第三話:小さな奇跡、神殿からの呼び出し
バラの咲く庭を離れて戻ると、ミリアが少し慌てた様子で迎えてくれた。
「お嬢様、大変です。神殿から……お手紙が」
その一言で、私は思わず足を止めた。
神殿から――
それは、回帰前に“すべてが狂い始めた”きっかけでもあった。
ミリアが差し出した封書には、見慣れた白金の印章が押されている。
セリオノス白神殿、加護審問部。
形式上は「加護の定期審査と報告の呼び出し」だ。
けれど、実態は“加護の有無”による人間の選別だった。
私は封を切り、中身に目を通す。
日付は三日後。
場所は王都の神殿中央審査室。
私の加護の発現状況を“確認”するとのこと。
「ご心配ですか?」
ミリアの問いに、私は首を横に振る。
「いいえ」
私の加護は“分与の加護”。
誰かに力を与えれば与えるほど、自分が削れていく異質な祝福。
しかしそれは審査でそれを見つける事は出来ない。
故に、私は加護を持たない異端児としてみなされた。
けれど、私はもう怖くなかった。
たとえ異端と言われても、この力で誰かを救えるのなら、それでいい。
それが私の選んだ運命だ。
* * *
翌日、アリシアの様子が少しだけおかしかった。
朝食の後、彼女がふらふらと庭に出ていき、ミリアが慌てて追いかける。
「姉様、見てください……手が、熱くて……」
アリシアは右手を胸に当て、苦しそうに眉を寄せていた。
その手のひらから、うっすらと光が漏れている。
私はハッとする。
それは、まさに“加護が目覚める瞬間”の兆候。
(まさか……もう?)
回帰前では、もっと遅かったはずだった。私も本来この次期には目覚めていなかった。
アリシアの癒しの加護が神殿に認められたのは、もう少し先だったはず。
それなのに――
「……アリシア、大丈夫?」
私は近づいて手を取ろうとした。
けれど、彼女は咄嗟に身を引いた。
「だ、だいじょうぶです……すみません……」
「ちょっと、疲れてしまっただけで……」
その言葉の奥に、わずかな戸惑いと怯えが滲んでいた。
(やっぱり、“力”の違和感を本人も感じてる)
アリシアの加護は、純粋な“癒し”ではなかった。
少なくとも、回帰前の世界ではそうだった。
癒しているはずなのに、時折、力が暴走する。
癒やしではなく、“命を削るような反応”が出る瞬間があった。
本人もその理由を知らず、誰にも言えずにいた。
それが、最終的に彼女を“黒の神の器”として堕とした要因だった。
私はアリシアの手をそっと握った。
そして、微笑んだ。
「怖くないわ。あなたは、ちゃんと祝福されてる」
「もし迷ったら、私が一緒にいるから」
アリシアの瞳が揺れた。
何かを言いかけて、けれど言葉にはしなかった。
私はそのまま、彼女の手から自分の加護を少しだけ流し込んだ。
ほんの少し。
“与える”というより、“共鳴させる”ように。
手の中で、彼女の光がほんのりと和らいだ。
アリシアは驚いたように目を見開き、そして小さく頷いた。
「……ありがとう、姉様」
私はその言葉を、胸の奥で何度も繰り返した。
今のこの子は、まだ私を裏切っていない。
そして、もしかしたら——最初から“裏切った”わけではなかったのかもしれない。
(私はこの子を……本当に救える?)
答えはまだ出せない。
けれど、逃げるつもりもなかった。
たとえ“彼女を救えなければ、自分がまた死ぬ”とわかっていても。
* * *
その夜、私は夢を見た。
闇の中に、女の声が響く。
静かで、けれどぞくりとするほど透明な声。
「再び選びし者よ」
「過去に死んだ者を救いし代償を、受け入れる覚悟はあるか」
「……あるわ」
「ならば進め。
これは運命を塗り替える行為。
神の加護に逆らうこと。
すべてを得るか、すべてを失うか——それは、おまえの選択」
目覚めると、外はまだ夜の帳の中だった。
私はゆっくりと体を起こし、胸元を押さえる。
そこには、淡く熱を持った印が灯っていた。
「これは…」
ぞくりと悪寒が走る。
でも、もう後戻りは出来ない。
私は深く息を吸い、ひとつの名前を胸の奥で呼んだ。
「ミリア……」
今度こそ、守る。
それが、やり直しの意味だから。