笑っている。
その表情を見て、少し頭が冷える。弄ばれている。途端にルルは怖くなってきた。なんでこんな大柄で強そうな人物に自分は詰め寄ったんだろう…。いくら余裕がないからと言って…。
「…そ、そうですね。情報料ってことですか? に、20000メニぐらいなら……」
「おいおいつまんねェな。端金じゃなくてだな——」
タコの目立つ手が無遠慮にこちらに伸ばされる。
——ザッ
ルルと男を隔てているオーク材のテーブルに勢いよく何かが刺さった。厚みはなく四角い方をしている。この店のメニュー表だった。さっきまでカイエが持っていた。
「シーラを探してる」
こちらの方に体はずらしていたがカイエは座ったままだった。
チッ、男は舌打ちをした。カイエを知らない人には、彼がくだらなそうな表情をしているように見えるのだろう。
「ただの冗談だろ。ノリが悪いねェ」
ルルは勢いよくカイエの横に逃げた。
「そういうのは慣れてる相手にしなさいよ」
「あ? ちんちくりんは趣味じゃねェよ。ま、俺サマに喧嘩売れる根性は認めてやるよ坊ちゃん」
軽く流しているように見えて、イライラしているみたいだった。目が笑っていない。
あわや一触即発なのかとヒヤヒヤしていたら、
「大丈夫よ、安心しなさい。あいつ暴力沙汰起こしたら、今度こそ会社追い出されるから」
こそっとウェイトレスが耳打ちをしてきた。
「そうなると腕が良くても、もうどこにも拾ってもらえなくなる。それぐらいわかってるはずだよ」
何を言われたのか感づいたのだろう。男は乱暴に荷物を抱えて、ドアを足で蹴って出て行った。
「いやね、ほんと」
ウェイトレスは床に転がった木のジョッキを拾い上げた。中に入っていたエールは落ちた拍子にぶち撒けられていた。
「お手伝いします! すみませんわたしのせいでっ……」
「じゃあ後ろの戸棚に掃除道具あるから雑巾もってきて」
「はい」
取りに行っている間、他の客の話し声がぽつぽつと聞こえた。
「ザオリー…やっぱあいつ…」「社長は何を考えて…」「…ザオリー」
雑然としている用具入れから、乾いている雑巾と真鍮のバケツを取って戻る。
「まだこの街来たばっかかしら?」
「そうです」
「でしょうね。もうちょっと冷静にならなきゃダメよ。
特にここじゃ相手が悪くてもね、舐められたら引き下がってくれないんだから。せめて長いものにでも巻かれていないと。
法律も、法律を守らせる力を持ってる政府もいないんだから…。国際法だけはあるけど一般人には関係ないしね」
「は、はい」
テーブルの上に刺さったメニュー表を引き抜いたら、刺さった分の傷ができていた。ルルはひやっとしたが、すでにテーブルには様々な傷がついているし、気付かれることはなさそうだ。
「まあ、ここの詳しいこと知らずにきた感じかな? 理由はあるんでしょうけど……」
なんて返したらいいのかわからず、ルルは曖昧に笑ってごまかした。
掃除が終わってカイエの隣に戻ると海鮮ピラフが来ていた。
細かく切ったイカと小ぶりのエビ、混ざっている炒り卵がふわふわして美味しそうだった。髭の男に注文されていた料理だったらしい。いく当てを失ってこちらに来たようだ。
運んできた別の若いウェイトレスは、頬を赤くしてカイエを見つめていた。
「それ食っていいからあいつの代わりに払ってくれ」
料理番らしき声が厨房の奥から聞こえる。
「はいっ、もちろんです!」
「……向いてないよあんた」
「えっ」
忠告をしてくれたウェイトレスは呆れきった表情をルルに向けた。