第六話:静かな反抗、そしてレオンの予感
神殿での再審査を終えて数日。
屋敷の中には、目に見えない“空気の変化”が漂っていた。
父は、私とまともに目を合わせない。
母は相変わらず冷たく微笑み、アリシアは何も知らず穏やかに笑っている。
ミリアだけが、変わらず私の背を支えてくれていた。
だが私は、はっきりと感じていた。
――家族が、私を“次の手駒”として動かし始めていることを。
使用人たちの間でも、静かに情報が行き交っているのがわかる。
食堂の隅で耳にした会話。
書斎から聞こえた父と客人の密談。
そして、その中心に必ずあったのは、
「ノエリアは厄介者」という話だった。
(政略結婚の話は、もう決まったこととして進められてる)
エストリア侯爵家。
回帰前にも何度か名前を聞いた家。
辺境の地で広い領地を持ちながら、王都とは距離を取っていた。
そしてそこに、“加護を持たぬ女”を送り込む。
それが、私という“使えない娘”の処理方法。
……以前の私なら、黙って従っていただろう。
でも今は違う。
私は、ここに戻ってきた。
誰かの手に渡るためではなく、誰かの人生を守るために。
「お嬢様、夕食のご準備が整いました」
ミリアの声が優しく響いた。
私は小さく微笑んで頷く。
「ありがとう、すぐ行くわ」
彼女が微かに安堵の表情を浮かべる。
ああ、本当に――この子を守りたい。
* * *
夕食の席で、父がようやく口を開いた。
「ノエリア、おまえには王都を離れてもらう準備を進めている」
私はフォークを置いた。
すぐには返事をしなかった。
「エストリア侯爵家から正式な申し出があった。
遠方ではあるが、土地は肥え、財もある。
おまえの立場にしては、望外の良縁だ」
淡々と、まるで書類を読み上げるかのように語る父の声。
私は視線を彼から逸らさず、静かに言った。
「私に意志を問うつもりは、ありませんか?」
一瞬、食卓の空気が止まった。
「貴族の娘に選択の余地はない。
おまえの立場を考えれば、家のために生きるのは当然だ」
「――わかりました」
私は微笑んで答えた。
「でも、“いつ”嫁ぐかは、私が決めてもよろしいでしょうか?」
「……ふむ。いつかは必要だが……急ぐ理由もない」
「ありがとうございます」
私はそう言って、食事に戻った。
その夜、ミリアが小さくため息をつきながらお茶を淹れてくれた。
「……本当に、行ってしまうんですか?」
「行かないわ」
「……え?」
「今は、そう答えただけ。
でも私は、まだ誰のものにもならない」
ミリアの目が潤んだ。
* * *
その翌日、レオンが屋敷を訪ねてきた。
父の執務室から出てきた彼と廊下でばったり出くわす。
「……あら」
「レオン殿下」
「ノエリア嬢、今日は一段とご機嫌斜めに見えますが……?」
「そう見えます?」
「ええ。……少しだけ、ですが」
彼は笑った。
けれど、その目には、何か探るような色があった。
「父と、何か話されましたか?」
「ええ、まあ。家の事情について、少し」
私は息を飲んだ。
「……縁談の話も、ですか?」
彼は黙った。
その沈黙が、答えだった。
「……彼は、あなたを“遠ざけよう”としている。
そう感じました」
「どうしてそう思うのですか?」
「あなたのような人を、ただの道具にするには――あまりに惜しい。
それを“惜しい”と思えない者は、……何も見えていない」
その言葉に、私は思わず胸が熱くなるのを感じた。
「……ありがとう、ございます」
「……いえ。俺が、言いたかっただけです」
その横顔は、どこか寂しげで、どこか怒っているようだった。
私は一歩、近づいた。
でも、手は伸ばさなかった。
この人は、私にとって“大切な人”であると同時に、
まだ“私の運命を変える鍵”ではないから。
彼が去った後、私は小さく呟いた。
「私に関わってはいけないわ」