第七話:ミリアの異動決定/アリシアの不穏な笑顔
窓の外に、秋めいた風が通り抜けていく。
金の光が庭のバラを優しく照らし、淡い香りがカーテン越しに部屋へと流れ込んだ。
静かで、穏やかで――けれど、私はこの日が“転機”になると知っていた。
ミリアを、この屋敷から離す。
それが彼女を守るための、今の私にできる最善の選択だった。
回帰前、彼女は“私のために”命を落とした。
差別され、罵倒され、最期は“異端擁護”という罪で処刑された。
その記憶を、私は忘れていない。
だからこそ、同じ未来にさせない。
私は今日、父に話を通す。
「療養」という名目で、ミリアを屋敷から遠ざけるのだ。
信頼できる地方領主――回帰前で中立だった家を選んだ。
そこなら、神殿の目も、家の圧も届かない。
そしてこれは、ミリアを守ると同時に、
ノエリアという娘を“政略結婚の道具”として使おうとする父への静かな抵抗でもある。
* * *
「……療養?」
父・リカルドは、私の申し出に眉ひとつ動かさず聞き返した。
「はい。ミリアの体調が以前より優れません。
医師も、“過労と環境の変化”が必要だと」
「……ふむ。必要ならそうしろ」
あっさりとした返事だった。
興味がない、ということだ。
私にも、ミリアにも。
でも、それでいい。
今はそれが、唯一の“許し”になる。
* * *
「お嬢様、どうして……?」
ミリアは涙ぐんだ目で私を見た。
「私、お嬢様のそばにいたいです……ずっと……」
私はその手を取って、ゆっくりと頭を下げた。
「わかってる。でも、あなたの笑顔を守れるのは、今はこの方法しかないの」
「……私がいないと、誰が……」
「1人でがんばるから。だから……あなたは、待っていて」
ミリアは唇を噛みしめ、目を真っ赤にしながら何度も頷いた。
その姿を見て、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
大丈夫。
これは別れじゃない。
あなたが生きてさえいてくれれば。
* * *
その夜、私は庭のベンチでひとり、空を見上げていた。
ふと、誰かの気配に気づく。
「……こんばんは、姉様」
アリシアだった。
手に小さなランタンを持って、こちらへと歩いてくる。
「風が冷たくなりましたね」
そう言って隣に座った彼女は、月明かりの下でもなお眩しいほどに美しかった。
けれど私は、彼女の笑顔がどこか“空虚”に見えて仕方なかった。
「姉様は……どうしてミリアを?」
「療養が必要だからよ」
「でも……本当に、それだけですか?」
私は言葉を止めた。
アリシアの声が、ほんのわずかに低くなっていた。
「わたし、最近……夢を見るんです。
誰かが泣いていて、誰かが怒っていて、誰かが……死ぬ夢」
心臓が跳ねた。
「……アリシア、それは――」
「ねぇ姉様」
その声が、ぐっと近づく。
「わたし、変なんでしょうか?」
アリシアの瞳が、まっすぐに私を見据えていた。
その奥に揺れていたのは――あの夜、回帰前に見た“黒神の光”。
(……もう、来ているの?)
私は笑顔のまま、手を伸ばして彼女の髪を撫でた。
「大丈夫よ。あなたは、変なんかじゃないわ」
「……そう?」
「ええ。もしも、怖い夢を見たら、わたしに話して。いつでも」
アリシアはほんの少しだけ微笑んで、うなずいた。
けれどその笑顔は――確かに、“回帰前の彼女”と同じ歪みをはらんでいた。
* * *
屋敷の外、静かな通用門。
その前に、レオンが立っていた。
馬に手綱をかけたまま、屋敷の方をじっと見ていた。
「……行くんですか」
ミリアが声をかけると、彼はゆっくりこちらを振り向いた。
「ええ、少しだけ長く王都を離れます」
「何か、ありましたか?」
「……いえ。ただ、考えたくないことが増えたので」
「……それは、お嬢様のことですか?」
彼は黙った。
でも、その黙り方が何よりも答えになっていた。
「彼女が、“誰かのものになる”未来を考えたくない。
でも、それを止める資格も、今の俺にはない」
その言葉に、心臓が音を立てて跳ねた。
「レオン様……」
「……すみません。不甲斐ないですよね、忘れてください」
彼はそれだけ言って、手綱を握った。
そして彼は、夜の静寂へと馬を走らせていった。
ミリアはその背を、ノメリアが幸せになるように、と。いつまでも見送っていた。




