第一話:命をかけた祈り、その前に見たもの
処刑の朝は、あまりにも静かだった。
まるで、私の最期を祝福するかのように、澄みきった空に陽光が降り注いでいる。
足枷を引きずる音が、石畳に小さく響く。
私の両側を囲む神殿騎士たちは、無言のまま。
誰も私を見ようとはしなかった。
まるで、すでにこの世に存在しない者を見るように。
私は、毒を使って王太子を殺そうとした罪で処刑される。
無実だと何度訴えても、誰も耳を貸さなかった。
証拠は“完璧に”揃えられていた。
そして、異端と呼ばれた私は、誰からも“信じるに足らない者”と見なされた。
でも——それでも。
私はこの場に立つまで、信じていた。
私が沈むとき、きっと誰かが手を伸ばしてくれるはずだと。
そう信じていた。
けれど現実は、あまりにも残酷だった。
私は、見てしまったのだ。
私のために命を落とした人たちの、最期を。
* * *
最初に失ったのは、ミリアだった。
私の侍女。
幼い頃からずっと傍にいてくれて、誰よりも私を大切にしてくれた人。
あの日、私が牢に囚われたと知ったミリアは、何度も牢番に嘆願してくれた。
「お嬢様は無実です。あの方がそんなことをするはずがありません!」
その声は、何度も私の耳に届いていた。
けれど、ある日を境に、その声が消えた。
牢番の陰口で、私はすべてを知った。
「哀れなもんだ。あの小娘、異端擁護で拷問室行きだとよ」
「処刑台で見世物になったらしいぜ」
「そりゃそうだろ。あんな連中を庇うような奴は、神殿が許しちゃおかしい」
私は、その場に崩れ落ちた。
何もできなかった。
叫びたくても、声が出なかった。
私を守ろうとした彼女を、私は何も守れなかった。
次に失ったのは、フィリップ。
神殿の聖騎士であり、白の神に仕える清廉な男だった。
彼は、私の加護に疑問を抱いた神殿の中で、ただ一人“見よう”としてくれた人だった。
「ノエリア嬢の力は、白でも黒でもない。ならば、それは“まだ名もなき加護”かもしれません」
彼はそう言って、神殿の上層部に訴えてくれた。
けれど、その言葉が“異端容認”と見なされるのに、そう時間はかからなかった。
ある日、私の目の前で彼は斬られた。
騎士の法衣のまま、剣を持たぬまま、
彼は剣を抜いた神官の一閃に倒れ、赤く染まった床の上に崩れた。
「ノエリア嬢を…信じています……」
最期の声は、あまりに穏やかで、
けれど、それが私の胸を貫いた。
そして最後に、レオンだった。
処刑が決まった日、彼は何度も王宮を訪れ、私の無実を訴えてくれた。
「彼女は、俺が知る中で最も慈愛に満ちた人だ。毒など使うはずがない」
「それでも処刑するというなら、その責を俺が背負う」
それは、“王族”が決して口にしてはならない言葉だった。
王家の秩序を乱す者。
神殿の審判に逆らう者。
第二王子としてではなく、“ただの一人の男”として私を守ろうとした。
その結果、彼は……
処刑当日の朝、私の目の前で騎士たちに囲まれ、剣を突きつけられた。
「君は、なにも悪くない」
そう叫んだその声が、血に染まって崩れ落ちるのと同時に、途切れた。
私の中のすべてが、止まった。
あの日、私が“守られた者”であった事実。
その痛みが、今も私の胸を締めつける。
* * *
「最後の言葉をどうぞ」
神官の声が、現実へと引き戻す。
私は、首に巻かれた縄の重さを感じながら、静かに目を閉じた。
私の人生は、もうすぐ終わる。
でも、もし神がいるのなら、
この想いだけは聞いてほしかった。
「今度は、私が彼らを守りたいのです」
「この命を差し出します。だから……もう一度、時間をください」
「たとえ代償が何であれ、私は——やり直します」
その瞬間だった。
視界が白く染まり、世界がほどけていくように音も色も消えていく。
遠くで誰かが囁いた。
「願いは届いた。代償は“命の価値”……それでも?」
「はい」
「ならば、やり直すがいい。“すべてが始まる日”から」
そして私は、目を覚ました。
懐かしいベッド。朝の光。鳥の声。
見慣れた天蓋と、小さな部屋。
時計の針が、巻き戻っていた。
もう一度、始めるために。